「ベルリン・天使の詩 Der Himmel Uber Berlin」 1987年

- ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders -

<ベルリンという街>
 ベルリンという街は東西ドイツを隔てる壁の存在により、戦後の世界を二分した資本主義と共産主義が対立する状況を象徴する場所として常に注目を浴びてきました。当時のベルリンは、イスラム教とユダヤ教、キリスト教がそれぞれ聖地として崇めるエルサレムの街以上に世界にとって危険かつ重要な場所だったといえるでしょう。
 その壁が、東ドイツ政府によって国民の移動制限が撤廃されたことをきっかけに、いっきに崩壊してしまったのは1989年のことです。したがって、この年1987年はベルリンが東西分裂の象徴だった最後の頃に撮られた作品ということになります。この作品のストーリーにベルリンの壁のことは直接関係はありませんが、あと2年遅くこの作品が撮られていたら、この作品はまったく異なる内容になっていたように思います。この作品のタイトル、そして原題「Der Himmel uber Berlin(ベルリンの空の上)」にもあるように、この映画の主役はベルリンという長い混乱の歴史をもつ街そのものなのですから。そして、壁がまだ存在していたからこその緊張感と重苦しさがこの映画の大きな魅力となっていたのは間違いないのです。劇中のライブ・シーンの暗く重苦しい雰囲気も、当時のベルリンの雰囲気を反映するものだったはずです。
 この作品では、ある日そんなベルリンの歴史を見続けてきた天使の一人が人間としてゼロから生きる感動を味わう道を選びます。しかし、それは笑いや喜びだけでなく心の痛みや憎しみをも受け入れるという厳しさを伴う選択でした。生きてゆくために必要な重荷を背負ってこそ、人間として生きるための準備が整ったといえるのですから。そして、そんな主人公の選択の後を追うようにしてこの映画のもうひとりの主人公ベルリンの街もまた新たな再生への道を選択することになります。わずか2年後に東西ドイツが統一されることになるとは、この時点では誰もが思いもしないことでした。

<ヴィム・ヴェンダース>
 この映画「ベルリン・天使の詩」を撮ったヴィム・ヴェンダース Wim Wendersは、1945年8月4日ドイツのルール工業地帯の中心都市デュッセルドルフで生まれています。父親が医者ということもあり、大学では医学と哲学を学ぶものの中退してしまい、大好きだった映画の道へと進みます。1967年ミュンヘンにできたばかりの映画テレビ大学に第一期生として入学。短編映画を撮りながら雑誌に映画批評を書き始め、1971年にはウェルナー・ファスビンダーらとともに映画作家協会を設立します。
 彼はジャン=リュック・ゴダールヌーヴェル・ヴァーグの監督たちから大きな影響を受けていますが、それより先にニコラス・レイジョン・フォードなどアメリカの監督たちの大ファンだったといいます。そして、彼はアメリカからやって来たロック・ミュージックからも大きな影響を受けていました。こうした、アメリカ文化からの強い影響は、我々日本人が太平洋戦争後、アメリカの占領下でその文化の影響を強く受けたのと良く似ています。しかし、何といっても彼が最も強い影響を受けたアメリカ映画は「イージー・ライダー」や「断絶」(1971年のモンテ・ヘルマン監督作品)など、ニューシネマ系ロードムービーの数々でした。彼は「イージー・ライダー」についてこう語っています。
「(イージー・ライダーでは、)音楽が映像をなぞるのではなく、映像のテーマとなっている」
 こうして彼は、音楽をかけながらそれに合わせて映像を撮る実験的作品を作ったりしながら独自の映像作品を発表するようになってゆきます。彼の長編映画デビュー作はペーター・ハントケ原作の「ゴール・キーパーの不安」(1971年)です。ペーター・ハントケはヴェンダースの学生時代からの友人であり、文学者、脚本家としてヴェンダース作品で、この後も重要な役割を果たすことになります。「ベルリン・天使の詩」も彼が脚本を書いており、彼が生み出す創造力豊な台詞の数々は登場人物たちを生き生きとした存在に見せると同時に映画に深い味わいを与えています。

<ペーター・ハントケ>
 ペーター・ハントケはヨーロッパ・アバンギャルド文学を代表する存在で、1942年12月4日オーストリアに生まれています。高校卒業後、牧師を目指して神学校に入学しますが、その後、その望みを捨ててグラーツの大学に入学し法律を専攻します。その間、彼は芝居の世界にもはまり、1966年「観客罵倒」という前衛劇の台本を書き、一躍時の人となります。その後は、詩、戯曲、小説、脚本など文学全般で活躍し、ドイツ文学を代表する存在となります。1977年には、ヴェンダースの協力を得て、映画監督にも挑戦。「左利きの女」という作品を発表しています。

<ロード・ムービー三部作>
 1970年代、ヴェンダースは「ロード・ムービー三部作」と後に呼ばれる作品「都会のアリス」(1973年)、「まわり道」(1975年)、「さすらい」(1976年)を次々に発表。その存在はドイツだけでなく世界各地に知られようになります。彼が憧れていたアメリカの映画界でも彼への注目が高まり、彼の次作「アメリカの友人」(1977年)を見たフランシス・フォード・コッポラからハリウッド進出の誘いが来るに至りました。こうして、実現したのが彼にとって唯一のハリウッド・メジャーの作品「ハメット」(1982年)でした。
 しかし、この撮影で彼はハリウッド式の映画製作システムと衝突。作品のできもいまひとつでしたが、それ以上に彼はハリウッドとは異なる自分なりの映画製作方法を貫く必要性を実感します。こうした状況の中で彼が撮ったのが1980年にニコラス・レイと共同で監督した「ニックス・ムービー/水上の稲妻」でした。この映画は、癌と闘いながら映画を撮る彼の敬愛するニコラス・レイを追ったドキュメンタりー作品です。死を目前にしたニコラス・レイの痛々しい映像は彼の死まで撮り続けられ、彼の死後はヴェンダースが撮影と編集を受け継いで完成にこぎつけました。ニコラス・レイは最後に「ハリウッドに近づくな!」と言い残して、この世を去り、その言葉のとうりヴェンダースはドイツに戻ると再び独自のスタイルで映画を撮り始めます。こうして、生まれたのが「ハメット」撮影時のドタバタをもとにした「ことの次第」でした。「ことの次第」は、ある映画監督がハリウッドのプロデューサーから資金が不足し、監督自らハリウッドに行ってプロデューサーに資金の追加を願い出るという、まさに「ことの次第」を描いた作品でした。
 ハリウッド式の映画作りに懲りた彼は、1984年再びアメリカを舞台に大好きなロード・ムービー「パリ・テキサス」を発表しますが、この映画は「ハメット」とは異なり少人数のヨーロッパ人スタッフとともにアメリカでロケを行った作品でした。そして、その結果彼は「パリ・テキサス」でカンヌ映画祭のパルムドールを受賞することになります。

<小津安二郎>
 1985年、彼は日本で撮影を行ったドキュメンタりー映画「東京画」を発表しています。この作品は、彼が尊敬する日本が生んだ巨匠小津安二郎がかつて描いた東京の街を撮りながら、小津が愛した東京のかつての姿を浮かび上がらせようとした作品でした。彼は小津の足跡を追うことで自らの撮るべき映画の方向性を模索していたのかもしれません。
「『東京物語』は偉大なロード・ムービーである」といった彼らしい東京の映像の数々は日本人の我々が見ても新鮮な魅力がありました。この作品はこの後ヨーロッパに広がる日本ブームの先駆けとなったともいえるかもしれません。
 「ベルリン・天使の詩」は今は亡き3人の監督に捧げられています。一人はヌーヴェル・ヴァーグの中心メンバーだったフランソワ・トリュフォー、もう一人はロシアを追われフランスで客死した「鏡」「惑星ソラリス」などの監督アンドレイ・タルコフスキー、そしてもう一人が小津安二郎でした。子供のように純真な天使を描いた「ベルリン・天使の詩」は、同じように純真な子供たちを主人公とする傑作を残した監督たちにこそ捧げられるべきと彼は考えたようです。この映画の中で子供たちだけが天使を見ることができるのも、そのせいなのです。彼らは心の中が純真で曇りのない眼を持っているからです。そして三人の監督は、そんな純真な子供たちを主人公とする名作をそれぞれ残しています。トリュフォーの「大人はわかってくれない」(1959年)とタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」(1962年)そして、小津安二郎の「生まれてはみたけれど」(1993年)、この3本です。

<ベルリン・天使の詩>
 1991年、彼は世界をまたにかけたロード・ムービー「夢の涯までも」という作品を発表していますが、当初それは「ベルリン・天使の詩」よりも先に準備が始まっていたそうです。しかし、準備に時間がかかったこともあり、その間に一本撮ろうということで企画されたのが、この「ベルリン・天使の詩」でした。もともとこの映画のアイデアは、1980年代のイギリスを代表するロック・バンドのひとつキュアーの「天使の囁き」という曲と20世紀ドイツ文学を代表する詩人ライナー・マリア・リルケの詩集から生まれたものなのだそうです。
 この作品の大きな特徴のひとつとして、モノクロとカラーの使い分けがあります。
 天使から見た世界はモノクロ、そして人間から見た世界はカラー映像で描かれているのです。実はこうした色による描き分けは彼が以前から用いていた方法でした。彼の作品群は「Aの作品」と「Bの作品」に分けられています。「Aの作品」とは、彼の個人的な思いをオリジナル脚本をもとに撮った少人数スタッフによる作品。「Bの作品」とは、すでにある小説などの文学作品を原作として作品化したある程度予算をかけた作品です。彼はほぼ交互にAとBの作品を製作し、Aをモノクロで、Bをカラーで撮るという分け方をしていました。ところが「ベルリン・天使の詩」はオリジナルのアイデアについてはヴェンダース自身によるものですが、人間たちの心の声などを書いたのはペーター・ハントケでした。そのために、この作品はモノクロとカラー両方を用いることになったということのようです。その意味では、この作品は彼にとって集大成的な作品だったともいえそうです。

<アンリ・アルカン>
 そこまでこだわっただけに、この作品のモノクロ画面はカラーのシーン以上に美しく見えます。それもそのはず、この映画のカメラマン、アンリ・アルカン Henri Alekanは、モノクロ映像を得意とするフランスを代表するカメラマンなのです。
 1909年生まれの彼は1925年にはカメラマン助手となり、以来フランス映画を中心に第一線で活躍してきた大ベテランのカメラマンでした。彼はルネ・クレマンの「鉄路の闘い」(1945年)やジャン・コクトーの「美女と野獣」(1946年)で一躍有名になった後、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」を撮り、永遠に映画史にその名を残すことになりました。「ローマの休日」はあえてモノクロで撮られた作品ですが、彼はその後もモノクロ映像のスペシャリストといわれ、ヴェンダース作品でも「ことの次第」(もちろんモノクロ作品です)でも撮影を担当していました。

<ニック・ケイブ>
 さらにこの作品の中で印象的なシーンとしては、ロック好きのヴェンダースらしいライブ・ハウスの場面があります。最初のライブの場面で演奏しているのはクライム&ザ・シティ・ソリューションズというオーストリア出身のバンド。そして、ラスト近く人間になったダミエルがマリオンと運命の出会いを果たすライブの場面では、ニック・ケイブ&ザ・バッド・シーズの演奏を見ることができます。オーストリア出身でイギリスに渡った異色のパンク・バンド。ニック・ケイブがここで歌っている曲「フロム・ハー・トゥ・エタニティ」は、彼らが1984年に発表した同名タイトルのアルバム「From Her To Eternity」に収められています。

<ピーター・フォーク>
 この作品に実名で登場し、元天使という重要な役を演じているピーター・フォークについても紹介しておかなければ、・・・。彼は1927年9月16日ニューヨーク、マンハッタン生まれの生粋のニューヨーカーです。父親はデパートのオーナーということでお坊ちゃんだったはずです。そのため、彼は大学を出て硬い仕事、軍隊や官庁に勤めていたのですが、演劇の魅力に執り付かれ芝居の世界に飛び込みました。オフ・ブロードウェイの舞台に立ったのが29歳と遅く、映画デビュー「Wind across the Everglades」に出演した時はすでに31歳になっていました。しかし、「殺人会社」(1960年)「ポケット一杯の幸福」(1961年)と2年連続してアカデミー助演男優賞にノミネートされ一躍演技派として知られるようになります。その他、インデペンデント映画界の巨匠ジョン・カサベテスとのコンビは有名で、「こわれゆく女」など何本もの作品に出演しています。しかし、なんといっても1971年スタートのテレビ・シリーズ「刑事コロンボ」こそ、彼の名を世界中に広めた代表作です。(このシリーズには前述のジョン・カサベテスも出演しています。「黒のエチュード」)

<ベルリンの壁崩壊とドイツの未来>
 以前、ベルリンの壁が崩壊するまでの出来事を振り返るドキュメンタりー番組を見ました。ゴルバチョフ政権によるソ連でのペレストロイカの動きによって共産圏諸国の政権すべてが方向転換を余儀なくされたこと。演劇、文学界などの知識人たちが逮捕覚悟で民主化に向けた集会を開いたこと。そうした動きの中で、共産党指導部も東西ドイツ間の出入国の条件を緩和せざるをえなくなったこと。なおかつ、ちょっとした首脳陣の発表ミスから人々がベルリンの国境に殺到したこと。混乱を避けるために係官が国境の門を開けたところ、その後いっきに壁の破壊へと事態が進み、もう誰にもその時の流れを止めることはできなくなったことなど、多くの事件が次々にドミノ倒しのように起きたことで歴史がいっきに変わっていったことがよくわかりました。それはまさに「時満ちて」起きた事件だったのです。
 この作品が東西ドイツの統合に直接何らかの役割を果たしたというわけではないでしょう。しかし、この作品は、ドイツ国民の多くが危険を冒してでも東西ドイツの統一を目指そうという心構えをしつつあったことを表わしていたのではないか?今になると、そう思えてきます。残念ながら、その後東西ドイツの統合がすんなりといったわけではありません。未だに東と西の経済格差は大きく、ドイツ内部には東ドイツ出身者に対する差別が存在するといいます。さらにこうして生まれた差別意識はドイツに数多く居住するトルコからの移民たちに対する差別や排斥運動をも生み出しているといいます。もちろん、状況がそうなることは予想されていたはずですが、彼らはそれでもなお統一の道を選んだのです。
 天使の選んだ選択が正しかったのか?その答えは未だに出ていないのかもしれません。

「ベルリン・天使の詩 DER HIMMEL UBER BERLIN」 1987年公開
(監)(製)(原)ヴィム・ヴェンダース
(製)アナトール・ドーマン
(製総)イングリット・ヴィンディシュ
(脚)ペーター・ハントケ
(撮)アンリ・アルカン
(音)ユルゲン・クニーバー
(出)ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ド・マルタン、オットー・ザンダー、クルト・ボウワ、ピーター・フォーク

<あらすじ>
  天使のダミエル(ブルーノ・ガンツ)はベルリンの街で人々のそばに寄り添い彼らの人生を見守り続けていました。彼ら天使の姿を見ることができるのは、純粋無垢な子供たちだけです。ある日、彼はサーカスで美しい空中ブランコ乗りの女性マリオン(ソルヴェイグ・ド・マルタン)を見かけます。経営難に陥ったサーカス団が解散することになり、彼女は将来について悩み始めます。そんな彼女を愛してしまったダミアンは天使をやめ人間になる決意を固めます。人間として生き、すべてをゼロから始めることを望む彼を友人の天使カシエル(オットー・ザンダー)は止めようとしますが、彼の決意は変わりませんでした。人間として地上に降り立った彼は映画の撮影に来ていた俳優のピーター・フォークに会いに行きます。彼は天使としての彼の存在に気づき話しかけてくれていたからです。再会したピーター・フォークはすぐに彼が天使から人間になったばかりであることを見抜きます。それは彼自身もまたかつて天使だったからでした。ことろが、ダミエルが彼女を探してサーカスのテントに行くと、もうそこに彼女はいませんでした。
 彼女を探して街中を歩き回る彼は、ニック・ケイブのライブ会場に行き、そこでついに彼女を見つけます。二人の出会いは?


紅いコーリャン(監)チャン・イーモウ(原)モー・イェン(脚)チェン・チェンユイ、チュー・ウェイ他(出)チアン・ウェン、コン・リー
「悪魔の陽の下に」(監)モーリス・ピアラ(主)ジェラール・ド・パルデュー(カンヌ映画祭パルムドール受賞)
「アンタッチャブルThe Untouchables」(音)Ennio Morricone (ブラウアン・デ・パルマ監督の代表作、ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞受賞)
「イーストウィックの魔女たちThe Witches of Eastwick」(音)John Williams (ジョージ・ミラー監督、ニコルソン主演のコメディー)
「偽りの晩餐」(監)エルマンノ・オルミ(出)マルコ・エスポジト、マリーザ・アバテ(ヴェネチア映画祭銀獅子賞、国際評論家賞
「インテルビスタ」(監)フェデリコ・フェリーニカンヌ映画祭40周年記念賞受賞)
「ウォール街 Wall Street」(監)オリバー・ストーン(マイケル・ダグラスがアカデミー主演男優賞受賞)
「グッドモーニング・バビロン!」(監)(脚)パオロ&ビットリオ・タビアーニ兄弟(原)ロイド・フォンビエル(出)ヴィンセント・スパーノ、ジョアキム・デ・アルメイダ
「黒い瞳 Ochi Chyornye」(監)ニキータ・ミハルコフ(マルチェロ・マストロヤンニがカンヌ映画祭主演男優賞受賞)
「ザ・デッド ダブリン市民より」(監)ジョン・ヒューストン(原)ジェームス・ジョイス(脚)トニー・ヒューストン(出)ドナルド・マッキャン、アンジェリカ・ヒューストン
「さよなら子供たち」(監)ルイ・マル(出)ガスパール・マネス、ラファエル・ファジト(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「太陽の帝国 Empire of the Sun」(音)John Williams (原)J・G・バラード(スピルバーグ監督が第二次大戦の日本を描いた大作)
「ダーティー・ダンシング Dirty Dancing」(監)エミール・アルドリーノ(音)フランク・ブレヴィット、ジョン・デニコラ、ドナルド・マーコウィッツ アカデミー歌曲賞 「タイム・オブ・マイ・ライフ」
「チャック・ベリー ヘイル・ヘイル・ロックン・ロール Chuck Berry,Heil!Heil!Rock'nroll」
(出)キース・リチャーズ、チャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャード・・・
「月の輝く夜に Moonstruck」(監)ノーマン・ジェイソン(シェール、オリンピア・デュカキスがアカデミー主演女優、助演女優賞受賞)
「遠い夜明けCry Freedom」 (音)ジョージ・フェントン、ジョナス・グワングワ
(南アフリカのアパルトヘイトと闘ったスティーブン・ビコの物語、アッテンボロー監督の大作)
「友だちのうちはどこ?」(監)(脚)アッバス・キアロスタミ(撮)フォルハッド・サバ(出)ババク・アフマッドプール(イラン映画が注目されることになる)
「バグダッド・カフェBagdad Cafe」(パーシー・アドロン監督のカルト・ムービー、ボブ・テルソン作の名曲「Calling You」)(出)マリアンネ・ゲーゼブレヒト
「八月の鯨」(監)リンゼイ・アンダーソン(脚)デヴィッド・ペリー(撮)マイク・ファッシュ(出)リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス
「バベットの晩餐会」(監)(脚)ガブリエル・アクセル(原)カーン・ブリクセン(出)ステファーヌ・オードラン、ビアギッテ・フェザースピール
「ひかり」(監)スレイマン・シセ(カンヌ映画祭審査員賞受賞のマリ映画、サリフ・ケイタの曲が使われている)
「芙蓉鎮」(監)(脚)謝晋(原)古華(脚)阿城(撮)慮俊福(出)リュウ・シャオチン、チアン・ウェン
「フルメタル・ジャケット」(監)(脚)スタンリー・キューブリック(原)(脚)グスタフ・ハスフォード(脚)マイケル・ハー(出)マシュー・モディーン、アダム・ボールドィン
「ベルリン・天使の詩」(監)(脚)ヴィム・ベンダース(脚)ペーター・ハントケ(主)ブルーノ・ガンツ(カンヌ映画祭監督賞受賞)
「ペレ」(監)(脚)ビル・アウグスト(原)マーティン・アナセン・ネクセ(出)マックス・フォン・シドー、ペレ・ヴェネゴー
「マイライフ・アズ・ア・ドッグ Mit Livsom Hund」(監)ラッセ・ハルストレム
「モーリス」(監)ジェームズ・アイヴォリー(出)ヒュー・グラント、ジェームス・ウィルビー(ヴェネチア映画祭銀獅子賞、男優賞
「ラジオ・デイズ」(監)(脚)(出)ウディ・アレン(撮)カロル・ディ・パルマ(出)ミア・ファロー、ダイアン・ウィースト
「ラスト・エンペラーThe Last Emperor」(音)坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー アカデミー作曲賞、作品賞、監督賞受賞(出)ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、坂本龍一(ベルナルド・ベルトリッチ監督の満州最後の皇帝の物語)
「ラ・バンバ La Bamba」(監)(脚)ルイス・バルデス(音)カルロス・サンタナ、マイルス・グッドマン(ロス・ロボスの「ラ・バンバ」が大ヒット、元祖チカーノ・ロック・ヒーロー、リッチー・バレンス物語)
「恋恋風塵」(監)ホウ・シャオシェン(脚)ウー・ニェンツェン、チュー・ティエンウェン(出)ワン・ジンウェン、シン・シューフェン
「ロビンソナーダ」(監)ナナ・ジョルジャーゼ(カンヌ映画祭カメラドール受賞のグルジア映画)
「ロボコップ」(監)ポール・ヴァーホーヴェン(出)ポール・ウェラー(残虐描写の第一人者ハリウッド・デビュー作)

「永遠の1/2」(監)根岸吉太郎(原)佐藤正午(脚)内田栄一(撮)川上皓一(出)時任三郎、大竹しのぶ、中島朋子
「映画女優」(監)(製)(脚)市川崑(製)田中友幸(原)新藤兼人(出)吉永小百合、菅原文太、石坂浩二、渡辺徹
「男はつらいよ 知床慕情」(監)(原)(脚)山田洋次(脚)朝間義隆(出)渥美清、倍賞千恵子、竹下景子
「親鸞 白い道」(監)(原)(脚)三國連太郎(出)森山潤久、大楠道代、泉谷しげる(カンヌ映画祭審査員賞
「女衒」(監)(脚)今村昌平(脚)岡部耕大(撮)栃沢正夫(出)緒形拳、倍賞美津子、深水三章
「1000年刻みの日時計 牧野村物語」(監)小川紳介(製)伏屋博雄(撮)田村正毅
「ちょうちん」(監)梶間俊(原)(脚)金子正次(脚)縞五郎(撮)鈴木達矢(出)陣内孝則、石田えり、新田恵利
「光る女」(監)相米慎二(原)小檜山博(脚)田中洋造(撮)長沼六男(出)武藤敬司、安田成美、すまけい
「BU・SU」(監)市川準(脚)内館牧子(製)小倉斉(出)富田靖子、高島政宏、大楠道代
「マルサの女」(監)(脚)伊丹十三(製)玉木泰、細越省吾(撮)前田米造(音)本多俊之(出)宮本信子、山崎努、津川雅彦、大滝秀治

「ゆきゆきて、神軍」(監)(撮)原一男(製)小林佐智子(企)今村昌平(編・構)鍋島惇
ロッテルダム映画祭批評家賞国際ドキュメンタりー映画祭グランプリベルリン映画祭カリガリ賞

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BOOWY絶頂期に解散
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「HIROSHIMA '87〜'97 PEACE CONCERT」開催(被爆者擁護施設設立のための資金を集めるため)出演者は、安全地帯、佐野元春、ブルーハーツ、ストリート・スライダース、宇崎竜堂、尾崎豊、渡辺美里、バービー・ボーイズ、岡村靖幸、南こうせつ、久保田利伸、ツイスト、白井貴子、ハウンド・ドッグなど・・・。ロック界の成熟により大きな野外ライブが可能になる
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