- 自由の獲得と新たな苦難が生んだ心の叫び -

<奴隷解放>
 1865年、奴隷解放によって黒人たちの生活は大きく変わることになりました。彼らは白人奴隷主の家を追い出され、それぞれの生活をする必要に迫られたのです。自由を獲得したはずが、経済的にはそれ以前よりも厳しくなり、再び小作農として雇われた黒人たちにとって奴隷時代とは変わらない生活が続くことになりました。
 ただ、彼らにはそれまでにはなかった自由な時間がわずかながらできました。それまでは、農園の規則により食事と睡眠以外の時間をほとんど労働に縛られていて、教会で仲間たちとともに黒人霊歌を歌う時ぐらいしか、思う存分歌を歌うことができませんでした。それが、仕事を終えた後に個別の自由時間ができたことで、「神」についてではなく「自分」について歌う機会が生まれ、そこから個人のための新しい音楽「ブルース」が生まれることになったのです。

<フィールド・ハラー
 ブルースは、フィールド・ハラーと呼ばれていた労働歌とヨーロッパから白人が持ち込んだ大衆音楽バラッド Balladsが組み合わさったものと言われています。労働のためのかけ声にアフリカから持ち込まれたリズム感を持ち込むことで発展したフィールド・ハラーは、当初は限られた歌詞を繰り返し歌うごくごくシンプルなものだったようで、定まった形式などをもってはいませんでした。それに対してバラッドは、文字を知らないヨーロッパの一般大衆のために歴史や伝説を歌のかたちで表現する芸能の一ジャンルとして発展したものです。しかし、同じような歌の伝統は奴隷たちの故郷アフリカにもありました。
 それはグリオと呼ばれる世襲制によって受け継がれる人々によって代々受け継がれていました。彼らは部族の歴史や伝説を歌として継承することをその仕事のひとつとしています。元々アフリカには文字の文化がなかったため、グリオの仕事は非常に重要なものでした。そして、この伝統が弦楽器を手に弾き語りをするヨーロッパのバラッドと組み合わさり、さらにフィールド・ハラーのもつリズム感や叫び声の要素を加えることで、ブルースの原型が生まれたのではないかと言われています。黒人霊歌の影響ももちろんあったのでしょうが、それはあくまで公の場所において、集団で歌う歌の世界であり、ブルースの世界とは異なる存在でした。

<ブルースの故郷>
 ブルースは、歴史的に早くから人が住み着き、農業や産業が発展することで黒人奴隷を数多く必要とした場所から発展したようです。アメリカ大陸は広く、現在のように交通も情報網も発達していなかったので、当初はブルースといっても地域それぞれの特色がありました。

(1)ミシシッピー・デルタ・ブルース
 綿花畑がどこまでも広がるアメリカ南部を代表する土地、ミシシッピー川がつくるデルタ地帯は、その後アメリカ各地に広がっていった黒人たちの多くにとって、故郷ともいえる土地となります。ブルースにとっても、やはりそこは故郷であり、当然多くのアーティストがそこから生まれ、その後アメリカ各地へと旅立って行くことになります。
 レコードによる録音が始まった時期、60曲もの録音を行い、デルタ・ブルースの基準ともいえる音楽を残した最初のブルース・ヒーロー、チャーリー・パットン。彼はビンの口や鉄の棒を用いてスライド・ギターの奏法を完成させたことでも知られています。
 その他、サン・ハウス、マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、ウィリー・ブラウン、ブッカ・ホワイト、スキップ・ジェイムス、そして伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンが現れ、いよいよデルタ・ブルースは完成の域に達します。
 その後、デルタ・ブルースの大物たちは仕事を求めて北部(特にシカゴ)へ移動する静かなる民族大移動とともにデルタ地帯を去って行き、ゆっくりとその勢いを失って行きました。しかし、ミシシッピーからギター片手にブルースをうなる伝統が消えたわけではありません。ブルースを再発見するプロジェクトがあるたびにブルースの故郷、ミシシッピーは脚光を浴び、その輝きをみせてくれます。未だにそこはアメリカで最も貧しい土地であり、そこに住み続ける黒人たちにとってブルースは切り離せない存在なのです。

「アメリカ南部で「デルタ地方」といえばミシシッピー州北西部にある、二本の河川の氾濫によってできた広大な沃野をいう。河口のデルタと区別して「内陸デルタ」といったりもする。ミシシッピーデルタの北端はテネシー州のメンフィスで、南端はミシシッピー州のヴィックスバーグである。デルタの広さは東京都の面積の10倍近い。木の葉形の平らな大地だ。ミシシッピー川が西の境で、東の境はヤズー川およびシルトのローム層の台地である。地形的にもっとも東西に膨らんだところの直線距離で130キロほどある。20世紀のアメリカ音楽のルーツをたどると、この果てしなく続く空と、まっ平らな大地に行き着く。・・・」
ジェームス・M・バーダマン(著)「ロックを生んだアメリカ南部」より

(2)テキサス・ブルース
 ミシシッピー・デルタに匹敵するブルースの故郷としてテキサスがあります。この地域のブルースマンにはギターの名手が多くリズミカル&ダイナミックなブルースが生まれる土地柄だったといえます。
 初期のブルースマンとしては、ブラインド・レモン・ジェファーソンがいます。彼と一時期行動をともにしていた直系のブルースマン、レッドベリーは、波瀾万丈の人生の後、ニューヨークに移り住み、数多くのフォーク・ミュージシャンたちにブルースの何たるかを伝える役目を果たすことになります。ボーカリストとして活躍したテキサス・アレクサンダーも、その名のとおりテキサス出身で、彼はギタリストとしてロニー・ジョンソンを従えていました。
 その後、1940年代以降に活躍したブルースの巨人としては、ライトニン・ホプキンスとブルースだけでなくロック以降すべてのギタリストに影響を与え続けるギタリスト、T・ボーン・ウォーカー、この二人を忘れるわけにはゆきません。
 なお、デルタ・ブルースが黒人たちの北部への移住とともにシカゴを中心とする北東部へと広がっていったのに対し、テキサス・ブルースはロスを中心とする西海岸へと広がって行きました。西海岸とテキサスのつながりは深く、後のウエストコースト・ロックへとつながるカントリー・ロックの流れも西海岸がその中心地となって発展することになります。

(3)アパラチア山脈周辺のブルース
 アメリカ建国の歴史において、最も古い歴史をもつ土地、バージニア州。スコットランド系アイルランド人の移民が多かったアパラチア山脈周辺のこの地域には、バラッドの文化がどこよりも強く残されていました。そのため、この地にやってきた黒人たちの音楽にも強い影響を与えることになります。こうして、バラッド色、弾き語り的要素の強いブルースがこの地では育つことになります。ジョシュ・ホワイトらのブルース・ミュージシャンは、すぐ北にあるニューヨークへと渡り、そこでフォーク系の白人ミュージシャンたちに大きな影響を与えることになります。ニューヨークのフォークに最も大きな影響を与えたのはこの地域のブルースかもしれません。

<ブルースの特徴>
 こうして生まれたブルースについて、黒人音楽研究家のリロイ・ジョーンズは、3つの特徴をあげています。(「ブルース・ピープル」音楽之友社より)
(1) ブルースは黒人が初めて完璧なアメリカ語で作った音楽であった。
 これは、オリジナルの歌詞で黒人霊歌を作りながら英語をマスターしていった黒人たちが韻を踏むテクニックまでも自分のものにしたことで、初めて可能になったことです。それは、彼らが初めてすべての黒人たちにとって共通な言語を獲得したということの証明でもありました。さらにここから、現在のラップ・ミュージックに至る黒人たち独自の音楽・言語スタイルが生まれることにもなるのです。
(2)ブルースは黒人が初めてソロで歌った歌だった。
 それまでの黒人音楽は教会か労働の現場において集団で歌うものでした。当然、そこで歌われるのは「神への讃美」か「労働のためのかけ声」でしたが、一人で歌う歌にはそれとは別の対象「個人」もしくは「自分」が登場するようになったのです。そして、集団ではけっして歌うことのなかった自分自身の本音や隠された欲望など、「心」の内側を歌うことができるようになったのです。こうして、「恋」「セックス」「金」「悪魔」「不倫」「殺人」などについて歌う歌、「ブルース」が誕生することになるのです。(もちろん、ブルースでも「神」について歌われる曲はいっぱいありますが)こうした、ブルースの主なテーマは、その後ポピュラー音楽の歌詞にとって大きなインスピレーションの源となり続けることになります。
(3)ブルースは黒人が初めて伴奏を伴って歌った歌であった。
 それまでの黒人たちの歌は、どれもアカペラで歌われていました。しかし、ギターという自分でも作ることが可能な単純な構造の楽器の普及と自由な時間を利用することで弾き語り形式の演奏が可能になったのです。

<ブルースを生んだ時代背景>
 こうして初めて、黒人たちは自分たちの心の奥に潜む欲望や悲しみを、自分たち自身の言葉で表現することができるようになったのですが、それにはもうひとつ重要な時代背景の影響がありました。それは奴隷解放が行われ、黒人たちに自由が与えられるようになった19世紀半ば以降、その反動として南部では黒人へのリンチが激増、さらには州ごとに黒人を差別する州法が次々に成立。レストランや劇場だけでなく水飲み場までもが分離されるようになり、奴隷制以前よりも厳しい差別の状況が生み出されていたのです。その影響ががそれまで神への歌しかなかった黒人たちに新たな悲しみのはけ口を必要とさせたのかもしれません。「ブルース」が「黒人たちの悲しみを表現したもの」と言われるのも当然です。
「ブルースとは、心の状態であるとともに、その状態に声で表現を与える音楽である。ブルースは捨てられたもののすすり泣きであり、自立の叫びであり、はりきり屋の情熱であり、欲求不満に悩むものの怒りであり、運命論者の哄笑である」
ポール・オリバー著「ブルースの歴史」より
 「ブルース」という音楽の誕生は、黒人たちがアメリカで今後も生きて行くことを決意したことの証明だったと言えるのかもしれません。彼らはどんなに厳しい環境でも、どんなに残酷な差別を受けながらも、「もう自分たちはここで生きて行くしかない」そう覚悟を決めたのです。(その逆に、アフリカへ帰ろうと呼びかけた音楽がレゲエであり、その中心思想だったラスタファリニズムでした。ボブ・マーリーはその運動の先頭に立っていたからこそ、ジンバブエの独立運動を応援し、アフリカへと何度も出かけたのです)
「アメリカにいるアメリカ人が自分たちはアメリカを離れることなどないと気づいた瞬間からブルースは始まった」
リロイ・ジョーンズ著「ブルース・ピープル」より

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