ビートルズ解散と60年代の終焉

<ザ・ビートルズ解散>

- ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター -

<ビートルズ解散の真実に迫る>
 2009年に発表された「ザ・ビートルズ解散の真実」は、これまで明らかになっていた解散に到るまでのエピソードを時系列でまとめただけでなく、今は亡き人々へのインタビューから新たな事実を加えたヴォリュームたっぷりのノンフィクションです。そして、この本では1960年代末の解散から21世紀まで続く様々な金銭的、法律的なトラブルにもスポットを当てていて、それがビートルズのもう一つの顔として読者を驚かせるはずです。
 このサイトではすでにジョン・レノンポール・マッカートニーリンゴ・スタージョージ・ハリスンのページがあります。そこで、ここではビートルズ解散の直接的きっかけとなった彼らのアルバム「レット・イット・ビー」制作時期のビートルズとその周辺に焦点を合わせて、ビートルズの解散とその時代に迫ろうと思います。

<3人の重要人物>
 「ザ・ビートルズ解散の真実」の著者ピーター・ドゲットは、ビートルズが解散するきっかけとなった重要人物を3人あげています。最初の一人は、やはりオノ・ヨーコです。彼女の登場によって、ビートルズ内部に亀裂が生じ、そこから分裂が始まりました。彼女とジョンの関係が深まったことで、ライバルと同時に最も認めて欲しかった存在を奪われたポールの苦悩こそが、解散の最大の理由だったのかもしれません。ポールはジョンを奪ったヨーコに対抗するため、もう一人の重要人物であるリンダ・イーストマンを愛し、ビートルズの活動現場に登場させることになります。しかし、あまり語られることがないリンダ・マッカートニーの存在もまたポール・マッカートニーを支える重要な存在だったようです。
 ところがリンダの登場は、もうひとつビートルズ解散の原因を生み出すきっかけとなりました。ポールはリンダとの関わりから、彼女の父親リー・イーストマンを自分のマネージメント担当に雇い、アップル社の監査役に抜擢します。それに対して、他の3人は別の人物を信頼しマネージメント担当に指名、4人が設立したアップル社の経営トップに彼を抜擢します。こうして、経営陣に対立構造が生まれ、それがビートルズ内部にも亀裂を生み出す原因となります。そして、そのアップル社のトップこそ、3人目の重要人物アレン・クラインです。

<アップル社>
 もしかすると、ビートルズ解散の最大の原因は、彼らが設立したアップル社にあったのかもしれません。
 アップル社の設立は1968年。その後アップル・グループの中心となるアップル・コア社以外にも、「アップル・ブティック」、「アップル・フィルムズ」、「アップル・エレクトロニクス」、「アップル・パブリッシング」などの企業が誕生しています。ではその設立理由はなんだったのでしょうか?
 実は、その理由は「創造的な理由」ではなく、「金銭的な理由」でした。ビートルズが稼ぎ出した巨額の利益に対し、英国政府は300万ポンドの所得税を支払わせようと動いていました。(今のレートなら56億円!)それに対し、節税のプロたちは会社の設立を提案。ビートルズの4人がアップル社という企業の社員になることで、それを回避しようとしたわけです。アップル社はその巨額の売り上げを別の事業に投資することで、利益が上がることを回避すればいいわけです。
 こうして設立されたアップル社のトップには、アレン・クラインが就任し、監査役にはリー・イーストマンがつくことになりました。節税対策で設立されたアップル社ですが、表向きの理由はあくまでも創造的な事業を行うための拠点として設立されたとされていました。当時、ポール・マッカートニーは、アップル社の設立についてこう語っていました。

「ただ金儲けのために金を集める代わりに、ぼくらはアップルのビジネスを、ある種、西欧型のコミュニズムのようなかたちで構築したいと思っている」
「ビジネス的な構造の中で、アーティストとしての自由を得られるかどうか、経費の3倍もの値段を課さずに、作品を作り上げ、それを売ることが可能かどうか」


 そんな理想を目指していただけに、アップル社は大衆にも創造的な夢をかなえるためのチャンスを与えようと動き、一般から作品を募集し始めました。
「もしきみがシンガーなら、ぼくらのためにうたってくれ」
「もしきみが作家なら、ぼくらのために書いてくれ。ぼくらにテープと写真を送ってほしい」

 しかし、こうした企画のほとんどは手つかずのまま放っておかれ、アップル社には膨大なカセットや原稿が起こられてきたまま山積みになっていたといいます。アップル社の目標は素晴らしいものでしたが、残念ながらそれを実行できる人材がいないだけでなく、4人のメンバー自身もまだ夢見る子供の域を出ていませんでした。

「あれは基本的に、カオスだった」とハリスンはあの時代を振り返っている。「ぼくらはなにも考えずに、大金をドブに捨ててしまったんだ。あれは、パートナーシップなんて絶対に結ぶもんじゃないという教訓だった。なぜってほかのだれかとパートナーシップを結ぶと、もうなんの手出しもできなくなるからだ。それにあの時点でぼくらは、とてもナイーブだった。・・・」

 しかし、こうしてアップル社のトップに立ったアレン・クラインの存在が後に大きな問題を生み出すことになります。

「あいつをアップルに連れてきたのはわたしだった」とデレク・テイラーは認めている。
「でもビートルズは、しっかり警告しておいたんだ。いろんな評判のある男だから、話しを聞いて回ったほうがいい、金銭的には条件のいい契約を取ってくるかもしれないが、実家のおふくろさんに紹介したくなるような男じゃないかもしれない、とね」


・・・ビートルズの周辺人物の中で、アレン・クラインほど歴史家から手厳しい評価を受けている者はいない。ある者はクラインを「小さいタフなサソリ」と呼び、ある者は「早口で口汚い・・・だらしない服装をした太り過ぎの男」、またある者は「目をギラつかせ、髪をグリースでべったりなでつけた、デブのチビ」と呼んだ。ビートルズの側近だったアリステア・テラーは「壊れた便座の魅力をすべて兼ね備えていた」と評している。

 この 怪しげな男にアップルの実権が移ると、ビートルズのメンバーは自分たちの利益を自身で利用することが困難になってゆきます。

 レノンにとってのアップルはもはや、自由という幻想を与えてくれる場ですらなくなっていた。「問題はオレたちの会計士が、二年前に、オレたちの印税80%をアップルに入れるようにさせたことだ」と彼は説明している。
「オレたちは手を触れることすらできないなんて、おかしいと思わないか。金は全部この小さなビルに入って、絶対に出てこない。もし会社から自分の金を引き出せたら、オレはケツをまくって自分のプロジェクトを独自にやりだすだろう。

 もちろん、彼らはそれによって節税が可能になるのだということは理解していたはずですが・・・
 1960年代末、メンバーそれぞれが個性を発揮するようになり目標を別々にもつようになった時、自分たちを守るはずの会社に自由を奪われたことを実感するようになり、不満をつのらせることになりました。そうした状況の中、アレン・クライン側の3人(ジョン、ジョージ、リンゴ)に対し、イーストマン側のポールは常に少数派として意見を無視される傾向にあり、より不満を感じていたと考えられます。なぜなら、会社の方針を決める際、4人には一人一票の権限が与えられていたため、3体という結果になりがちだったのです。このことが明確になり、作品にまで大きな影響を与えることになったのが「レット・イット・ビー」の録音と発売に関するトラブルです。

<「レット・イット・ビー」録音秘話>
 1968年1月30日ロンドンのアップル・ビルディングの屋上であの有名な屋上ライブが行われました。ところが、それ以前から行われていたアルバムのための録音は、すでに危機的状況にありました。ポールとジョンの対立だけでなく、ジョージもまたポールの指示にうんざりしていて、録音どころか4人そろって演奏することすら困難になりつつありました。この日もいつ撮影が中止になってもおかしくない険悪な状況でした。どうやらそれを救ったのは、5人目のビートルズと呼ばれた男、ビリー・プレストンだったようです。

「<レット・イット・ビー Let It Be>のアルバムと映画を救ったのは、ビリーだと思う」とデレク・テイラーはコメントしている。
「おかげでビートルズのメンバー全員が、目いっぱい行儀よくしたら、お客さんに失礼だろ。リヴァプール風のこき下しはビリーの前じゃ禁物だった。彼はあの場にいられることを楽しんでいたし、その気持ちはビートルズにも伝染した。とにかくだれかがなにかをしてくれて、ほんとうにありがたいと思ったのを覚えている。それぐらい、当時の雰囲気は最悪だった」


 こうして、なんとか「レット・イット・ビー」の録音は完了しました。しかし、ケンカ腰のメンバーが集まっての録音が良い作品になるとは思えません。その上、できあがった録音についてポールはその後関与をいっさいせず、仕上げの作業はプロデューサーに抜擢されたフィル・スペクターにまかされることになります。

 レノンは - 「彼はずっとビートルズと仕事をしたがっていた。そして録音のひどい - しかもろくに気持ちもこもっていない - クソの、史上の最高にクソっぽい山をあてがわれた。それをあの男はなんとかかたちにしてくれたんだ。最高ってわけじゃないが、聞いてても吐き気を催さなかった。ほんとうにホッとしたよ」

 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」におけるオーケストラ・アレンジは、アレンジャーのリチャード・ヒューリンによるものでしたが、この変更をポールは後に許せないといいだします。(その変更を彼は知らされていたはずですが・・・)こうした様々なフィル・スペクターによる変更は、このアルバムを生き返らせたと考えられていますが、ポールはこれ以後、フィル・スペクターを生涯許すことはありませんでした。
 さらにこのアルバムは、ポールにもうひとつ大きな衝撃をもたらしました。実は、この時期メンバーそれぞれがすでにソロ活動を始めていて、ポール自身もソロアルバム「ポール・マッカートニー」の録音を終えていて、発売を目前に控えていました。ところが、そのアルバムの発売予定日と「レット・イット・ビー」の発売日が1週間しかずれていないことがわかります。そのままだと2枚のアルバムがお互いの足を引っ張ることになるはずでした。そこでアップル社のトップになったばかりのアレン・クラインとポール以外のメンバーは、ポールのアルバムの発売延期を決定。すでに会議に現れなくなっていたポールにリンゴが手紙を書いて連絡したのでした。(この時、ポールは自分の家の電話番号もメンバーやクラインに教えていなかったのです!)そして、その手紙を受け取った直後、ポールはビートルズからの脱退をマスコミに宣言することになったのです。

<再結成の可能性>
 1970年4月、こうしてビートルズは実質的な解散状態に入りました。しかし、メンバーはそれぞれアップル社の経営者として関わりを持ち、ソロ活動でも同じスタジオを使用するなど、つながりがなくなったわけではなく、再結成の機会も何度かあったようです。
 1973年、ビートルズ解散の引き金となった人物の一人であるアレン・クラインがアップル社を離れた時も、そのチャンスだったといえます。クラインの仕事に不満を持つようになったポール以外のメンバーが契約完了を機に彼を追い出したことで、メンバー4人がまとまる可能性が一時的に高まったのです。

「ジョージから電話があって、『クラインと再契約しない』と言われたんだ」と彼はふり返っている。
「理由を訊くと、『ビートルズがまた一緒になれる唯一の条件は、アレンがその場にいないことなんだ』という答えが返ってきた。『ぼくはもうその気だし、リンゴもそうだ。ジョンも、ぼくらと同調するよう説得できると思う。でもとにかくヴぼくらがポールと仕事をするつもりなら、クラインをお払い箱にするしかないんだよ』」


 ところが、事態はバンドの再結成どころではなくなってしまいます。クビにされたアレン・クラインがビートルズへの逆襲に動き出したからです。クラインはビートルズのメンバーを相手に様々な訴訟を起こします。彼が肩代わりしていた個々のメンバーの借金は多額になっていて、それを彼らに請求、それ以外にもやり手のクラインは次々にアップル社への訴訟を起こしたのです。アップル社は最も相手にしたくない人物との闘いをする必要に迫られました。こうして、ビートルズ関連の膨大な訴訟合戦が始まることになりました。幸いこの時期、ビートルズはあの大ヒット「赤盤」、「青盤」のベストアルバムを発売していて、訴訟のための資金はありました。しかし、この無駄な訴訟合戦で得をしたのは、そこに関わった弁護士たちだけだったようです。
 訴訟社会アメリカを象徴する事件に巻き込まれたビートルズのメンバーは、ここからミュージシャンとしての仕事とは別に企業家としての顔も持たざるを得なくなったのです。

・・・四人は今や法律専門家の駒として、そして大活躍のアーティスト兼エンターテナーとして、ふたつのまったく相容れない世界に暮らしていた。彼らの音楽は商売人たちへの支払いに充てられる金を生み出し、その一方でレノン、マッカートニー、ハリスン、そしてスターキーは、そうした問題がいっさい自分たち、あるいは自分たちの作品には影響していないふりをしつづけたのである。

<法律的解散>
 この時点でもまだビートルズは法律的に解散したとはいえませんでした。アップル社にとって、ビートルズのアルバムは最大のヒット商品であり、ソロ活動によるアルバムの売り上げもまたビートルズの収入として扱われ、利益はメンバー4人に4等分されることになっていたのです。ビートルズのメンバーが、完全に自由に活動できるようにするためには、それまでの活動で生み出される収益を分割する方法を定めなければならず、その決着がついたのは1975年のことでした。
 1975年1月9日、ロンドンの高等法院が出した結果は以下のようになります。
(1)1974年10月以前の作品については、グループ作品、ソロ作品に関わらず収益は4等分する。
(2)1974年10月以降の作品は、ソロの場合は収益は各自のものとする。ただし、4人はアップル・コア社の共同所有者であり続ける。

 こうしてアップル社は、何かを創造する会社というよりも、ビートルズという過去のバンドの印税で収益を上げ、それを4人に配分する窓口会社となったのです。こうした金銭面だけのトラブルだけでもメンバー間の心中の複雑さがわかりますが、彼らには他にも女性問題、アルコールや薬物への依存、宗教や政治への深い関わり、ソロ活動を始めるにあたっての不安など、様々なトラブルも抱えていました。よくもそんな状況でそれぞれ代表作を生み出せたものだと思います。「ジョンの魂」、「リンゴ」、「オール・シングス・マスト・パス」、「バンド・オン・ザ・ラン」などの作品群は、彼らがビートルズ時代にため込んできたそれぞれの思いやストレス、情熱が生み出した傑作だったのかもしれません。
 しかし、4人のメンバーはこれらの名作を発表した後、全員がスランプに陥ることになります。それぞれの苦悩については、個々のページをご覧ください!
 そんな中でも、ポールについてはビートルズ解散の実行犯とも言われていただけにその苦悩は大きかったはずです。

 個人的な悲しみなど、彼にかけられた呪いの一端でしかなかった。マッカートニーは終生、歴史における自分の位置をめぐって、ヨーコ・オノと闘わなければならなくなった。そこには今や、三人のビートルとひとりの聖人がいた。おそらくはそれが、マッカートニーにとってなによりも残酷な運命だった。彼はレノンの愛を取り戻すことしか望んでいなかった。それなのに、本来はとっくに彼のものであるべきだった正当な評価を得ようと思ったら、レノンの思い出と競うしかなくなってしまったのだ。

 思えば、僕がビートルズの曲を聴いたのは解散後のこと、そのためビートルズがなぜ解散したのかなど、まったく知ることもなく、近いうちにビートルズは再結成するものと思っていました。しかし、そんな多くのファンの思いに「ジョンの死」は完全にとどめを刺すことになりました。彼の死によって、ビートルズは永遠に失われ、それとともに1960年代の夢にも終止符が打たれたといえます。

 人々は総じて、ビートルズには現実を変容させ、過去を作り直す力があると信じていたが、彼らに期待するものは、それぞれに違っていた。現実であれ、空想であれ、1967年の楽園に送り返してほしいと願う人々がいる一方で、もっと控えめな願いを持つ人々もいた。彼らは単に、60年代の夢とは決して合致することのなかった人生を、ほんのひとときでも忘れ去りたいと願っていたのだ。

 もちろんビートルズは解散しても、メンバー全員がこの世を去ったとしても、音楽として映像として残り続けるでしょう。いつしか、バンドメンバーの対立や様々なトラブルも過去のものとなり、クラシック音楽のように純粋に音楽として聴かれるようになるのかもしれません。(もうそうなりつつありますが・・・)
 ただし、ビートルズという音楽史を変えたバンドが、なぜ長く活動を続けられなかったのか?その理由について考えてみることは、意義があるかもしれません。特に「ザ・ビートルズ解散の真実」で明らかにされているのは、アップル社の設立から始まった金銭問題がバンドの方向性を大きく変えたということです。メンバーが自由な音楽活動をしやすくするために作ったはずの会社が、いつの間にかメンバーをバラバラにしてしまったのです。
 最後にアップル社と社名使用について争っていたスティーブ・ジョブズのアップル・コンピューター社との法廷闘争についてご紹介します。

<アップル・コンピューターとアップル社>
 もとはと言えば、創業者のスティーブ・ジョブズがアップル・レコードに憧れて社名に「アップル」を使ったと言われる「アップル・コンピューター社」。ところが、いつの間にかこのベンチャー企業が大きくなってしまったことから、本家アップル社が社名の無断使用として訴訟を起こしました。しかし、この時は業務内容が異なる会社だったとこもあり、今後、音楽産業への進出はしないという制約を行ったことで和解になりました。ところが1990年代に入り、アップル・コンピューターは音楽配信ビジネスに進出。再び、社名使用の問題が浮上し、裁判が始まることになりましたが、ところがその結果は予想外のものになります。

 両陣営は2007年2月に和解したが、停戦の条件は驚くべきものだった。アップル・コア社はアップルのトレードマークの所有権をすべてアップル・コンピューターに譲渡し、お返しに彼らはビートルズの会社に従来の名称を改めてライセンスする。発足から40年をへて、そもそも資本主義システムの代替手段として構想されたアップル・コア社はもはや、忠実に守ってきたとも言える企業の認可抜きでは当のグループ以上にビートルズの当初の理念を存続できなくなってしまったのだ。

 アップル社は今でも存在しますが、それは名目上も実質上も過去のアップル社とは遠くかけ離れたものとなりました。

<最後に>
 ビートルズのファンにとって、このページはなくていのかもしれません。解散にからむ様々なゴタゴタを知っても残念なだけだからです。金銭問題、女性問題、麻薬・アルコールへの依存、バンド内も権力闘争、政治・宗教へののめりこみ、様々な法廷闘争、ソロ活動への精神的不安・・・問題は山積みでした。ファンとしてはガッカリの事実ばかりです。でも、そんな問題ばかりの中で、あの素晴らしい音楽が生み出されたのだとしたら、それは凄いことです。
 思うに、ビートルズのメンバーはあまりにも純粋すぎたのかもしれません。だからこそ、素晴らしい音楽を生み出しながらも、多くのトラブルを抱え込むことにもなったのです。でも、21世紀の今、彼らのように純粋に音楽や恋や仕事に挑むことは、もう難しいのかもしれません。たぶん1960年代と共にそんな純粋な時代は終わりを迎えてしまったのです。
 ビートルズ解散の真実を知ることは、そんなひとつの時代の終わりを確認するために必要なことかもしれません。

 直接的な解散の理由とは別に彼らが分裂した根本理由には、彼らの育ての親であるブライアン・エプスタインの死があったのも確かです。彼がもし生きていれば、ビートルズメンバー間の関係修復にそれなりの貢献はしたのでしょうから・・・。
「エプスタインが死んだあと、私たちは崩壊したのです。
 ポールが主導権を握り、私たちをリードしたことになっていますけど、結局は堂々めぐりだったのですから、リードするもなにもなかったのです。そのとき、私たちは、解体しました。」


<参考>
「ザ・ビートルズ解散のの真実 You Never Give Me Your Money / The Battle for the Soul of THE BEATLES」
 2009年
(著)ピーター・ドゲット Peter Doggett
(訳)奥田祐士
イーストプレス

<関連ページ>
ビートルズ・デビュー  ジョン・レノン ポール・マッカートニー  ジョージ・ハリスン リンゴ・スター 

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