ブラック・コーラス・ガールの栄光と挫折


ドキュメンタリー映画「バック・コーラスの歌姫たち」

- ダーレン・ラヴ、クラウディア・リニア、メリー・クレイトン・・・ -
<裏方さんにスポット・ライトを!>
 以前、モータウン・サウンドを支えたスタジオ・ミュージシャン「ファンク・ブラザース」にスポットを当てたドキュメンタリー映画「永遠のモータウン」という作品が話題になったことがありました。多くの黒人音楽ファンにとって伝説となっていたミュージシャンたちの動く姿と彼らが語るモータウン・サウンドの秘密は、音楽ファンを驚かせ感動させてくれました。ならば、他の裏方さんにもスポットを当てるべきでは?ということで、多くのポピュラー音楽において重要な役割を果たしているバック・コーラス、それも黒人女性コーラスにスポットを当てたドキュメンタリー映画が製作されました。内容が内容なので面白い作品になるのは当然ですが、この作品アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞も受賞した単なる記録を超えた作品に仕上がっています。
 それは優れた歌姫たちの仕事を紹介するだけでなく、彼女たちの様々な苦労話しやソロとしてデビューするための苦闘など、長い人生全般にも迫った内容になっています。
 もちろんこの作品で紹介されている歌姫たちの仕事ぶりこそ、最大の見どころです。彼女たちが参加した代表曲について、彼女たちだけでなく主役の大物アーティストのインタビューもあり、その顔ぶれの豪華さも見どころです。ブルース・スプリングスティーン、スティング、ミック・ジャガー、スティーヴィー・ワンダー・・・
 僕の持論ではロック・ミュージックが最も高度な演奏レベルに達していたのは1970年代前半なのですが、その時代の重要な縁の下の力持ちが優秀なスタジオ・ミュージシャンたちと彼女たち黒人女性コーラスだったことを確認できた気がします。そして、彼女たち黒人女性コーラスの歴史は、黒人への差別と女性への差別、両方との闘いの歴史だったことにも注目すべきだと思います。
 先ずは、この映画の主役たちについてご紹介します。

<ダーレン・ラヴ>
 ダーレン・ラヴ Darlene Love は1941年カリフォルニア州ホーソーンの生まれ。60年代に黒人女性コーラス・グループの先駆となったブロッサムズのメンバーとして活躍。その後、「ウォール・オブ・サウンド」で有名な名プロデューサー、フィル・スペクターのもとで、スペクター・サウンドを支える存在となります。
 「クリスマス(ベイビ―・プリーズ・カム・ホーム)」は、その当時の代表曲で、今でもアメリカでクリスマスの定番曲として歌われています。一時期、彼女はその人気からソロ・デビューを考え、フィル・スペクターもそれを認めて録音を行います。こうして生まれたのが全米1位となったヒット曲「He's A Revel」ですが、結局この曲はザ・クリスタルズの曲として発表されてしまいます。彼女は白人プロデューサー、フィル・スペクターによって搾取され続ける悲劇の歌姫でもありました。
 それでも彼女は後にその功績を認められ、ロックの殿堂入りを果たすことができた恵まれた存在でもあります。

<クラウディア・リニア>
 クラウディア・リニア Claudia Lennear は1946年ロードアイランド生まれ。60年代に大活躍した黒人夫婦デュオ、アイク&ティナ・ターナーのバック・コーラスとして有名なアイケッツのメンバーとして活躍。ティナに対するDVでも有名な暴力男アイクに指示され、露出過多の衣装を着せられ、ティナと共に「セックス・シンボル」を演じさせられた彼女は、コーラスだけでなくダンサーとしても活躍しますが、その活躍は彼女のとって屈辱的なものでもあったようです。
 その後、彼女は多くの白人ロック・ミュージシャンからその実力を認められ、デヴィッド・ボウィジョージ・ハリソンらのバック・コーラスとして売れっ子になります。しかし、ソロ・デビューには失敗してしまい、ついにはスペイン語の教師として働く人生を選択します。

<メリー・クレイトン>
 メリー・クレイトン Marry Clayton は1948年ニューオーリンズ生まれ。ダーレン・ラヴの推薦でレイ・チャールズのバック・コーラス、レイレッツのメンバーとなりました。あの有名なレイ・チャールズの「ホアッド・アイ・セイ」は、レイレッツの存在無しでは成り立ちません。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、彼女に惚れ込み、アルバムの録音中に彼女を呼び出し、「ギミー・シェルター」でデュエットしています。まさに名唱です。
 その後、彼女は多くのロック系ミュージシャンに実力を認められ、様々な名曲の録音やライブに参加します。ジョン・サイモンの「ジョン・サイモンズ・アルバム」(1970年)、キャロル・キングの「つづれおり」(1971年)、リンゴ・スターの「リンゴ」(1973年)そして、レナード・スキナードによる奴隷制を擁護するアラバマ州へのトリビュート・ソング?「スウィート・ホーム・アラバマ」(1974年)にまで参加しています。(人種差別を擁護した曲ではなかったかもしれませんが、彼女にとっては屈辱的な歌詞でした)

<タタ・ヴェガ>
 タタ・ヴェガ Tata Vegaは1951年ニューヨーク生まれ。当時、モータウンがデトロイトから引っ越してきたばかりのロサンゼルスで、彼女はスティーヴィー・ワンダーに認められ、モータウンのアーティストたちのバック・コーラスを務めることになります。マイケル・ジャクソンマドンナなどの大物アーティストのバックをつとめた後、ソロ・デビューに挑み、映画「ダーティー・ダンシング」(1988年)からのシングルヒット「YES」は全米45位のヒットとなりました。しかし、その後は鳴かず飛ばずで、バック・コーラスの仕事に戻ることになりました。

<リサ・フィッシャー>
 リサ・フィッシャー Lisa Fisher は1958年ニューヨーク生まれ。ルーサー・ヴァンドロスのバック・コーラスとして活躍。その後、スティング、クリス・ボッティ、チャカ・カーン、ティナ・ターナーとも共演。共演者たちからの応援もあり、ソロ・デビューを果たしグラミー賞を受賞するなど成功を収めます。しかし、その後ヒットに恵まれず、1989年からはローリング・ストーンズのツアー・メンバーとなり、一緒にツアーに参加しています。

<ジュディス・ヒル>
 ジュディス・ヒル Judith Glory Hill は1984年ロサンゼルス生まれ。日本人の母親とアフリカ系の父親を持つ見た目にも花のある歌手です。マイケル・ジャクソンやプリンスに実力を認められ、バック・コーラス以上の評価を得ます。そして、幻となった「THIS IS IT」ツアーで本格的にマイケルと共演するはずだったのですが、直前にマイケルがこの世を去ったため、彼女は彼の追悼式で追悼曲「ヒール・ザ・ワールド」のリード・ヴォーカルを任され、世界中の注目を集めることになりました。しかし、ソロとしての成功を目指すものの、マイケル、プリンス共にこの世を去り、彼女もまたソロとしての成功は相半ばしています。スパイク・リーが彼女の実力を認めてバック・アップしているようです。

<ザ・ウォーターズ>
 ルーサー、オーレン、マキシン、ジュリアによる兄弟姉妹コーラス・グループ。マイケル・ジャクソンの「スリラー」、ドナ・サマーの「バッドガール」、ホイットニー・ヒューストンの「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」などのヒット曲に数多く参加しています。今最も活躍しているコーラス・グループのようです。

<バック・コーラス・ガールたち>
 モータウンのスタジオ・ミュージシャンたちの多くがジャズ畑出身の凄腕だったのに対し、彼女たちの出身はほぼ100%教会の聖歌隊です。さらにいうと彼女たちの多くは教会の牧師が父親だと言います。そのため、生まれた時から教会で歌いながら育つことで、その実力が磨かれたと言えます。(アレサ・フランクリンもまた父親が有名な牧師として鳴り物入りでデビューしたシンガーでした)
 ただし、バック・コーラスに脚光が当たるようになったのは、意外に最近のことでした。当初は白人のポップ・シンガーがそのバックにお飾りとして白人の女性たちをしたがえていただけで、コーラス自体それほど効果を発揮していませんでした。その流れが変わったのは、白人の名プロデユーサー、ルー・アドラーがドゥウーワップシンガーたちの録音に黒人女性コーラスを使い始めてからでした。
 1960年代に入ると黒人女性コーラス・グループが大人気となります。1961年にはシレルズの「Will You Love Me Tomorrow」が全米ナンバー1ヒットとなるなど、彼女たちは主役の座をつかむことになります。その中でもフィル・スペクターのプロデュースによって大活躍したのが、「He's A Revel」を大ヒットさせたザ・クリスタルズであり、その影武者とされたのがダーレン・ラヴだったのです。後に殺人犯として逮捕されることになるフィル・スペクターによって、騙され、脅されて利用された彼女は、ソロでの成功どころか、デビューすら許されなかった悲劇の存在でした。同じようにDV夫として後に有名になるアイク・ターナーのバック・コーラスだったクラウディア・リニアは、幸いなことにイギリスのロック・ミュージシャンたちに呼ばれたことで、そのキャリアは大きく変わることになりました。黒人音楽に対するリスペクトの気持ちをもつ彼らのおかげで彼女は、初めてその才能を正当に扱われることになりました。それは1960年代に入り、同じようにロック・ミュージシャンたちが共演を求めたことで、再評価されることになった黒人ブルースマンたちと状況は似ていたかもしれません。彼女たちは、正当に評価されることで自信を持ち、彼らに薦められてソロ・デビューを目指すようになります。

<コーラス・ガールの憂鬱>
 残念ながら、彼女たちコーラス・ガールの多くがソロ・デビューを目指しますが、その挑戦のほとんどは失敗に終わることになります。元々、コーラスからスタートし、脇役であることが音楽の始まりだった彼女たちは、ダイアナ・ロスのようなカリスマ歌手のように目立ちたがり屋でもないし、仲間を蹴落としてでも主役になりたいタイプの歌手ではなかったのかもしれません。コーラスで成功するということは、自分の個性を殺すことができるということでもあるのです。それでは厳しい音楽業界でトップに立つことは困難でしょう。
 リサ・フィッシャーは、ソロ・デビュー・アルバムをヒットさせただけでなく、「ハウ・キャン・アイ・イース・ザ・ペイン」で1992年度のグラミー賞を獲得していますが、その後が続きませんでした。結局、その後彼女はバック・コーラスの仕事に戻ることになります。
 古参のダーレン・ラヴに至っては、フィル・スペクターによってデビューを邪魔され続けた後、コーラスの仕事を失い、ついには「クリーン・アップ・ウーマン」として働くことになりました。それでも彼女はその後再評価されることになり、ロックの殿堂入りを果たすことができたので、幸せな女性だったのかもしれません。
 コーラス・ガールの憂鬱は、ソロで成功が困難なだけではありません。コーラスという仕事自体が急激に減少しつつあるという本質的な問題もあります。その最大の原因は、録音機材の進化によって、コーラスは誰が歌ってもそれを変換できるようになりました。山下達郎のような一人アカペラの作品も今では簡単に実現できるのです。そのうえ録音後に音程を変えることもできるので、ミスしたり、後で音程を変えることも可能なので、優れたコーラスでなくてもいくらでもごまかしがきくようになったのです。そうなると一発で決めなければならないライブ以外、コーラスの出番はなくなってしまいます。
 そもそも曲中に昔のようなコーラスとの掛け合いパートを入れる曲自体も減りつつあります。なぜなら、ライブを意識した曲作りを多くのミュージシャンはしなくなっているからです。その方が、ライブやレコーディングに予算をかけなくて済むという経済的な理由もあります。さらに言うと、今後、コロナ・ウィルスの影響でライブができなくなれば、なおさら音楽からコーラス・パートは減ることになるはずです。
 それでもなお彼女たちはそもそも歌が好きで仕事をしているし、スターになる必要はないのだとすれば、音楽産業が存在する限り、生き残ることは可能なのかもしれません。少なくとも彼女たちには誰にも負けない経験とスキルがあるのですから!

<使用曲>
曲名  演奏  作曲  コメント 
「Walk on the Wild Side」 ルー・リード
Lou Reed
Lou Reed 1972年のアルバム「トランス・フォーマー」より
コーラスはジャニス・ペンダ―ヴィス 
「Suppery People」  トーキング・ヘッズ
Talking Heads
David Byrne 二人の黒人女性コーラスとの掛け合いが楽しい
(リン・マブリー他)
ライブ映画「ストップ・メイキング・センス」(1984年)より
「Silver and Gold」    Bob Crosby
Henry Prichard他
ゴスペルのスタンダード曲 
「I Do The Shimmy Shimmy」 ボビー・フリーマン Albert Shubert他 1960年全米37位のドゥーワップのヒット
コーラスはエドナ・ライト
「Da Doo Ron Ron」  ザ・クリスタルズ
The Crystals
Jeff Barry
Ellie Greenwitch
Phillip Spector
1963年クリスタルズのヒット曲ですがカバー曲多数
「What'd I Say」  レイ・チャールズ
Ray Charles 
Ray Charles ゴスペルとポップの融合
レイレッツとの掛け合いが命の歴史的なR&Bの名曲
「He's A Rebel」  ダーレン・ラヴ
Darlene Love
Gene Pitney ザ・クリスタルズの曲として発売された
しかし、実際はダーレン・ラヴの曲でした。
「Bold Soul Sister」  アイク&ティナ・ターナー
Ike & Tina Tuner
Ike Turner  1969年のアルバム「The Hunter」より
コーラスはアイケッツ(クラウディア・リニア他)
「Maybe God Is Trying To Tell You Something」 タタ・ヴェガ
Tata Vega
Andrae E. Crouch 2009年のアルバム「This Joy」より
「Space Captain」 ジョー・コッカー
Joe Cocker 
Mathew Moore 1976年のアルバム「Cube」より
コーラスはグロリア・ジョーンズ
「Let's Make A Better World」  ドクター・ジョン Earl King  1974年
「Gimme Shelter」 ローリング・ストーンズ
Rolling Stones
Mick Jagger
Keith Richards 
メリー・クレイトンのコーラス(デュエット)
現在はリサ・フィッシャーが担当
「Hounds of Winter」  スティング
Sting
Sting 1996年のアルバム「マーキュリー・フォーリング」より 
コーラスはリサ・フィッシャー
「Young American」  デヴィッド・ボウイ
David Bowie 
David Bowie コーラスはリン・マブリー
「Wah Wah」 ジョージ・ハリソン
George Harrison 
George Harrison 1970年の名盤「オール・シングス・マストパス」より
コーラスはジャニス・ペンダーヴィス
「Sweet Home Alabama」  レナード・スキナード
Lynyrd Skynyrd
  1974年のアルバム「セカンド・ヘルピング」より
コーラスはメリー・クレイトン
ニール・ヤングの「サザンマン」へのアンサー・ソング
「River Deep , Mountain High」  アイク&ティナ・ターナー
Ike & Tina Tuner 
Jeff Barry
Ellie Greenwitch
Phillip Spector 
1966年のフィル・スペクターによるプロデュース曲
「I've Got Dreams to Remember」  オーティス・レディング
Otis Redding
Otis Redding 1968年のアルバム「The Inmortal Otis Redding」より
「Christmas(Baby Please Come Home)」  ダーレン・ラヴ
Darlene Love
Jeff Barry
Ellie Greenwitch
Phillip Spector
フィル・スペクターの曲だが今やダーレン・ラヴの代表曲
アメリカにおけるクリスマスの定番曲
「How Can I Ease The Pain」  リサ・フィッシャー
Lisa Fisher
Narada Michael Walden リサ・フィッシャーによるソロ唯一のヒット曲
グラミー賞最優秀R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞
「Lean On Me」 ダーレン・ラヴ
Darlene Love 
Bill Withers  
「A Fine , Fine Boy」  ダーレン・ラヴ
Darlene Love  
Jeff Barry
Ellie Greenwitch
Phillip Spector
フィル・スペクターによる1963年の曲

「バック・コーラスの歌姫たち 20 Feet From Stardom」(2013年)
(監)モーガン・ネヴィル
(製)ギル・スキーゼン、ケイトリン・ロジャーズ
(撮)ニコラ・B・マーシュ、グレアム・ウィロビー
(編)ジェイセン・ゼルディス、ケヴィン・クローバー
(出)ダーレン・ラヴ、メリー・クレイトン、リサ・フィッシャー、タタ・ヴェガ、クラウディア・リニア、ジュディス・ヒル、ザ・ウォーターズ、グロリア・ジョーンズ
ミック・ジャガー、ブルース・スプリングスティーン、スティング、スティービー・ワンダー、ベット・ミドラー、シェリル・クロウ、クリス・ボッティ、パティ・オースティン、ルー・アドラー
<映像のみ>
レイ・チャールズ、マイケル・ジャクソン、ルーサー・ヴァンドロス、カイリー・ミノーグ、デヴィッド・ボウイ、ジョージ・ハリソン、ジョー・コッカー、リンゴ・スター、フィル・スペクター、デヴィッド・バーン、トム・ジョーンズ、エルトン・ジョン、レナード・スキナード・・・

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