失われしビアフラ共和国に捧ぐ書


「半分のぼった黄色い太陽 Half of a Yellow Sun」

- チママンダ・ウゴズィ・アディーチェ Chimamanda Ngozi Adiche -
<幻のビアフラ共和国>
 1970年代初め「ビアフラ」という言葉は、「ヒロシマ」に匹敵する世界的な共通語として通用していた気がします。それが意味するのは、「飢餓」、「内戦」、「民族紛争」、そして「アフリカの後進性」でした。ただその言葉を世界に広めたのは、西欧の作家たちでした。フレデリック・フォーサイスやカート・ヴォネガットなどの作家たちは、自分の目でその悲劇を目撃し、その状況を世界に発信しました。しかし、実際にそこに住んでいたナイジェリア人によって、当時の惨劇が書かれた作品は珍しく、その中でも世界中で読まれた傑作がこの小説「半分のぼった黄色い太陽」です。(タイトルは、幻となった「ビアフラ共和国」の国旗から来ています)


 彼は飢餓について書く。飢餓はナイジェリアの兵器だった。飢餓がビアフラを破壊し、ビアフラを有名にし、ビアフラをあれほど長く存続させた。飢餓が世界の人々の注目を集め、ロンドンで、モスクワで、チェコスロバキアで、抗議行動とデモンストレーションを引き起こした。飢餓はザンビアとタンザニアとコートジボワールとガボンにビアフラを承認させ、飢餓がニクソン時代のアメリカの政策にアフリカを取り込ませ、世界中の親たちに自分の子供に向かって残さず食べなさいといわせた。・・・
「私たちが死んだとき、世界は沈黙していた」より(登場人物のリチャードが作品からの抜粋)

 この小説が特に素晴らしいと思えるのは、ノンフィクション作品のように歴史を再現した時代小説であると同時に、素敵な恋愛小説でもあり、青春小説でもあり、戦争小説でもある多層的な構造の小説に仕上がっていることです。そのため主人公には、異なるタイプの3人が選ばれ、それぞれが異なる視点からビアフラ共和国の悲劇の歴史を描くことでその歴史が立体的に浮き上がるようになっています。

「・・・小説家は登場人物を無垢な犠牲者として描きがちだが、アディーチェは、歴史の犠牲者が一方でそれをとことん推進する者にもなりうることをはっきりと書く」
ウィル・プライズ(雑誌「ELLE」より)

 三人の主役とは、・・・
 ナイジェリアの大学教授オデニボ家に召使として雇われた少年ウグウ。田舎の出で何も知らない少年の目で、当時のインテリ層の生活が生き生きと描かれます。
 オデニボの恋人オランナ。イボ族の裕福な家庭に育った彼女とオランナとの恋愛、双子の姉カイネネとの対立が人間ドラマとして描かれます。
 カイネネの恋人となり、自らビアフラ人であると宣言する英国人スポークスマンとなるリチャードから見たビアフラ戦争の政治的背景も重要な部分です。
 (リチャードのモデルは、「戦争の犬たち」、「ジャッカルの日」の作者フレデリック・フォーサイスだとか・・・)

「私たちが死んだとき、きみは黙っていたのか?」
68年の写真をきみは見たかい?
赤さび色の髪をした子どもたちの写真を、
小さな頭の、頭皮に埋もれた疲斑が、
やがて剥がれ、朽ち葉のように上埃の上に落ちるのを?
爪楊枝みたいな腕をした子どもたちを想像してくれ、
サッカーボールのような腹にうすくのびた皮膚。
クワシオルコルだよ - 難しいことばさ、
醜いというだけでは足りないことば、罪悪だ。
想像する必要などないか。きみの「ライフ」にはもっともらしい注解つきの写真が載っているから。
見たかい?ちょっと可哀想になったかい?
それからきみはくるりと背を向け、恋人や妻を抱くのかい?

・・・」

 こうして、人種、性別、年齢と異なる3人の視点から描くことで、この時代のナイジェリアに生きていた人々の姿が見事に描き出されることになりました。これだけ濃い内容、分厚い分量でありながら、著者がこの小説を書いたのは、まだ29歳の時。(この作品で彼女は有名な文学賞オレンジ賞を最年少で獲得しました)
 特に後半、主人公たちが内戦に巻き込まれてからの緊張感に満ちた展開はスリル満点で、一気に読ませます。読者は気がつくとビアフラの内戦に巻き込まれ、その現場で展開された惨劇を知り背筋を寒くさせられ、じわじわと迫る飢餓の恐怖にもゾッとさせられるはずです。
 著者自身が、この戦争で生き残ったイボ族の出身であり、さらに女性であることが、セックスシーンや暴行の描写において、よりリアルにより官能的に描くことを可能にさせたようです。

「忘れがたいのは、政治的な出来事が無感情に語られるのではなく、それを生きた生身の人間を通して、実際に痛みとして感得された経験を通して語られていることだ・・・欧米作家の多くが郊外の不倫や不幸な子ども時代といったテーマを何度も焼き直してきたことを思うと、自国の歴史を記録するこのアフリカ出身の若い女性には畏怖と羨望の念をおぼえる」
エドマンド・ホワイト(短編版「半分のぼった黄色い太陽」について)

 彼女が描くアフリカの人々は、これまで多くの白人作家が描いてきた「アフリカ人像」とはかなり違います。彼女自身が、ビアフラ共和国消滅の後に生まれた新世代であることから、その違いはより大きくなったのでしょう。

 「アフリカ」について書かれた本の書評者やその本に推薦文をよせる作家が「これはたんなるアフリカの本ではなく普遍性をもつ」といって読者を安心させるのはなぜか、不思議に思ったことはありませんか?まるで「アフリカ」と「普遍性がもつ」が相容れないみたいですね。英国や米国の小説が普遍性をもつ、なんて誰もわざわざいったりしません。
 もちろん、それは当然のこと、という仮定があるからです。「闇の奥」的なイメージのアフリカは、アフリカを半人間としての「他者」と見なすことが可能な場です。つまり西側諸国の人々がその人間らしさを試す場ということです。これはアフリカについて書かれた多くの書物のなかに、いまもはっきりとあらわれています。最近になって少し違ってきたのは、アフリカ人に奇妙なねじれが与えられたことです。わたしたちを「高貴な人」として読むのが政治的に正しいと想定する、そういうねじれです。
・・・
著者アディーチェのインタビューより

 「アフリカ」についてのイメージをここまで客観的に把握できているのは、彼女がナイジェリアで生まれ育った後、アメリカに留学し、そこで多くのことを体験し、学んだおかげでしょう。そうした彼女の生い立ちについては、この小説の後に発表された作品「アフリカーナ」にたっぷりと描かれています。アメリカから見たアフリカ。アフリカから見たアメリカ。そして、アフリカ系アメリカ人としてアメリカとナイジェリアを行き来する人生。彼女ならではの多角的な時点は、そうした彼女の人生が育てたといえます。
 なお、2作の小説のもとにもなっている、短編小説を集めた短編集も読むことをお薦めします。短編集「アメリカにいる、きみ」(2007年)

 最後に、この小説の舞台となっているナイジェリアと「ビアフラ共和国」についてまとめておきます。ナイジェリアは、21世紀に入りアフリカでもトップクラスの経済発展を続けていますが、民族・宗教・政治の対立は続いており、政府内の汚職事件も頻発しています。
 アフリカでは、それ以外にも「ルワンダの悲劇」や「ダルフール紛争」などの民族紛争・内戦が頻発しており、常にどこかの国で民族浄化と称するホロコーストが行われています。そして、その責任の多くはかつてアフリカを支配していた西欧諸国にあることを忘れてはいけないでしょう。

<ナイジェリア>
 ナイジェリア連邦共和国は、アフリカ最大の人口(1億7千万)を有する大国です。経済的には、石油が主力産業。北部はサバンナと半砂漠地帯からなり、イスラム教文化圏。南部は海に面した高温多湿な熱帯雨林でキリスト教の影響が大きな地域です。そして、その南部うち西部地域にはヨルバ族が多く住み、東部にはイボ族が多く住んでいます。
 英国による植民地支配が始まると、植民地政府はそうした民族間の対立を利用し、その対立を煽り、部族関係を利用することによって、支配体制をより強固なものにして行きました。そのため、1960年にナイジェリアは英国からの独立を果たしますが、植民地時代に行われた民族的な分断は、まとめ役だった英国の不在によって、より大きなものになってしまいます。
 1963年に連邦制から共和制に移行したナイジェリアでは、初代大統領にアズィキウェが就任し、国の統一を進めます。しかし、1966年に北部での少数派イボ族への大量虐殺事件が起き、軍部のゴウォンが実権を掌握、再び国を分けた連邦制を進めます。それに対し、東部では州の軍政長官オジェクがイボ族中心のビアフラ国家を成立させ、独立を宣言します。

 肝要なのは、最初にイボ人が大量虐殺されたのは、最近起きた事件よりはるかに小規模であったとはいえ、1945年だったと思い出す必要があることだ。その時点の殺戮は英国植民地政府によって引き起こされた。当時、政府は全国ストライキの責任がイボ人にあるとして、イボ人の出す新聞を発行禁止にし、さらに反イボ感情を広く奨励した。最近の殺害事件を「昔からの」憎悪が招いたものとする考え方は、したがって、誤解を招く。北部および南部の諸民族は永きにわたり相互関係を維持してきたことは、少なくとも9世紀まで遡ることができる。・・・
(リチャードの記事より)

<ビアフラ共和国>
 元々、人口は少ないものの政治、経済の分野で力を持っていたイボ族の人々は、他の民族の憎しみの対象にあったようです。(ヨーロッパにおけるユダヤ人的存在ということでしょうか?)そのため、彼らはイボ族のために分離・独立への道を選択。ところが、彼らがビアフラ共和国を成立させた土地にはナイジェリアにおける貴重な財政基盤である油田がありました。当然、その利権をナイジェリア側は渡したくはなく、当初は、独立が実行されたものの、その後は独立運動を阻止するため、侵略作戦を開始することになります。
 ビアフラ側には、当初資金もあり、優秀な頭脳もあり、勝算はあったようです。しかし、西欧諸国はビアフラ共和国の独立に対し批判的でした。さらにナイジェリア側がビアフラ共和国の周囲を抑え、戦況が一方的になると、どの国もビアフラの独立を承認せず、アフリカの数カ国だけしか承認をしませんでした。戦争終結後にも言うことを聞くであろうナイジェリア側に西欧各国は完全に肩入れしてしまいました。
 こうして、地上も海上も封鎖されてしまったビアフラ共和国には食料も衣料品も届かず、飢餓と病気による膨大な死亡者を出すことになります。こうして、栄養失調によってお腹をポッコリと突き出した子供たちの写真が、世界中の人々が目にすることになりました。


「たとえこの生命を犠牲にしても、わたしは断固として、読む。黒人を書物から遠ざけ、われわれを無知のままにしておけば、われわれは常に彼の奴隷であるだろう。・・・」
「フレデリック・ダグラスが人生を語る物語 あるアメリカ人奴隷の自伝」より

「半分のぼった黄色い太陽 Half of a Yellow Sun」 2006年
(著)チママンダ・ウゴズィ・アディーチェ Chimamanda Ngozi Adiche
(訳)くぼたのぞみ
河出書房新社

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