君は原爆ドームを見たか?

<原子力、原子爆弾、原発事故について>

 僕は昔一度だけですが広島に行ったことがあります。もちろんその時は、平和記念資料館や原爆ドームを見学。あまりに悲惨な資料の数々に目をそむけたくなるところを無理して見続けたことを覚えています。そして、世界中の子供たちが一度はここを訪れるようにすれば、世界はずいぶん変わるだろうちお思ったことも覚えています。
 あなたが、もしまだ広島へ行ったことがないのなら、是非、一度は広島を訪れてみましょう!そして、原爆資料館を訪れてください。
 原子力が生んだ悲劇、1945年8月6日と9日に、2011年3月11日新たなページが加えられました。このことを心にしっかりと刻みたいと思います。
 2022年ロシアによるウクライナ侵攻により、再び「核の危機」が表面化。核兵器がこの世に存在する限り、悲劇はいつかまた起きる可能性があります。

<関連ページのリスト>
「ポップの世紀」の中の「原子爆弾」「原発事故」「原子物理学」に関するページをまとめました。参考にしてください。
「ヒロシマへの誓い サーロー節子と共に」 核兵器禁止条約への道を切り開いた語り部の人生
「ヒロシマを暴いた男」  広島の真実を世界に知らせたアメリカ人記者ジョン・ハーシー
第二次世界大戦の終わりと原子爆弾 
(1941年〜1945年)
第二次世界大戦が生んだ原子爆弾
なぜトルーマン大統領は悪魔の兵器を使用したのか?
「冷戦」の始まりから「核戦争の危機」へ 
(1945年〜)
「鉄のカーテン」から始まった冷戦時代
第三次世界大戦の危機の始りと映画「渚にて」
核開発競争の始まりとなった水爆の誕生(1952年) 原爆を超える兵器「水爆」はなぜ生まれたのか?その歴史を解説
「チェルノブイリ原発事故」(1986年) 歴史的原発事故の経緯をわかりやすく書いています。
福島原発で起きた事故はなんだったのか?
「福島原発事故」 (2011年) 東日本大震災と福島原子力発電所の危機を振り返ります。
「核兵器の非合法化が現実となった日」 (2017年) 国連で「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成によって成立 
「ロバート・オッペンハイマー」  「原爆の父」と呼ばれた男の物語(前編)
「原爆」を生んだ男の悲劇の後半生(後編) 
アルバート・アインシュタイン 20世紀最高の天才物理学者は決して絶対ではなかった。
彼が果たせなかった夢とは?
ジョン・フォン・ノイマン 「コンピューターの父」「ゲーム理論の作者」「原爆の影の功労者」
20世紀科学界の仕掛け人
ニールス・ボーア 量子力学の確立者であり、導師でもあった伝説の物理学者
映画「この世界の片隅に」 広島で原爆被害にあった普通の人々の日常を描いた傑作 
映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」  ルポ「原発ジプシー」が再発され話題になっているようです。
原発で働く労働者の悲惨な状況をいち早く告発した作品 
映画「二十四時間の情事」  アラン・レネ、マルグリット・デュラスによる広島映画の名作 

<平和記念資料館>
 広島の爆心地の被爆前の街並みを、平和記念資料館の展示で見たことがある、田中さんのとなりには金子さんが住んでいた、というように、世帯の並びがわかる詳細なプレートがあった。その前に立った時、私たちはしばらく動くことができなかった。時間の流れは取り戻せなくても、残された資料を通して、私たちは消えてしまった経緯を思う時、平静でいられないとしても、思い起こすという自体が一つの価値のある行為だと私は信じる。
茂木健一郎「今、ここからすべての場所へ」より

「生ましめんかな」
こわれたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

栗原貞子(広島の詩人による1946年の作品)


「ヒロシマというとき」
<ヒロシマ>というとき
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか

<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>
<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
<ヒロシマ>といえば、女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが返って来るのだ

<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒトシマ>と
やさしく返ってくるためには
捨てた筈の武器を、ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ

<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえが返って来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

栗原貞子(1972年の作品

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