「暗殺の森 IL CONFORMISTA」 1970年

- ベルナルド・ベルトルッチ Bernardo Bertolocci 、ヴィットリオ・ストラーロ Vittorio Storaro -

<映画の教科書>
 ロバート・レッドフォードのアカデミー作品賞受賞作「普通の人々」(1980年)、ローレンス・キャスダンの代表作「再会の時」(1983年)「偶然の旅行者」(1988年)などのカメラマン、ジョン・ベイリーは新しい映画の撮影に入る前、初めて組む監督に必ず「暗殺の森」を見てもらい互いが目指す映像についての議論を行うことにしていたそうです。彼にとって、「暗殺の森」はカメラマンにとっての教科書であり、その撮影者ヴィットリオ・ストラーロと「ゴッド・ファーザー」のカメラマン、ゴードン・ウィリスは生涯の目標ともいえる存在だといいます。
 確かにこの映画を最初に見たときの印象は強烈なものがありましたが、改めて見てみると映画とは「動く絵画」でもあるのだということを実感させられました。もちろん、そのためにはそれぞれの画面には、ライティングや色調、人や物の配置、それらが生み出す影など決めるべきことが無数にあり、それらを意図的に明確に選び実現しなければなりません。それを完璧なまでに実行した作品、それがこの「暗殺の森」なのです。
 この映画について語るには、その美しい映像を撮ったカメラマン、ヴィットリオ・ストラーロを紹介しなければならないでしょう。

<ヴィットリオ・ストラーロ>
 ヴィットリオ・ストラーロ Vittorio Storaroは、映写技師の子として1940年6月24日イタリアのローマで生まれています。子供の頃から父親の仕事場でもある試写室で映画を見ながら育った彼は、映画のカメラマンになりたかったという父親の奨めもあり18歳と時、チェントロ(イタリア国立映画学校)に入学します。9年間、写真と映画撮影について学んだ後、撮影助手として映画の撮影に参加。その中に1964年ベルトルッチ2作目の作品「革命前夜」があり、1969年の「暗殺の森」以降はベルトルッチ作品のカメラマンとして不動の地位を築いてゆきます。
 彼はベルトルッチ作品の「ラスト・タンド・イン・パリ」(1972年)、「1900年」(1976年)、「ルナ」(1979年)、「ラスト・エンペラー」(1987年)、「リトル・ブッダ」(1993年)、「シェルタリング・スカイ」(1990年)以外にも、ウォーレン・ビーティーの「レッズ」(1981年)、F・F・コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」(1982年)、「タッカー」(1988年)、「地獄の黙示録」(1979年)なども撮っており、その中の「地獄の黙示録」「ラスト・エンペラー」「レッズ」と三度アカデミー撮影賞を受賞しています。
 前述のカメラマン、ジョン・ベイリーが尊敬するもう一人のカメラマン、ゴードン・ウィリスがあくまで自然光を重視し、リアリズムにこだわるのに対し、ストラーロは映画のテーマ、場面の意図するところに合わせて徹底した色彩設計を行い、自らの手で画面を人工的に作り上げるタイプのカメラマンといえます。(二人の天才のうち、ストラーロが三度アカデミー賞を撮りながら、ゴードン・ウィリスが一度もとっていないのは、苦労と目には納得できないことのようです)
 彼は自分の仕事である「映画の撮影」という仕事は、「光で書く writing」ことであると言っています。それは「書く writing」であり「描く peinting」ではないといいます。自らの内なる思いや文化的素養、思想体系などを通して映画を「描写」もしくは「書く」ことは単に絵を描くのとは違うということのようです。
 さらに彼にとって映画の撮影とは、過去に生み出され積み上げられてきた映画の歴史の上に成り立っており、それを学び生かすことで初めて良い作品が生まれると考えています。歴史と伝統に支えられたイタリア出身の芸術家だからこその発言かもしれません。ただ撮影者にはそれぞれ異なる感性があり、それぞれの光、影、色調を用いることで自己のスタイルと個性の刻印を刻むことこそが必要とされるのだ、と彼は語っています。

<「暗殺の森」の映像>
 この映画には印象深いシーンが数多くあります。主人公のマルチェッロがジュリアの家を訪ねるシーンのブラインドと光が生み出す美しい縞模様。マルチェッロが訪れるファシスト本部の寒々とした内装とそこに射す冷たい光。これらイタリアのシーンは、ほとんどモノトーンともいえる色目のない映像になっていますが、それはファシストによって支配され自由を失った当時のイタリア国内の状況から必然的に生まれたものでした。
 それとは逆に、二人がイタリアを離れフランスを訪れると、自由の街パリは美しい色彩によって彼らを迎えてくれています。さらに夜のシーンでは画面全体が青みをおびた美しい夜を演出。前半イタリアでのモノトーンの映像とは異なる華麗な夜を見せてくれます。そして、ラスト近く森の中での暗殺シーンでは再び画面はモノトーンへと変わります。これもまた当然の変化だったといえるでしょう。霧の中をゆっくりと走る車の映像と森の中を必死で逃げ回るアンナの悲壮感に満ちた映像の怖さと寒々しさも忘れられません。
 不思議だったのは、イタリアからフランスへと向かう列車の中のシーンです。車窓に見える風景が明らかにスクリーンに映し出されたものなのはなぜなのか?気になっていたのですが、それにもやはり意図があったようです。この時代はファシズムの時代であり、多くのプロパガンダによって人々は実現するはずのない夢のような世界を見せられていた。だからこそ、窓の外に見える世界もまた現実の世界であってはならない。これがこの映画の撮影における重要な鉄則だったというのです。ここまで画面の隅々に一貫性をもたせなければならないと彼は考えていたのです。彼はこうした設定を映画のテーマにあわせて事前に決めると、それを撮影の終了まで変えずに貫き通しました。これこそ、彼が最も重要視していることのようです。
 この映画の予告編(ビデオの特典映像として加えられています)では、カラー映像だけでなく赤と青、二つの色に加工された特殊な映像が使用されています。実は映画の本編でも、この赤と青の二色分けされたシーンがあります。ラスト近くマルチェッロと妻のジュリアが離れたところかrお互いに話しかけるシーンで二人の立つ場所がそれぞれはっきりと赤と青に色分けされているのです。当時の彼はそうした色の選択については本能的に行っていたそうですが、その後彼は色彩についての理論を学び、意図的、論理的に色を選ぶようになっったそうです。

<ベルナルド・ベルトルッチ>
 しかし、ここまで細部にこだわるカメラマンと組むには監督もまたそうとうのツワモノでなければならないはずです。彼に認められていたベルナルド・ベルトルッチという監督がいかに大物だったかがわかるというものです。
 ベルナルド・ベルトルッチ Bernardo Bertolocciは、1941年3月16日北イタリアのパルマで生まれました。父親は詩人、文芸評論家のアッティリオ・ベルトルッチで、少年時代をパルマで過ごした後に、11歳の時、家族と共にローマに引っ越しました。しかし、ローマで青春時代を過ごしながら彼が故郷パルマを愛する気持ちは強く、後に彼が撮る映画の多くはパルマが舞台となります。父親が映画好きだったこともあり、彼は高校に入る頃、すでに映画監督になることを考えていたようで、夏休みになるとパリに行きシネマテークで映画を見続けたといいます。
 ただし、当時の彼は父親の才能を受け継ぐ詩人としても活動していて、いくつかの賞も受賞するほど活躍していました。こうした詩人としての活動は、彼が映画を撮り始めるまで続きます。そして、詩を止めてからは映画の中に自らの詩を描き出すようになります。
 彼をいっきに映画の道に引き込んだのは、やはりヌーヴェル・ヴァーグでした。彼はゴダールの「勝手にしやがれ」などヌーヴェル・ヴァーグの作品から大きな衝撃を受け、いよいよ映画を撮りたいと思うようになります。するとチャンスは以外に早くやって来ました。父親の友人が映画を始めて撮ることになりベルトルッチの映画好きを知る彼が助監督をやらないかと誘ってくれたのです。なんとその父親の友人とはピエロ・パオロ・パゾリーニでした。彼はこうしてパゾリーニのデビュー作「アッカトーネ」(1961年)で助監督を務めることになったのでした。この時、ベルトルッチはまだ20歳でした。こうして映画の現場を体験することになった彼は、パゾリーニが原案を書いた「殺し」の脚本化。するとプロデューサーから自分で監督をするように依頼されます。こうして彼は弱冠21歳という若さで監督デビューを飾ることになったのでした。

<コンビによる傑作誕生>
 ヴィトリオ・ストラーロと組んだのは、1970年の「暗殺のオペラ」からですが、同年発表のこの作品「暗殺の森」によって一躍彼の名は世界的なものとなります。1930年代の退廃的なイタリアを斬新な映像で描いたこの作品は世界各地でカルト・ムービー的な人気を獲得。多くの作品に影響を与え続けることになります。
 例えば、マルチェッロがファシスト党本部で銃を渡されるシーン。彼はその銃を持って画面に向かって撃つ真似をしてみせます。右へ、左へ、そして最後には自分のコメカミに向けて発射するマネをします。このシーンは、あの「タクシー・ドライバー」における有名な「You Talkin' to me?」のシーンとそっくりです。
 この映画でアンナを演じたドミニク・サンダのボーイッシュかつ妖艶な美しさも忘れられません。イタリアの彫刻を思わせる完璧なスタイルとギリシャの神々を思わせる美しい顔は、その存在自体が美術品のようです。特に彼女がステファニア・サンドレッリとパリのダンスホールで踊るシーンの妖しいまでの色っぽさは伝説的です。
 実はこの映画の中でドミニク・サンダはファシストの女として、顔に傷のある娼婦としても出演しており、一人三役をこなしています。こうした俳優の使い方は、その作品があくまで虚構の物語であることを示すためともいわれています。意外なことかもしれませんが、彼の作品の多くは歴史的な出来事を描いているようではあっても、けっして史実に基ずく歴史的事件を描いているわけではありません。歴史に基づく時代ドラマではあっても、それはあくまでドラマの背景であってドラマの本筋自体はあくまで虚構の物語なのです。本作以外でも「暗殺のオペラ」(1970年)「革命前夜」(1964年)「1900年」(1976年)「ラスト・エンペラー」(1987年)「リトル・ブッダ」(1993年)だからこそ、ストラーロによるリアリズムを無視した撮影が可能だともいえます。ベルトルッチの作品は、大掛かりなスケールで作られた「擬似歴史大作」であると同時に、彼の詩人としての才能が生み出した「想像の世界」だとも考えられるのです。そして、その「想像の世界」を創造するためにヴィットリオ・ストラーロという天才画家が必要だったのです。こうして二人の天才の手により、映画という総合的な美術作品が古典的名作というレベルにまで高められ「動く絵画」ともいえる作品を生み出すにいたったのです。

<ジャン=ルイ・トランティニャン>
 この作品の主人公マルチェッロを演じるジャン=ルイ・トランティニャン Jean=Louis Trintignantは、1930年12月11日南仏のプロランで生まれています。パリに出て中等教育を終えた後、シャルル・デュランのもとで演技を学びました。初舞台は1951年の「真夏の夜の夢」。映画デビューはクリスチャン・ジャック監督の「空と海の間に」です。特に有名な役どころといえば、「男と女」でのカー・レーサー、「刑事キャレラ/10+1の追撃」の刑事、それに政治的な意識の高さを示したコスタ・ガブラス監督の傑作「Z」での判事などですが、どれも寡黙で地直な役で日本で言うならまさに高倉健といった感じの俳優です。

「暗殺の森 IL CONFORMISTA」 1970年公開
(監)(脚)ベルナルド・ベルトルッチ
(製)ジョバンニ・ベルトルッチ
(原)アルベルト・モラヴィア
(撮)ヴィットリオ・ストラーロ
(音)ジョルジュ・ドルリュー
(出)ジャン=ルイ・トランティニャン、ドミニク・サンダ、ステファニア・サンドレッリ、ピエール・クレマンティ、エンツォ・タラシオ、イヴォンヌ・サンソン

<あらすじ>
 少年時代に同性愛の運転手に犯されそうになり、その男を射殺したことに苦しんでいたマルチェッロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、そのトラウマから逃れるため「平凡な市民」になることに異常なまでの執着を示していました。そのために彼はファシストとして生きる道を選択しました。それは1930年代のイタリアではムッソリーニに率いられたファシスト党が政権をとり、大衆の間ではファシストであることが「一般市民の証」だったからです。こうして彼はファシスト党の一員となり、その人脈により出世の道を歩み始めます。しかし、そのために彼に与えられた任務は、彼の大学時代の恩師であるクアドリ教授(エンツォ・タラーショ)に近づき彼を暗殺せよというものでした。
 そこで彼は婚約者のジュリア(ステファニア・サンドレッリ)とともにパリに亡命中の教授を訪ねます。彼がスパイであると見抜いていた教授の妻アンナ(ドミニク・サンダ)は彼を厳しく追及しますが、彼はそんなアンナを好きになり自らが手を下すことを拒否しアンナを逃がそうとします。しかし、教授を暗殺する日、アンナはあえて教授に同行してきたため、森の中で二人とも暗殺されてしまいます。こうして、ファシストのスパイとして出世の道を歩み始めたマルチェッロでしたが、ファシスト政権の崩壊は彼の人生をもいっきに崩壊させてしまいます。そんな時、彼の目の前にかつて彼が殺したはずの運転手が現れます。・・・・ 



ヴェルナー・ヘルツォーク「小人の饗宴」カンヌ映画祭に出品されニュージャーマン・シネマ時代始まる

「ある愛の詩 Love Story」(監)アーサー・ヒラー (音)Francis Lai アカデミー作曲賞
(ライアン・オニール、アリ・マックグロー主演の元祖難病モノ・メロメロ・ドラマ)
「暗殺の森 Il Conformista」(監)ベルナルド・ベルトルッチ(撮)ヴィットリオ・ストラーロ(音)Georges Delerue (暗黒のヨーロッパ史、J.トランティニャンの出世作)
「いちご白書 The Strawberry Statement」(監)スチュアート・ハグマン(「サークル・ゲーム」バフィー・セントメリー、C・S・N&Yなどカンヌ映画祭審査員賞
ウッドストック Woodstock」(監)(撮)マイケル・ウォドレー(編)マーチン・スコセッシ
「エルビス・オン・ステージ Elvis:That's the Way It Is」(監)デニス・サンダース(「この胸のときめきを」が大ヒットし、エルビス・プレスリー・ブームが再燃)
「悲しみのトリスターナ」(監)(脚)ルイス・ブニュエル(原)ベニト・ペレス・ガルドス(出)カトリーヌ・ドヌーブ、フランコ・ネロ、フェルナンド・レイ
「ギミー・シェルター Gimmie Shelter」(不吉な時代を写し取ったライブ・ドキュメント、ストーンズ以外にジェファーソンなど出演)
「恋する女たち Woman In Love」(監)ケン・ラッセル(出)アラン・ベイツ、オリバー・リード(グレンダ・ジャクソンがアカデミー主演女優賞受賞)(公開1969年)
「最後の栄光」(監)ジョン・ブアマン(カンヌ映画祭監督賞受賞受賞)
「殺人捜査」(監)エリオ・ベトリ(主)ジャン・マリア・ボロンテ(カンヌ映画祭グランプリ、国際批評家連盟賞受賞)
「砂漠の流れ者 ケーブル・ホーグのバラードThe Ballad of Cable Hogue」(暴力映画の巨匠、サム・ペキンパーの作り上げたロスタルジックで心温まる傑作)
「さらば夏の日Du Soleil Plein Les Yeux」 (音)Francis Lai (フランシス・レイの黄金時代)
「ジェラシー」(監)エットレ・スコーラ(マルチェロ・マストロヤンニがカンヌ映画祭主演男優賞
「大空港 Airport」(監)ジョージ・シートン(音)Alfred Newman (元祖パニック映画、グランドホテル形式の傑作。ヘレン・ヘイズがアカデミー助演女優賞
「小さな恋のメロディー Melody」(監)ワリス・フセイン(製)デヴィッド・パットナム
(脚)アラン・パーカー(「イン・ザ・モーニング」「若葉の頃」「メロディーフェア」byビージーズ、「ティーチ・ユア・チルドレン」C・S・N&Yなど)
「小さな巨人」(監)アーサー・ペン(原)トーマス・パージャー(脚)コルダー・ウィリンガム(出)ダスティン・ホフマン、フェイ・ダナウェイ
「トラ・トラ・トラ!」(監)リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二(出)マーティン・バルサム、山村聡(黒澤明が監督を途中降板)
「パットン大戦車軍団 Patton」(監)フランクリン・J・シャフナー(アカデミー作品、監督、主演男優賞受賞、ただし主演のジョージ・C・スコットは受賞拒否)
「ビートルズ/レット・イット・ビーLet It Be」 (監)マイケル・リンゼイ=ホッグ アカデミー編曲・歌曲賞
(ご存じビートルズ最後の作品、屋上ライブは後にU2がパクり大成功)
「ファイブ・イージー・ピーセス」(監)(原)ボブ・ラフェルソン(脚)(原)アドリエン・ジョイス(出)ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック
「フェリーニの道化師 I Crowns」(監)(脚)フェデリコ・フェリーニ(音)Nino Rota (哀愁ただよう美しい音楽でした)
「パフォーマンス Performance」(監)ドナルド・キャメル、ニコラス・ローグ(音)ジャック・ニッチェ
(出)ミック・ジャガー、アニタ・パレエンバーグ(ライ・クーダー、ランディー・ニューマンなど)
「ひまわりI Girasoli」(監)ヴィットリオ・デ・シーカ(音)Henry Mancini (ソフィア・ローレンの代表作のひとつ、テーマはスタンダード)
「ふたりの誓いLovers and Other Strangers」(監)サイ・ハワード(音)フレッド・カーリン アカデミー歌曲賞
カーペンターズのカバーで大ヒットした名曲 "For All We Know")
「ボクサー」(監)マーチン・リット(原)(脚)ハワード・サックラー(出)ジェームス・アール・ジョーンズ、ジェーン・アレキサンダー
「マッシュ M★A★S★H」(監)ロバート・アルトマン(音)Johnny Mandel
ロバート・アルトマンの傑作のひとつ、音楽も良かった!テレビ・シリーズも良かった!カンヌ映画祭パルムドール受賞)
「ライアンの娘Ryan's Daughter」(監)デヴィッド・リーン(脚)ロバート・ボルト(音)モーリス・ジャール(出)ロバート・ミッチャム、サラ・マイルズ
(あの断崖絶壁の風景に魅せられました。ジョン・ミルズがアカデミー助演男優賞
「わが青春のフロレンス」(監)(脚)マウロ・ボロニーニ(出)マッシモ・ラニエリ(オッタビア・ピッコロがカンヌ映画祭主演女優賞受賞)

「エロス+虐殺」(監)(製)(脚)吉田喜重(脚)山田正弘(撮)長谷川元吉(出)茉莉麻理子、楠有子、細川俊之
「男はつらいよ 望郷篇」(監)(原)(脚)山田洋二(脚)宮崎晃(出)渥美清、長山藍子、倍賞千恵子
「家族」(監)(原)(脚)山田洋二(脚)宮崎晃(製)三嶋与四治(出)倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆、前田吟
「昭和残侠伝・死んで貰います」(監)マキノ雅広(出)高倉健、藤純子(黄金コンビ誕生!)
「戦争と人間」(監)山本薩夫(原)五味川純平(脚)山田信夫(撮)姫田真左久(出)滝沢修、芦田伸介、浅丘ルリ子
「地の群れ」(監)(脚)熊井啓(脚)(原)井上光晴(製)高島幸夫、大塚和(出)鈴木瑞穂、寺田誠、紀比呂子
「どですかでん」(監)(製)(脚)黒澤明(製)松江陽一(脚)橋本忍、小国英雄(出)頭師佳孝、菅井きん、芥川比呂志(アデレード映画祭作品賞、監督賞
「裸の十九才」(監)(脚)新藤兼人(製)能登節雄、桑原一雄ほか(出)原田大二郎、乙羽信子(モスクワ映画祭金賞
「無常」(監)実相寺昭雄(脚)石堂淑郎(製)淡豊昭(音)冬木透(出)田村亮、司美智子、岡田英次(ロカルノ映画祭ゴールデン・ジャガー賞

榎本健一(俳優)65歳で死去
円谷英ニ(特撮、監督、製作)68歳で死去
月形龍之介(俳優)死去(68歳)
内田吐夢(監督)72歳で死去



海底核兵器禁止条約、大量破壊兵器禁止条約可決
<アメリカ>

ニューヨーク株式市場大暴落
アメリカを中心にウーマン・リブ運動活発化
米軍、カンボジアの政変で北爆を再開
ジャンボ・ジェットが就航開始(パンナムのB747)
チリでアジェンデ政権が成立
<ヨーロッパ>
イギリスの哲学者バートランド・ラッセル死去
ソ連の反体制作家ソルジェニーツィン氏がノーベル文学賞受賞
<アフリカ>
非同盟諸国のリーダー、エジプトのナセル大統領死去
ナイジェリアにおけるビアフラ内戦が終結
「今もし、ビアフラが人類史の小さな脚注になるのなら、その脚注にはこう書くがよい・・・<彼らは世界に対して、アフリカで最初の近代的な政府を与えようと試みた。彼らの試みは失敗に終わった>」
ビアフラ共和国 エフィオング将軍 カート・ヴォネガット著「ヴォネガット、大いに語る」より
<アジア>
非同盟諸国のリーダー、インドネシアのスカルノ大統領死去
カンボジアにクメール共和国誕生、シアヌーク亡命
中国人工衛星の打ち上げに成功
<日本>
日米安保条約、自動延長
よど号ハイジャック事件発生
日本国内で公害問題が深刻化
沖縄で米兵の起こした交通事故をきっかけにコザ市で暴動発生
カメラマン沢田教一、カンボジアで射殺される
三島由紀夫割腹自殺
大阪万国博覧会EXPO70開催
銀座、新宿、池袋、浅草の繁華街で歩行者天国実施
NHKが全番組をカラー化

<芸術、文化、商品関連>
「夜のみだらな鳥」ポセ・ドノソ著(チリ)
「かれら」ジョイス・キャロル・オーツ著(全米図書賞)
「選ばれし者」バーニス・ルーベンス著(ブッカー賞受賞)
「罰金」ディック・フランシス著(エドガー賞)
TBSテレビ「時間ですよ」放映開始
「an・an」(平凡出版)創刊
<音楽界>
ビートルズ解散(ポール・マッカートニーの脱退による)
英国でグラムロック・ブームが起こる(T.Rex,David Bowie,Sladeなど)
幻のロック・イベント「フェスティバル・エクスプレス」カナダを横断
ロック・オペラ「トミー」初演
映画「ウッドストック」「レット・イット・ビー」「エルビス・オン・ステージ」公開
フェラ・クティ、ナイジェリア70を率いて活動開始
FM東京放送開始
フラワー・トラベリン・バンドがカナダでコンサートを行う
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