- ブルースのもうひとつの源流へ -

<バラッドの世界>
 このサイト内の「黒い魂の歴史」では、アフリカから連れ去られた人々が、いかにしてアメリカで生き抜き、その苦難の歴史の中で独自の文化、音楽を生み出していったのか、その歴史について書いています。現代黒人音楽のルーツとも言える「ブルース」はそうして生まれたわけですが、そこにはアフリカ音楽とは別のもうひとつの音楽、ヨーロッパからやってきた大衆音楽「バラッド」の影響もあることを忘れるわけにはゆきません。しかし、この「バラッド」という音楽については、「ブルース」の知名度の高さに比べ、ほとんど知られていないように思います。
 というわけで、「黒い魂の歴史」番外編として、「白い魂の歴史」とも言える「バラッドの歴史」に迫ってみたいと思います。なお、このジャンルの歴史については、茂木健さんの著書「バラッドの世界- ブリティッシュ・トラッドの系譜 -」(春秋社)が非常に参考になりました。まさに名著です。

<オールド・バラッド>
 バラッドの歴史を振り返るため、先ずは遥か昔のイギリスへと時代をさかのぼることにしましょう。
 「バラッド Ballad」の語源は、後期ラテン語の「Ballare」ではないかといわれていますが、この言葉、実は「踊る」という意味なのだそうです。実際、15世紀頃までのバラッドは、円を描きながら集団で踊るためのダンス音楽で、中心となる歌い手と踊り手が交互に歌うというコール&レスポンスのスタイルだったそうです。(なんと「コール&レスポンス」はアフリカの専売特許ではなかったのです)ギター一本で弾き語り的に歌われるのが「バラッド」と思っていた方も多いと思うのですが、元々はそうではなかったようです。ただし、こうしたスタイルのバラッドは現在ではオールド・バラッドと呼ばれており、過去のものになっています。

<ブロードサイド・バラッド>
 現在のバラッドに近い形は、その後16世紀になって生まれたブロードサイド・バラッドから発展したと言えます。「ブロードサイド」とは、江戸時代のかわら版に近い情報誌のことで印刷技術が発達した16世紀にイギリス中で発展しました。(最初は国の広報誌だったという説もあります)しかし、新聞のように配達するものではなかったので、これを売って歩く人間が必要となり、そうした売り子の中から記事を歌に乗せて宣伝する人々が現れました。するとこれが大受け。こうして、記事を歌にして紙面に載せるのがブロードサイドの定番となります。そして、それらの歌が後にブロードサイド・バラッドと呼ばれることになったわけです。したがって、ブロードサイドに載っていた記事の多くがバラッドの歌詞として記録に残ることになったわけです。
 そこには、社交界のゴシップ・ネタや殺人事件、戦争の話し、お祭りや結婚、葬儀の情報などから、ロビン・フッドや魔女、妖精、それに伝説的英雄の話しなど、あらゆるジャンルのネタがあり、それを売り手(歌い手)たちがイギリス全土へと歌いながら広めていったのです。
 こうした、出来事をうまく歌にするため、当然歌自体もそれまでとは違うスタイルへと進化してゆくことになりました。それまでダンス向けだったものは、歌詞を乗せやすい弾き語りに向くものへと変わっていったわけです。
 なお、このブロードサイドはニュース情報を求める人々のため、海を渡りアメリカへも輸出されていたそうです。そのため、アメリカでもブロードサイド・バラッドが歌われることになり、その影響がブルースへと及んで行くことになるのです。

<イギリスという国
 イギリスからのブロードサイドを求めたのは、やはりイギリスから海を渡った移民の人々でした。彼らによってイギリスの文化はアメリカへと持ち込まれ、そこで新しい文化を形づくることになるのです。では、どんな人々がアメリカへと渡ったのでしょうか?そんなアメリカへの移民について語るには、その前にイギリスの歴史について学ぶ必要がありそうです。
 サッカーが好きの方ならわかると思いますが、ワールドカップ・サッカーのヨーロッパ予選にはイギリスという名前のチームは出場していません。参加しているのは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4チームです。
 もとはと言えば、まったく異なる国だったこれらの国々をイングランドが征服、統治することでイギリス(グレート・ブリテン王国)という国が誕生し、その体制は未だに続いているのです。(ただし、現在それぞれの国ではかなり独立国に近い形の自治が認められています)
 16世紀にウェールズ、18世紀にスコットランド、そして19世紀初めにアイルランドを正式併合。1949年にアイルランドが独立し、北アイルランドがイギリス領として残った時点で、現在の国の範囲が出来上がりました。(第二次世界大戦までは、南アフリカ、インド、オーストラリアなど数多くの植民地も抱えていました)

<スコットランドの歴史>
 ゲール語を用いケルト文化を継承していたスコットランドの人々が、英語を話すアングル人によって北へ北へと押しやられて行く歴史、それがイギリスという国の歴史であると言われています。常にスコットランドはイングランドからの圧力や差別を受けながらかろうじて自らの文化を守り続けていました。(例えば、キルトとその柄として有名なタータン・チェック。それに音楽では戦争の際、士気高揚のために無くてはならない存在だったスコティッシュ・バグ・パイプがあります。この楽器は、イングランドによる支配が厳しかった時代には、その使用を禁じられるという時期もありました)
 しかし、もともと数多くのリーダーたち(クランと呼ばれていました)に支配されていたスコットランドは、しだいにイングランド寄りの地域とそうでない対立する地域へと分裂し始めます。早くから英語を話すようになりイングランド化した南部低地(ロウランド)の人々は、古来のケルト文化を守り、イングランドとの対決色を強める北部高地(ハイランド)の人々を、時代に乗り遅れた田舎者として差別するようになります。
 そんな状況のもと、1707年イングランド・スコットランド連合が誕生します。これは実質的にはスコットランドがイングランドの植民地として併合されたのと同等でした。こうして始まった厳しい圧制にスコットランドの人々は苦しまされることになります。するとついに北部高地(ハイランド)に住む部族が中心となり、フランスの援助によって反乱が起こされました。(イングランドは国王を教会のトップにおくイギリス国教会を設立しており、神もしくは法王をトップにとする他のキリスト教国からは異端派と見なされていました。現代でいうと共産主義国においてアメリカが内戦を支援する構図といっしょです)しかし、二度に渡る反乱(後にジャコバイト・リベリオンと呼ばれることになります)はいずれも失敗に終わり、その後スコットランドは今に至るまでイギリスの一部であり続けます。
 そして、この時の戦いの様子を歌として記憶にとどめるために生まれたのが、ジャコバイト・ソングと呼ばれる数々のバラッドです。それはスコットランドの悲劇の物語を子孫に伝えると同時に、その伝統を失うまいとする人々の知恵でした。そして、それはバラッドのひとつのジャンルを形成するほど、高い質と量をもつに至りました。
 こうして、イングランドによる支配が行われる中、スコットランド人の多くがフランスなど海外へと追放されたり、移民として旅立って行くことになりました。特に18世紀から19世紀にかけて、ハイランドの人々の多くがアメリカ大陸に渡り、さらにその多くがカナダに住み着きました。(カナダは、アメリカと異なりもともとフランス系移民の多い土地でした)したがって、未だにカナダにはスコティッシュが持ち込んだケルト文化が多く残されているのです。

<スコッツ・アイリッシュの歴史>
 スコットランド同様、もともとケルト文化の国だったアイルランドは、宗教的にもイギリス国教会と対立するカトリックの国だったため、イングランドとは常に対立する関係にありました。そうした中、実質的にイングランドが支配していた16世紀末、アイルランド北部アルスター地方の人々がイングランドに対し反乱を起こしました。しかし、この反乱は国力に勝るイングランドによってすぐに抑え込まれ、破れた反乱軍のほとんどはヨーロッパ大陸へと逃げて行きました。(カトリックの国であるフランスへ、ほとんどが移住しました)
 そこで人のいなくなったアイルランド北部に移住させられたのが、スコットランドに住んでいたカルヴィン派プロテスタントの人々でした。なぜ彼らが選ばれたのか。それはイギリス国教会に対し何かと反発する彼らをアイルランドに追い出し、なおかつアイルランドのカトリック勢力を減らそうという一石二鳥を狙った作戦でした。
 こうして、アイルランドにはプロテスタントの北アイルランドとカトリックのアイルランド、二つの国家が誕生する下地が作られ、後のアイルランド紛争の火種となります。スコッツ・アイリッシュとは、この時に移住した人々の血筋のことになります。
 18世紀、イングランドによる宗教的迫害と農作物の不作により、アイルランドからは多くの人々がアメリカ大陸へと移住して行きました。そして、この時の移民たちの3/4がこのスコッツ・アイリッシュだったと呼ばれています。アイルランドにおける彼らの立場が弱かったからこそ、移民の道を選ばなければならなかったのでしょう。
 彼らはアメリカに渡ると、アパラチア山脈周辺地域、ヴァージニアやキャロライナに住み着いたようです。そこはアメリカにおいてイギリス人が最初に建設した町ジェームス・タウンがある土地であり、アフリカから連れてこられた黒人奴隷が最初に着いた土地でもありました。そんな歴史のある土地にスコッツ・アイリッシュの人々が持ち込んだ音楽は、当然その土地の音楽に溶け込み、そこに数多く住んでいた黒人たちの音楽にも大きな影響を与えることになったのです。
 特に彼らが持ち込んだバラッドは、黒人たちの持ち込んだバンジョーなどの弦楽器とリズミカルな曲と結びつき、ブルースの原点のひとつとなって行くわけです。
 それぞれの土地における文化の歴史は、本当に長い歴史の積み重ねがあって、初めて生まれるものなのです。

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