スペインと3つの民族・地域


<バスク、カタルーニャ、ガリシア>
<懐かしのスペイン>
 昔、僕は一人でモロッコを旅した後、船でスペインに渡り、南から北への旅をしたことがあります。アルへシラス、セビージャ、グラナダ、マドリード、バルセロナと巡る旅でした。食べ物が美味しく、フラメンコ、美術、建築など、見所満載の国でした。
 中でも楽しかった思い出に、マドリードでのサッカー観戦があります。それはアトレチコ・マドリードとアスレチック・ビルバオの試合でした。試合は地元のアトレチコの圧勝だったのですが、アウェーのビルバオの応援も熱烈で試合の前から会場周辺が盛り上がっていました。ビルバオは万年Cクラスの弱小チームで、どこにその街があるのかも当時はよく知りませんでした。(旅の予定にも入っていなかったし・・・)弱小にもかかわらず、必死で応援する姿は、まだ当時の日本では見ることができなかったので実に新鮮でした。(まだJリーグは誕生していませんでした)しかし、ビルバオというチームが、なぜ弱いのか?なぜそこまで熱烈に応援するのか?そこには理由があることが、後にわかってきました。
 その原因は、チームのホームとなっている街ビルバオが、スペインの中でも特殊な地域、バスク地方の中心都市だったからでした。

<独立を目指すバスクとカタルーニャ>
 バスク地方に住む多くの人々は、長年スペインからの独立を求めてきました。そうした民族的な歴史はあるのですから、地元のサッカー・チームを熱烈応援するのは当然のことなのです。ましてや、スペインを長年支配し続けてきたカスティーリャ人の首都マドリ―ドのチームとの試合に燃えないわけはないのです。
 同じことは、レアル・マドリードとバルセロナFCとの試合にも言えます。バルセロナは2018年に独立問題が再燃したカタルーニャの中心都市であり、もし独立が実現すれば、スペイン・サッカーは大変なことになるはずです。そんなことはあり得ないと思う人も多いでしょうが、独立が実現しなくても、あり得ないことではないはずです。なぜなら、英国サッカーにおいて、サッカー代表チームは、英国代表チームは存在せず、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4チームに分かれているのです。そう考えると、スペインだって、スペイン代表とは別に「カタルーニャ」、「バスク」代表チームが誕生することも将来あり得るのです。
 というわけで、以前から気になっていたスペインにおける三つの異なる文化圏(バスク、カタルーニャ、ガリシア)について調べてみました。

<スペインの民族、人種差別>
 3つの民族と主流派のカスティーリャ人の対立だけでなく、スペインでは他国からの移民に対しての差別も他のヨーロッパに比べて高いと言われています。(ビジャ・レアル戦でバルサのダニウ・アウベスが受けた差別行為はその象徴的事件です)
 その原因は、フランコ政権下で行われていたスペイン人(カスティーリャ人)こそが最上級の民族であるという思想教育にあると言われています。
「黒人と白人とは相反する存在であり、黒人とは私たちが考える以上に酷い人種である」
 と教科書に書かれていたのです。だからアフリカを植民地支配することは必要なことである、となるわけです。
 1975年、そんな時代錯誤も甚だしい考えは、フランコの死去により独裁政権が終わったことで過去のものになりました。ところが、それは日本やドイツのように敗戦による過去の否定から始まった革命的で民主的な改革とはちがうものでした。スペインでは過去を否定することなく、復帰した王により少しづつ民主化が進み、その流れで一応人種の平等が語られるようになっただけなのです。
 したがって、1970年代以前に生まれた人の多くは今でもそれ以前の人種差別の意識をそのまま持ち続けている可能性が高いと言われています。
 スペインは、ヨーロッパの中でも最も英語などの外国語をしゃべれる人が少ない国で、今でも「スペインこそ、世界最高の国」という意識が強い国とも言われています。そうした意識が強いからこそ、他の民族であるカタルーニャやバスクの人々は、そこから独立して自分たちの国を持ちたいと考え続けているのかもしれません。(日本とも似ているかもしれません・・・)

<バスク地方> 
 バスク地方とは、スペイン統治下の四つの県(アラバ、ギプスコア、ビスカヤ、ナバラ)とフランス統治下の三県(ラプルディ、低ナバラ、スロベニア)のことです。
 総面積は、20644平方Km(関東地方と同等)で総人口は約265万人です。
 スペインの中では最も雨が降る地域で温暖な気候で、日本的な土地柄とも言えます。国土の多くは丘陵と森林地帯です。
 1833年「第一次カルリスタ戦争」
 バスク地方を中心とするカルロスとマドリードを中心とするイサベル2世が王位継承権をめぐって始めた戦争です。それまでナバラ王国として独立していた地域だったバスク地方はこの戦争に破れて王国は消滅してしまいます。その後もカルリスタ(カルロス派のこと)による独立運動は続きますが、1876年には完全に県の一つとして統合されてしまいます。

<バスク地方の歴史>
 1865年1月26日、ビルバオにサビノ・アラナ・デ・ゴイリ Sabino Arana Goiri が誕生。後にバスク民族主義の思想を確立し、バスク民族主義の父と呼ばれます。
 サビノはバルセロナ大学で法律を学んでいましたが、カタルーニャの独立運動に共鳴。故郷に戻ると、バスク語や民族の歴史、文化を研究し始め、月刊誌「ビスカヤ人」を発行し始めます。
 1894年、後のバスク民族主義党(PNV)の前身バツォーキ・バスク人民センターを創設。
 1898年、ビスカヤ県で地方議員に初当選。バスク民族国家「エウスカディ Euzkadi」の設立を目指し活動を始めますが、スペイン政府から反政府活動として弾圧され、何度も逮捕されることになります。
 1903年11月25日、彼は病のため、38歳の若さでこの世を去りました。しかし、彼の思想は友人アンヘル・サバラらによって継承され、1895年7月31日にはバスク民族主義党(PNV)が創立されました。
 1923年、スペインにはプリモ・デ・リベラによる軍事独裁政権が成立し、これ以後バスク・ナショナリズム運動は活動停止に追い込まれることになります。それでも「バスク青年団」は密かに活動を続け、1930年にリベラが失脚し、共和制支持派が政権を獲得。それを機に再びバスク・ナショナリズム運動が再開することになります。PNVから左派よりの勢力が分派し、バスク・ナショナリスタ行動党(ANV)が創設されます。
 1936年7月18日、スペインでフランコ将軍らによるクーデターが起き、そこから共和派と保守派(フランコ)による内戦が始まります。その状況下でバスクの中心都市ゲルニカでは共和派、社会党、共産党らが集合し、バスク自治政府が設立され、初代大統領には、バスク・ナショナリズム運動の指導者でまだ32歳のホセ・アントニオ・デ・アギレ・イ・レクベ Jose Antonio Aguire が選ばれました。
 1937年4月26日、バスク地方の古都ゲルニカがフランコ派を支援するドイツ空軍によって爆撃されました。この爆撃によって、人口7000人のうち2000人が死亡し、町の71%が焼失しました。この後、バスク地方はフランコの国民戦線によって徹底的な攻撃を受け、6月19日ついに完全に制圧されてしまいます。(アギレは1957年8月24日に祖国の土を踏むことなくパリで死去)
 バスク自治政府は、その後、亡命政府として、バルセロナ、ニューヨークとその拠点を移しながら、活動を続けますが、政治的な力は失われて行くことになりました。この間、バスク側の死者は47800人にのぼり、亡命者は15万人に達しました。
 再び支配者となったスペイン政府は、バスク語の使用を禁じただけでなく、バスク的な名前をも変えさせました。1945年に第二次世界大戦が終わり、フランコの支援者だったナチスは消滅しましたが、フランコ政権は生き残り、バスク民族への弾圧は続くことになりました。
 1959年、「バスク祖国と自由 Euskadi Ta Askatasuna ETA」が結成され、独立に向けた活動を続けることになります。
 1961年7月16日、テロ組織として武力闘争を開始していたETAは、スペイン内戦の記念式典に向かうフランコ派兵士が乗る列車を爆破しようとして失敗します。その結果、数百人のバスク人関係者が逮捕され、弾圧が一気に強まることになります。
 フランコの死後、即位したファン・カルロス一世はフランコによる独裁政治を継承せず、自ら民主化を進めて行きます。
 1974年、41年ぶりに民主的な総選挙が実施され、1978年には憲法が承認され、民主政治が始まります。
 バスク地方の自治権を要求する勢力も多くが議員として当選。同年12月にはバスク地方は暫定的な自治政府設立承認されます。
 ただし、1978年に成立したスペイン新憲法ではバスク地方独立は認められないことになりました。現在でもバスク地方における独立運動は続いていますが、その本気度は地域によって違うようです。

<バスクの有名人>
 「無敵艦隊」を率いて世界の海を制覇していたスペインで、海に面した地方だったバスク地方からは多くの海の英雄が誕生しています。
 ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、大航海時代の探検家としてフィリピンに到達し、その征服者となった司令官です。
 アンドレス・デ・ウレネータは、フィリピンとメキシコ間の太平洋航路を発見した探検家。
 マゼランの死後、その船団の指揮をとり世界一周の大航海を成功させたファン・セバスティアン・エルカも、隠れた偉人と言えます。
 「海の英雄」とは別に海に出てキリスト教を広めることに人生を賭ける宗教者も数多くいました。
 イエズス会の創立者イグナチオ・デ・ロヨラ。
 日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル。
 日本で太平洋戦争中から戦後に渡り布教活動を行ったペドロ・アルぺ神父。
 さらにアメリカの独立戦争を支援したディエゴ・マリア・ガルドキ・ハラベイチャーもいました。

<バスクのスポーツ>
 バスクの有名なスポーツとしては「ハイアライ Jai alai」もしくは「ペロタ・バスカ」(バスク球)と呼ばれる壁を使ったスカッシュに似た競技があります。
<バスクの祭り>
 バスク地方の有名な祭りとしては、パンプローナの「サンフェルミン祭」があります。街中を牛が暴れ回り、人々が逃げ回る怪我人続出の祭りです。 

<カタルーニャ地方> 
<カタルーニャの歴史>
 スペイン北東部カタルーニャはバルセロナ伯家が988年にフランク王朝から独立を果たし、これがきっかけとなり、1137年にカタルーニャ・アラゴン連合王国が成立します。
 地中海に面した港として発展し、貿易と織物製造により経済的に発展。地中海各地に進出しながらその勢力を広げ、イタリアにまでその勢力範囲を広げた時期もありました。
 1348年、ペストの大流行により、50万人だった人口が30万人にまで激減。それにより国力を一気に失い、スペインの支配下に落ちることになります。
 1640年、カタルーニャ市民がスペイン政府に対し、地方自治の権利を求め、「収穫人戦争」を起こします。この戦争は1652年まで続きますが、フェリペ4世率いるスペイン軍の勝利に終わります。
 1701年、ヨーロッパ列強とスペインの間で「スペイン継承戦争」が勃発します。ここでもカタルーニャ人は独立を目指して活動しますが、フェリペ5世はその運動を弾圧します。
 1875年から1902年の間、アルフォンソ12世とマリア・クリスティーナ摂政の時期、スペインでは立憲君主制が行われ、政治的に民主化が進みます。そのため、カタルーニャでは言語・文化の復権運動が一時的ながら復活しました。
 1923年、バルセロナ総督だったプリモ・デ・リベラがクーデターを宣言。国王はプリモを首相に任命し、カタルーニャの自治が尊重される状況となりました。しかし、1929年に始まった世界恐慌により、スペイン国内も経済が破たん。その責任をとって、プリモは辞職し、1931年にスペインでは第二共和制が始まります。急激な民主化が進み、カタルーニャ共和国が誕生。新憲法も制定され、1934年は正式にスペインからの独立を宣言します。
 1936年、フランコ将軍らによる国民派が内戦を起こし、1938年には共和政府派の敗北で終わり、共和国政府はフランスに脱出し、亡命政府として活動を継続するしかなくなります。こうしてフランコが生きている独裁政権が維持されている間、カタルーニャの文化は弾圧され続けることになりました。
 1975年、フランコが死んで独裁体制が終わり、1977年に地方自治権は復活するものの独立に至ることはなく、今に至っています。
スペイン内戦について
  

<ガリシア地方> 
 面積は約3万平方Kmで人口は272万人
 オウレンセ、ルーゴ、ア・コルーニャ、ポンテヴェドラの4県から成立
 大西洋、北海に面し、漁業が盛んな地域で、その漁獲高はスペイン全体の4割
 古代ヨーロッパの先住民族ケルトの末裔が多い地域でもあり、ゲール語やケルトの文化も残っていて、住居跡や遺跡も数多く残されています。
<サンティアゴ大聖堂>
 聖ヤコブの遺体が安置されているとされるキリスト教の聖地で、ガリシア地方の街サンティアゴ・デ・コンポステーラにあります。多くのクリスチャンが聖地巡礼の旅をする場所として有名な観光地でもあります(ヤコブはキリストの弟子12人の一人で、ユダヤの王ヘロデによって死刑にされ、その遺体が運ばれて安置されたとされています)
 1168年、建築家マテドによって教会の建設が始められ、1750年に現在の形に完成しました。(ユネスコの世界遺産に認定されています)
 ガリシア地方は、経済的には貧しい地域で農業生産にも恵まれていなかったかため、海外への移住が多い地域としても知られています。

<スペインと3つの地域>
                                                     
                                                     
                                                             
                                                   
                                                  M マルセイユ
(S)サンタンデール                     B     SS                             (SS)サンセバスチャン 
(SC)サンティアゴ・デ・コンポステーラ         SC                          
                              B    
                                  S                          
  西     M                    
                  T                                  
                                V                  
                                           
(R)リスボン      R                    C                          
(S)セビージャ                     S                                
(G)グラナダ                         G     K                  
                  C   M                                      
          ディ                                        
                                                             
(K)カサブランカ       K                                            

「未知の国 スペイン バスク・カタルーニャ・ガリシアの歴史と文化」 2007年
(著)大泉陽一 Yoichi Oizumi
原書房

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