ストリートから現れた21世紀美術界のアイコン


- バンクシー BANKSY -
<21世紀美術界のアイコン>
 20世紀を代表する美術界のアイコンを、前半がパブロ・ピカソ、後半はアンディ・ウォーホルとするなら、21世紀の今はバンクシーかもしれません。
 美術そのものの概念が大きく変わりつつある中、バンクシーはそんな21世紀美術界のアイコンと言えそうです。
 アンディ・ウォーホルは、「コピー」により自作を大量に複製することで、コカ・コーラやリーバイスのジーンズのようなポップカルチャーのアイコンとなりました。
 それに対しバンクシーは、「グラフィティ」によって自作を大衆のものとすることでポップ・カルチャーのアイコンとなり、インターネットが作品を永遠の存在にしました。
 ウォーホルは、ニューヨークというアメリカ最大の都市に「ファクトリー」を作りましたが、バンクシーは英国の港町ブリストルの「ストリート」を背景に自作を生み出しました。
 それぞれの街の歴史もまた二人の作品に大きな影響を与えたと言えます。
 先ずはそんなバンクシーの故郷ブリストルと作品の源流から振り返ります。

<ブリストル>
 イングランド西部の港町ブリストルは、人口約46万人の都市です。
 かつては、ヨーロッパ、アフリカ、西インド諸島を結ぶ3角貿易の拠点として大英帝国の繁栄と共に発展した古い街です。
 奴隷、綿花、サトウキビ、コーヒー、武器などを船によって循環させることで、財を成した街なだけに、今もその名残が見られます。
 人種的にも黒人奴隷の子孫も多く、それが街のレゲエシーンを生み出しました。
 1970年代の終わりには、そうした音楽にダブやフリージャズ、パンク、現代音楽、ファンクの要素も盛り込むことでザ・ポップ・グループという革命的なロックバンドが生まれました。
 彼らの音楽はあまりにアバンギャルドで政治的だったこともあり、その活動期間は4年ほどで終わりを迎えています。
 バンドのリーダーだったマーク・スチュワートは、ダブ・レーベルのON-Uサウンドに参加。その他のメンバーも、ピッグバッグ、リップ・リッグ&パニック、ザ・スリッツなどに参加。
 その後もブリストルからは、独自のスタイルを持つミュージシャンが数多く登場しています。
 スミス&マイティ、ワイルドバンチ、ネナ・チェリー、マッシヴ・アタック、トリッキー、ポーティスヘッド・・・。
 ブリストルの街には、そうした音楽だけでなく、黒人独自の文化とも言えるブレイクダンス、グラフィティなども、いち早く入ってきています。
 そうした影響を受けたアーティストたちの中にバンクシーもいたのでした。
「セントポールズ暴動」
 1980年2月2日、非合法のアルコール飲料に対する警察の取り締まりに抵抗することから大きな暴動が始まりました。
 警察の強引な取締りに対し、店の客たちが反抗し大きな衝突事件に発展。パトカー25台が破壊され、21件の建物が放火され、50人が警官が負傷しました。
 この暴動は、その後英国各地に飛び火し、各地で人種暴動が起きることになりました。

<シチュアシオニスト運動>
 ヨーロッパにおける「グラフィティ」の源流になる運動として、1950年代に始まった「シチュアシオニスト運動」があります。
 ダダイズムの流れをくむ芸術運動で、1960年代には政治と芸術を統合する新しい運動としてヨーロッパ全体に広がりました。その思想の基本になった著作に、フランスの思想家、映像作家ギー・ドゥボールの著書「スペクタクルの社会」(1967年)がありました。
 現代社会はテレビ、映画、広告、都市景観などの「スペクタクル」(見世物)によって管理され支配されています。シチュアシオニストという芸術運動は、そんな都市を彷徨い、一時的にその象徴的な場所を占拠したり、そこでチラシを配ったり、落書きをすることでそうした社会状況に対し「アンチ」を主張する。そうしたある種、芸術志向の反体制活動のことでした。それまで共産主義者が中心となって行わわれてきた労働現場での闘争に不満を持つ若もたちによる新しい闘いの始りでした。そして、それは消費や余暇の現場で展開する新しい闘争のスタイルとなりました。
 1968年の「パリ五月革命」では、落書き、ポスター、チラシがシチュアシオニストたちによって大量に制作されました。
<イギリスのシチュアシオニスト>
 イギリスのシチュアシオニスト・アナキストのグループ、キング・モブのメンバーとして活動していたのがマルコム・マクラーレンでした。
 彼は自分が通っていたクロイドン美術学校の占拠に参加。その後、ニューヨークに渡り、そこでパンクの源流となるバンド、ニューヨークドールズのマネージャーを務めて、音楽業界と関わることになりました。
 イギリスに帰国した彼は、ファッション・ブティック「セックス」を開業し、そこに通う客たちでメンバーを組みバンドを結成させ、そのプロデュースを担当。こうしてパンクの世界的ブームを生み出すことになるセックス・ピストルズが誕生しました。
 セックス・ピストルズのデビュー・アルバムのデザインなどパンクのイメージを生み出したアートワークスを任されたのは売り出し中のアーティスト、ジェイミー・リード。彼はその後も現代美術のアーティストとして活躍を続けます。
 2001年にグラスゴーで開催されたジェイミー・リードの展覧会には、若きバンクシーも参加していました。
 2002年、バンクシーは、英国国旗の真ん中にエリザベス女王の顔を猿の顔に入れ替えて描いたパロディ作品「モンキー・クイーン」を発表。これは明らかにジェイミー・リードによる「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のアルバム・ジャケットへのオマージュだったと言えます。

<グラフィティの歴史>
 かつて、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンは、「文化財と呼ばれるものは、どれも歴史の勝者たちの戦利品である」と言いました。今日、美術史を形成しているとされる美術作品と呼ばれているものも、基本的には勝者たちの戦利品として理解するべきなのかもしれません。
 そう考えると、「グラフィティ」(落書き)はそうした勝者の戦利品の対極に位置する存在と言えます。

 それぞれの人がそれぞれの時代に勝手に絵を描いてきました。共通しているのは、落書きを描いている人たちのほとんどは、権力を持っている人ではなかったことです。・・・
 今、私たちが見ることができる歴史的な落書きは奇跡的に残されたものなのです。
 「グラフィティ」(落書き)こそ、誰もが平等に楽しめる芸術と言えます。

 アメリカという国の偉いところは金持ちでも貧乏人でも同じものを消費するってことだ。TVを見ればコカ・コーラが映るし、大統領がコカ・コーラを飲む、リズ・テイラーがコカ・コーラを飲む、そして考えたら君もコカ・コーラを飲むわけだ。…コークはどれもおんなじでコークはぜんぶおいしい。そのことをリズ・テイラーも知っているし、大統領も知っているし、ホームレスも知っているし、君も知っている。
アンディ・ウォーホル

<「グラフィティ」とは?>
 独特のデザインやスタイルによって公共空間に書かれた名前は、その手法によって分類されます。ワンストロークで書かれたものを「タグ tag」、そしてその行為を「タギング taging」と呼びます。それに対し、2,3色を使ってアウトラインを縁取った文字を描いたものを「スローアップ throw-up」あるいは「マスター・ピース master piece」と呼びます。
 これが一般的な「グラフィティ」の基本です。
 タギングを通じて、グラフィックライターはもう一つの自分を都市の中にウイルスのように侵入させ、増殖させていきます。(だから彼らは「グラフィック・ペインター」ではなく「グラフィック・ライター」なのです)

<「グラフィティ」と欧米文化>
 欧米の多くでは、都市の風景は公的なものです。
 都市景観にはさまざまな規制がかけられていて、土地の所有者や建築物の所有者が勝手にすべてを決めることはできません。その結果、景観は時代を超えて維持され、調和が保たれているのです。
 しかし、同時に都市空間が公的なものだからこそ、グラフィティが登場する余地があったのです。グラフィティは、公的な空間から排除されている人々が再び自分たちの空間を取り返す試み - 都市における文化的な市民権を獲得する運動でもあったのです。
・・・英語の「公的=パブリック」なものとは、個人にも行政にも属さない人々が集まって討議ができるような開かれた空間です。そこは、むしろ周縁化されている人々こそが尊重されるような空間なのです。
(この考え方は日本にはないものです)
 都市におけるグラフィティの広がりの度合いは、その国がどのくらい民主的なのか、あるいは、表現の自由が保障されているのかを測る尺度でもあります。

<ステンシルの師匠>
 バンクシーが用いる「ステンシル」の技法をグラフィティに用いた先駆者はフランスのグラフィティ・アーティストのブレック・ル・ラット Bleck le Rat です。
 1980年代にパリの街でステンシルの技法を用いて、ネズミなどのキャラクターを描いた彼は「ステンシル・アートの父」とも言われます。
 バンクシーは、「ステンシル」の技法だけでなく「ネズミ」もその作品に用いており、彼の作品を代表するキャラクターとなっています。
「もし君が、誰からも愛されず、汚くてとるに足らない人間だとしてら、ネズミは究極のお手本だ」
バンクシー

<バンクシーとは誰か?>
 そもそもグラフィティ・アーティストは匿名である必要があります。それは彼らの行為が限りなく犯罪に近いため、実名を公表できないからです。
 そして、それを明らかにしないことは彼らの行為を営利目的や売名行為ではないと証明する、彼らならではの美学でもあります。
 とはいえ、バンクシーとは誰なのか?知りたいのも当然です。
 この素朴な疑問は、地元の人にはもしかすると謎ではないのかもしれません。地元で彼の正体は明らかでも、地域ぐるみで不明にしているという説もあります。
 とはいえ、それにはいくつかの説があるのも事実です。
(1)英国西部の港町ブリストルのパブリック・スクール出身のロビン・カニンガムという人物。
(2)ブリストル出身の人気バンド、マッシブ・アタックのメンバーで3Dの通称で知られるロバート・デル・ナジャ。彼はかつてグラフィック・アーティストとして活動していました。さらにマッシブ・アタックとバンクシーの共同作業が多いこともあり、同一人物説があります。

「俺は、イングランド南部の比較的小さな街の出身なんだ。10歳の頃、3Dと名乗る男が、街中で派手に描いていたんだ。3Dはニューヨークに行ったことがあるらしい。ブリストルに最初にスプレー・ペインティングを持ち帰ったのも彼だと思う。・・・」
(3Dはそれからペインティングをやめて、マッシブ・アタックを結成しました)
 バンクシー(2006年「スウィンドル」誌の記事より)

(3)そもそもバンクシーは一人ではなく複数の人間によって組織された「チーム・バンクシー」ではないかという説。
<スティーブ・ラザリデス>
 スティーブ・ラザリデスは、1997年頃からバンクシーと行動を共にし自分自身も画家を志していましたが、2003年にバンクシーのシルク・スクリーン作品を制作・販売するPOW(Picture On Walls)を共同で設立します。この時は二人のほかにも、後にゴリラズをブラーのデイモン・アルバーンと結成するジェイミー・ヒューレットも参加。(2017年に解散)
 ラザリデスは、約10年間バンクシーのスポークスマンとして活躍しますが、2007年にはストリート・アートのギャラリストとして独立していました。
 現在、バンクシーのマネージャーとして表の顔となっているのは、ホリー・クロシングです。彼女は、2006年に開催された大規模展覧会「ベアリー・リーガル」のPR担当でした。

 バンクシーと一緒に仕事をするということは、バンクシーの代理となっている人たちがバンクシー自身と仕事をすることを意味しているのよ。そう、そこには確かに個人もいるけどバンクシーがやりたいことは何でも実現させたいと思っているたくさんの人々の集団がいるの。その作品が共同作業のものなのか、すべてバンクシーの考えなのかはあまり関係なかったわ。それはバンクシーのアイデアだったかもしれないけど、びっくりしたのはほとんどがチームとしての努力によるものだったということよ。
ケイト・ブラインドリー(ブリストル博物館・美術館館長)

 もしかすると、彼の名前がわからないということこそ、彼が生み出した最もロマンチックで壮大なアート作品なのかもしれません。
 さらに言うと、彼が描いたのではない偽のバンクシー作品までもが、彼が間接的に生み出した作品の一つと考えることもできるかもしれません。
 
 「バンクシー・アート・テロリスト」の著者、毛利さんもこう書いています。

 あえて言えば、何かの吹き回しでたまたま九十九里浜にバンクシーがやってきて、昔のステンシルを描いた可能性をむきになって否定する理由も実はありません。それはそれでロマンティックな想像のような気もします。バンクシーには九十九里浜に大切な友人がいたのかもしれません。そう想像するとまた違った物語が生まれそうです。

 九十九里浜で発見された「風船と少女」のステンシル作品はたぶんバンクシーの作品ではなさそうですが、それもまた「チーム・バンクシー」日本支部の作品と考えることもできるかもしれません。そう考えると、バンクシーの存在は個人と特定するだけでは不十分に思えてきます。

<バンクシーの活動>
 1992年頃から活動開始。
 1999年、「マイルド・マイルド・ウエスト」開催(ブリストルにて)
 ジュラルミンの盾を持った警察官に火炎瓶を投げつける可愛いテディ・ベアは、ブリストル時代の代表作となりました。この時代の彼は、まだストリートを舞台に活躍する「グラフィティ・アーティスト」の一人でした。
 2003年、彼の名はグラフィティ作家の枠を飛び出す存在となりました。そのきっかけはイラク戦争です。世界各地で行われたイラク戦争に反対する反戦運動に彼のステンシル作品が使用されたのです。このデモに参加していた、ブラーやマッシブ・アタックはすでにバンクシーにアルバム・ジャケットを依頼する関係だったことがきっかけのようです。
 この後、彼は積極的に反戦、パレスチナ問題、難民問題、反資本主義をテーマに作品を生み出してゆくことになります。そして、それらの作品の多くがインターネットという新たなテクノロジーによって撮影され、世界中に拡散されることになりました。

 インターネットの普及によってグラフィティの環境は一変しました。特にバンクシーのような人気のある作家の作品は、公開されるや否や写真として記録され、現実の都市から消えてしまったあともインターネット空間の中で生き続けるようになったのです。2000年代のグラフィティを考える時に、インターネットが果たした役割は小さくありません。

<勝手に展示作戦>
 2003年、彼は自身の作品を勝手に美術館に展示するパフォーマンスを行いました。
 それはロンドンのテート美術館から始まり、ルーブル美術館、NYのMOMA近代美術館、メトロポリタン美術館、ブルックリン美術館、ロンドン大英博物館などで行われました。

「誰かが絵画を選択するプロセスを実際に辿ってみるのは退屈なんだ。自分自身の作品を持って行って展示する方がはるかに楽しいじゃないか。これは、間に入っている人、テートの場合はキュレーターを排除することなんだ」
 バンクシー(2003年「ガーディアン」紙より)

 2004年、故ダイアナ妃の顔を用いた偽札を制作。
 2005年、パレスチナのヨルダン川西岸地区にイスラエルが違法に建造した分離壁に絵によって窓を開けオアシスを見せた皮肉な作品を連続して発表。

 イスラエル政府は、パレスチナ領土の占領地区を取り巻く壁を設置している。それはベルリンの壁の3倍もの高さがあり、完成すると700キロ以上の長さになるという。ロンドンとチューリッヒの間の距離と一緒だ。この壁は国際法に違反しており、パレスチナを世界で最大の野外刑務所に変えてしまうものだ。
 バンクシー(2005年「ガーディアン」紙より)

 2006年、アメリカのセレブを代表する存在、パリス・ヒルトンが発表したCDを勝手にミックスし直してパロディCDを制作。それを勝手にCD店の棚に置いて販売。
 2006年、ブリストルのビルに描いた「窓にぶらさがる間男」について市がオンライン世論調査実施。保存することに決まる。
 2006年、ロサンゼルスの巨大倉庫で3日限定の「ベアリーリーガル(辛うじて合法)」展開催。多くのセレブも訪れ、作品も売れた。

 最近自分の作品が生み出すお金には、少し居心地が悪く感じているんだ。けど、簡単に解決できる問題でもある - 単にぐちぐち悩むのはやめて、全部そのお金をどこかにあげてしまえばいい。世界の貧国についてのアート作品を作って、その売り上げを全部いただくというのは、さすがのオレにもアイロニーが効きすぎている。
 バンクシー(2007年「ニューヨーカー」誌より)

 2009年、EU離脱を前に混乱する議会を猿に代えて描写した「退化した議会」発表。
 2009年、ブリストル博物館・美術館で展覧会「バンクシーVSブリストル・ミュージアム」開催。(入場無料/撮影OK)故郷への恩返し企画となった。
 2010年、アメリカの人気アニメ「ザ・シンプソンズ」のオープニング映像を使いアニメ産業界の搾取を問題化。
 2010年、映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」を監督し公開。
「イグジット・スルー・ザ・ギフト・ショップ」Exit Trough the Gift Shop(ドキュメンタリー) 
(監)(出)バンクシー BANKSY(イギリス?)
(ナレーション)リス・エヴァンス
(出)ティエリー・グエッタ(Brain Wash)、スペース・インベーダー、シェパード・フェアリー
<エンド曲>
「Tonight the Streets Are Ours」(演)(曲)Richard Hawley
LAに住むフランス系アメリカ人ティエリーはストリート・アーティストを撮影するオタク・カメラマン
彼は多くのアーティストを撮影、手伝っていた。それがある日、バンクシーから手伝いの依頼が!
撮影しながらのアシスタントとして彼の活動に協力し始め、信頼を得ます。
そして、今までの映像を編集し記録映画として、バンクシーに見せると・・・
彼は映像ではなく、君もストリート・アートを始またら?そう言われて本気で活動を開始。
そして、自らの資産をつぎ込んで巨大なパフォーマンス・プロジェクトを始めます。 
普通のドラマなら。絶対に失敗するはずのド素人の挑戦がまさかの大成功!
だからアートの世界は面白い?それともインチキ?それもまたアート・パフォーマンスの革命?
いろいろな意味で考えさせられ、笑わせてもらいました。アートって奥が深いし、馬鹿げてる! 

 2013年、一か月にわたり、ニューヨーク市内でゲリラ的に作品を発表。世界的に話題となる。
 2015年、様々な不愉快なもの、不機嫌なものを集めた反テーマパーク、反ディズニーランド「ディズマランド」を英国西部の海岸に期間限定オープン。
 2017年、パレスチナの分離壁前に「世界一眺めの悪いホテル」をオープン。目的は地域振興でもあった。
「バンクシーを盗んだ男」The Man Who Stole Banksy 
(監)(製)(脚)マルコ・プロゼルピオ(イタリア)
(製)(脚)フィイリッポ・ペルフィド(製総)ルチア・ニコライ(脚)クリスチャン・オモデオ(撮)ヤコポ・ファリーナ
(編)ドメニコ・ニコレッティ(音)フェデリコ・ドラゴーヤ、マッテオ・パンサーナ(ナレ)イギー・ポップ
 パレスチナの壁などに描かれたバンクシーの作品。それを壁ごと切り取り売りに出した男の記録。
ストリート絵画は、はがして売ることは可能なのか?そしてそれに意味はあるのか?
はがす奴、売り買いする奴、集める奴、だれもがいけ好かない奴ばかりです。
現代アート・ビジネスに対する疑問と反発しか感じられなくなる作品かもしれません。
ナレーションの声までうさん臭く感じていたら、なんとイギー・ポップでした!
色々な意味で、どこかすっきりとしない作品でした。そこも含めたアート作品ではあるのか?

<参考>
「バンクシー アート・テロリスト」
BANKSY Art Terrorist  2019年
(著)毛利嘉孝 Mori Yoshitaka
光文社新書

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