「もうひとつの旅 Druhe Mesto」

- ミハル・アイヴァス Michal Ajvaz -

<もうひとつの「図書館戦争」>
 本や図書館を舞台にした小説は、本好きにはたまらないものがあります。「図書館戦争」はまさにその究極の作品だし、「ビブリア古書堂」もののようなマニアックなものもあり、本好きにはたまりません。もちろん、そんな本好きにお勧めの小説は日本だけではなく、海外の作家たちも様々な本関連の小説を生み出してきました。トリュフォーが映画化したSFの名著「華氏451度」は、焚書が行われる未来社会を描いた作品で今読んでもまったく古くありません。同じSFでもフリッツ・ライバーの「闇の聖母」は本が人格化してしまうファンタジー小説。ミヒャエル・エンデの「はてしなき物語」やウンベルト・エーコの「薔薇の名前」もまた本が主役ともいえる名著です。
 そして、この小説もまたその系譜に登場した新たな名著です。未知の文字で書かれている一冊の本により、本の迷宮へと迷い込む男の冒険が、図書館の中を中心に展開するという本オタクにはたまらない小説です。たとえば、その図書館内部の描写が凄いです。

 私たちは、無限に並ぶ書棚の列を歩み、まだまっすぐになっていて灯りがついている道を、丁寧に並べられた本の背に並行して歩いていった。だが、図書館の奥のほうに差し掛かると、本は倒れはじめ、千切られたページが散乱しているようになった。同時に、電球も徐々に暗くなっていった。いくつかの道に分岐している箇所に私たちはたどりつき、十字路では弱い電球が点いていた。図書館の奥深くに続く未知の入口は暗く、古書の重々しい臭いがすでにただよっていた。私の案内人は立ち止まった。「さあ、ここがジャングルの始まりだ」真剣な面持ちで言うと、書棚のあいだにある狭い小路の暗い入口を指差した。・・・

 本が好きな人にはたまらないイメージです。ただし、この小説は図書館を舞台にした単純なファンタジー小説ではありません。どちらかというとシュルレアリスム的な展開のぶっ飛んだ小説なので、論理的に理解しようとはしないで下さい。それでは、読み進めなくなってしまうかもしれません。例えば、その世界は我々の世界の片隅にひっそりと存在しているので、クローゼットの中がいつの間にか、その世界になっている場合もあるし、ベッドの下の可能性もあります。(もちろん、「ナルニア国物語」ではありません)

・・・男と男の仁義なき戦いは、クローゼット内のうっとりするようなジャングルで繰り広げられている。クローゼットにはコートが吊るされているが、研磨された刀が裏側に突き出ているのを知る者はひとりもいない。コートのなかで数ヶ月にわたって時間を過ごす兵士たちは、もはや人間というよりも、コートと同じ姿となり、思考方法もまた、コートと一体化している。考え事をしていたアパートのオーナーが誤って兵士を羽織ってしまい、そのまま外出してしまう事態が生じる。侮辱されていると感じた兵士は銃を発射しようとするが、柔らかい銃から、ごろ切れのような弾しか出ず、くるくると回転して歩道に転がった弾を鳩がついばんでしまう。・・・・

 このイメージは、「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアムかスペインの奇才ギレルモ・デルトロあたりに監督してもらうと凄い映画になりそうな気がします。この本が覗き見せてくれる「すぐそばにある異世界」という発想は、けっして新しいものではありませんが、非論理的なるがゆえにその描き方が読者の想像力を刺激する魅力的な作品になっています。

 奇妙な生命が宿り、私たちの街よりも古くから存在する、だが私たちがなにも知らない世界が私たちのごく身近に存在することなどあるだろうか?このことを考えれば考えるほど、私はこう思うようになった。それは十分にありうる話だ、私たちの生き方を反映しているにすぎない、と。というのも、私たちは限られた円でしかない自分たちの世界から離れようとしないからだ。境界の向こう側から、私たちの規律を飲む、暗い音楽が響いている。・・・

 この本の著者がフランツ・カフカミラン・クンデラカレル・チャペックなど偉大な文学者を生んだチェコ出身というのは、なるほどと思えるのですが、彼はいったいどんな人物なのでしょう?

<ミハル・アイヴァス>
 この本の著者ミハル・アイヴァス Michal Ajvaz が、1949年10月30日チェコの首都プラハに生まれています。父親は化学者でロシアからの移民でしたが、クリミア半島に住む少数民族カライム人の血をひいています。
 謎に包まれたその民族は、7世紀から10世紀にかけて、ハザール王国という強国を築きながら、いつしか歴史から消えていったハザール人の末裔といわれています。黒海の東北部沿岸に広がる広大な土地を支配していたハザール人は、いつの間にか世界地図から消えてしまったのですが、もしかするとそれが彼の描く謎の国とつながっているのかもしれません。
 彼が生まれ育ったチェコは、1950年代に「プラハの春」と呼ばれる民主化の時代を迎えながらも、1968年にソ連軍が侵攻し、その流れを止めてしまっていました。そのため、彼が1974年に大学を卒業する当時は、再びガチガチの共産主義国家に逆戻りしていました。そんな自由の失われた時代に、彼は大学でチェコ語と美学を専攻。詩や文章を書きためていましたが、それを発表するチャンスはないとあきらめていたようです。「発表できない文学作品」は、この小説に出てくる読めない文字で書かれた作品のことかもしれません。(深読みのしすぎではないと思うのですが・・・)もし、歴史の変化がもう少し遅ければ、彼の作品は世に出ることなく埋もれたままになった可能性もあります。
 しかし、1980年代に訪れた突然の政変、ペレストロイカからの民主化と「ベルリンの壁」崩壊の影響でチェコはは再び民主化が進み始めます。1988年、彼は未発表の原稿を出版社に持ち込みます。そして、1989年彼の第一詩集「ホテル・インター・コンチネンタルの殺人」が発表されることになりました。当時、プラハで進んでいた民主化の動きは、「ビロード革命」と呼ばれ、彼のように芸術の道を歩みだそうとしていた作家たちにチャンスを与えることになりました。
 読めない文字で書くしかなかった文学作品は、歴史上世界中に存在したのでしょう。そうした隠された文学作品だけを集めた図書館がこの小説に登場する隠された図書館なのかもしれません。

・・・図書館の奥深くで、年に何人もの図書館員が失踪してしまうので、司書課程は新しい卒業生を送っても足らない状況なんだよ。ついには、書棚のあいだで行先不明になった図書館員を追悼する記念碑が建てられてね。・・・

 たとえ帰れなくなるかもしれなくても、僕なら深い深い文学の森に迷いこんでみたい・・・と本好きな方なら思うのではないでしょうか。正直この小説の物語はあまりにシュルレアリスティックで、もう少し面白い展開(エンタテイメントな)にできそうな気もします。でも、読者が「僕ならここから先はこうしたい」とか「もっと面白くできるはず・・・」と様々な想像をさせられることこそ、優れた小説の証と僕は思います。(もちろん、スティーブン・キングが自らの作品を語るように、飛行機に乗る暇な時間をつぶせればそれで良し、という小説の存在価値は確かにありますが・・・)
 それしても、「図書館の奥に潜む本の森」入ってみたい!僕なら、たとえ戻ってこられないかもしれなくても、入ってしまいそうな気がします。

帰還とは、自分たちは故郷にいる、自分たちは故郷を離れたことがないと想い出すことにすぎん。

 あなたも是非、シュルレアリスティックで、不思議なすぐそこにあるもうひとつの世界への旅に出かけてみて下さい。たとえ帰ってこられなくなったとしても、それはそれで思い出深い旅になるはずです。

 もしかしたら、私も野生化して、太鼓の音に合わせて本のあいだで踊るようになるかもしれません。もしかしたら、廊下の行き止まりで私の顔が現われ、図書館員の女性たちを驚かすことになるかもしれません。でも、戻るには手遅れなんです。・・・

「もうひとつの旅 Druhe Mesto」 1993年
(著)ミハル・アイヴァス Michal Ajvaz
(訳)阿部賢一
河出書房新社
<あらすじ>
 雪の降るプラハの街にある古書店で、主人公の私は菫色の装丁がほどこされた不思議な本を見つけます。なんとその本はこの世に存在しない文字で書かれており、主人公はその本との出会いをきっけかに地下で行われている謎の儀式に遭遇したり、街の中でサメに襲われたり、ジャングルになった図書館に迷い込んだり、悪魔のような動物たちを見たりします。
 命の危機を感じながらも、彼はそのもうひとつの街にひかれ、いつしかその街の中心部を目指し始めます。彼は「もうひとつの街」の秘密を知ることができるのでしょうか?

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