「我が名はアラム My Name is Aram」

- ウィリアム・サローヤン William Saroyan -

<言葉の魔法>
 素晴らしい小説の中には、読み出したとたん一気に読者を引き込んでしまう作品があります。この小説はまさにその典型です。それはこんな書き出しから始まります。

 ずっと以前、僕がまだ九つで、この世が素晴らしく、人生がまだ美しく不思議な夢があった頃、僕以外の者が皆、少しキ印だと思っていた従兄のムーランドが、朝四時に家に来て僕の部屋の窓をたたいた。
「アラム」
 僕は飛び起きて、窓の外を見た。
 僕は自分の目が信じられなかった。
 まだ朝ではなかったが、丁度夏で日の出が近く、それが夢でないことがわかるくらいに明るかった。
 従兄のムーラッドは美しい白馬にまたがっていた。
 僕は首を窓からつきだして目をこすった。
「うん」
 と彼はアルメニヤ語で言った。
「馬だよ。夢じゃないんだ。乗りたいんなら急ぐんだ」

本書の中「美しい白馬の夏」より

 こうして、読者は従兄のムーラッドに誘われるまま、その白馬にまたがって本の世界に引き込まれてしまうのです。これぞ「言葉の魔法」です。もちろん、翻訳者三浦朱門さんの仕事がいかに素晴らしかったのかを忘れるわけには行きません。

<移民一族の物語>
 この本は、ヨーロッパでの迫害を逃れ新天地での成功を目指してアメリカ西海岸に移民したユダヤ系アルメニヤ人ファミリー、ガローラニアン家の物語です。もちろん登場人物の多くは著者であるサローヤンの周りにいた人々がもとになっているのでしょう。貧しい生活をしながらも、生き生きとした生活をし、何より誇り高い生き方を貫いていた彼らの生き様は、今や見ることの出来ない失われたアメリカの良心を見るようでもあります。

「一族は一に誇り、二に正直、善悪を考えるのはその次だった。誰も盗むことはもちろん、他人を利用するなどということは決してなかった」
「美しい白馬の夏」より

 そんな一族ですから、それぞれ実に個性的で魅力的な人物として描かれています。例えば、彼のお祖父さんは、常に物事を本とその作者に例えてしまいます。

「おまえは女だ。小さい活字で何百頁にわたってくどくどと、女はすばらしいものだということを書いた本があれば、その本の作者は現実の女房からは目をそむけて、夢を見てるような奴さ。・・・・・」

「子供が老人に利口な答えをするというようなことを書いた本があれば、その作者はおおかた、物事を大げさに見せたがるユダヤ人だろうよ。・・・・・」

 彼はいつも歌ばかり歌って何の役にもたたない息子のひとりについてこういいます。

「わしは奴に一日中、歌わしてはおかんぞ。何事にも限度というものがある。父親というものは利口な息子より馬鹿な息子をかわいがる、というようなことを書いた本があれば、その作者は独身者なのだ」
 ところが、そのお祖父さんも実は息子の歌声をきくのがまんざらではないようなのでした。

「・・・客間に戻ってみると、お祖父さんは長椅子に体をのばして、微笑みながら眠っていた。そして彼の息子のジョーギは、美しい悲しげな声をはりあげて『ハレルヤ』を天地に向かって歌っていた。」
「ハンフォードの旅」より

 彼の叔父さんメリクもまた魅力的な人物です。
「僕の叔父さんのメリクはてんでダメな百姓であった。叔父さんは自分の事業についてあまりにも空想的で詩的だった。彼の欲しいのは美だった。彼は美を植えて、それが育つのを見ようと思っていたらしい。僕自身がまだ幼くて詩的だった遠い昔の或る年、僕は叔父さんのために百本以上のザクロの樹を植えたことがある。・・・・・しかし、それを純粋美学の問題で農業ではなかった。・・・・・」
「柘榴の樹」より

 もちろん、叔父さんの農園が成功するわけはなかったのですが、なんと詩的で楽しそうな楽園じゃないでしょうか!アルメニヤからやってきた彼ら一族にとって、詩や文学はなくてはならないものだったようですが、それと同じように人前で演説をすることも価値のある行為でした。
「演説や寄付金のことで、農夫たちはたがいに競争した。もし一人の農夫が立ち上がって、男らしく、皆の前で発表することができなければ、それはだめな人間だった。・・・・・」
「雄弁家の従弟、ディクラン」より

 世界各地からの移民によって成り立つ、アメリカという国において『演説』によって自らの立場を認めさせる行為はどの民族にとっても重要な能力だったにちがいありません。自分の孫の一人、11歳のディクランが第一次世界大戦を民主主義の勝利であると演説しているのを聞いたお祖父さんは、一言こういいます。
「この気違いじみた素晴らしい世界の、気違いじみた素晴らしい子供たち」
「雄弁家の従弟ディクラン」より

 アラムはその後、叔父さんに家を出てニューヨークに行ってこいと言われ、一人で旅立ちます。カリフォルニアからバスに乗っての長い旅です。そして、その途中には広い広い砂漠地帯が広がっていました。
「夜は砂漠の一番いい時だ。夜と砂漠が一体になるとき、われわれは静寂という意味がわかるようになる。これは決して忘れられないことだ。この思い出は静けさと、神秘にみちている。・・・・・」
「あざける者への言葉」より

 彼はその旅の途中、ソルトレイクシティーで不思議な宗教家に声をかけられます。彼はバスに乗り込もうとするアラム少年を呼びとめると、私があなたを救ってあげようといいます。神の存在など信じていなかったアラムは、どうすれば救われるのか?と面白半分で問い返しました。すると彼は「信じればいい」と答えます。
「信じるって、何を?」
「何もかもです。思いつくものを皆、東西南北、上下左右、身体の内も外も、見えるもの、見えないもの、善も悪も何もかも信じるんです。これが秘訣です。悟るのに五十年かかりました」
「それだけでいいんですね?」
「それだけですよ」

 こうして再び彼はバスに乗り、ニューヨークへと出発します。ところがバスに乗って彼は気づきます。

「・・・・・僕はあのソルトレイクシティーの宗教家をからかったのであってまた広大な学識の世界と反宗教的な態度へ帰るつもりだったのに、残念ながらそれは間違いだった。知らず知らずのうちに僕は救われていたからだ。ソルトレイクシティーを出て十分もしないうちに、僕は宗教家の言った通り、右も左も総てのものを信じていた。そして、以来、今に至るまでそうなのだ。」
「あざける者への言葉」より

<ウィリアム・サローヤン>
 1908年、カリフォルニアの田舎町フレスノで生まれたウィリアム・サローヤンは、この小説の主人公アラムと同じく貧しい移民の家庭に育ちました。この小説にも出てくるように彼はまともな学校教育を受ける機会のないまま、様々な職業につきました。1934年に同郷のアルメニヤ人のための雑誌にSirak Goryanというペンネームで短編小説を発表。同じ年、彼が発表した短編小説が「ブランコに乗った勇敢な若者 The Daring Young Man on the Flying」として発表されて本格的な作家としての活動をスタートさせました。
 その後、彼は劇作家として活躍。1939年の戯曲「汝が人生の時 The Time of Your Life」ではピューリッツァー賞に選ばれます。ところが彼は商業主義的な賞を受ける気はないと断ってしまいます。さすがは誇り高きガローラニアン家の血筋です。
 しかし、その後彼は商業主義芸術の中心地、ハリウッドに行き、「人間喜劇 The Human Comedy」の脚本を書き、それを自ら監督して映画化しようとして失敗してしまいます。この時の挫折をもとに、彼はハリウッドの映画プロデューサーを主人公とした長編小説「ロック・ワグラム Rock Wagram」を発表します。こうしたハリウッドでの挫折のせいか、かつて「我が名はアラム」の時にもっていた輝くような美しい文章は消えてしまい、かつてのような評価を得るということはできなくなりました。
 かつて、すべてを信じていたアラム少年は大人の世界、それもハリウッドという巨大な夢を生み出す場所で、その裏側を知り、いつしか何も信じられなくなってしまったのかもしれません。

 かつてこの世に存在した素晴らしい世界の気違いじみた子供たちは、もうどこにもいないのでしょうか。悲しくなるほど、美しく懐かしい人々と是非この小説で出会って下さい。

「我が名はアラム My Name is Aram」 1940年
ウィリアム・サローヤン William Saroyan (著)
三浦朱門(訳)
福武文庫

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