「ノアの羅針盤」、「偶然の旅行者」

- アン・タイラー Anne Tyler -

<「偶然の旅行者」>
 僕がこの小説の著者アン・タイラーの名前を知ったのは、彼女の小説「アクシデンタル・ツーリスト」(1985年)の映画化作品「偶然の旅行者」(1988年)をみた時でした。ローレンス・キャスダン監督の演出とウィリアム・ハートとアカデミー助演女優賞を受賞したジーナ・デイヴィスの素晴しい演技による名作は、原作者の名前も世界的に有名にしました。しかし、彼女の作品は他に映画化されて成功したものはなく、どうやら映画化向きではない地味めのものが多いようです。アメリカの作家でありながら、どこかヨーロッパ的でハリウッド的ではない作風。それがアン・タイラーの特徴かもしれません。でも、それはなぜなのでしょうか?
 「偶然の旅行者」は、中年にさしかかった地味なインテリ男性とエキセントリックな女性の恋を描いた大人向けの恋愛映画として高い評価を受け大ヒット。当時としては珍しいタイプの作品でした。(その後、ジャック・ニコルソン主演の映画「恋愛小説家」(1997年)のような大人向けの作品が生まれることになりますが、当時はまだ珍しい作品でした)
 もちろん、その原作小説も当時高く評価され、1985年の全米批評家協会賞を受賞しています。その小説の発表から24年、この小説の主人公は時の経過に合わせるように60歳を前にした男性という設定になっています。そして、彼は職を失い、再就職せずにリタイアするか年金暮らしに入るか迷っています。
 正直、この小説は僕にとっても「リアル」に感じられました。気がつくと、自分も50歳を越えているなんて・・・。そう思いながら、読んでしまいました。
 実は著者のアン・タイラー自身が、以前最愛の夫を亡くして、小さめの家に引っ越した経験がありました。そしてある夜、下の階から聞こえてきた物音に起こされた時の恐怖体験が本作執筆のきっかけになったといいます。

「過去を思い出させない者はそれを繰り返す運命にある」
ジョージ・サンタヤーナ(この本の中の引用されています)

<あらすじ>
 主人公のリーアムはもうすぐ60歳。小学校の教師でしたが突然リストラされてしまいます。今後どうするべきか悩みつつ、とりあえず家賃の安い郊外のアパートに引越そうとしていました。
 ところが、引越した次の日、目を覚ますと、彼が居たのは病院のベッドでした。どうやら、前日の夜、何者かが彼の部屋に侵入し、彼を殴って気絶させたようでした。ところが、彼はその時の記憶を失っており、犯人の顔どころか争った記憶すらありませんでした。もしかすると、事件をきっかけに自分の記憶力は失われてしまうのではないか?不安になった彼は知り合いの精神科の医師に相談に行きます。
 その精神科クリニックの待合室で彼は、有名な実業家と彼の秘書として働くユーニスという女性と出会います。彼女は実は秘書ではなく、雇い主の記憶力の衰えを補うために雇われた記憶係でした。そんな不思議な仕事をするユーニスになぜか一目ぼれしてしまったリーアムは、なんとか彼女と話すきっかけをつかもうと彼女の仕事場に接近します。その後、彼女と話すチャンスつかんだ彼は、ユーニスと付き合い始めます。60歳と38歳の恋は上手くゆくのでしょうか?
 そんな中、彼の家に、別れた妻のところから孫娘が逃げ込んできます。そしてその孫娘の彼氏までもが同居することに・・・。
 彼と別れた妻との関係は?そして彼の両親との関係は?

<60歳の恋>
 「偶然の旅行者」のようにドラマチックな展開はなく、淡々と物語は進みますが、著者の語り口の上手さとそれぞれのキャラクターの魅力もあり、どんどん読まされてしまいます。そこにはどこの家庭で起こりそうな小さなドラマが積み重ねられ、ハリウッド的な結末は訪れません。それでも読者が引きつけられるのは、そうした日常的な出来事を著者自身が実際に体験したからかもしれません。だからこそ生まれた新鮮な感動が上手く文章化されているからこそ、小説は魅力的になったのかもしれません。彼女にとって、60歳を過ぎてからの日常は、不安も多いとはいえ、まだまだ新鮮な驚きに満ちているのです。読者にとっては、そうして新鮮な気分で人生を送ることができるというのは、自分にとっても救いに感じられるはずです。
 そんな彼女の人生の見方には、彼女のもつ独特の生い立ちが関係しているのかもしれません。

<アン・タイラー>
 アン・ タイラー Anne Tyler は、1941年10月25日ミネソタ州ミネアポリスに生まれています。父親は化学者で薬学の研究所で働いていて、母親はソーシャル・ワーカーとして働いていて、二人とも熱心なクェーカー教徒でした。クェーカー教は、キリスト教の一派で徹底した非暴力主義を貫き、戦時中も兵役を拒否。理想主義的な共同体を作って生活する特殊な生活を送っていました。映画「刑事ジョン・ブック」に登場したアーミッシュの人々よりはまだ文明化を受け入れていますが、彼女の住む村には電話が一本しかなく、食料も有機農法による自給自足に近いかたちだったといいます。アメリカが戦争に関わるたびに彼らは反戦運動を行い、そのために社会的に差別されることにもなりました。
 そうした特殊な環境で育った彼女は、11歳になって初めて学校に通うため村を出て世界を知ることになりました。成績優秀だった彼女は奨学金を得てデューク大学に入学。19歳で卒業後はコロンビア大学に進学し、その後は地元に戻り、デューク大学の図書館で働き始めます。
 1963年22歳の時、イラン出身の医学生と結婚。すでに執筆活動を始めていた彼女は、その翌年初の長編小説「If Morning Ever Comes」を発表。本格的に作家デビューし、その後1970年代にポルチモアに引越して以降は、ボルチモアを舞台に小説を発表し続けています。

 クェーカー教徒としての無垢な少女時代から、突然普通の大学生になった時、彼女は世界をどう見たのでしょうか?
 その後、アメリカにおける異邦人であるイラン出身の男性と結婚したことで、アメリカという国がどう見えるようになったのでしょうか?
 彼女はベストセラー作家ではあっても、サイン会や朗読会、雑誌のインタビューなどのようなプロモーション活動をまったく行っていないといいます。村上春樹もそうですが、外部社会との直接の接触を絶つ生き方により、社会はより真実に近く見えるのではないか?僕はそう思うのですが・・・。
 世界を新鮮な驚きと喜びをもって見たいなら、偶然の旅に出るか、ネットなしの部屋にこもるか、命の危機に追い込まれるか、記憶を失うか・・・新しい恋をするしかないってことでしょうか!

「ノアの羅針盤 Noah's Compass」 2009年
(著)アン・タイラー Anne Tyler
(訳)中野恵津子
河出書房新社

20世紀文学大全集へ   トップページへ