バードマン あるいは(賞をもたらした予期せぬドラマ) 


「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) BIRDMAN OR (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE)」
<映画の醍醐味>
 久しぶりにワクワクしながら見ることができました。それも「犯人は誰か?」とか「誰が生き残るのか?」とか「どうやって彼女の心をつかむのか?」といったハリウッド映画お馴染みのワクワク感ではありません。
 「いったいこの映画は何なんだ?」とか「主人公は何者なの?」とか「これって悲劇なの喜劇なの?」といった作品全体への「?」を最後まで楽しめたということです。
 ハリウッド映画だけでなく、今やフランス映画でも日本映画でも、映画のストーリーは、「悲劇か喜劇」、「人間ドラマかアクション・ドラマ」などに簡単に分類できる作品ばかりです。この映画の中に登場する演劇評論家だけでなく、多くの評論家は「映画」でも「小説」でも「演劇」でも、作品をすでにある何かのジャンルに「分類」することが仕事になっているようです。逆に、「分類」が不可能な作品は、どんなジャンルでも作品として評価されづらいのが現代アート・シーンの常識になっています。
 では、この作品はどう分類され、どう評価されるべきなのでしょうか?

<「バードマン」」とは?>
 「限りなくアドリブ風に作られたストリート・ライブ・演劇によるブロードウェイのパロディー作品のメイキング・ドキュメント映像」
 長いですが、こんな感じでどうでしょう?
 この作品では、芝居で使用されるクラシック音楽以外、聞こえてくるのはドラムのソロ演奏だけです。このアドリブ感たっぷりの音に合わせてドラマは展開するわけです。途中、このドラムの演奏者が、ストリートと劇場内の部屋に現れますが、それもまたストリート感を生み出しています。(路上では、ドラムラインの演奏もありましたっけ)
 主人公の生き様と演技を追いかける「鳥の目」ようにカメラは常に動き続け、彼を映し続けます。ただし、このカメラは映画用カメラとしての機能以上の働きもします。それは、現実の映像だけでなく主人公の妄想(イマジネーション)の世界までも時々撮影してしまうのです。もちろん、その映像世界では特殊撮影も想像力によって思いのままになります。
 でも良く考えてみると、これって映画を観ている観客にも可能なことだし、普段からやっていることなのかもしれません。ただし、現代のハリウッド映画を見ていると、観客にはそんな「想像力の翼」を羽ばたかせる暇などありません。そのことに気づかせてくれるのもまた想像力を刺激する優れた作品のもつ力だといえます。

<「バードマン」の誘惑>
 主人公の分身ともいえる「バードマン」もイマジネーションの力によって登場し、彼に「演劇なんて地味で古臭く金にもならない仕事などやめて、馬鹿な大衆が愛し求め続けるヒーローに戻ろう!」と誘惑を続けます。それはまるで、聖書の中に登場するイエス・キリストを誘惑する「悪魔」のようですが、思えば「バードマン」の羽の生えた独特のデザインは「デビルマン」を思い出させます。考えてみると、この作品が描いている重要なテーマは「誘惑との闘い」なのかもしれません。
 主人公は、かつて自分が演じていた「バードマン」に戻り、ハリウッド・スターに返り咲く誘惑と戦い続けていました。
 彼は、そうならないための最大の目標であるブロードウェイでの芝居に人生を賭けますが、初日のプレッシャーに押しつぶされ、そこから逃げ出したい誘惑と戦い続けています。
 彼への誘惑は、そんなプレッシャーから逃れるため、「自殺」「アルコール」そして「変身」など様々な逃避のための誘惑と戦う毎日なのです。
 彼の娘(ローラ)は、両親の離婚がきっかけとなり、薬物依存の誘惑と戦っています。
 主人公の相手役の俳優マイク(エドワード・ノートン)は、そんな誘惑に悩むことのない人間のように見えますが、アルコール依存や自暴自棄な生き方からそうではないとわかります。
 そうした様々な誘惑の象徴が「バードマン」なのかもしれません。(「変身願望」も含めて)
 思えば、人は誰もがそれぞれの「バードマン」を心に秘め、日々誘惑と戦っていえるのかもしれません。でも、もしそんな心の中の「バードマン」と一体化することができたとしたら?
 ラストに主人公はまさにそんなバードマンとの一体化を実現します。その時、人は空も飛べるし、怪獣も倒せるし、ネットのヒーローにもなれるのです。

<ダークサイド・ヒーロー>
 マイケル・キートン(リーガン)がかつて演じた「バットマン」とエドワード・ノートン(マイク)が演じた「ハルク」は、どちらもマーベル・ヒーローの中でも「ダーク・サイド」に位置する影のあるヒーローでした。それまでのアメコミ的で脳天気なヒーローとは違うキャラクターを作り上げた二人の俳優が主役を演じているのは、偶然ではないのかもしれません。
 ブロードウェイの舞台がスタートするまでのドキュメントであると同時にハリウッド映画とブロードウェイの関係を描いた内幕ものでもあります。俳優や監督など様々なアーティストの名前が出てきて、その使われ方もそれぞれ笑えます。
 ジャスティン・ビーバー、マーティン・スコセッシ、マーロン・ブランド、ロバート・ダウニーJr・・・
 1度目に見る時は、舞台劇の初演を見るようにスリリングな展開をお楽しみください!
 2度目に見る時は、スリリングな展開がいかに計算され、作り込まれているのかを確認しながらお楽しみください!
 3度目に見る時は、ドラムソロを楽しみ、身体を揺らしながら、ウイスキー片手にレイモンド・カーヴァーになったつもりで、画面に突っ込みをいれながらお楽しみください!
 そうそう、これを機会にレイモンド・カーヴァーの小説を読んでみてください!

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) BIRDMAN OR (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE)」 2014年
(監)(製)(脚)アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ Alejandro Gonzalez Inarritu
(脚)ニコラス・ヒアコボーネ、アレクサンダー・ディネラリスJr、アルマンド・ボー
(撮)エマニュエル・ルベツキ
(衣)アルバート・ウォルスキー
(編)ダグラス・クライズ、スティーブ・ミリオン
(音)アントニオ・サンチェス
(出)マイケル・キートン、エドワード・ノートン、ザック・ガリフィナーキス、ナオミ・ワッツ、アンドレア・ライズブロー、エイミー・ライアン、エマ・ストーン
アカデミー作品、監督、脚本、撮影賞受賞
<あらすじ>
 かつてヒーロー映画「バードマン」の主演俳優として一世を風靡したリーガンは、「バードマン」のイメージを取り除けないまま中年の域に達していました。そこで、新たなキャリアを築こうとブロードウェイに挑戦しようとしていました。そのため自らがレイモンド・カーヴァーの短編を戯曲化し、主演俳優として上演の準備を進めていました。
 ところが、上演が近いにも関わらず、助演俳優が事故で怪我をしてしまい、代役となった役者マイクは次々とトラブルを起こし、現場は大混乱。プレビュー公演も滅茶苦茶になってしまいます。そのうえ、リーガンのマネージャーを務める娘のローラも、やめていたはずのマリファナに再び手を出し、最悪の親子喧嘩が始まり、マイクとキスをし始める始末。
 おまけにリーガンは、バーで会った演劇評論家と口論となり、彼女を怒らせてしまいます。公演を延期してやり直したいと言いでしても、プロデューサーはもう資金がないと彼に迫ります。
 そんな厳しい状況の中、彼の心の中に潜む「バードマン」が、彼に映画へ、バードマンへ戻るようささやき続けます。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの他の作品
「21G」&「アモーレス・ペロス」 

「レヴェナント 蘇りし者 The Revenant」 2015年
(監)(製)(脚)アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
(原)マイケル・パンク
(脚)マーク・L・スミス
(撮)エマニュエル・ルベツキ
(編)リッチ・マクブライド(音)坂本龍一、カースティン・ニコライ
(出)レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディ、ドーナル・グリーソン、ウィル・ポールター
アカデミー監督、主演男優、撮影賞受賞
 この作品においては、アカデミー主演男優賞を獲得したディカプリオよりも、「大自然」こそが主演男優賞に相応しい。そう思えるほど、この映画の背景にある自然は多くの事を物語っています。もちろんそれを可能にしたのは、カメラマンであるエマニュエル・ルベツキの才能と技術なので、アカデミー撮影賞は当然の受賞でしょう。
 主人公が生と死の間をさまよううちに、「もう死を恐れなくなった」と語る場面はかなり説得力があります。そう思わせるだけでも、この作品は成功作といえます。思えば、この「生と死」の差がわずかしかないと感じられる映画として、ショーン・ペンの監督作品「イン・トゥ・ザ・ワイルド」があります。こちらも主人公はある意味「大自然」でした。「死」とは人間が「自然の一部になること」そんな感覚が両方に共通している部分です。
 「死」が静かに「自然」との一体化を完成させる過程であると感じられる時、人は最も幸福にこの世を去ることができるのかもしれません。残念ながら、この映画の主人公は息子のために復讐するという究極の目標を持っていたため、死を受け入れることができなかったのでしょう。

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