<1973年、カリフォルニア>
中学2年の春、僕は2週間ほどホームステイでアメリカに滞在したことがあります。時は1973年、ロスアンゼルスとサンフランシスコの中間にある小さな町のレコード店では、ジョン・レノンの「マインド・ゲームス」、エルトン・ジョンの「グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード」、リンゴ・スターの「想いでのフォトグラフ」それにイエスの「海洋地形学の物語」などがよくかかっていました。そこはまさに、「夢のカリフォルニア」でした。
<人工の香り>
その2週間の滞在で、僕の心に残った最も強烈なアメリカのイメージは、街中に漂う独特の甘い「香り」でした。「レストラン」や「ショッピング・センター」それに「ディズニーランド」、どこに行っても、その夢のように豪華なアメリカ的建物の中には、必ず人工的な甘い香りが漂っていました。今でこそ、日本でも「香りの文化」?が広まり、トイレでも似たような香りに出会うようになりましたが、その頃の僕にはその異様に甘く強烈な香りは、まるである種の暴力のように感じられたものです。
「ここは、もしかすると「香り付きの幻想の国」なのかもしれない」僕の頭の中には、そんなイメージが生まれていました。おかげで、その後どんどんアメリカ化してきた日本の変化を、僕はずっと冷めた目で見ることになったような気がします。
<幻想のアメリカ>
日本人が戦後ずっと追いかけてきた「幻想のアメリカ」、その姿を描き出したと言う意味で、最もアメリカ的と言えるロック・バンド、それがビーチ・ボーイズです。そして、そのリーダーだったブライアン・ウィルソンこそ、「幻想のアメリカ」と「現実のアメリカ」の狭間で人格を崩壊させてしまった「ガラスの神経を持つ天才」なのです。
<人工の街、人工の家族>
彼は、1942年6月20日に海も自然もない人工の都市、ロスアンゼルス近郊の住宅街イングルウッドで生まれました。父は音楽家志望でしたがその夢を果たせなかった人物で、家族はその父の指導でコーラスの練習を繰り返していました。(この練習が後のビーチ・ボーイズの誰にもマネのできないコーラス・ワークの原点になったのは言うまでもありません)はた目には、素晴らしい音楽一家に見えたウィルソン・ファミリーでしたが、一家の長、マーリー・ウィルソンは長男のブライアンに対しては異常に厳しい態度でのぞみました。時に、それは暴力を伴う行為となって現れ、ブライアンには拭いきれない傷が残りました。
<ビーチ・ボーイズの結成>
その後、彼らウィルソン兄弟は友人をメンバーに加え「ビーチ・ボーイズ」を結成します。メンバーのうちサーフィンができるのはたった一人だけだったにも関わらず、彼らはサーフィン・ブームのきっかけをつくり、一躍アメリカ中のアイドルになってしまいました。しかし、それはバンドのリーダー格だったブライアンにとって、スター・バンドとしてのプレッシャーとの闘いの始まりだった。そんな状況の中、マネージャー役の父は、追い打ちをかけるようにブライアンに対しヒット曲を生み出すようプレッシャーをかけ続け、それは徐々にブライアンの精神のバランスを崩し始めるようになりました。
<孤独の天才>
世界中がサイケに染まり始めた1965年、ビートルズはいち早くサイケを取り入れ「ラバー・ソウル」を発表しました。その斬新さは世界中のミュージシャンたちに大きなショックを与え、アメリカで唯一ビートルズに対抗しうるバンドと言われていたビーチ・ボーイズも、対応策を考えないわけにはいかなかくなりました。その頃すでに、ビーチ・ボーイズのツアーから離脱し、単独で作曲活動に専念していたブライアンにとって、「ビートルズ」への回答はまさに自分に与えられた使命となりました。そして、そのプレッシャーは彼の精神をさらに追い込み、折しも、麻薬がミュージシャンたちの間に広まって行く時代の流れに飲み込まれ、ブライアンもその虜になって行きました。
<「ペット・サウンズ」>
そんな状況の中、彼は独力で「ペット・サウンズ」という歴史的な名作を作り上げました。今でこそ、名作と言われるアルバムも、当時はアメリカでまったく認められず、イギリスなど一部の国でしか評価されませんでした。(「グッド・ヴァイブレーション」という歴史的大ヒット曲を生み出したにも関わらずです)当然それまでの作品に比べて売上も悪く、その延長線として、同世代の天才アーティスト、ヴァン・ダイク・パークスと共作した「スマイル」は、レコード会社(キャピトル)によってお蔵入りにされてしまいました。そして、この頃、彼の精神の糸はぷっつりと切れてしまったのです。
<アメリカン・ショービズ界の縮図>
その後、彼は1980年代に入り、カリスマ的な精神科医の手助けにより、なんとかどん底からはい上がることに成功します。そして、記念すべきソロ・アルバムを発表するところまで回復しました。(1988年発表の「ブライアン・ウィルソン」)
しかし、その精神科医は、いつしかブライアンの音楽活動にまで関わりをもつようになり、財産や著作権にまで手を伸ばすにいたり、ついに医師資格を剥奪されてしまうという事件を引き起こしました。
さらには、亡き父によってだまし取られた「グッド・バイブレーション」の著作権の訴訟裁判や親権を放棄した娘たちの音楽界デビューなど、まるでアメリカン・ショービズ界の内幕映画のように人生は展開して行きました。(もちろん、これらの出来事を映画化するなら監督はロバート・アルトマンしかいないでしょう!)
<「オレンジ・クレイト・アート」>
それでも、彼はかつて幻の作品となってしまった「スマイル」の共作者、ヴァン・ダイク・パークスとともに1995年に「オレンジ・クレイト・アート」という傑作を作り上げるまでに回復し、多くのファンを安心させてくれました。
あまりに繊細な神経ゆえに起きてしまった精神的崩壊。しかし、その繊細さが、未だに解析不能、再現不可能と言われる彼独特の複雑かつ美しいハーモニーを生み出したのかもしれません。
(彼に似た存在として、僕はジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスを思い浮かべました。繊細なハーモニーが生んだ美しい曲の数々は、何か共通するものを感じさせます。彼の場合は、長い間の麻薬の常用によって1980年亡くなっています)
彼は自らが夢みた「幻想のアメリカ」を音楽によって、探し続けてきた。「美しい自然と愛情に満ちた家族」は、彼にとってもっともアメリカ的な幻想だったのでしょう。そう思いながら「オレンジ・クレイト・アート」のアルバム・ジャケット、のどかな田園風景を眺めていると、なんだかもの悲しい気分になると同時に優しい気持ちになってきます。天才に生まれなくて良かったのかな…。
<締めのお言葉>
「人生は深刻なり、されど芸術はたのし!」 ねずみの王様
ジョン・アービング「ホテル・ニューハンプシャー」より[参考資料]
<追記>
「サージェント・パッパーズ」の場合、時代の経過、こちらの年齢の積み重ねによって新しく見えて来るというものはあまりないような気がする。
音楽が古びているということでは決してないんですけど。しかし、「ペットサウンド」とか「スマイル」の年に一回ぐらいは聴き返さなくてはいられない。どうしてそんなに何度も聴き返したくなるかというと、僕は思うんだけど、ブライアンの音楽の中には、空白と謎がなおも潜んでいる空白と謎に、有機的に呼応しているからです。・・・
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」村上春樹インタビュー集より
<参考資料>
「Beach Boys -Endless Summer-」TVプログラム
デライラ・フィルム・プロダクション制作
「ロック伝説(上)」 ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)
<追記>2017年1月
映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディー Love & Mercy」 2015年
(監)(製)ビル・ポーラッド Bill Pohlad
(脚)オーレン・ムーヴァーマン、マイケル・アラン・ラーナー
(製)クレア・ラドニック・ポルッスタイン、ジョン・ウェルズ(「ER」シリーズの製作者)
(製総)アン・ルアーク、ジム・レフコウィッツ、オーレン・ムーヴァーマン
(撮)ロバート・イェーマン(ウェス・アンダーソン監督作品の常連)
(美)キース・カニンガム
(編)ディノ・ヨンサーテル
(衣)ダニー・グリッカー
(音)アッティカス・ロス
(出)ポール・ダノ、ジョン・キューザック、エリザベス・バンクス、ポール・ジアマッティ音楽ものの映画は、他のジャンルの映画と違って、客観的に見るのが難しいと思います。なぜなら、使用されている曲が素晴らしいだけで、その映画の物語がどんなにつまらなくても、人を感動させる可能性があります。さらに、実在のミュージシャンの物語の場合、そのミュージシャンのファンかどうか、使用されている曲を知っているかどうかでも、ずいぶん見方が違ってきます。その意味では、この作品は僕にはドはまりです。アルバム「ペットサウンズ」の録音シーンだけでも興奮ものなので、「映画」として客観的に評価するのは困難かもしれません。とはいえ、そこまで好きなアーティストだと、映画化に対する期待のハードルが高くなるものですが、その点、この作品は十分その期待に答えてくれています。
主演俳優二人も素晴らしい。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「それでも夜は明ける」を見た人ならポール・ダノの屈折した人物表現に憶えがあるはず。それと作品に巡られれば、いつでもアカデミー賞が獲れそうな名優ジョン・キューザック。二人の俳優に二つの時代のブライアンを演じさせ、それぞれ違和感なく表現しようと考えた初監督ビル・ポーラッドの作戦は先ずは成功していると思います。(両方を一人で演じていたらアカデミー賞を獲れたかもしれませんが)
監督のビル・ポーラッドは製作者として活躍、「ブロークバック・マウンテン」(2005年)、「イントゥ・ザ・ワイルド」(2007年)、「ツリー・オブ・ライフ」(2011年)、「それでも夜は明ける」(2013年)、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」(2006年)・・・を製作した後、この作品を初監督しました。
幼少時代は暴力的な父親に支配され、ビーチボーイズ時代になるとレコード会社(キャピトル)によって支配され、精神を病んでからは精神科医ユージン・ランディによって支配された繊細過ぎる男ブライアン。この作品は、まさに彼がその支配から逃れようと苦闘していた二つの時代を描いているわけです。一度目は、そこから逃れることに失敗し、彼の精神は崩壊してしまいます。しかし、二度目は素晴らしい恋人の登場により見事に脱出に成功することになります。
もうひとつ、この時代のロックが好きな人には、脇役として登場するヴァン・ダイク・パークスやハル・ブレインなどのミュージシャンたちの存在も気になるでしょう。彼らにもまたそれぞれのドラマがあったはずで、まだまだこの時代の音楽シーンからは様々な映画が作れそうな気がします。(日本でも、もうそろそろ「はっぴいえんど」を主役にした映画が生まれてもいい気がします。「サーフィンUSA Surfin USA」 The Beach Boys 1963年のアルバム・タイトル曲(全米3位)
チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」がもと「Don't Worry Baby」 The Beach Boys 1964年のアルバム「シャット・ダウンVol2」 「Surfer Girl」 The Beach Boys 1963年のアルバム・タイトル曲 「I Get Around」 (1)The Beach Boys(2)Love&Mercy Musicians 1964年のアルバム「オール・サマー・ロング」からのヒット 「Fun,Fun,Fun」 The Beach Boys 1964年のアルバム「シャット・ダウンVol2」からのシングル(全米5位) 「Songbird」 Kenny G サックス奏者のアルバム「Duotones」からのシングルカット 「These Dreams」 Heart 1986年の全米ナンバー1ヒット 「Nowwhere To Run」 Martha & The Vandellas 1965年全米8位のヒット曲 「The In Crowd」 The Ramsey Lewis Trio 1965年全米2位の大ヒット・アルバムのタイトル曲 「On The Wings of Love」 Jeffery Osborne 1982年のソウル・ヒット 「God Only Knows」 Paul Dano 主演のポール・ダーノが見事な歌唱を披露!「ペットサウンズ」より 「サテンの夜 Night In The Satin」 The Moody Blues 1972年全米2位の大ヒット 「Pet Sounds」 (1)The Beach Boys(2)Love&Mercy Musicians アルバム「ペットサウンズ」のタイトル曲 「I'm Waiting for the Day」 Love&Mercy Musicians アルバム「ペットサウンズ」から 「Wouldn't It Be Nice」 (1)The Beach Boys(2)Love&Mercy Musicians アルバム「ペットサウンズ」
唯一の従来型ビーチ・ボーイズ的ナンバー(全米8位)「You Still Believe In Me」 Paul Dano アルバム「ペットサウンズ」から 「Hang On To Your Ego」 アルバム「ペットサウンズ」から 「Here Today」 アルバム「ペットサウンズ」から 「Caroline No」 (1)The Beach Boys(2)Paul Dano アルバム「ペットサウンズ」から 「I Live For The Sun」 The Sanrays ビーチボーイズよりもビーチボーイズなサウンド 「Don't Talk(Put Your Head On My Shouldert)」 The Beach Boys アルバム「ペットサウンズ」から 「Heart Full of Soul」 The Yardbirds 1965年のデビュー曲 「You Don't Have to Say You Love Me」 Dusty Springfield エルヴィスのカバーの方が有名な大ヒット 「Good Vibration」 (1)Paul Dano(2)Love&Mercy Musicians
(3)The Beach Boys1966年起死回生の全米ナンバー1ヒット 「Surf's Up」 (1)Paul Dano(2)Love&Mercy Musicians 1971年のアルバム「サーフズ・アップ」のタイトル曲 「The Elements:Fire(Mrs.O'leany's Cow)」 The Beach Boys 「Heroes And Villains」 ブライアン・ウィルソン、ヴァン・ダイク・パークス 「Do You Like Worms」 ブライアン・ウィルソン、ヴァン・ダイク・パークス 「In My Room」 The Beach Boys 1963年のアルバム「サーファー・ガール」から 「Day By Day」 The Four Freshmen ブライアンが憧れたコーラス・グループ 「One Kind of Love」 ブライアン・ウィルソン 「Til I Die」 The Beach Boys 1971年のアルバム「サーフズ・アップ」から 「Love & Mercy」 ブライアン・ウィルソン この映画のタイトルとなった初ソロ・アルバムのオープニング曲