「眼を見なさい! アスペルガーとともに生きる Look me in the eye - my life with Asperger's」

- ジョン・エルダー・ロビンソン John Elder Robinson -

<ファンキーな感動の書>
 異色の自伝です。アスペルガー症候群という特殊な障害のため幼い頃からいじめにあい、悲惨な少年時代を送った人物のその後の50年の歴史。そこからは、感動、教訓、悲しみ、怒り、希望など、多くのことを感じることができるでしょう。ラスト近く、彼を理解しようとしせず虐待し続けた父親との和解の場面には、感動させられます。だからこそ、この本は多くの学校で人間関係を築くためのテキストとして使用されているのでしょう。
 しかし、たとえ教科書のように使用されていても、この本には「学校」の枠組みには収まりきらないファンキーさと破天荒さがあります。なにせ主人公は、あのロックバンド、キッスのライブになくてはならない偉大な存在だったのです!
 アメリカで発売されているペーパーバック版は、子供たちに読ませることを意識して、言葉使いや過激な内容の部分を書き直しているようですが、日本語版は、ほぼ原本どおりの内容のようです。そのため、この本は1970年代アメリカの退廃的でぶっ飛んだ時代の実録小説として楽しむこともできるでしょう。主人公はアスペルガー症候群という特殊な障害をもつがゆえに、その時代に活躍したアウトサイダーたちの仲間入りをし、そこで大活躍をすることになります。それはまるで、おとぎ話のような冒険小説でもあります。
 人生とは不思議なものであり、あきらめさえしなければきっと素晴らしいものになりうるのだ、ということを教えてくれる素晴らしい自伝です。
 「Life Is A Real Adventure!」です。

<アスペルガー症候群とは?>
 アスペルガー症候群とは、オーストリアの精神科医ハンス・アスペルガーが発表した論文に基づいて1981年に名づけられた特殊な症状の名前です。(病気ではありません)一見、普通の子供たちと変わりないが、コミュニケーション能力が低く軽度の自閉症の一種とされています。しかし、彼らの中には普通の子供たちをはるかに上回る記憶力など、特殊な才能を持つ者も多いようです。もちろん、1981年以前にもそうした症状をもつ人々は存在したはずですが、それは単なる我がまま者や異常者として扱われていました。
 2007年発表の全米疾病予防管理センターの統計によると、アスペルガー症候群とそれに類似する症状の人は、150人に1人程度いるといいます。ある意味、身近なところに一人ぐらいいて不思議はないということです。その症状は先天的なもので、遺伝的なものらしいとも言われていますが、その原因はまだわかっていません。
 著者のように、年を経ることで症状が改善され、普通の人と区別がつかないまでになる人もいるようですが、もともとその症状にも様々なレベルがあるので、普通の人との境界自体あいまいです。もしかすると、誰もがある程度その要素を持っていて、その発現の程度が違うだけなのかもしれません。どこにでも場の空気が読めず、自分勝手な行動をする人はいるものですし・・・。そして、優れた芸術家の多くには、そうしたわがままで他人と交流できない人が多いことは常識です。誰もが、アスペルガー的要素を持っていて、それは悪いものでも、危険なものでもないのです。

「僕は、自閉症からアスペルガー症候群へ、そして「普通」へと続く連続体があるのだと考えている。その一番端には、生まれたときから徹底的に内向的な子どもがいる。彼らは独自の思考で生きていく。親や他の人たちが彼らと通じ合うことはめったにない。そしてその対極には非常に外交的な子がいる。・・・
 中には極めて鋭く自分の内部に焦点を向けることのできるアスペルガー者がいる。その才能を発達させた人たちはサヴァンと呼ばれることがある。サヴァンであることは複雑な恵みだ。なぜならレーザーのような焦点力には、他の分野の能力が非常に限られるという犠牲が伴うからだ。」


 僕も大好きだったテレビ・ドラマ「ATARU」の主人公「チョコザイ君」や映画「レインマン」の主人公などは、まさに典型的なサヴァン症候群だといえますが、この本の著者は、彼らほど重度の自閉症ではなく社会生活も十分に可能なタイプに属していることになります。
 しかし、彼は生まれてから40年間、自分がアスペルガーであるということを知らず、単なる社会的アウトサイダーの一人として生きることを余儀なくされました。誰も彼の症状を診断してくれなかったのです。当時、彼のような社会的な不適応者は十羽一絡げにして「サイコパス(精神異常者)」として扱われ、異常犯罪を犯す予備軍と見なされていたのです。そして、そうした周りからの眼に対し、子どもの彼が反論できるわけもありませんでした。

「多くの人たちが同じことを言うので、僕は言われたことを信じるようになっていた。自分に欠陥があると知るのはつらいことだった。僕は一段と内気になり、引きこもるようになった。変質者について書かれたものを読み、自分もある日おかしくなってしまうのではないかと思うようになった。大人になったら殺人者になってしまうのだろうか。殺人者は、こそこそとして他人の眼を見ないとどこかで読んだことがあった。」

 そのうえ、彼のようなアスペルガーの子は、他人の気持ちを察することが不得手なため、頭を撫でられて喜ぶ犬を見て迷うことなく人間の子どもにも同じことをしてしまいます。それを嫌がる子がいても、その気持ちを推測することができないのです。

「アスペルガー症候群や自閉症があると、普通は他の人たちと関わる中で自然に抱く共感の気持ちに欠けることが多い。だから、チャッキーは撫でられても犬と同じようには反応しないかもしれないということが僕には思いつかなかったのだ。小さな人間と中型犬の違いが僕にはよくわからなかった。おもちゃのトラックを使った遊び方が他にもあるとは思いもよらないことだった。だから、正しいやり方を教えてあげようとしたのに、どうしてチャッキーが反感をもったのかもわからなかったのだ。」

 アスペルガーの特徴は、すべてのことを自分中心に見ようとするため、相手の視点に立つことが困難だということです。当然、自分が知りたいこと以外の出来事には意識を集中することができないため、会話が成り立たなくなってしまうわけです。(他人の話を聞かずに自分のことばかり話す人はいますが・・・それはまた別の話)

「普通の子供たちは会話の進め方をどうやって学ぶのか。彼らは自分の言ったことに対する他の子どもたちの反応を見てそれを学ぶ。しかし、僕の脳の配線はそれができるようにはつながっていない。後から知ったことだが、アスペルガー症候群の子どもは、一般的によく使われる社会的な合図がわからない。ジェスチャーなどの身体言語や顔の表情に気がつかないことが多い。僕もそうだった。」

 理解されないつらさというのは当事者でなければ理解できないのでしょうが、この本を読むことで少しだけ自分が誤解され差別される立場に立った経験をすることができるでしょう。それは、著者の驚異的な記憶力と両親から受け継いだ文章による描写力によって可能になった映画のようにリアルな過去の再現のおかげです。

「・・・僕は一人ぼっちになりたかったことは決してない。そして『ジョンは一人で遊ぶことを好む』と言った児童心理学者全員は完全に間違っていた。僕が一人で遊んでいたわけは、他の子どもたちと遊べなかったからだ。社交のスキルに限りがあった結果として、一人でいたのだ。そして一人ぼっちでいたことは子ども時代の生活で最もつらい失望の一つだった。人生初期の失敗の痛手は大人になっても長く尾をひいた。アスペルガー症候群のことを知った後でもそうだった。」

 どれだけのアスペルガーの子どもたちが、自分が他人との交流ができず、相手からも拒否されていると感じたことで、いつしか自分のカラに閉じこもり、そこから出られなくなってしまったことでしょうか。考えると恐ろしくなってきます。幸い、この本の著者ジョン君は、まわりの大人たちが相手をしてくれたことで、他人との対話を続けることが可能でした。(子どもたちのほとんどには拒否されましたが・・・)

「子どもの頃、大人たちは僕を会話に引き止めておこうとして、しゃべらせておいてくれたのだと思う。そしてそれが結果的に、社会で機能できることにつながったのだろう。大人は子どもよりも上手に、僕のつたない会話力に対応してくれた。まとまりのない話についてきてくれたし、どんなにとっぴなことでも僕の話には関心を示してくれた。もし彼らがそうしてくれなければ、僕はもっと深く自閉症の世界に入り込んだにちがいない。人とコミュニケーションをとるのをやめてしまったかもしれない。」

 しかし、大人との対話はほとんどが彼がしゃべるだけの一方的なものでした。大人たちは彼の言葉をきいてくれてはいても、それに対して反応してくれるわけではなかったからです。そのため、彼は自分と同世代の子どもと交流を可能にするためにはどうしたらいいのか?その有効な方法を少しずつ模索し身に着けてゆくことになりました。
 彼は自力で自らの「脳力」を開発し、他人の立場に立つ視点を身につけていったわけです。どうやら、そのために彼はそれまで彼が持っていた特殊な能力の一部を失ったのかもしれませんが、それでもなお、失って余りあるほどの幸福を得ることができたのですから、まるでおとぎ話のような展開です。

「僕の物語は悲しいものではない。なぜなら僕の頭脳は消えたわけでも死んだわけでもないのだから。ただ、配線が変わっただけなのだ。僕の頭脳は以前と同じパワーを持っているはずだ。しかしその焦点は前よりも幅が広い。30年前、僕に目を留める人はいなかった。今のようなソーシャルスキルを身につけ、この本に記したように感情や思い、感覚を表現する力をもつようになるとは誰も思わなかった。
 僕自身、予想すらしなかった。
 それは良い代償だった。クリエイティブな才能が友だちを作るのに役立ったことは一度もなかった。才能は僕を幸福にはしなかった。以前と比べると、今日の僕の人生は、はかり知れないほど幸せで、豊かで、満ち足りている。脳が発達し続けているおかげだ。」


 彼がコミュニケーションの能力を自力で身につけてゆくうちに少しずつ失ってしまった才能。それは、電気や機械に関する能力でした。その原点には、彼がまわりの子どもたちから無視され、さらにアルコール中毒の父親と精神を病んでしまった母親によって家庭にも居場所を失ったことにありました。「他人」だけでなく両親すらも信じられなくなった彼は、いつしか機械、そしてそれを動かす電子回路しか信じられなくなり、その分野について集中的に学ぶようになりました。こうして集中できる事を見つけたことで、彼は「普通」以上の能力を発揮するようになりました。
 そして彼は電子回路の設計という新たな喜びを見出し、その才能を生かす場として、ロックバンドのコンサート・スタッフと出会うことになりました。

<ロック黄金時代の裏方として>
「その時点で、僕はいくつかの飛躍的な前進を遂げた。その一つ目は電子コンポーネントそのものを理解したことである。コンポーネントとはすべてにつながる土台なのだ。二つ目は、電子回路の配置を頭の中で視覚化する方法が何となくわかったことだ。例えば、僕には回路に入ろうとするギターの原音が見えた。その音が驚くほどに複雑な波となって回路から出てくるのも見えた。・・・」

 1970年代初めのロック・コンサートは、ウッドストックでのイベントが大成功して以降、急激に巨大化が進んでいました。それに合わせてバンドの生み出す音も大きくなり、視覚的にもライティングやスモーク、レーザーの使用などの演出もどんどん高度化しつつありました。楽器メーカーやアンプなどの器材メーカーなどは、そうした急激な変化に対応しきれず、当時は巨額の費用をかけて一部のバンドが独自に楽器や設備を開発したりしていました。そうした中でも、最もライブに力を入れ、コンサートの演出に巨額の費用をかけていたのが、プログレッシブ・ロック・バンド、ピンクフロイドでした。
 ジョン少年は、シャナナのコンサートを見に行った時、ライブ中に壊れたアンプを修理したのをきっかけに、その才能を見込まれてピンクフロイドの音響装置を担当していたブリトロ社に雇われます。そして音響エンジニアとして様々なバンドで使用される音響システムのメンテナンスや開発を担当することになりました。当時、ブリトロ社の器材は、ピンクフロイドだけでなく、ジューダス・プリースト、トーキング・ヘッズ、ブロンディ、フィービー・スノウなど様々なアーティストに使われています。
 その後、彼の能力が評価されブームを巻き起こしつつあった人気ロックバンド、キッスから仕事の依頼が来ます。それは彼らのギターを改造し、ライブ用の特殊効果を付け加えるというものでした。その結果生まれたのが、レーザーを発射するギター、ミサイルを発射するギター、煙を吐くギターで、彼はさらにコンサートのライティングも音楽に合わせて様々に変える仕組みを作り上げました。彼はその後キッスの専属スタッフとなり、彼らの伝説的コンサートの仕掛け人として、ライティングの天才的なオペレーターとして、なくてはならない存在となったのです!

「しかし次の瞬間、ステージからライトが放たれ、きみの上を照らし回る。うまくいった。きみのライトだ。すべてが一体となって作用するさまは、魔法のようだ。しかし、きみはそうは思わない。なぜなら部品一つ一つがどう作用しているのかを知っているから。魔法ではない。・・・
 デザインして組み立てたのはきみだ。そして今や、きみもその一部になっている。機械は生き物となる。電気が糧で、きみは脳だ。きみは機械付き人間となった。きみがその一部である限り、機械は生き続ける。」


 これだけでも、彼の人生はすごいのに、その後、彼はこうした短期の仕事ではなくカタギの仕事につこうと当時ブレイク寸前だった電子オモチャの開発を行う企業に就職。そこで再び才能を発揮して、何人もの部下を持つヤング・エグゼクティブの仲間入りを果たします。その頃の彼は、かつてのアスペルガー的な部分を表に出さずに日常を過ごす能力を身につけていました。しかし、彼にとって、サラリーマンも管理職も、満足できる仕事ではありませんでした。そして、彼が最後の選んだのは、やはり彼にとって大好きな仕事でした。それは昔から好きだった特別仕様の外国製の高級車の修理、メンテナンスの仕事でした。この仕事で彼は再び成功を収め、ついに自分の居場所を定めることができました。

<アスペルガーとして生きて>
 彼は自分の過去を振り返り、ロックバンドの裏方として働いていた時代が最も自分の才能を発揮でき、充実した時期だったと回想しています。キッスのメンバーやロックに関わる人々は、ほとんどがエキセントリックなぶっ飛び系の人々だったので、彼は差別されることなく活躍できました。しかし、もし彼がそのままロック界で活躍し続けたとして、その後幸せになれたかどうか?これもまた難しいところです。そこでの彼は、才能を高く評価されてはいても、孤独だったからです。どんなにいい仕事をしても、彼がキッスのメンバーや彼らを囲むグルーピーたちと、LSDやアルコールでぶっ飛んだりしながら時を過ごすことはできなかったでしょうから。だからこそ、彼は最終的にロック界を去り、サラリーマンを体験した後に結婚。さらに自分で会社を立ち上げ、社会の中に自分の居場所を作り上げることで、初めて自分に自信を持ち、幸福感を得ることができたのです。この選択は、彼にとっては満足行くものだったのでしょう。
 もし、あなたの周りに人の眼を見て話すことが出来ない人がいたら、・・・。それは単に彼が臆病だからということではないのかもしれません。相手の気持ちを推し量るという行為は、思っている以上に高度な能力を必要とするのです。そして、この能力こそ、人間が人間として文明を築き、それを発展させて行くうえで必要不可欠な能力のはず。家庭も、会社も、学校も、社会の、国も、世界も、それなしには成り立たないし、幸福にもなれない。実に、当たり前のことが、いかに重要なのかを、アスペルガーの少年は教えてくれるはずです。

「眼を見なさい! アスペルガーとともに生きる Look me in the eye - my life with Asperger's」 2007年
(著)ジョン・エルダー・ロビンソン John Elder Robinson
(訳)テーラー幸恵
東京書籍

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