民主の女神はなぜ悪魔と契約したのか?


- アウンサンスーチーAung San Suu Kyi -

<英雄の娘に生まれて>
 アウンサンスーチーAung San Suu Kyi は、1945年6月19日ミャンマー(ビルマ)の軍人の家に生まれました。その父親アウンサン将軍はビルマ独立の英雄として今でも多くの国民に愛される存在です。彼は第二次世界大戦後の独立時、一部の軍部の若手兵士によって暗殺されてしまいました。(そのおかげで伝説になったとも言えます)
 その後、ビルマは1962年に起きた軍部のクーデターにより社会主義独裁体制に移行しますが、経済政策は次々に失敗。ビルマ経済は植民地時代よりも厳しい状況になってしまいました。そんな母国の状況を彼女は逃れ、海外で生活を続けていました。

<海外にて>
 彼女は高校卒業後、インドのデリー大学に進学。成績優秀だった彼女はその後、英国の名門オックスフォード大学に入学し、哲学、政治、経済などを学んだ後、ニューヨークの国連本部で働き始めます。ちょうどその頃、ビルマ出身のウタント氏が国連事務総長だったおかげでした。その後、彼女は英国に戻ると、そこで英国人のマイケル・アリスと結婚し、二人の男の子をもうけました。彼女にとっての母国はこの時点で英国に変わろうとしていました。ところが、運命は彼女にビルマへの帰国を求めます。
 1988年、彼女がビルマに残してきた母親が脳梗塞で倒れてしまいます。すぐに彼女は帰国し、母親の病状が戻れば帰国する予定でした。しかし、その頃ビルマでは民主化運動が大きく盛り上がっていて、それが彼女の運命を変えることになります。偶然、その頃、彼女の父アウンサン将軍の追悼集会が行われ、彼女はその集まりに出席しました。すると、この会の様子が新聞に載り、その記事を見た民主化運動の活動家たちが彼女を運動のリーダーに担ぎ出そうと動きます。偉大に軍人の娘である彼女なら軍事政権のトップも手を出しづらいし、国民の支持を得やすいと計算したのです。普通の主婦ならそんな大変なオファーを受けるわけはありませんが、彼女はその役割を受けます。彼女にはやはり偉大な父親の血が流れていたのです。彼女自身、いつかそんな立場に立つかもしれない。そんな思いがあったあらこそ、それまで様々な経験を積んできたのかもしれません。

<選挙の実施>
 1990年ビルマではいよいよ初めての民主的な総選挙が開催されることになりました。彼女が運動の看板になった反政府グループの政党NLDは、事前の予測で圧倒的にリードしていることが明らかにります。軍事政権側はその予測に急遽、党首であるスーチー氏の自宅軟禁を命令します。名目上は彼女が全国遊説を行うことは国家を困難させる可能性があるからというものでした。しかし、そうした条件下でも民主化運動への支持は揺らがず、見事にNLDは選挙に勝利します。国会の485議席中400議席を獲得したのです。ところが、ここにきてついに軍事政権側が動きます。選挙結果を無視しただけでなく、NLDの党員たちを次々に逮捕し、スーチーさんの自宅軟禁も継続されることになります。
 彼女の存在が「囚われの民主の女神」として世界中に知られるようになったのはこの頃からです。そして、その知名度を決定的なものとしたのが、彼女のノーベル平和賞受賞です。

<世界からの注目>
 1991年に彼女がノーベル平和賞に選ばれたのは、当然、ビルマの民主化を求める世界的な意思表示の現れでした。残念ながら、彼女が受賞式に出席すれば二度と帰国できないことは明らかだったので、式典には彼女の家族が出席しましたが、それでも十分世界にビルマの現状を発信することに成功しました。ビルマの軍事政権は、世界から孤立し、政治面だけでなく経済的にも厳しい状況に追い込まれることになりましたが、それでも体制が変わることはありませんでした。。
 1999年彼女は大きな危機に見舞われます。英国に住む彼女の夫が、癌に冒されていて、余命わずかであることがわかったのです。すぐに夫のもとに駆け付けたいものの、もし英国に出国すれば二度と故国に入国することはできなくなります。そうなれば、もう彼女はNLDの指導者として働くことはできなくなり、運動そのものの終わりが訪れかねません。結局、彼女は一度も帰国せず、夫の死を見届けることができませんでした。

<インチキ大統領選挙>
 彼女は夫の死を見届ける代わりに、次の総選挙に臨むことができました。ところが、前回の選挙で大敗している軍事政権は、再び敗北が予測される中、負けない仕掛けをしていました。それは議会に参加する国会議員の中に一定数の軍人が選ばれるよう予め法律を制定してしまったのです。さらに大統領に選ばれる人物は、軍事的な知識を有していること、さらに外国人を配偶者にもっていてはいけないという条件まで作っていました。これは完全に彼女が大統領にはなれないよう仕掛けたものでした。NLDは仕方なくスーチー氏とは別の大統領候補を擁立しますが、結局は軍人のテインセインという人物が大統領に当選してしまいます。これで民主化運動にストップがかかる、そう誰もが思いました。
 ところが大統領に当選したテインセインという人物は、軍事政権よりのはずが、当選後、民主化運動側の見方だったことがわかります。スーチー氏を自由の身にしただけでなく、国会議員選挙への出馬までも認めます。さらには報道に自由、表現の自由も認め、一気に国内の民主化を推し進めたのです。さらに彼はそれまで中国よりだった軍事政権の外交政策も一転させ、日米など自由主義諸国との貿易を積極的に行い始め、経済面での自由化をも進めます。彼女がそれまで行ってきた草の根的な民主化の活動がついに実を結んだと言えました。これでビルマはついに自由と民主主義を獲得できた。そう誰もが思い、彼女の名前は歴史の中に燦然と輝く存在として記されることになるはずでした。

<ロヒンギャへの弾圧>
 21世紀に入り、ビルマでイスラム系少数民族ロヒンギャに対するジェノサイド(民族浄化)が行われていたことが明らかになります。軍によって弾圧されたロヒンギャの人々が難民として国外へと逃げ延び、彼らがビルマ政府によって虐殺されていたことが明らかになったのです。当然、その事実を政界のトップにいるスーチー氏が知らないわけはなく、彼女もまたそのジェノサイドを黙認していたのです。世界中からビルマは批判され、スーチー氏へのノーベル平和賞を取り消すよう求める動きが大きくなりました。彼女は軍部と結局は手を組むことで民主化を成し遂げ、その見返りに少数民族への攻撃を黙認させられたのでしょうか?それとも、彼女はそもそも民主化よりも権力もしくは民族の純血が望みだったのでしょうか?
 ノーベル平和賞が今までの多くの間違った人の手に渡ってきたことは有名ですが、まさか「民主化運動の女神」と呼ばれた人物までもが賞を裏切るとは!ノーベル平和賞は、受賞後、10年したら再審査を行い、場合によっては受賞取り消しもできるようにしてはどうでしょうか?そして、賞金も返金してもらうべきだと思います。あまりにももったいなさすぎます。場合によっては、泥棒に追い銭になってしまいますから!

<参考>
「世界を変えた10人の女性」
 2013年
The 10 Great Women Who Changed The World
(著)池上彰 Akira Ikegami
文藝春秋 

映画「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」 2011年
(監)リュック・ベッソン
(製)ウィルジニー・ベッソン=シラ、アンディ・ナリース
(脚)レベッカ・フレイン
(撮)ティエリー・アルボガスト
(PD)ユーグ・ティサンディエ
(編)ジュリアン・レイ
(音)エリック・セラ
(出)ミシェル・ヨー、デヴィッド・シューリス、ジョナサン・ラゲット、ジョナサン・ウッドハウス、ベネディクト・ウォン
 さすがはリュック・ベッソンです。アウンサンスーチーを女性のヒーローとしてしっかり描いています。
 「ジャンヌ・ダルク」といい「ニキータ」といいミラ・ジョボビッチといい、リュック・ベッソンは「闘う女性」が大好きなんです!
 「ジャンヌ・ダルク」もそうですが、とにかく男よりも強い女性に弱いのでしょう。結婚しちゃうぐらいですから。
 スーチー女史はフランスとはあまり関係はないのですが・・・それだけ、監督が映画化したい題材だったということなのでしょう。
 ただし、2011年の時点の映画化なので、ロヒンギャ難民の問題は描かれていません。
 現実によって、映画の価値観が変えられてしまった珍しい事例になりました。
 

トップページヘ