- ブルース・スプリングスティーン Bruce Springsteen -

<ロックンロール・リアリズム>
・・・5枚組CD「THE "LIVE"1975−1985」に収められた「ハングリー・ハート」のライブ録音を耳にしたとき、そして聴衆の合唱を耳にしたとき、ブルース・スプリングスティーンという歌手に対して、あらためて深い関心を抱かされることになった。ここには何か重要な意味を持つものがあるようだ、と感じた。僕が心を惹かれたのは、そこにある「物語の共振性」のようなものだった。ロックンロール・ミュージックが、これほどストーリー性のある深い内容の歌詞を与えられたことが、その歴史の中で一度でもあっただろうか。
村上春樹「意味がなけらばスイングはない」より

 ウディー・ガスリーが始めた現実の社会をリアルに歌で描き出すスタイルの後継者として高く評価されてきたブルース・スプリングスティーン。「ネブラスカ」のようなフォーク・スタイルのアルバムもありましたが、彼のスタイルはロックンロールという現代のポップスにリアリズムに徹した歌詞を乗せるものでした。

「『明日なき暴走』のあろで、僕は自分が歌っている曲の内容と、それを歌いかけている相手=聴衆に対して、ものすごく責任感を感じるようになった。その前には、ほら、僕にはそんなにたくさんの聴衆はいなかったからさ。僕はその責任感とともに生きていかなくてはならなかった・それが唐突にやってきたわけだよ。そのときに僕はこう決めたんだ。進んで暗闇の中に入っていこうと。そしてあたりを見回し、自分の知っていることを書き、自分の見たことを書き、自分の感じていることを書こうと」
ブルース・スプリングスティーン

 こうして彼は「ロックンロール・リアリズム」ともいえるスタイルが誕生したわけです。
「・・・彼らは物語の展開を具象的にありありと提示はするけれど、お仕着せの結論や解釈を押しつけることはない。そこにあるリアルな感触と、生々しい光景と、激しい息づかいを読者=聴衆に与えはするが、物語そのものはある程度開いたままの状態で終えてしまう。彼らは物語を完結させるのではなく、より大きな枠から物語を切り取っているわけだ。」
村上春樹「意味がなけらばスイングはない」より

 しかし、こうした彼のリアリズムを追及する姿勢は、彼の曲を常に新鮮なものにする力があると同時に、聴衆によっては誤解をされる可能性が高まることにもつながります。1984年に起きた「ボーン・イン・ザ・USA」の大いなる誤解事件はそうした原因に基づくものだったといえます。

<星条旗の幻影>
 ボブ・ディランの後継者と呼ばれたブルース・スプリングスティーンですが、彼は1980年代にそのイメージとはまったく正反対の「レーガンの片棒担ぎ」という予期せぬ幻影を背負い込んでしまい苦しむことになります。未だに、彼のことを星条旗を振り回すマッチョなヒーロー、ロック版ランボーだと思っている人がいるかもしれません。もとはと言えば、その誤解は彼の大ヒットアルバム「ボーン・イン・ザ・USA」(1984年)のビデオ・クリップとそれが放映された時代によって生み出されたものでした。
<MTVの時代>
 ちょうどあのアルバムが発表されたころ、1980年代前半は、生まれたばかりのMTVが世界中でブームを迎えていました。数多くの斬新な映像作品が生み出され、アーティストたちはみな優れた映像を求めて血眼になっていました。こうして、音楽と同時に映像への関心が高まったのは良かったのですが、映像のインパクトがあまりにも強すぎて、原曲のイメージを大きく変えてしまう場合もありました。その代表作とも言えるのが、「ボーン・イン・ザ・USA」でした。

<レーガンの時代>
 時代は、レーガン政権のまっただ中、アメリカはかつての威信を回復するべく、政治だけでなく文化、風俗までが右へ右へと傾いていました。映画界では、レーガン大統領大喜びの作品群、「ロッキー2」「ランボー」「トップ・ガン」など、恥ずかしいほどの右より愛国ドラマが大ヒット。その影では、福祉予算の削減などによる弱者の切り捨てが着々と行われ、再び人種差別の問題も浮上し始めていました。そこに現れた星条旗を背に力強く歌われる「俺はアメリカ生まれだぜ!」というパワフルなロックンロール。これが、一連の愛国精神高揚の作品群と一緒にされることは仕方のないことだったのかもしれません。おまけにブルース・スプリングスティーンの歌など聴いたこともなかったはずのレーガンが、大統領選の途中に演説でこんな発言をしたのです。
「あなたがたの心の中にある数千、数万の夢の中に、アメリカの未来はあります。そう、このニュージャージーの生んだブルース・スプリングスティーンの音楽です。そしてあなたがたのそのような夢が実現されるのをお手伝いするのが、まさに私の仕事なのです」
ロナルド・レーガン
 こうして、彼はあのロナルド・レーガンの片棒をかつがされるはめになります。彼がこの曲の歌詞に、こんなフレーズがあることを知っていたら・・・

救いのない町に生まれ落ちて
物心ついたときから蹴飛ばされてきた。
殴られつけた犬みたいに、一生を終えるしかない。
身を守ることに、ただ汲々としながら、俺はアメリカに生まれたんだ。
それがアメリカに生まれるということなんだ。

「ボーン・イン・ザ・USA」

<映画「パットン大戦車軍団」>
 かつて、1969年に「パットン大戦車軍団」というアメリカ映画がありました。第二次世界大戦におけるアメリカ軍のヒーロー、パットン将軍の半生を描いたその作品は、主演のジョージ・C・スコットがアカデミー主演男優賞を獲った戦争映画の名作です。この作品のもっとも有名なシーンが、最初と最後に行われるパットン将軍の演説の場面なのですが、そのバックにはためいていたのが、巨大な星条旗でした。しかし、この作品は、決して好戦的な右より映画ではありませんでした。かつて戦争のヒーローと呼ばれていた人物が、実は人間的に崩壊寸前の精神状態だったという、戦争の現実をとらえた優れた人間ドラマでした。しかし、あまりにも有名になった星条旗を前にした演説のシーンは、映画全体のイメージをも変えるほどのインパクトだったことは確かです。そして、「ボーン・イン・ザ・USA」のMTVにおける星条旗が与えたイメージは、それとは比べものにならない大きさだったようです。

<災いした肉体派のイメージと秘密主義>

俺はこの町で小さな問題を起こし
彼らは俺の手にライフルを握らせ
外国へ送り込んだ
黄色人種を殺すために

U.S.A.で生まれた
俺は、U.S.A.の敗残者だ…

             「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」より

 もちろん、ブルース・スプリングスティーンという人物が「俺はアメリカに生まれた。だから俺は国のために闘うぜ!」なんていうことを歌うわけはない。その歌詞は、そんな右よりイメージとはまったく違っていました。(「こんなダメな国だけど、それでも俺はこの国で生まれたんだ」と言う感じでしょう)しかし、ランボーとイイ勝負のスプリングスティーンの肉体と強烈な星条旗のインパクトは、そんな歌詞などどこかに吹き飛ばしてしまいました。おまけに彼は自分のプライベートについては、いっさい公表することを避けていました。インタビューもほとんど受けることがなく、これもまた、彼の間違ったイメージ作りに一役買ってしまったようです。こうして彼は、一躍シルベスター・スタローン、トム・クルーズと並ぶアメリカの肉体派ヒーローに祭り上げられてしまいました。

<誤ったイメージとの闘い>
 1982年の作品「ネブラスカ」で、トルーマン・カポーティーの傑作小説「冷血」を思わせる暗いリアリズム・タッチにより、アメリカの影の部分(実際にあった無差別殺人者の物語)を歌い、新しい世界を築きつつあった彼は、1984年以降、さらにメッセージ性を打ち出すようになって行きます。それはまるで、自らが生みだしてしまった誤ったイメージを振り払おうとするかのようでした。
 「トンネル・オブ・ラブ」では、同時期に明らかになった自らの結婚生活の崩壊と重ね合わせるように、愛についての疑惑を歌いました。
 「The Ghost Of Tom Jodo」では、1930年代大不況時代の労働者の苦しみを描いたジョン・スタインベックの名作「怒りのぶどう」を下敷きとして、現代の労働者たち、移民たちの苦しみを描き、現代アメリカの問題点を鋭くついています。
 どの作品も正直ではあるが、けっしてポップな作品ではありませんでした。それでも今まで築き上げてきた人気のおかげで、売上はしっかりと稼ぐことはできました。その点彼は、非常に恵まれていたといえるでしょう。そして、これこそ彼が長年にわたってコツコツと続けてきたライブ活動の成果でした。

「ボーン・イン・ザ・USA」によって顕在化した、ロックンロール・ミュージック性とストーリー性の乖離をどのように個人的に修復していくか、というのがブルースのそれからの人生における最重要課題となっていった。それに加えて、既にワーキング・クラスではなくなってしまった人間が、大金持ちのロック・スターではなくなってしまった人間が、貧しいワーキング・クラスについていったい何を歌えるのか、という根本的な、そして道義的な疑問もあった。彼は説得力を持つ、新しい個人的な場所を見つけなくてはならなかった。・・・」
村上春樹「意味がなけらばスイングはない」より

<ライブ活動へのこだわり>
 プライベートについては、いっさい公表していなかったブルースですが、その代わり彼はデビュー以来ライブ活動を最重視する姿勢を変えていませんでした。ライブで直接観客に自分を見てもらうことこそ、最も正確に自分を理解してもらうことにつながるという信念があったのです。彼の長年のライブ活動の集大成、CD3枚組のライブ・アルバム「ザ・ライブ」には、そんな彼の思いが込められています。そして、この姿勢を貫いてきたからこそ、彼が背負い込んでしまった間違ったイメージも、多くのファンのおかげで少しずつぬぐい去ることができたのかもしれません。いや、彼のファンにとっては、そんな誤解はもとから存在しなかったに違いありません。素晴らしいファンを育てることと、逆にアーティストが育てられること、この素晴らしい関係が成り立つことほど、アーティストにとって幸せなことはないに違いありません。彼は間違いなく素晴らしいファンに恵まれたアーテイストなのです。
 どうやら彼の私生活は、ウディー・ガスリー並みに質素なようです。(ただし、女性とのお付き合いに関してはウディーはかなり派手だったとも言われていますが・・・)

 たとえばスプリングスティーンは酒も煙草もドラッグもやらない。一般的なロックスターのように放埓な生活を送ることもない。彼は一人でいることを好み、パーティーを嫌い、本を読むことを好む。
村上春樹「意味がなけらばスイングはない」より

<締めのお言葉>
「暗闇のどこにでもいる。飢えて騒いでいる者がいれば、その中にも俺はいる。警官が誰かを殴っていれば、そこに俺はいる。そして人々が自分の建てた家に住めるようになれば、そこにも俺はいるよ」 映画「怒りのぶどう」より(監督ジョン・フォード)

<追記>
 カーヴァーについてひとつ押さえておきたいのは、あの人は1960年代のカルチャーを基本的にパスした人なんだということですね。・・・
 面白いのは、ブルース・スプリングスティーンもそうなんですね。ブルース・スプリングスティーンは僕と同い年だから、十年カーヴァーより下なんだけど、あの人もブルーカラーの家庭の出身で、貧乏で、ほとんど無収入で、そんな中でロックンロールをやるのに忙しくて、60年代カルチャーどころじゃなかったんです。・・・だから彼らは60年代のカウンターカルチャーに汚染されてないという言い方もできるわけです。・・・で、彼らが苦労した末に花開いたのは70年代後半から80年代にかけての、社会が政治的にも文化的にも保守化していった時代です。・・・

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」村上春樹インタビュー集より

<参考資料>
「ロック伝説」ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)
「Bruce Springsteen History」(1999年のロング・インタビュー)など

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