バナナの象徴する世界とその歴史


- バナナ Banana -
<象徴としてのバナナ>
 「バナナ」という果物ほど、様々なイメージを抱かせる食べ物はないでしょう。「人種差別」、「男性性器」、「おバカ」、「南北格差」、「環境破壊」、「多国籍企業」・・・それだけではありません。様々な名前もそこから思い浮かべられます。ダニウ・アウベス(ユベントス)、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドもしくはアンディ・ウォーホル、ジョセフィン・ベイカー、ハリー・ベラフォンテ、カルメン・ミランダ、バスター・キートン、ウディ・アレン、モンティ・パイソン・・・
ちなみに「Going Banana」=「少々頭がおかしい」
 様々な問題の象徴でありながら、世界中の子供たちに愛され、スポーツ選手たちにも愛されている「バナナ」は、世界で最も「ポップ」な食材だと思います。

<バナナとは?>
 そもそもバナナとは、いかなる植物なのでしょうか?
 「バナナ Banana」の語源は西アフリカのウォロフ語(セネガル、モーリタニアなど)にある「バナンナ Banaana」だと言われていますが、アラビア語の「banaana」(指のこと)という説もあります。
 植物学的にいうと、「バナナ」とはベリーの一種です。(イチゴの仲間?!)さらに、それはバショウ属の顕花植物で花も咲きます。大きくて少々不気味な花です。バナナとは木になる植物と思われていますが、それは正確には違います。3mから7mに達する「バナナの木」とは、実は「木」ではなく、「巨大な草」にあたるそうです。
 我々が普通に食べている「バナナ」とは別に「プランテン」と呼ばれる近縁種もあります。そちらは「果物」ではなく「野菜」に分類され、調理用の食材として、南方の島では主食となっている所もあります。
 水はけがよく、土に栄養がある沖積土、火山灰性の土からなる熱帯気候が最適な環境です。マレーシア、インドネシア、南太平洋の島々が有名で、気温的には20~30℃が適していて、高すぎても低すぎても上手く育ちません。(13℃以下、38℃以上は不可)世界中に1000種類は存在しているようです。
 野生のバナナには硬い種があり、食用のバナナは種なしとして品種改良されたものです。その起源種は、ムサ・アウタミーナとムサ・バルビシアーナの二つとされ、ほとんどはこの交雑種です。ムサ・アウミターナは、マレーシア、インドネシア、フィリピン、西インド、東アフリカ、タイ、西インド諸島、ブラジル、コロンビアと広い範囲に渡り、バナナ界の主流派的存在です。それに対し、ムサ・バルビシアーナは、東南アジアが中心の種で、環境の変化に強いという特徴があります。紀元前1000年頃、ムサ・バルビシアーナの生産地にアウミターナが持ち込まれ、交雑により食用向けで輸送しやすい新種が生まれたようです。
 食用として誰もが知る黄色で曲がった形の甘いバナナのうち47%はキャベンディッシュという種です。といっても、19世紀末から第二次世界大戦まで欧米で食べられていたのは、キャベンディッシュではなく、グロスミッチェル(ビッグ・マイク)という種でした。グロスミッチェルは、クリーミーで香りが強い種。皮が厚いのでバナナの皮で転ぶイメージができました。アニメ「トムとジェリー」などの映像に出てくるバナナは、このビッグ・マイクということです。主流だったグロスミッチェルがなぜ今、消えてしまったのか?その理由は、品種改良ではありません。「パナマ病」というカビの一種による病気が世界的に流行したために、タイやマレーシア以外の地域でほぼ全滅してしまったのです。その状況を救ったのが、「キャベンディッシュ」だったわけです。
 琉球諸島原産と考えられる「ジャパニーズ・バナナ」(学名は芭蕉)という種もあります。それは観賞用として人気があり、その繊維から作られる沖縄伝統の織物が「芭蕉布」です。
 オーストラリアや南アフリカ、南米、南太平洋にはレッド・ダッカ・バナナという「レッド・バナナ」もあります。ラズベリーに似た甘い味がするといいます。
 南太平洋の島々で人気がある「フェイ・バナナ」は、皮が赤っぽいオレンジで中身はきれいなオレンジ色。ベータカロチンが豊富で、ポリネシア、ソロモン諸島、サモアで食べられています。有名な画家ポール・ゴーギャンによって描かれているバナナはこのフェイ・バナナのようです。
 他に、「スノー・バナナ」(白)、「ピンク・バナナ」(ピンク)、「スカーレット・バナナ」(赤)など様々な色や味のバナナが世界中にあります。

<バナナの栽培>
 種がないバナナを栽培するには、「接ぎ木」によって「クローン」を作る方法によっています。したがって、バナナの同じ品種のものは、すべて同じ遺伝子を持っています。そのために、「パナマ病」などの病気が感染すると、それに対する抗体をもつ種が生まれる前に全滅してしまうことになるのです。
 1960年にグロスミッチェルがほぼ市場から消えてしまった時、多くのプランテーションが閉園に追い込まれる中、キャベンディッシュという新種がバナナ農家を救いました。しかし、そのキャベンディッシュも実は「パナマ病」に強い種というわけではないようです。生産者の努力により、病気の感染を広めない工夫が進んだことでなんとかその感染を食い止めたようです。したがって、またいつか「パナマ病」やその他の病気の感染によって、バナナが市場から消えてしまう可能性は存在し続けているのです。

<バナナの歴史>
 バナナの栽培は、ニューギニア、ワギバレー中央のクック湿地帯で6900年前ごろには行われていたことがわかっています。今のところ、そこが食用バナナの生誕地といわれています。その後、バナナは世界各地で品種改良が行われ、食べやすくなってゆきました。書物に残されている最も古い記述としては、紀元前4世紀アレクサンダー大王の東方遠征の際、バナナをインドで発見したという記録が残されています。紀元77年の古代ローマのプリニウスの著書「博物誌」にも、バナナは賢者が夕食で食べる食材として登場しています。
 南米におけるバナナの栽培は、ポルトガルの船乗りたちが15世紀以降に持ち込んで始まったとされています。カリブ海の島々では、カトリックの宣教師フレイ・トマスが1516年にハイチに持ち込んだのが最初で、多くの島のプランテーションで作られるようになりました。元々はアフリカ人奴隷の食用として、安価で栄養価が高いという理由で持ち込まれたようです。当初は輸出するためのものではなかったわけですが、カカオやコーヒー、ペパーミントなど、直射日光を嫌う作物を育てるための日除けとして栽培する農家も多かったようです。
 バナナが輸出されなかったのは、腐りやすさや衝撃などによる傷みやすさのせいでもありました。ただし、それらの問題点は、蒸気船や蒸気機関車の登場による運搬時間の短縮やバナナ用の運搬容器の発明などにより、解決され、19世紀末にはアメリカやヨーロッパでもバナナが食べられるようになります。
 1876年、アメリカ西海岸におけるバナナの値段は、一本10セントでした。(牛乳1.5リットルとほぼ同じ)

<バナナの伝説>
<インドネシアの昔話>
 神様は人類のため天上から様々なものをロープで降ろし与えていました。あの時、永遠の生命をもたらす石(賢者の石と同じ)を降ろしますが、人間はその価値を理解できずに返品してしまいます。次に降ろされたバナナにはあっさり飛びついたため、神様は人間に「死」を与えることにしたのだそうです。この話は、聖書における「エデンの園」伝説と似ています。一般的にエデンの園でアダムとイブが選んだことで、二人は楽園を追放されることになった「禁断の果実」は「リンゴ」とされています。しかし、それがリンゴであったという説に根拠はなく、当時すでに中東にも存在していたバナナが禁断の果実だったという可能性もありうるのです。

<バナナ活用メニュー>
 バナナの粉を小麦の代わりに使ってパンを作ると原価が25%安く済み、グルテンフリーなので小麦アレルギーの人でも食べられます。
 1904年、ペンシルバニア州ラトローブのドラッグストアで見習い薬剤師として働いていたデヴィッド・エヴァンス・スティックラーは、新メニューとしてバナナ・ベースの三色アイスサンデーを考案します。これが「バナナ・スプリット」として大人気となり、世界中に広まることになりました。
 1930年代の不況時代にアメリカでより安く、食材を無駄にしないためのパンとして広がったのが、熟したバナナをすりつぶして作る「バナナ・ブレッド」です。安売りされている古くなって捨てられそうな熟したバナナを刷り込んだバナナ・ブレッドは、食費を抑えようと苦労する主婦たちが考え出したパンでした。

<バナナ・カンパニー>
<チキータ(ユナイテッド・フルーツ・カンパニー)>
 1899年、マイナー・C・キースのバナナ事業部とボストン・フルーツ・カンパニーが合併して誕生。キースは、1877年コスタリカでバナナのプランテーションとの取引を始めていました。その後、自らパナマ、コロンビアでプランテーションを立ち上げます。しかし、経営難となった際、ライバル企業のボストン・フルーツ・カンパニーと合併。社長には、B・F・Cのアンドリュー・W・プレストンが就任しました。1930年には中米最大のプランテーション経営者となります。
 1950年、アメリカの作家ゴア・ヴィダルは、小説「Dark Green,Bright Red」を発表。グアテマラで起きた政府への反乱と軍隊による弾圧。そして、その際米国よりの政府を守るために米軍の派遣を求めたのユナイテッド・フルーツの関りを描き出しました。この後、ユナイテッド・フルーツは、世界的な規模で第三世界からの搾取によって利益を上げる企業の代表として批判されるようになります。1985年に社名を「チキータ」と変更しましたが、それはそうした世界的な批判をそらす目的もあったのでしょう。カワイイ名前にしてもやることが変わったわけではないのです。
<ドール・フード・カンパニー>
 1851年に設立され、カリフォルニア州ウエストレーク・ヴィレッジを本拠とする多国籍企業。宣教師サミュエル・ノースロップとエイモス・スター・クックがハワイに設立した輸出入会社キャッスル&クックが前身。ハワイでは鉄道、海産物加工、製糖などのビジネスなど手広く活動し、1901年にジェームズ・ドールがハワイアン・パイナップル・カンパニーを設立。1932年にキャッスル&クックは、ハワイアン・パイナップル・カンパニーの株式21%を取得し、1961年には子会社化します。さらに大手のスタンダード・フルーツ・カンパニーも買収し、社名を「ドール・フード・カンパニー」と改名s、チキータのライバル企業に急成長することになりました。
<ファイフス>
 1888年にロンドン出身のトーマス・ファイフが食品卸売業の会社として設立。イギリス政府からの援助を受けながらカリブの島々からバナナの輸入を開始。その後、エルダーズ&ファイフスと社名を変更し、輸送と冷蔵に新技術を導入しながら急成長を遂げます。
 1986年、アイルランドの企業、FIIが買収し、本社をダブリンに移します。注目すべきは、ファイフスは「フェアトレード」に近い生産者よりの企業運営を行うことで、ライバル2社とは違う評価を得ていることです。
 1993年にEUがACP諸国産バナナの輸入を優遇。(アフリカ、カリブ、太平洋)ラテン・アメリカ産バナナの輸入を制限したことでチキータは2001年に経営破たんに追い込まれ、2002年に再建されたものの、2014年、ファイフスに吸収合併されることになりました。(皮肉なことにファイフスはチキータの子会社として設立された会社でした)

<バナナ共和国の悲劇>
 第三世界を代表する作物であるバナナは、先進国による収奪の象徴的産物として多くの悲劇を生み出してきました。
「バナナ共和国」
 この言葉は、1904年に発表されたウイリアム・シドニー・ポーター(オー・ヘンリー)の処女長編小説「キャベツと王様」で描いた架空の国アンチュリア共和国の別称として使ったのが最初と言われています。国民の所得がバナナの生産によって左右される国々、グアテマラやホンジュラスがモデルと言われます。独裁者によって統治され、欧米の企業によって搾取され続ける第三世界の状況を象徴する言葉として使用される言葉となりました。
 アメリカのアパレル・メーカー「バナナ・リパブリック」は、1978年に設立されたブランド。当然ながら、第三世界の国々に対する差別意識が感じられると批判され、GAPに吸収されて以後、ブランド名を変更。現在は消えたブランドです。
「バナナ大虐殺」
 1928年12月6日、コロンビア、サンタマリア近郊のシエナガで起きたユナイテッド・フルーツのプランテーション労働者が大量虐殺された事件です。12月に入り、現地プランテーションの労働者たちが労働環境の改善や現金による報酬を求めてストライキを続けていました。ペドロ・デル・リオとベルナルディーノ・グエレロによって指導された労働者たちは、週6日一日8時間労働などを要求しますが、ユナイテッド・フルーツは米政府に圧力をかけ米軍の派兵を求めます。
 コロンビア軍はシエナガ広場に集まる労働者と日曜日のミサ帰りの市民に発砲。2000人近い人々を虐殺しました。(政府による公式発表では47人)この時の指揮官だったバルガス将軍はアメリカ軍の進攻を止めるために混乱を早く収める必要があったと主張し責任を回避しました。この事件については、ガルシア・マルケスの代表作「百年の孤独」(1967年)にも描かれています。

<バナナのヒット曲>
「Yes We Have No Bananas」
 1922年初演のブロードウェイ・ミュージカル「メイク・イット・スナッピー」の挿入歌として作られた曲。(フランク・シルヴァ―、アーヴィン・コーン作)1923年に全米チャート5週連続1位の大ヒットなりました。歌はビリー・ジョーンズ

「おいらの町の果物屋
店のおやじはギリシャ人
置いてる品はいいものばかり
だけどおやじのしゃべりときたら!
・・・・・
果物ならばなんでもござれ
昔ながらのおいしいトマト
ロングアイランドのジャガイモも
だけど、イエス、バナナはないんだ
今日はバナナは品切れだ

 この曲はニューヨーク州ロングアイランドの八百屋の店主ジミー・コスタスの口癖をもとにして書かれたと言われます。1932年、北アイルランドのベルファストで貧民の救済を求める人々が抗議のテーマ曲として使用され、一躍世界的に有名になりました。映画「麗しのサブリナ」(1954年)や「イングリッシュ・ペイシェント」(1996年)などでも使用されています。
 経済不況、食料不足、古き良きアメリカなど様々なイメージを喚起させる名曲です。

「バナナ・ボート Banana Boat」
 1956年、ジャマイカ系アメリカ人ハリー・ベラフォンテの世界的な大ヒット曲。150万枚を越えるメガヒットとなりましたが、厳しい労働の歌を安易なポップナンバーに変えたという批判も多かったようです。それえも多くのカバーがあり、ジャマイカ系アメリカ人シャギーによるカバーもあります。映画ではティム・バートンの出世作ともいえる1988年の「ビートル・ジュース」で使用されています。

「メロ―・イエロー」
 ドノヴァンによる1966年のヒット曲で、バナナについても歌われています。1960年代末のサイケデリックな時代、バナナの皮の内側を欠き落とし、それを乾かして煙草のように吸うとトリップ出来るという都市伝説があったようです。

「ミス・チキータ」
 1944年、パッティー・クレイトンが歌った史上最も有名なCM曲。(ガース・モンゴメリー作詞、レン・マッケンジー作曲)

私の名前はチキータ
ひとこと言わせてちょうだいな。
おいしく食べるにはこつがある
黄色そばかす、ほのかに金色
一番おいしく、食べごろよ
サラダに入れても
パイに入れても
どんな料理もお好みしだい
・・・・
あまりに有名な曲なので1999年にはリメイクもされています。
映画「怪盗グルーのミニオン危機一発」(2013年)にも使用されています。

「バナナとアーティスト」
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」
 ポップアート界の巨匠アンディ・ウォーホルがデザインしたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「バナナ」のアルバム・ジャケットは歴史上最も有名な作品といえるでしょう。ウォーホルはアルバム・ジャケットだでなくアルバム全体のプロデューサーでもあり、バンドのすべてをプロデュースしていたといえます。
 オリジナル盤には当初「ゆっくり皮をむいて」というクレジットがあり、ステッカーをはがすと皮をむくこともできました。その後、2012年このデザインはi Phone、i Pad のデザインとして使用されましたが、アンディ・ウォーホル財団とヴェルヴェット・アンダーグラウンドの間で権利問題の裁判が起きることになりました。

「ジョセフィン・ベーカー」
 バナナ→男性性器→性力絶倫→黒人差別そんな意味合いをもっていたバナナをも利用した1920年代にヨーロッパで一大ブームを巻き起こした黒人女性シンガー&ダンサーのジョセフィン・ベイカーです。彼女は作りもののバナナを身にまとったセクシーな衣装を身につけ、裸に近い露出で世の男性の目をくぎ付けにしました。そうして彼女が歌い踊った「バナナ・ダンス」は大人気となり、「黒いヴィーナス」はヨーロッパ中を虜にすることになりました。

「カルメン・ミランダ」
 CMソング「ミス・チキータ」のヒットと同時に有名になったイメージ・キャラクター「ミス・チキータ」をモデルにした衣装を着て、ミュージカルに出演し話題となったブラジル人歌手がカルメン・ミランダです。ブラジルからアメリカに進出し、ハリウッドでも大人気となった彼女のトレード・マークのなったフルーツ満載の帽子にもバナナが使われています。ただし、彼女のイメージもまた差別的といえなくもありません。彼女自身も、アメリカでの成功は長く続かず故郷のブラジルでもアメリカに魂を売った「売国奴」と批判されることになります。

<バナナとギャグ>
 19世紀の終わりごろ、アメリカでバナナが一般的に売られ始めるとすぐに大人気となり、街中にバナナの露店が数多く登場します。バナナを歩きながら食べることがトレンドとなったわけです。ところが、そのおかげで路上にはバナナの皮が投げ捨てられることになり、全米各地でバナナの皮を踏んづけて転んだ骨折者が続出します。

ハンナという娘が、バナナの皮ですべった
横向きに倒れると、彼女の目からは星が出た
星条旗よりもずっとたくさんの星が出た
・・・

 1909年、セントルイスではバナナの皮の投げ捨てが法律で禁止されることになります。そんな中、ビリー・ワトソンという芸人がバナナの皮で滑って転ぶパフォーマンスを舞台を行うと大人気となります。彼は実際に路上でバナナの皮で転ぶ人を見て、それを思いついたといいます。その後、彼はスライディング・ビリーというニックネームで人気芸人となりました。
 映画で最初にバナナの皮を使ったのは、バスター・キートンと言われますが、チャーリー・チャップリン、ハロルド・ロイドなどサイレントのコメディアンたちはみなバナナの皮をギャグに用いています。トーキーの時代になっても、ローレル&ハーディもバナナの皮を使っているし、ウディ・アレンも映画「スリーパー」(1973年)で使用。イギリスではモンティ・パイソンが映画「モンティ・パイソン・アンド・ナウ」では恐るべき兵器としてバナナを登場させています。
 2014年、北里大学の馬淵教授はバナナの皮が滑るメカニズムを科学的に解明し、「イグノーベル賞」(物理学賞)を受賞しています!

<バナナと差別>
 スポーツの世界では、黒人選手に対する人種差別の象徴としてバナナを使う行為が昔も今も続いています。
 2014年4月27日、スペインで行われた名門バルセロナとビジャ・レアルの試合中、バルセロナのダニウ・アウベス(ブラジル出身)選手に向けてビジャ・サポーターからバナナが投げ込まれました。コーナー・キックを蹴ろうとしていた彼は投げ込まれたバナナをキックの前に一気食い。その映像が世界中に配信され、多くのサッカー選手たちがバナナ・パフォーマンスとして同じようにバナナを食べるパフォーマンスを映像配信しました。
(注)このバナナ・パフォーマンスの世界的ブレイクの裏にはブラジルのバナナ業界による仕掛けがあったという話もあります。良くも悪くもバナナのパワーは大したものです!

「バナナの歴史 BANANA : A Global History」 2016年
(著)ローナ・ピアッティ=ファーネル Lorna Piatti -Farnell
(訳)大山晶
原書房

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