- イスラム・テロ組織の誕生と21世紀 -

<アラブ・ゲリラによるテロ活動>
 1960年代末は世界的混乱の時代でした。それはアメリカで盛り上がっていた公民権運動が世界中へ飛び火した影響もありましたが、それだけではありませんでした。1967年、パレスチナでは第三次中東戦争が起き、その時イスラエル軍に攻撃され土地を奪われたパレスチナのアラブ人たちがテロ活動によって各地でユダヤ人を攻撃し始めたのも、この時代でした。
 1968年7月、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)によって起こされたエルアル機のハイジャック事件はそうしたテロ活動の最初の大事件となり、1972年にはあのミュンヘン・オリンピックの人質立てこもり事件が起きています。こうしてアラブ・ゲリラによるテロ事件は世界中を震撼させることになりました。
 ユダヤ人国家イスラエルの誕生から始まったこうしたテロ事件はある意味わかりやすい構図をもっていました。しかし、2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件を起こしたといわれる中東のゲリラ組織アルカイダとアメリカとの関係は、そうした単純な構図ではありません。
 世界中の資本主義社会を敵にまわす21世紀を象徴するテロ組織アルカイーダとは、どこから生まれたのか?彼らは何を目指しているのか?その誕生の歴史を追ってみます。

<イスラム原理主義の誕生>
 イスラム・テロ組織の思想の元になっているイスラム原理主義とは何か?先ずはそこから始めます。
 1928年、エジプトの学校教師ハサン・アルバンナは、マホメットの教えに忠実に従うムスリム同胞団を結成します。当時エジプトは、イギリスの植民地で西欧式のシステムや思想を受け入れつつありました。そうした流れに対しイスラム教の宗教者たちは強く反発。そこからエジプト社会ではコーランに厳格に従う生き方を重視する原点回帰を求める動きが生まれ、その流れに乗ることでこの原理主義組織は急速に広がることになりました。
 1946年、この組織は5000の支部をもつまでになり、それぞれがモスクや学校、クラブを有していたといいます。この組織に育てられた人々は、コーランに忠実に生き、周りの人々にもその生き方を求めるようになります。そして、彼らの組織から離れて行く者、裏切り行為を行なう者に対し厳しい罰を下すようになります。それが、後の原理主義過激派の原点になったと言われています。
 そうした動きがある中、イギリスとの関係を強め、民主主義の導入を進めるエジプト政府は、まったく逆の方向へと社会を変革しようとしていました。エジプト政府は、徹底した政教分離を進め、国家体制を西欧式の共和国に改め、そうした動きに反発するイスラム同胞団を解散させてしまいます。そのうえ、組織の指導者アルバンナを暗殺し、組織を徹底的に弾圧しました。

<ジハード団の誕生>
 当時エジプトの指導者だったジャマル・アブゼル・ナセルは、その後も同胞団をつぶすため、アルバンナの後継者となったサイード・クトゥブを逮捕・処刑してしまいます。しかし、こうした処罰は、彼らを殉教者として英雄化することにもなり、原理主義運動の勢いを抑えることにはなりませんでした。政府は方針転換を余儀なくされ、ナセルの後継者アンワル・サダトは逆に同胞団の存在を認めます。しかし、そのサダトもイスラエルとの和平交渉を進めたことで、1981年、同胞団によって暗殺されてしまいます。
 この後、ムスリム同胞団からはさらに過激な二つの組織が生まれることになります。
 その一つ、イスラム集団はエジプト国内において過激なテロ活動を行い世界中にその存在を知られることになります。特に有名なのは、1990年代初めの観光バスやナイル河クルーズ船への攻撃。1996年カイロでのホテル襲撃事件、1997年の観光地ルクソールでの大量射殺事件(この時は観光客を中心に58名が死亡)彼らの活動により観光産業を基幹産業の一つとしているエジプトは膨大な経済的被害を受けることになりました。
 そして、もう一つここからはジハード団という組織が生まれ、彼らはアフガニスタン紛争に義勇兵として参加することになります。

<アフガニスタンにて>
 前述のジハード団も参戦したアフガニスタン紛争は、1978年に政権を獲得したアフガニスタンの共和国政府がイスラム原理主義者の弾圧を始めたことから始まりました。その後、ソ連よりの共和国政府を倒すためにアメリカが関与。弾圧されていた原理主義勢力に資金援助を行い政府の転覆を仕掛けます。ついには、隣国でもあるソ連がアフガニスタンに軍事介入。アフガニスタンを舞台に米ソ代理戦争が始まることになりました。
 その戦争は資本主義と共産主義の争いであると同時に、イスラム原理主義VS共産主義もしくは宗教VSイデオロギーの戦争でもありました。そのため、その戦闘には、国境を越えた世界各地のイスラム原理主義者たちが義勇兵として参加することになったのです。そして、こうして集まった世界各地からの義勇兵たちをまとめ、一つの先頭集団に鍛える役割を果たしたのが、アッザーム率いる原理主義グループ「ムジャヒディーン」でした。この「ムジャヒディーン」がその後、「アルカイダ(「基礎」という意味)」へと発展。世界中を震撼させる組織へと発展することになります。

<湾岸戦争>
 その後、アルカイダには組織を拡大するためになくてはならない人物ウサマ・ビンラディンが加わります。サウジアラビアの大富豪の子供として生まれた彼は、その豊かな財力とカリスマ性、強力な指導力により、すぐに組織内で頭角を表します。そして、1988年にアッザームが暗殺されると、すぐにその後継者となりアルカイダを指揮してゆくことになります。
 1991年、湾岸戦争が勃発します。イラクが隣国のクェートに侵攻したこの戦争のきっかけは、そこから10年以上さかのぼった1979年のイランで起きたイスラム原理主義革命でした。イスラム教の中でもシーア派のイランにおける「宗教」に基づく政権が誕生したことで、元々スンニ派という異なる宗派であり民族としても異なる隣国イラクは、その運動の広がりを恐れて、イランへの侵攻を開始します。(1980年)この時、イランに攻め込んだイラクの指導者が、サダム・フセインでした。彼は当時、彼と同じようにイスラム原理主義の広がりを恐れていたアメリカからの経済的、軍事的な支援を得て1988年には戦闘に勝利をおさめます。
 1990年、イラク戦争の勝利により勢いに乗ったサダム・フセインは、オイルマネーによって豊かな経済力をもつクェートへと攻め込みます。親米の国クェートが攻撃されたことで、アメリカは驚くと同時に手のひらを返したように今度はサダム・フセインを「中東のファシスト」と批難。すぐに西欧各国を巻き込んで多国籍軍を組織し、イラクへの攻撃を開始。こうして、「湾岸戦争」が始まったのでした。

<ウサマ・ビンラディン>
 「湾岸戦争」は圧倒的な軍事力をもつ多国籍軍の勝利に終わりました。しかし、当初、クェートに侵攻したイラク軍は、クェートへの侵攻を成功させた後、同じ親米の金持ち国家サウジアラビアへも侵攻するとみられていました。そのため、アメリカはサウジアラビアにも軍隊を派遣することになりますが、当初はもうひとつサウジに派遣される軍隊候補がありました。
 それは、1989年にアフガン紛争でソ連を倒し勢いに乗っていた多国籍の軍隊「アルカイダ」でした。彼らの指導者ウサマ・ビンラディンがサウジ出身だったこともあり、同じアラブ出身のアルカイダは当然サウジからの協力要請があるだろうと期待していたのです。ところが、サウジ政府は同盟国とはいえイスラム原理主義者にとっては、最大の敵のひとつであるアメリカに協力を求めました。ビンラディンは、この裏切りともいえる選択に衝撃を受け、アメリカへの敵対心を強めることになりました。この衝撃からアメリカとアルカイダの長い対立が本格化することになります。

<イスラム原理主義闘争の目的>
 エジプトにおけるイスラム原理主義運動初期の指導者サイード・クトゥブは、自著の中でこう書いていました。
「イスラムの家と呼べる場所は地上にただ一ヶ所しかない。そこはイスラム国家が作られ、シャリフが権威となり、神の法則が守られる場所である。・・・・・世界の残りの場所は戦争の家である。・・・」
サイード・クトゥブ「このイスラムという宗教」より(1967年)

 この言葉によれば、世界中が宗教戦争の戦場となりうることになり、その最大のターゲットがもうひとつの宗教陣営キリスト教国家の指導者であるアメリカとなるのでしょう。

「われわれの近代社会の煌びやかな光輝、われわれのテクノロジーの推進力、彼らが感知したわれわれの外交政策の無遠慮なパワー、そして、アメリカの文化があらゆる壁を、家を、精神を貫き通す力(にテロリストは怒った)」
ドン・テリーロ(アメリカの作家)

 そして、そうしたイスラム社会に潜在的に存在する反アメリカの思想を実体化させた存在がアメリカの経済的パートナーでもあったはずの実業家ウサマ・ビンラディン率いるアルカイダでした。(スパイク・リー監督の映画「インサイドマン」の中で大物弁護士(ジョディー・フォスター)がビンラディンの従兄弟にアパートを紹介するので忙しいという台詞がありましたが、今でも彼らはアメリカと深い関係にあるのです)
 巨大な富をバックにしたアルカイダは、世界各地で差別される立場にいたアラブ系の優秀な技術者、科学者を集め、彼らにその実力を発揮する場所を提供。死をも恐れない兵士とそうした優秀な頭脳を融合させることで軍事大国アメリカに対抗しうる強力な軍隊を作り上げました。(こうした頭脳派と武闘派の共闘という展開は、まさにあのオウム真理教を思い出させます)

「・・・アルカイダは強固なイスラム・イデオロギーと現代テクノロジーを強力に融合し、近代化には「西洋化」が必要ないことを誇示し、イスラムの世界観のもとに西洋に反撃した。もしこのような見方をすれば、アルカイダにとっては、アメリカが実際にいまなる行動をとろうと、アメリカの表象的な役割の方が重要になる。すなわち、たとえ米軍がサウジアラビアの聖なる土地を汚すことを止めても、「大悪魔」である以上はアルカイダを凝集させ続けるだろう。・・・・・」
「テロリズム」チャールズ・タウンゼンド(著)宮坂直史(訳)

 そうしたアルカイダのようなテロ組織に対し、当のアメリカはどうやって対抗したのでしょうか。以下はアメリカの国務省によるカウンター・テロ対策における四原則です。

「第一に、テロリストには譲歩しない、取引しない。
 第二に、テロリストを裁判にかける。
 第三に、テロリズムを支援する国をその行動を変えさせるために孤立させ、圧力をかける。
 第四に、アメリカと協同して反テロを行なう国、そしてアメリカの支援を求める国には、カウンターテロリズムの能力を促進させる」


 当然、アメリカ一国による対応ではテロ組織を封じ込めることは不可能です。そのため、アメリカは同盟国だけでなくイスラム圏の国々に対しても、テロ組織をかくまうことのないよう圧力をかけました。以下の文章は、9・11同時多発テロ事件の後、ブッシュ大統領がアメリカから出発する第101師団を前に行なった演説です。

「アメリカは世界の国々に対して伝えたいことがある。もし、テロリストを匿えば、それはテロリスト同然だ。・・・そのことで責任を負うだろう。これらすべての脅威を打ち負かすまで、われわれは国家としても安全になったわけではない。世界中で何年かかっても、われわれはこの邪悪な勢力と戦う」
ジョージ・ブッシュ

 これはテロ国家に対する宣言というよりも、日本やアラブの同盟国に対する脅しともとれる台詞であり、アメリカという国が自ら対テロ作戦の名のもとに自らテロ国家化してゆく宣言文となったともいえます。そして、これこそが、最悪のテロ対処作戦なのです。

「テロリズムへの対応で最も危険なことは、テロリストと同じことを模倣する衝動であろう」
「テロリズム」チャールズ・タウンゼンド(著)宮坂直史(訳)

 21世紀のテロリストは決して革命を起こそうとしているわけではありません。テロリストは政府のトップを暗殺するよりも、国全体を恐怖に陥れることを目標としています。そのうえ、その組織は国家組織とは異なり同じ強い信念をもつ人々の集合体であるがゆえに、どこを切っても壊滅させることのできない強さをもっています。

「テロリズムはネットワークとして機能している。それは、人物あるいは組織という点で特定のヘッド(頭)はない」
シリア共和国アサド大統領

 対抗しても駄目、だからといって無視することもできないほど、巨大なパワーをもつに至った21世紀のテロリズムに対し、我々は何ができるのでしょう?それはあまりに空しく遥かなる戦いなのかもしれません。それでも、イスラエルの思想を理解しうる人物バラク・オバマ大統領の登場は微かながらも明るい兆しです。少なくても単純な宗教戦争とは異なるレベルに一歩でも歩みだせる可能性が出てきたことは確かです。
 今やオバマ政権が廃絶を宣言した「核兵器」はテロ集団、テロ国家にとって十分に使用可能な兵器となりました。それだけに21世紀は宗教間の融和が不可欠の問題になるように思えます。そうした時代において核廃絶をいち早く目指してきた日本、イスラムでもキリスト教でもない日本、白人国家でもない日本が果たすべき役割は間違いなく大きいはずです。

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