幸福という名の青い鳥を探す旅


「青い鳥 L'Oiseau bleu」

- モーリス・メーテルリンク Maurice Maeterlinck、江國香織 Kaori Ekuni -

<名作戯曲の小説家>
 名作とした名高い「青い鳥」は、元々1908年にベルギー出身のノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲です。従って、オリジナルの小説版は存在せず、翻訳者や小説家によって様々な小説のバージョンがあるわけです。というわけで、ここで扱うのは2013年に江國香織さんが小説化したバージョンです。

 一般的にこのお話は、少年少女の成長を描いた童話と思われていますが、改めてこの小説を読むと、人生を見つめ直す視点を教えてくれる哲学的寓話ととらえる方が正しいように思えます。ただ、一歩間違えると、「夢」を見るよりも「現実」に満足せよというメッセージが込められているともとれるので、教訓的物語にも読めるかもしれません。
 生きてゆくのが精いっぱいだった当時の貧しい人々にとって、この作品が訴えているメッセージは、聖書の中の「信ぜよ、されば救われん」という前向きなものにとらえられたのかもしれません。しかし、時代が現代に近づくにつれて、そこに込められたメッセージは、文明の発展と共に現状に満足することを促す保守的なものと受け入れられるようになった気もします。まして、青い鳥が家に元々いたことを知ってしまうラストを素直に受け入れてしまうと、「家が最高」となってしまい「引きこもり」を助長し「冒険」を嫌がる草食系の若者が増えるのでは?という意見がでそうです。この作品が訴えているメッセージは本当は、様々な土地を旅して様々な人々と出会うという体験こそが、「幸福」を見つける視点を得るために必要なのだということなのだと思うのですが・・・
 どうやら、そこには大いなる誤解があるようです。このことに気がつくだけでも、この小説を読む価値はある気がします。

<この小説の魅力>
 このお話の最大の魅力は、「青い鳥」を探す旅のワクワク感にあるのですが、いつの間にか結末だけが知られるようになることで、いつしかそこまでの過程が忘れられてしまったようです。
(1)旅の仲間となる「光」「犬」「猫」「水」「火」「ミルク」「パン」という脇役キャラの濃さと多彩さもこのお話の魅力の一つです。
(2)「記憶の国」に登場する「思い出すことによって動き出す死者」たちの愛おしさも忘れられません。

「・・・そうやって、誰かがわしらのことを考えて、起こしてくれるのを待っているんだよ。人生を終えて、ゆっくり眠るのはいいものだよ。でも、ときどきこうして起こしてもらえると、それはそれでうれしいね」

(3)「夜の城」に住む、夜の女王とその配下の「睡眠」「おそれ」「病気」「幽霊」・・・などダークサイドのキャラクターもけっして悪の存在として単純に描かれているわけではありません。

「・・・二人は、もうぼくの声を聞くことはないでしょうし、こうして、生きて動くぼくを見ることもないでしょう。何といっても、人間の目はほんとうのことを見るようにはできていないんですから。でも、ぼくはいつもそこにいます。パン焼き窯のなかに、棚に、テーブルに、ス―プのわきに。・・・」

 これは、ラスト近く「生きているパン」の泣かせる台詞です。

(4)「月夜の森」に住む、木の精や動物たちは人類に対するもうひとつの生命集団ともいえる「自然」を代表する存在です。彼らが人間に対して最も恐ろしい存在として描かれているのは、メーテルリンクがいかに人類の文明を正確に見ていたのかを証明しています。彼がその後書き残した「虫」についての研究書にもそんな彼の考え方が書かれています。

「わかったでしょう?人間は、人間以外の世界を全部、敵にまわしているのよ」
そう言った光は、なんだかかなしそうでした。


(5)「幸福の館」に住む「人間の様々な贅沢」がまた実に魅力的です。例えば、「金を持つ贅沢」「満たされた虚栄の贅沢」「何もしない贅沢」「必要以上も眠る贅沢」・・・

「でも、あまりにも品がなくてひどい喜びは、そこから追放されて、不幸の支配下に逃げこんだわ。忘れてはならないのは、不幸たちが幸福の館の、すぐ隣に住んでいるっていうことなの。彼らの住む洞窟と幸福の館の庭とは、ある種の霧っていうか、薄いまくのようなものでへだてられているだけなの。しかも、永遠の深みや正義の高みから吹いてくる風で、その霧はしょっちゅう揺れ動いてしまう。だから私たちはしっかり心を一つにして、注意深くしていなくちゃいけないの」

「・・・この世には、人間たちが考えているよるも、ずっとたくさんの”喜び”たちが存在するの。”幸福”たちもよ。でも、多くの人たちはそれが見えないの」
光は言いました。


さらに「光」は「幸福たち」が減りつつあることも指摘します。

「昔はもっとずっとたくさんいたのよ。贅沢たちがあばれまわるようになる前は」

 ここにもメーテルリンクの人類文明の発展に対する疑問符が描かれています。長く残る傑作はやはり深さが違うのです。

このほとんど透明に見えるのが”きれいな空気という幸福”、こっちは”両親を愛するという幸福”。日があたると輝く服を着ていて、いつもちょっとかなしそうなんだ。誰にもちゃんとかえりみてもらえない幸福だからね。あっちにいるのが”青空という幸福”だよ。あ、”森という幸福”もいる。彼らとは、窓辺に行くたびに会っているはずだよね。それであっちは、”日のあたる時間の幸福”。そこにいるのは”春の幸福”で・・・・・」

 「幸福」って数え上げればきりがないものなのです。

<幸福とは?>
 朝起きてから、夜眠るまで、あなたは何回ぐらい幸福を実感するでしょうか?時には何度もそう感じる日もあるでしょうが、一度も感じない日も多くありませんか?この幸福の館で、二人は母親とも出会います。
「・・・たしかにここは天国よ。でも、私たちが互いにやさしく会える場所は、どこだろうとそこが天国なの、あなたたちが、物事の本質を見抜きさえすればね」

(6)「真夜中の墓地」では、二人がなんと墓から這い出すゾンビたちと対面することになります。

(7)「未来の王国」で二人が出会うのは、生まれる前の子供たちです。
「・・・そこのお前は、向こうに何を持って行くつもりだね?何もないだと?では、通すわけにはいかん。何か考えなさい。大きな犯罪でもかまわんよ、もしそういうことをやりたければ。重病を持って行くんでもいい、わしの知ったことじゃないからな。ともかく何か持って行かねばならん」

 どうやら赤ちゃんは、それぞれ何かの目標を持たなければ世に出ることはできないようです。

<歴史的名作の意味>
 歴史的名作と評価される作品には、それなりの理由があります。その多くは、ある種のジャンルの先駆的な作品であることがあげられますが、単に新しいアイデアを提示しただけでなく、文学として完成の域に達していることも重要です。そうでないと、同じアイデアを盛り込んだその後の傑作にその地位を奪われることになるはずです。
 物語の設定が時間と場所を越えた普遍的なものであることも重要でしょう。多くの歴史的名作がファンタジー小説なのは、そのせいだと思います。「青い鳥」が時代を越えているのは、まさにそうした条件に当てはまっているからです。
 ただし、「想像力の翼」でしか描けないこの作品は、あまりにもキャラクターが抽象的過ぎて、実写化することが困難です。読者それぞれが「想像力の翼」を羽ばたかせて頭の中で、物語を映像化しなければなりません。(「何もしない贅沢」なんてどんなキャラクターに描いたらよいのでしょう?)
 今や、ここまで普遍的で映像化困難な名作は希少価値になりつつあります。「青い鳥」も映画化もされていますが、いつか完璧な?映画化が行われるでしょうか?お手並み拝見と生きたいところです。でも、「指輪物語」や「ナルニア国物語」を映画化できたのとは、少々違う問題がそこにはある気がするのですが・・・。

「青い鳥 L'Oiseau bleu」 1908年(2013年)
(著)モーリス・メーテルリンク Maurice Maeterlinck
(訳)江國香織
(絵)宇野亜喜良
<あらすじ>
 貧しい木こりの家で暮らす家で暮らす兄と妹は、ティルティルとミティルは、ある夜、突然現れた隣の家のおばあさんに似た妖精ベリリュンヌから自分の娘の命を救うために「青い鳥」をつかまえて欲しいと頼まれます。そのために使う不思議な帽子をかぶると二人には、まわりの世界がまったく違うものに見えてきます。
 こうして、二人は突然、話をするようになった犬と猫、それにパン、光、水、それぞれの妖精と共に青い鳥を探す旅に出ます。
 「記憶の国」では、早くに亡くなった祖父母や貧しさのために病気などで死んだ兄妹たちと再開。その他にも、「眠り」「病気」などダークサイドの精、森の精や動物たち、「幸福」や「喜び」の精たち・・・二人は旅の途中に様々な人生における出会いを体験することで「幸福」とは何かについて学んで行きます。

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