「バード Bird」 1988年

- クリント・イーストウッド Clint Eastwood、チャーリー・パーカー Charlie Parker -

<監督クリント・イーストウッドの代表作>
 この作品が公開された当時、監督のクリント・イーストウッドが筋金入りのジャズ・マニアであることはすでに有名でした。したがって、この映画への期待は高く、実際その出来映えは予想以上のものでした。この作品によって彼は、それまでまったく縁がなかったゴールデン・グローブの最優秀監督賞を受賞。ついに彼は芸術家として、ヨーロッパだけでなくアメリカ国内でも認められる存在になりました。
 もちろん、監督としての彼には、他にも代表的な作品がいくつもあります。「恐怖のメロディー」(1971年)「荒野のストレンジャー」(1972年)「アウトロー」(1976年)「ガントレット」(1977年)「ブロンコ・ビリー」(1980年)「ペイルライダー」(1985年)「ハートブレイク・リッジ」(1986年)、それにその後1992年に製作されアカデミー作品賞、監督賞を同時に受賞した「許されざる者」などがあげられます。しかし、自らが出演していない監督作品は、初期の日本未公開作品「ブリージー」(1973年)とこの作品の2本だけしかありませんでした。(その後、「ミスティック・リバー」、「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」アクション映画でもなく、自らも出演せず、実在の偉大なミュージシャンの人生を描いたドキュメンタリー・タッチの作品ということで、この作品は彼にとってまさに異色の作品なわけです。
 そのうえ彼にとって、この作品はある意味ライフ・ワークのひとつでもありました。映画監督としての彼は、この作品「バード」と「許されざる者」の2作品を撮るために30年に渡り、映画の仕事をしてきたと言えるのかもしれません。
 「バード」の脚本が書かれたのは1982年のことで、映画化までに6年の歳月を必要としました。「許されざる者」にいたっては、書かれたのは1970年代後半で、なんと10年以上の年月を経てやっと映画化されたのです。
 「許されざる者」は、彼にとって西部劇の集大成でると同時に最後の西部劇でもありました。そして、「バード」は、彼にとって最初で最後のジャズ映画です。
 かつて、彼はインタビューでこう言っています。
「これは僕の意見だけれども、アメリカがもっている独自のアートは、ウエスタン映画とジャズだけだ。・・・」
 彼はまさにその両方のジャンルにおいて、自ら究極の作品を生みだしたのです。

<イーストウッドの生い立ちとジャズ>
 「バード」誕生までの歴史を知るには、クリント・イーストウッドの生い立ちをさかのぼらなければなりません。
 彼が生まれたのは、大恐慌のまっただ中、1930年の5月31日でした。イングランド系の父親とアイルランド系の母親のもとサンフランシスコ近郊で育ちました。しかし、父親の職が定まらなかったため、生活は厳しかったようです。しかし、ファッツ・ウォーラーのファンだったいう母親の影響もあり、彼は子供の頃からジャズに親しみ、ピアノやフリューゲル・ホーンを演奏していました。15歳の頃には、オークランドのクラブでラグタイムやブルースをピアノで弾いて食事をさせてもらっていたそうです。そしてこの頃、彼は東海岸からやって来た大物ミュージシャンたちの演奏を見る機会に恵まれたのでした。レスター・ヤング、コールマン・ホーキンスなどとともに、バードことチャーリー・パーカーの生演奏を見た彼は、その素晴らしい演奏に衝撃を受けました。彼自身がジャズ・ミュージシャンだっただけに、チャーリー・パーカーのあまりに独創的な演奏と驚異的なテクニックをいつまでも忘れることができなかったと言います。なぜ彼にはあんな演奏ができたのか?その秘密に迫りたい、それが映画監督となった彼にとって一つの目標になったのです。
 彼がこの映画を撮りたかった最大の理由のひとつは、当時のことを知らない他の監督の手でバードの伝記映画がハリウッド映画のスタイルで作られてしまうことを恐れていたからでした。彼はお決まりのドラッグとアルコール漬けのジャズ・ミュージシャン物語にだけはしたくなかったのです。これだけ理解と愛情を持って描かれた伝記映画はそうはないでしょう。

<真実のバードに迫る>
 本物を見ているイーストウッドだけに、「バード」の映画化にあたっては徹底した本物指向を貫きました。先ず、パリに住んでいたパーカーの未亡人、チャン・パーカーをアメリカに呼び寄せ、脚本をより現実に近づけるようアドバイスを受けました。俳優たちも、主役のフォレスト・ウィテカーらがそれぞれが未亡人と会い、役作りについてのヒントをつかんだそうです。
 しかし、この映画で最もこだわっているのは、やはりパーカーの演奏シーンであり、その音楽です。彼はこの演奏部分だけは、今は亡きバードの本物の音にこだわり、それを登場させたのです。それは実際のパーカーが残した演奏の中から彼のパートだけを取り出したものと、レッド・ロドニー、チャールズ・マクファーソン、ウォルター・デイヴィス・Jr.、ロン・カーターら現代の大物ミュージシャンたちが共演することで生み出されました。これぞ究極のサウンド・トラックと言えるでしょう。

<イーストウッド再評価>
 アメリカでは、この映画が公開された当時、これがあの「ガントレット」の監督の作品なのか?という反応がまだまだ多かったようです。しかし、あのリアリズムの欠片もない「ガントレット」のラストシーン(主人公が乗るバスが警官隊に滅茶苦茶に銃で打たれ続ける映画史に残る荒唐無稽なシーン)にも、確かにイーストウッドの美意識は貫かれており、そこにはアメリカ文化に潜むリンチの歴史が描きされていたと考えることもできるのです。
 そんなイーストウッドならではの美意識を理解できないのは、なぜかアメリカの評論家たちだけで、ヨーロッパや日本では早くから彼の監督作品が理解され評価されてきました。それはまるで、かつてジャズやブルースが本国アメリカで受け入れられず、ヨーロッパや日本で暖かく迎えられていた歴史を思い出させます。
 最後の本格的西部劇作家クリント・イーストウッドが描いたチャーリー・パーカーは、フュージョンやロック、ボサ・ノヴァ、ラテンなどの影響を受ける以前の純粋なジャズに生きた最後の世代でもありました。後に彼が撮った「許されざる者」の主人公の悲壮感ただよう美しさは、「死」へと向かいながらもサックスさえ手にすれば美しい音色を響かせたバードの姿と相通ずるものがあります。

<優しき男、フォレスト・ウィテカー>
 ところで、この映画でチャーリー・パーカーを演じているフォレスト・ウィテカー、誰かに似ていると思いませんか?そうそう関西のお笑い芸人、鶴瓶です。アメリカの黒人俳優で彼ほど優しそうな人はいないでしょう。彼はこの映画でカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞。その後、主役はあまり回ってきていないようですが、数え切れないほどの作品で重要な脇役として活躍し、自ら監督もこなす大物になりました。

<優しき男、チャーリー・パーカー>
 チャーリー・パーカーの写真を見ると、実は彼もまたフォレスト・ウィテカー並みに優しそうな顔をしています。麻薬にどっぷりと浸かったり、コンサートをすっぽかしたり、ホテルで大暴れしたりと、問題ばかり起こしていたパーカーですが、多くの人は彼のことが好きだったと言います。それはたぶん彼の本当の性格は、いたって優しく繊細だということを回りの人々は知っていたからなのでしょう。顔には、人柄が出ると言いますが、まさにそのとうりだと思います。
 パーカーは生前「世界中のあらゆる音が聞こえたら、とてもまともでなんかいられない」と言っていたといいます。一度聴いた曲は、けっして忘れなかったという天才的な耳の持ち主は、あまりに優しく繊細すぎたのかもしれません。
「小鳥のように繊細な一人の男と彼を理解し守り続けた女性のラブ・ストーリー」
 映画「バード」は音楽映画であると同時に「シド&ナンシー」に通じる破滅型恋愛映画の名作でもあります。

<自己破壊の衝動>
 「クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男」の中で著者の中条省平氏は、イーストウッドが監督した作品の多くに共通するテーマとして「自己破壊に向かう衝動」をあげています。「ホワイトハンター・ブラックハート」では、映画監督ジョン・ヒューストンの酒と狩りに溺れる生き様を描きました。それに「許されざる者」、「パーフェクト・ワールド」、「センチメンタル・ジャーニー」、「アウトロー」などもみな自己破壊的な生き方をする主人公を描いた作品です。娯楽アクション映画におけるマネーメイキング・スターのナンバー1に君臨してきた彼にこうした暗い面があるというのは意外かもしれませんが、彼自身もこんなことを言っています。
「・・・・・なぜこの種の物語に心を引かれるのか?正直いって分からない。精神科医なら答えられるのかもしれないが、自分では無理だね。私を魅了するのは、たぶん、ひとりの人間が自然にあたえられたすべての恵みを拒絶するのを見守るということなのだろう」
「カイえ・デュ・シネマ」1988年6月号より
 そして、こうした自己破壊的な生き様を代表する存在としてチャーリー・パーカーほどの存在はいないかもしれません。イーストウッドが撮りたいのは当然のことです。

<チャーリーの自己破壊衝動>
 チャーリー・パーカーの自己破壊衝動の凄まじさは、彼が34才という若さでこの世を去った際の医師の死亡報告からも明らかです。悪化した胃潰瘍からの出血で死亡した彼の遺体を見たフライマンという医師は死亡報告書に死体の年齢の欄に推定で58歳と記入しているのです。アルコールと麻薬によって、いかに彼の身体がボロボロになっていたのかがよくわかる診断です。
 この映画の中では、こうした彼の自己破壊衝動を象徴するものとして「空飛ぶシンバル」が何度も登場しています。投げたのはドラマーのジョー・ジョーンズ。それはステージで演奏するお粗末な演奏を止めさせるために投げられたのでした。そのお粗末な演奏をしていたのがチャーリー・パーカーでした。ただし、この時、彼はまだ15歳という若さでした。頭も良く、サックスの演奏に関しても天才的な才能を示していた彼はわずか15歳にしてプロとしてクラブのステージに立つことのできるユニオン・カードを取得。まさに神童だった彼はある日、当時全米一ジャズが盛んだった故郷カンザスシティのクラブに出演中のカウント・バイシー楽団の演奏に飛び入り参加します。当時盛んに行われていたジャム・セッションと言う名の他流試合に挑んだのです。しかし、それはあまりに無謀な闘いでした。いっしょに演奏に参加しているうちは良かったものの、ソロでアドリブを吹き出した瞬間、力不足、経験不足が露呈され、ジョー・ジョーンズのシンバルにより辛うじて救われることになりました。
 彼の行動は「天狗」になっていたからなのかもしれません。映画ではこの時のシンバルがトラウマとなって彼を常に不安に追い込んでいたという描き方をしています。しかし、カウント・ベイシー楽団という当時世界最高のバンドにバトルを挑むこと自体が自己破壊衝動の成せる業だったのではないか?そうも思えます。

<クリント・イーストウッドという監督>
 酒と麻薬、そして白人女性とのセックスによって自らの不安感を抑え、辛うじて生きるための精神バランスをとっていた男。そんなチャーリー・パーカーのような男たちばかりを描き続けるクリント・イーストウッドという人物もまた自己破壊の衝動におびえている人物なのではないか?そう考えるのも不思議ではないでしょう。しかし、現実には彼の生き方にそうした破壊への衝動は感じられません。実にまっとうでバランスのとれた人生をおくっているといえそうです。
 カリフォルニアのカーメル市の市長になった後、政治家としてさらに上を目指すことも可能だったはずですが、彼は任期を終えるとあっさりと政界を去り、映画の世界に戻りました。彼は自分が何をするべきか、常にしっかりとした目標をもち続けているのです。しいて言うなら、ソンドラ・ロックとの離婚問題など私生活での破綻はありましたが、それによって彼の人生が狂うということはなく、そうしたトラブル期間中も彼は映画を撮り続けていました。
 ただし、彼の撮る作品が昔よりどんどん重いもの暗いものになってきているのは確かです。「ミスティック・リバー」、「ミリオン・ダラー・ベイビー」、「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」と続く21世紀の作品群は、「死」をテーマとして、いよいよその重さ、暗さ、深さにおいてアメリカ映画とは思えない域に到達しつつあります。そして、今思うとこれらの作品に至るであろう彼の道筋は「バード」においてすでに示されていたのかもしれません。

「バード Bird」 1988年公開
(監)(製) クリント・イーストウッド Clint Eastwood
(脚)    ジョエル・オリアンスキー Joel Oliansky
(製総)   デヴィッド・バルデス David Valdes
(撮影)   ジャック・N・グリーン Jack N. Green
(編集)   ジョエル・コックス Joel Cox
(音楽)   レニー・ニーハウス Lennie Niehaus
(出演)   フォレスト・ウィテカー Forest Whitaker
       ダイアン・ベノラ Diane Vanora
       マイケル・ゼルニカー Michael Zelniker
       サミュエル・E・ライト Samuel E.Wright
       キース・デヴィッド   Keith David
<あらすじ>
 1943年、ニューヨーク52番街のクラブでバードことチャーリー・パーカー(フォレスト・ウィテカー)はディジー・ガレスピー(サミュエル・ライト)と共に新しいジャズのスタイル「ビ・バップ」の先駆者として活躍していました。ところがビ・バップを引っさげて西部へとツアーに出かけた彼らはお堅い考えのファンに受け入れられず、そのショックもあり彼は酒びたりの生活からアルコール中毒になってしまいます。時代はまだ彼らの新しい音楽を受け入れてはくれなかったのです。そんな苦しい時期の彼を救ったのは白人の妻チャン(ダイアン・ベノラ)でした。
 1949年、やっと彼の時代がやって来ます。パリでのコンサートが大成功を収めたり、ニューヨークに彼の名をとったクラブ「バードランド」がオープン。彼はついに念願のバンドを結成し、南部へとツアーに出かけました。しかし、彼が期待していたメンバーのレッド・ロドニー(マイケル・ゼルニカー)は、彼を真似て麻薬に手を出してしまい警察に逮捕されてしまいます。さらに彼の最愛の娘プリーが病気によってこの世を去ると、再び彼は麻薬に漬かる生活へと逆戻りしてしまうのでした。ついに自殺未遂で入院してしまいます。こうして、彼は早すぎる死に向かって再び歩みだすのでした。

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