「アニー・ホール Annie Hall」 1977年

- ウディ・アレン Woody Allen -

<新しい世代の登場>
 20世紀以前、人間は大人と子供、その2種類しかなかったといわれます。大人になるための儀式(ビジョン・クエスト)を終えたか、終えないか、それだけが人間を分けていたというのです。(女性の場合は子供を産んだか、産まないか)もちろん、常に例外はありましたが、その中間に位置する人種がはっきりとその存在を明らかにするようになったのは1950年代以降のこととも言われています。マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンという二人の俳優によって表現された「反抗する若者像」そしてロックン・ロールを全世界に広めたエルヴィス・プレスリーの「セックス・アピール」。そして学生運動の盛り上がりによって、大人と子供の中間に位置する「青年」という新しい層がはっきりと姿を表わすことになったのです。しかし、新しく生まれた人類は「反抗する若者たち」だけではありませんでした。
 例えば、1920年代ローリング・トゥエンティーズと呼ばれた時代にアメリカで急速に増えた働く独身女性たち、彼女たちにその象徴ともいえる衣装を与え、ライフ・スタイルを変えてゆくことになったココ・シャネルの登場。それまで女性=母親でなければならなかった社会の常識を覆した新しい女性たちの登場も、20世紀を象徴するものです。
 ちょうどこの映画が公開された1970年代半ばは、こうした新しい女性たちを描いた映画が次々に生まれた時期でもありました。「結婚しない女」「アリスの恋」「歌う女歌わない女」などは、その代表作です。
 さらにこの時期に公開された作品でアート・カーニーがアカデミー主演男優賞を受賞した「ハリーとトント」があります。この映画もまたそれまで映画で表現されてこなかった高齢層を主人公とする作品でした。
 1970年代は、それぞれの人種、民族の自立というテーマからさらに一歩進み、性の違い、世代の違いを越えた個々の自立を描くことが重要なポイントになっていたように思います。アカデミー作品賞受賞作の「カッコーの巣の上で」もまた精神障害者たちの自立を描いた作品でした。
 そんなわけで、その世の中に「結婚しない女たち」が増えれば、男の側にも結婚せずに仕事や趣味に人生を捧げる者たちが増えてゆくことも必然的なことです。そしt、その比率は都会ほど高くなり、そこには都会で働く新たな大人の人間像が見えてきます。
 年齢的には青春時代を終えつつも、父親(母親)にはならず、まして結婚してもいない宙ぶらりんの大人たち。こうした存在が急激に増えたのは、ニューシネマの登場した1970年代以降のことです。僕自身もそんなモラトリアム世代のひとりだったのですが、この年公開の「アニー・ホール」は、そうした新しい世代を描いたまったく新しいタイプの青春映画でもありました。

<驚きのアカデミー賞受賞>
 この映画がアカデミー賞の主要3部門である作品、監督、脚本を受賞したのは、長いアカデミー賞の歴史の中でも、その意外さでは5本の指に入るかもしれません。(さらにこの映画はダイアン・キートンにも主演女優賞をもたらしました)この映画が大好きだった僕でも驚いたし、ウディ自身も大いに驚いたことでしょう。なにせ彼は自分が監督としてやっていられるのは、ヨーロッパのファンのおかげだと常々いっています。そうでなくとも、彼のハリウッド嫌いは有名で、そのことはこの映画の中でも「LAアレルギー」として描かれています。全映画人のお祭りでもあるアカデミー賞の受賞式にも、あの9・11の事件が起きるまで一度も出席していないのです。したがって、ハリウッドの映画人に友人が多いわけでもなく、政治的芸術的傑作と呼ぶに相応しいフレッド・ジンネマンの名作「ジュリア」や洒落た台詞満載のラブ・コメディー「グッバイ・ガール」、それにスケールの大きな感動作「愛と喝采の日々」そして20世紀の映画史に燦然と輝く大ヒット作「スター・ウォーズ」。この年公開のこれらのライバル作品に勝てる要素があるとは、正直思えなかったのです。
 ところが結果は意外なことに・・・アニーに微笑んだのです。もしかすると、それぞれ別々のジャンルの作品だったため票が割れたのかもしれません。しかし、なんといってもこの映画が認められたのにはちゃんとした理由があったはずです。この映画は確かにそれまでにはなかった新しい作品であり、観客の多くが「これこそ、僕らの世代の映画だ」と思わせる何かがあったのです。実際、ウディ・アレンにとっても、この映画はそれまで彼が撮ってきたコメディー映画とはまったく異なるタイプの作品でした。では「アニー・ホール」はどうやって生まれたのでしょうか?

<ウディ・アレンの映画作り>
 ウディ・アレンはコメディー映画における天才といわれていますが、実際はコツコツと技術を学びながら、模倣と応用を繰り返すことで才能を身につけていった苦労人です。彼の芸能界デビューは、アメリカのコメディー俳優の多くがそうであるようにスタンド・アップ・コメディアンでした。しかし、芸人としてデビューする前、彼は高校時代すでにコラムに投稿する常連として文筆家として活動をスタートさせていました。先ずはコラムニストとしてお金を稼ぐようになり、その後はコメディー・ライターとして着実に実力をつけていったのです。スタンド・アップ・コメディアンとしての活動は、その合間を縫って行うようになったものでした。これは、ずばり「アニー・ホール」の主人公アルビー・シンガーそのものの人生です。
 ある日、映画プロデューサーのチャールズ・K・フェルドマンの目にとまり、彼から「何かいいことないか子猫チャン」(1965年)の脚本を依頼され、そのヒットにより脚本家として映画界入り。さらに俳優としても活動を始めました。
 彼はこうした仕事と平行してブロードウェイの舞台劇「ドント・ドリンク・ザ・ウォーター」の戯曲を執筆。さらに月に一本はニューヨーカーに短編小説を発表するなど、あらゆる創作活動に手を出しています。しかし、彼の中には子供時代から大好きだった映画を自分の手で作り上げるという最終目標がありました。
 プレストン・スタージェス、チャールズ・チャップリン、マルクス兄弟、ビリー・ワイルダー、ミルトン・ナバール、ボブ・ホープ、ダニー・ケイ・・・・・彼が憧れてきたコメディアン、コメディー映画の監督たちの作品を模倣しながら彼は監督として映画を作り始めます。
「泥棒野郎」(1969年)「ウディ・アレンのバナナ」(1971年)「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」(1972年)「スリーパー」(1973年)4本のドタバタ・コメディー映画を撮った後、彼は単なるドタバタものからの脱皮を図ります。それが、初めてヨーロッパでのロケを行ったナポレオンの暗殺を企てた男の物語「愛と死」(1975年)でした。この作品は、それまでの彼の作品と異なりタイトルどうり愛と死について哲学的な台詞も盛り込んでいました。彼の中ではチャップリンの「ライムライト」やフェデリコ・フェリーニ、イングマール・ベルイマンなどヨーロッパ映画の巨匠たちの作品に挑戦したいという思いが強くなっていたのです。
 しかし、結果は失敗でした。ヨーロッパ映画は大好きだったもののニューヨークを離れてヨーロッパでロケを行うことは、神経質な彼にとって予想以上の苦行となり、これ以後彼はいよいよニューヨークから出なくなってゆきます。内容的にも、芸術性にこだわることに気合を入れすぎたのか、すべてが空回りしてしまい、ギャグはすべり、シリアスな台詞は失笑をかうという最悪の出来になってしまいました。
 いったいどうやれば笑いと感動のバランスがとれた作品を生み出すことができるのか?そこで彼が次に選んだ題材は、自らのギャグの原点に帰ること、自分を笑いのネタにすることでした。彼がステージでしゃべっていた自分の容姿や民族性(ユダヤ系)、癖、性格、家族などをネタに自虐的に語るギャグは、もともと彼のお笑いの原点でした。彼はそんな自らの姿をさらけ出すことで原点に戻り、そこから新しい自分のスタイルを見出そうと考えたのかもしれません。そして、そのために「アニー・ホール」では数々の工夫を凝らしています。

<「アニー・ホール」>
 映画のオープニング。いきなりウディがこちらを向いて登場し、観客に精神科の医者に話すように自分のことを語り始めます。観客はこれですっかり彼の理解者になります。さらにアニー役のダイアン・キートンとの会話と同時進行で心の内の台詞が登場。観客は再び彼の本音を見せられ、知らないうちに彼に感情移入し始めるのです。
 映画館で列に並んでいるシーンはさらに手が込んでいます。彼が大好きなイタリアの巨匠フェリーニの悪口をいう見知らぬ脚にイライラさせられ、さらにその男が、メディア論で有名なマーシャル・マクルーハンの言葉を引き合いに出すと彼はカメラに向かって、「こういう時、あなたならどうしますか?」と訴え始めます。すると、その人物は「私はコロンビア大学でテレビ媒体と文化の講義を担当している。私のマクルーハン論には正当性があるんだ」と言い返します。すると、ウディは「面白い。ちょうど本人がいるから」といってマクルーハン本人を登場させ、その人物をへこませてしまうのです。「こう上手くゆけばね」とカメラに語りかけるウディ。こうなると、もう観客はウディの共犯者であり、友人です。
 正確に言うとこの映画はコメディーではありません。笑える話ではあっても、最後には観客をホロリとさせる悲劇の恋の物語なのです。観客はウディの失恋に思わず同情してしまうのですが、さらにアニーを演じるダイアン・キートンの存在が映画に深みを与えていることも重要です。
 彼女はこの映画以前「ボギー、俺も男だ!」「スリーパー」「愛と死」と続けてウディと共演してきただけでなく、本物の恋人として映画の中のアニー・ホール同様の関係にありました。ところが、この映画の撮影を前にすでに二人の関係は終っており、限りなく実話に近い物語を二人を演じることになりました。幸い、二人の関係は別れた後も良好で、その後もウディは彼女を「マンハッタン」に使い、アニー同様カリフォルニアに住んでいる彼女のためにニューヨークで滞在するための部屋を常に用意しているそうです。だからこそ、「アニー・ホール」にはほろ苦い心の痛みと優しい愛が同居しているのでしょう。素敵な映画には、素敵な人間関係の支えがあったのです。

<半自伝的作品>
 「アニー・ホール」は、ウディ・アレンが愛した女優ダイアン・キートンに捧げられた二人の愛の思い出として、男性、女性どちらからも愛される作品となり、この後も彼の作品ような半自伝的な内容の映画を何本もとり、それが彼の作品の主要なテーマのひとつとなってゆきます。
「マンハッタン」(1979年)、「スターダスト・メモリー」(1980年)、「ラジオ・デイズ」(1987年)、「エディプス・コンプレックス」(「ニューヨーク・ストーリー」の3話の中のひとつ)、「魅惑のアフロディーテ」(1995年)それぞれの映画には彼が愛していた女性たちとの思い出が描かれていて、それが重要なポイントにもなっています。(「エディプス・コンプレックス」では、ウディの母親が巨大な主役となって登場しています)
 彼と暮らし、彼と人生、作品に大きな影響を与えた女性は3人います。ルイーズ・レッサー、ダイアン・キートン、ミア・ファロー、3人とも女優です。やはり彼は「アニー・ホール」のアルビー同様、美しい女性たちにもてようで、この3人以外にも、彼の映画に出演させてほしいという女優たちからのラブ・コールが多いことでも有名なのです。そんなわけで、彼の映画は名女優たちの宝庫でもあるのです。インデペンデント映画の巨匠ジョン・カサベテスの妻であり名女優のジナ・ローランズ(「私の中のもうひとりの私」)、シャーロット・ランプリング(「スターダスト・メモリー」)、クレア・ブルーム、アンジェリカ・ヒューストン(「重罪と軽罪」)、それとジョディ・フォスター(「影と霧」)は電話でウディに出演を志願したそうです。今や大スターのドリュー・バリモアも志願の出演をしています。(「世界中がアイ・ラブ・ユー」)。それから、なんとあのシガニー・ウィーバーは「アニー・ホール」でウディのデート相手として出演したのが映画デビューだったそうです。その他、常連ともいえる女優としてダイアン・ウィーストの存在も忘れられません。他にもいっぱいいます。
 マドンナ、キャシー・ベイツ、バーバラ・ハーシー、ジュディ・デイヴィス、ジュリエット・ルイス、ジェラルディン・ペイジ、マーゴ・ヘミングウェイ、ヘレナ・ボナム・カーター、ミラ・ソルヴィーノ、マリー・クリスティーヌ・バロー、ゴールディー・ホーン、ジュリア・ロバーツ、メリル・ストリープなんと豪華な顔ぶれでしょう。これだけ多くの女優たちと共演している男優は他にいるでしょうか?
 それに比べると、彼と共演した男優陣はというと、マイケル・ケイン、アラン・アルダ、マイケル・マーフィー、ジェフ・ダニエルズ、マックス・フォン・シドー、マーチン・ランドー、ジョン・キューザック、リーアム・ニーソン・・・など。女優たちの美しさ、個性の多様さに比べ、なんと地味な存在ばかりでしょう。この顔ぶれをみると、ウディの映画の男優たちは主役の彼を引き立たせるためにいるように思えます。そのうえ、彼はアクターズ・スタジオなどで演技のテクニックをがっちりと身につけた俳優とはあわないので使わないといっています。当然、ロバート・デ・ニーロやダニエル・デイ・ルイスなどの名優たちは使わないことになっています。
 かつて、ウディが憧れたハンフリー・ボガートは、男性、女性どちらにももてるタフ・ガイ・ヒーローでした。しかし、今やウディのようなタイプこそ、女性たちにモテモテの時代なのかもしれません。「アニー・ホール」は「ボギー、俺も男だ!」から時代が変わったことを示す新たなヒーロー誕生の作品だったのかもしれません。もしかすると、世の男性の多くが彼のおかげで自信を持てるようになったかもしれません。実は、僕もその一人でした!「ウディ、俺も男だ!」

「アニー・ホール Annie Hall」 1977年公開
(監)(脚)ウディ・アレン
(製)チャールズ・H・ジョフィ、ジャック・ロリンズ
(製総)ロバート・グリーンハット
(脚)マーシャル・ブリックマン
(撮)ゴードン・ウィリス
(衣装)ラルフ・ローレン
(出)ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ、ポール・サイモン、キャロル・ケイン
   シェリー・デュバル、クリストファー・ウォーケン、ジェフ・ゴールドブラム、シガニー・ウィーバー

<あらすじ>
 ニューヨークのイーストサイドに住む、ユダヤ系スタンド・アップ・コメディアンのアルビー・シンガー(ウディ・アレン)は、年は40歳ぐらいで離婚歴が一回、背は低くけっして二枚目ではありませんが、なぜか女性にもて、そんな状況にそれなりに満足する日々を過ごしていました。
 ある日、彼は友人と行ったレストランでアニー・ホール(ダイアン・キートン)という明るくて美しい女性と知り合います。その後二人は愛し合うようになり、いつしか彼女はアルビーの家で生活するようになっていました。まったく性格の違う二人は初めは上手くいっていましたが、しだいにお互いの欠点が気になるようになり始めます。独占欲の強いアルビーは外交的なアニーの生活が気になってしかたなくなりますが、それに追い討ちをかけるように彼女の歌に惚れこんだ歌手トニー・レイシー(ポール・サイモン)にカリフォルニアに来るよう誘われます。二人は関係を修復するために精神分析医の助けを借りようとしますが、結局アルビーの疑い深さに嫌気がさしたアニーは家を出てカリフォルニアへと出発してしまいました。アニーを失ったアルビーは寂しさに耐えられず、彼女を追ってカリフォルニアへと向かいますが、彼女はすでに歌手として成功しつつあり、もうニューヨークへは帰る気がなくなっていました。カリフォルニアの健康的な気候にも馴染めない彼は一人寂しくニューヨークへと戻るのでした。ほろ苦い思いを噛み締めながら・・・。



「スター・ウォーズ」、「未知との遭遇」の大ヒットによりSF映画のブーム到来

「愛と喝采の日々The Turning Point」(監)ハーバート・ロス(出)シャーリー・マクレーン、アン・バンクロフト
アニー・ホールAnnie Hall」(監)(脚)(出)ウディ・アレン(出)ダイアン・キートン(アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞受賞作)
「エクウス Equus」(監)シドニー・ルメット(原)(脚)ピーター・シェイファー(出)リチャード・バートン、ピーター・ファース
「カーウォッシュ」(監)マイケル・シュルツ(ノーマン・ホイットフィールドがカンヌ映画祭音楽賞受賞)
カプリコン1(監)(脚)ピーター・ハイアムズ(出)エリオット・グールド、サム・ウォーターストーン、ジェームス・ブローリン
「グッバイ・ガール The Goodbye Girl」(監)ハーバート・ロス(脚)ニール・サイモン(出)リチャード・ドレイファス、マーシャ・メイスン(アカデミー主演男優賞受賞のヒット・コメディー)
サタデー・ナイト・フィーバーSaturday Night Fever」(監)ジョン・バダム(音)David Shire(監)ジョン・バダム(製)ロバート・スティグウッド(曲)ビージーズ、イボンヌ・エリマンなど
「三人の女」(監)ロバート・アルトマン(シェリー・デュバルがカンヌ映画祭主演女優賞受賞)
ジュリアJulia」(監)フレッド・ジンネマン(音)Georges Delerue (アカデミー助演男優、女優賞受賞(ジェーソン・ロバーツ、ヴァネッサ・レッドグレープ))
スター・ウォーズ Star Wars」 (監)ジョージ・ルーカス(音)John Williams アカデミー作曲賞
(説明不要20世紀を代表するSFムービー)
「スラップ・ショット」(監)ジョージ・ロイ・ヒル(脚)ナンシー・ダウド(撮)ビクター・ケンバー(出)ポール・ニューマン、ストローサー・マーチン
「007/私を愛したスパイThe Spy Who Loved Me」(監)ルイス・ギルバート(音)Marvin Hamlisch「Nobaody Does It Better」
「大理石の男」(監)アンジェイ・ワイダ(脚)アレクサンドル・シチボル=リルスキ(出)イエジー・ラジヴィオヴィッチ、ミハウ・タルコフスキー
「デュエリスト/決闘者」(監)リドリー・スコットカンヌ映画祭新人監督賞
「特別な一日 Una Giornata Particolare」(監)エットーレ・スコーラ(出)マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン
「父/パードレ・パドローネ」(監)(脚)タヴィアーニ兄弟(出)ロメロ・アントヌッティ(カンヌ映画祭パルムドール国際批評家連盟賞受賞)
「プロビデンス」(監)アラン・レネ(脚)デヴィッド・マーサー(撮)リカルド・アロノヴィッチ(出)ダーク・ボガート、エレン・バースティン
「マイ・ソングYou Light Up My Life」(監)(脚)(音) ジョゼフ・ブルックス アカデミー歌曲賞「You Light Up My Life」
未知との遭遇 Close Encounters of the Third Kind」(監)スティーブン・スピルバーグ(音)John Williams (スピルバーグの異星人とのコンタクトもの代表作)
「欲望のあいまいな対象」(監)ルイス・ブニュエル(原)ピエール・ルイス(脚)ジャン・ピエール・カリエール(出)フェルナンド・レイ、キャロル・ブーケ


「悪魔の手毬唄」(監)(製)市川昆(原)横溝正史(脚)久里子亭(出)石坂浩二、岸恵子、若山富三郎
「幸福の黄色いハンカチ」(監)(原)山田洋次(脚)朝間義隆(原)ピート・ハミル(撮)高羽哲夫(出)高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり
(第一回日本アカデミー賞作品賞、監督賞受賞)
「青春の門 自立篇」(監)(脚)浦山桐郎(脚)早坂暁(原)五木寛之(出)田中健、大竹しのぶ、いしだあゆみ
「遠い一本の道」(監)(製)左幸子(脚)宮本研(出)井川比佐志、左幸子、市毛良枝
「竹山ひとり旅」(監)(脚)新藤兼人(音)林光(出)高橋竹山、林隆三、乙羽信子(モスクワ映画祭監督賞、ソ連美術家同盟賞
「ねむの木の詩がきこえる」(監)(製)(脚)(音)(出)宮城まり子(撮)岡崎宏三(国際赤十字映画祭最高賞
「八甲田山」(監)森谷司郎(製)橋本忍、野村芳太郎(原)新田次郎(脚)橋本忍(出)高倉健、北大路欣也、栗原小巻、三国連太郎
「はなれ瞽女おりん」(監)(脚)篠田正浩(原)水上勉(撮)長谷部慶次(出)岩下志麻、原田芳雄、奈良岡朋子、殿山泰司
「ボクサー」(監)(脚)寺山修司(脚)石森史郎、岸田理生(音)J・A・シーザー(出)菅原文太、清水健太郎
「八つ墓村」(監)野村芳太郎(原)横溝正史(脚)橋本忍(出)渥美清、萩原健一、小川真由美

アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト」大ヒット(監)舛田利雄(原)松本零士
テレビ・シリーズ「ルーツ」 (音)Quincy Jones
(これほどブームになった海外ドラマはその後ない)

豊田四郎(監督)死去(71歳)
チャールズ・チャップリン(監督、俳優)死去(88歳)



国連砂漠会議(ナイロビ)
国連総会でハイジャック防止決議採択
国連安保理対南ア武器輸出策採択
<アメリカ>
ジェームス・A・カーター大統領に就任
エルヴィス・プレスリー死去
<ヨーロッパ>
喜劇俳優チャーリー・チャップリン死去
フランスのオペラ歌手、マリア・カラス死去
西ドイツ赤軍によるモガジシオ事件発生
ブレジネフ氏、ソ連の最高会議議長に就任
<中東・アフリカ>
サダト、エジプト大統領がイスラエルを訪問
エチオピア・ソマリア紛争
ザイール内戦
<アジア>
中国の文化大革命終結宣言
ヴェトナム国連加盟
在韓米軍の撤退が進む
<日本>
円高ドル安(1ドル250円を割り込む)
赤軍派によるダッカ事件
有珠山噴火
王貞治、ホームランの世界記録樹立

<芸術、文化、商品関連>
「約束の地」ロバート・B・パーカー著(エドガー賞)
パリを代表する文化施設「ポンピドゥー・センター」完成
マンハッタンに「スタジオ54」オープン
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のヒットで世界的なディスコ・ブーム始まる
松下電器「マックロード」ビデオのVHSの優位を決めるヒットとなる
タイトー「スペース・インベーダー」開発(ゲーム・ブームが始まる)
<音楽関連(海外)>
シカゴのクラブ「ウェアハウス」でフランキー・ナックルズがDJプレイ開始
(「ハウス」の名はこの店でかかる音楽から生まれた)
ザイールで、パパ・ウェンバがヴィヴァ・ラ・ムジカを結成
フェラ・クティのカラクタ共和国をナイジェリアの軍隊が襲撃
<音楽関連(国内)>
レコード大賞授賞式のテレビ中継が歴代最高の視聴率51.6%に達する
(「歌謡曲」の時代が頂点に達したといえるかもしれません)
鯨保護のためのコンサート、ローリング・ココナッツ・レビューが東京で開催される
キャンディーズ引退「普通の女の子に戻りたい」が流行語に
この年の音楽についてはここから!

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