「BECK」 2010年

- 堤幸彦 Yukihiko Tutumi -

<日本映画ヒットの王道>
 マンガのアニメ化、そして、そのヒットを受けての実写化。この映画は、21世紀日本の映画界における王道ともいえる企画です。音楽をテーマにした異色のマンガである原作は、絵と言葉によって音楽を読者に想像させることに成功。高い評価を得て、大ベストセラーとなりました。しかし、そのアニメ化にあたっては、マンガにはなかった音楽を加えることが必要とされ、困難が予想されました。
 この難問に対して、楽曲の提供と演奏を担当したビートクルセーダーズや若手のミュージシャンたち(平林一哉、小川達三、Sowelu)は、見事に結果を出しました。彼らはマンガのもつイメージを見事に音楽化。アニメ版「BECK」は、それまでにないアニメ・シリーズの傑作となりました。「のだめカンタービレ」や「スウィング・ガールズ」には、既存の名曲という強い助っ人がいますが、「BECK」はオリジナルの楽曲で勝負したのですから大したものだと思います。
 当然、今回の実写化にあたっても、楽曲の良し悪しが映画全体の成否に大きな影響を与えることは明らかで、再びそのためにアニメ版とは異なる新しい楽曲が作られました。それらの中の重要曲、「エヴォリューション」や「ムーン・ビーム」などの新曲は十分にいいできだったと思います。「音楽映画」としての「BECK」は、ある意味最大の難関はクリアできていたと思います。
 しかし、多くの人が主人公コユキの「歌声のない歌」には疑問を感じたかもしれません。この作品に対しての評価が、その「歌声のない歌」をどう考えるか?にかかっているのは間違いなさそうです。

<歌声のない歌>
 マンガは音楽を描けない。だからそこに音楽がないのは当然のことでした。しかし、映画とは映像と音からなる総合芸術です。そのため、小説を映画化することは、登場人物やその背景を創造し描き出して映像化する行為でもあります。物語を進める上で、登場人物のしゃべる声や背景の音は、時に重要な役目を担いますから、それは映画にとってなくてはならない存在だといえます。
 映画の歴史においてサン=サーンス以降、映画には背景音とは別に「映画音楽」というもうひとつの創造的な背景音が加わりました。「映画音楽」は、音楽によって作品を演出するもうひとつの方法として確立されてゆきます。(時にそれがやりすぎになる場合も多いのですが・・・)
 しかし、この映画の場合、BECKが演奏する音楽は、「背景音」のひとつではなく、彼らが発する「セリフ」と考えるべきだと思います。それは観客の感情を盛り上げるための効果音ではなく、俳優たちの思いを伝えるための感情表現手段なのです。ということは、最後の最後にコユキの歌声を消してしまったことは、主人公による最後の告白を消し去ったことにならないのか?かろうじて、字幕によって歌の歌詞が示されてはいましたが、それで彼のメッセージが伝わったとはいえないでしょう。
 しかし、もしかすると観客は、字幕に示された歌詞に合わせて歌うことを求められているたのかもしれません。それぞれ思い思いの歌声、メロディーで・・・・・。
 ある人は、ジョン・レノンの歌声を思い浮かべたかもしれません。うちの息子ならアジカンの後藤正文のように歌うかもしれませんし、キャロル・キング、ボブ・マーリー、ノエル・ギャラガー、オーティス・レディング、清志郎・・・様々な歌声が思い浮かんできたことでしょう。
 見る人、聞く人、それぞれに想像力を働かせる場、参加する場を与えてくれる作品。それこそが最高の芸術作品のはず。その意味では、「歌声のない歌」は、けっして間違ってはいないと思います。ただし、「歌声のない歌」の場面、それは一箇所だけにしてほしかった。何度もあると、見ている方が、あっまた口パクか?と先を読んでしまいスリリングさが失われてしまいます。当然、感動もそこなわれてしまいます。ちなみに、アニメ版ではコユキは何曲も歌っていて、「歌声」がなかったわけではありません。吹き替えをしてもいいから、コユキに一度は歌わせてほしかった。例えば、ベルベット・ヴォイスをもつ和製マーヴィン・ゲイ?こと、「さかいゆう」なんかどうでしょうか?
  さて、あなたにはコユキの歌声がどんなふうに聞こえましたか?

<日本一のワーカホリック監督>
 テレビ版の「TRICK」(2000年)で堤幸彦監督作品にはまって以来、僕は彼の作品をけっこう見てきました。「TRICK」の映画版、「明日の記憶」(2006年)、「包帯クラブ」(2007年)、「自虐の詩」(2007年)、「二十世紀少年」(2008〜2009年)など、ホラー、コメディ、SF、シリアス、文芸物、異なるタイプ、異なるジャンルの映画を年に二本以上のペースで撮り続ける彼は、その間テレビ番組も手がけており、いったいいくつ身体があるのか?という働きぶりです。
 彼は映画監督になる以前、テレビ番組のディレクター、CM制作などで長い下済み生活をしてきました。そのためなのか、彼は映画を撮るために時間を惜しむことをしません。撮りたい映画がありすぎて休んでいる暇がないといった仕事ぶりです。日本映画界一のワーカホリック。それが堤幸彦監督です。
 もし、この映画を自主制作もしくはインデペンデントの映画監督が撮ったとしたら、BECKのメンバーは若手のミュージシャンたちからオーディションで選ばれ、本物のバンドとして育て上げてゆくことができたかもしれません。上手くすれば、バンドもの映画の傑作アラン・パーカーの「ザ・コミットメンツ」の日本版になれたかもしれません。
 しかし、今や日本を代表する売れっ子監督となった堤監督にはそうした時間をかけた映画を撮ることは不可能でしょう。彼には一年以内に映画を完成させ公開させるという使命が与えられていたはずです。そのため、彼には「時間」の代わりに、BECKのメンバーとして芸能界から限りなく原作に近い役者を与えられました。
 竜介(水嶋ヒロ)、コユキ(佐藤健)、千葉(桐谷健太)、真帆(忽那汐里 )、斉藤さん(カンニング竹山)などは特に原作にピッタリです。これ以上は考えられない顔ぶれです。こうして、絵的に最高の役者たちを揃えたことで、この映画は音楽的には妥協せざるをえなくなったともいえそうです。

<映画とは妥協の産物>
 良い楽曲を得て、良い役者を得て、良い原作を得ているのですから、これで面白くならないわけはありません。
多少演出があざとかったり、無意味に特別出演で芸人を使って受けを狙ったり、長い物語を追うために余韻を味わう暇がなかったり、個々の登場人物の描き方が浅くなったり、この映画、ケチをつければきりがありません。(「二十世紀少年」よりは全然ましだとは思いますが・・・)
 でも、青春映画、ロック映画の名作とは昔から決して完成度の高い映画ではありませんでした。「イージー・ライダー」、「ブルース・ブラザース」、「シド&ナンシー」、「ザ・コミットメンツ」・・・。
「顔を上げてギターを弾きまくらないと伝えたいことが、伝わらないじゃない!」
 真帆ちゃんのこの言葉に従うように作られるべきなのが、本物のロック映画なのかもしれません。それはそれで映画のスタイルとしてOKだと僕は思います。ダメなところだらけな若者たちを描くからには、同じようにダメなところがあってもいいんです。映像スタイルは、その内容から自然に生まれてくるものであってもいいはずです!

<気になること>
 ところで、竜介が盗んだギターの名前は「ルシール」といいますが、その名前はブルース界の大御所B・B・キングが愛用していたギターの名前からとられているはずです。そのルシールの持ち主だったブルースマン、サニーボーイの名前は、B・B・キングよりさらに昔のブルースマン、サニーボーイ・ウィリアムソンからとられているのでしょう。竜介の命を狙う黒人プロモーター、リオン・サイクスを演じているのは、「マルコムX」、「ドゥー・ザ・ライトシング」の監督スパイク・リーの弟サンキ・リーです。
 この映画は、ブルースやギターが好きな音楽ファンにとっては、さらに細部まで楽しめる作品で、中でも斉藤さんのギター教室の場面も登場するギターとそのギタープレイが実に楽しめます。この場面は、もっとも長く見せて欲しかった!
 最後に、この映画最大のヒーローは誰か?僕としては、コユキも竜介も良かったですが、桐谷演じる千葉くんが最高だったと思います。桐谷健太は、TVドラマ「タイガー&ドラゴン」のチビTから気になっていたのですが、この映画の千葉くん役は最高でした!ギターもいいけど、やっぱりバンドの主役はヴォーカル&MCでしょう。歌って、目立ってなんぼですよ!
 桐谷!カッコ良かったぞ!

<あらすじ>
高校でいつもいじめられている何のとりえもない高校生コユキ。将来に対し何の展望も夢もなかった彼は、ある日アメリカ帰りのギタリスト、竜介と出会います。迷子になっていた彼の犬ベックを助けたコユキは竜介の家でギターを教えてもらうことになります。しかし、そのギターを学校で壊されてしまったコユキは、竜介に家から追い出されてしまいます。彼は壊れたギターを治すためバイトを始めます。そして、そのバイト先の社長、斉藤さんからギターを習い始めます。その後、ギターを壊れされた理由を知った竜介は、コユキに謝ります。彼の練習成果を聞いた竜介は、その上達振りに驚かされ、彼をバンドに入れることにします。こうして、竜介を中心にしたバンドにコユキが加わり、新たなロック・バンド「BECK」が誕生します。彼らが目指すのは竜介のかつての友人エディー率いるダイイング・ブリードに匹敵するロック・バンドになることです。しかし、そんな彼らの前に思わぬ障害が現れます。そして、バンドに解散の危機が訪れます。

「BECK」 2010年
(監)堤幸彦
(原)ハロルド作石
(脚)大石哲也
(撮)唐沢悟
(音)GRAND FUNK ink.
(音プロ)茂木英興
(出)水嶋ヒロ、佐藤健、桐谷健太、向井理、中村蒼、忽那汐里 、カンニング竹山、サンキ・リー、松下由樹

<追記>(2013年8月)
 堤幸彦は、1955年愛知県生まれ。テレビ制作会社で長くカラオケの番組で地方を回っていた。その後、テレビ・ドラマなどの演出を手がけるようになります。
1986年には作詞家の秋元康らとともにクリエイター集団「ソールドアウト」を設立。
長い下積みの後につかんだ映画監督という仕事なだけに、どんなタイプの映画でも、どんなにきつい現場でもこなすことができる監督となった。
「バカヤロー!私、怒ってます」(1988年)、「猿岩石 愛と笑いの珍道中」(1997年)、「金田一少年の事件簿 上海人魚伝説」(1997年)
「ケイゾク/映画」(2000年)、「トリック劇場版」(2002年)

・・・それは創成期の映画、たとえばメリエスやキーストンの短尺もののサレントコメディからの流れをくむ「映画的」な姿勢であり、その点において「ケイゾク/映画」は「映画」として評価されるべきものでありながら、同時にテレビの趨勢がひととおりの完成を見たのちに、テレビ的な手法と構造によって映画にアプローチしているという安易な手法を「古くさい」と非難すべきものでもあり、テレビに見慣れた目に迎合して人々の支持をあおいだとしても、映画そのもののくだらなさは変わらないのだが、人々記憶に残されたこの映画の傷痕は、いつしか勝手に成長し、この映画をまったく新しい作品として蘇らせることになるかもしれない。
 そのとき、この映画は観客たちの懐かしい故郷となって、どうしようもない映像のすみずみまでもが人々の目に輝いて映ることになるだろう。

田中英司「現代・日本・映画」より

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