- アフロ・アメリカン音楽の源流へ -

<さらなる過去への旅>
 このサイトでは、これまで20世紀後半のポップスについて、ロックを中心にその歴史を追ってきました。そして、ロックの歴史をさかのぼる中でR&Bやブルース、ジャズなどへ至ったわけですが、このコーナーではそこからさらに時代をさかのぼり、1950年代以前へとタイム・スリップしてみようと思います。
 先ずは黒人音楽の故郷、その文化の源流でもあるアフリカまで一度戻り、17世紀にアメリカへと船出した最初の奴隷船に乗って彼らの歴史をたどる旅に出発してみたいと思います。アフロ・アメリカンの悲劇的な歴史とそこから生まれた音楽の歴史をたどりながら、1950年へ戻ってきた後、もう一度アメリカにおける黒人文化を見直してみたいと思います。そして最後に現代にたどり着いた時、アメリカという国はどう見えてくるのか?僕自身、新たな発見をしながら書き進めることになると思うので、かなり楽しみです。しばしお付き合いいただければと思います。

<ブルース以前の時代へ>
 ブルースやジャズ以前、アメリカの黒人たちはどんな音楽を演奏していたのか?レコードという音の記憶装置が生まれる19世紀以前の音楽は、ほとんど推測の域を出ず謎に包まれています。ただはっきりしているのは、1619年にオランダ人によって連れられてきた20人のアフリカ人奴隷がアメリカに上陸し、彼らによってアフロ・アメリカ音楽の歴史が始まったということです。それでは、奴隷として連れてこられたアフリカ人たちが持ち込んだ音楽とはいかなるものだったのでしょうか?これまた、当然のごとく謎に包まれているわけですが、幸いなことに彼らの故郷を訪ねることで、その謎に迫れる可能性が残されています。
 もちろん、アフリカの音楽といってもいろいろありますが、ユッスン・ンドゥールサリフ・ケイタフェラ・クティーキング・サニー・アデフランコなど、最近ではアフリカのポップスを聞く機会も多いので、ある程度は「アフリカの音」の特徴をイメージできるのではないでしょうか。そんなわけで、アフロ・アメリカン音楽の源流である「アフリカの伝統音楽」について調べてみたいと思います。ただし、ここで言う「アフリカ」とはサハラ砂漠以北に住むイスラム系アフリカ世界ではなく、俗にブラック・アフリカと呼ばれる西アフリカ、中央アフリカ地域のことです。それは彼らの先祖こそアメリカに連れ去られた奴隷たちの源流だからです。

<古代アフリカの優れた文化>
 ブラック・アフリカの世界が文字のない社会であったことは、ヨーロッパ人がアフリカを「暗黒大陸」と呼んだ最大の原因かもしれません。しかし、21世紀の世界を見渡すと、そのことには疑問を感じざるを得ません。文字のない社会とは。ある意味「理想郷」とも思える世界です。特に最近の社会状況をみるとそのことを感じてしまいます。それはなぜかというと。
 文字のない社会とは、必然的に通信技術やマスコミが存在せず、人と人とが直接的に自分の思いを言葉によって伝えあう世界です。文字がなければ、情報を集めて、それらを統合することもできません。従って、それぞれの地域文化は個別に独自の発展をすることになり、オリジナリティーが保たれることになります。(もちろん、そうした文化は発展することができないため、非常に不便なものなのは確かです)
 こうして、アフリカの社会は異なる個性がお互いを認め合う平等な社会を作り上げることになったのだと言われています。残念ながら、そうした文化のほとんどは西欧諸国が「近代文明」を持ち込んだことであっという間に消え去ってしまいました。もちろん、そんな理想郷的世界を再び甦らせることなどできるわけがありません。しかし、そうした文化だったからこそ生み出されたのが、未だにアフリカ各地に残っている素晴らしい音楽の数々なのです。

<アフリカ音楽の原点>
 例えば、セネガルの音楽で有名なタムタムのリズムは、女性たちが臼で粉をひくリズムから生まれたと言われています。それぞれの女性たちが、大きさも重さも異なる臼をそれぞれの杵で歌に合わせてつく時の微妙に異なる音が生み出す複雑な音とリズムの組み合わせ、これこそ彼らの音楽の基本であるポリリズムの原点なのです。
 さらに、文字のない社会は情報伝達の多くを音に頼ることになるため、人間は音に対して非常に敏感になります。そのため、音による通信手段が発達し、「言葉」と「音楽」の境界は曖昧になって行きます。
 こうして、複雑なリズムの組み合わせと同様に複雑な声の組み合わせもまたアフリカ音楽の重要な特性となりました。アフリカが生んだ美しいハーモニーは、その後アメリカでも素晴らしいゴスペル音楽などを生み出します。重要なのは、こうした歌の文化は声だけではなくトランペットやギターなど、あらゆる楽器にも利用されていることです。それは黒人音楽における楽器はすべて声の代わりとして使われているのだということでもあります。
 そんなアフリカ音楽の伝統的な音楽を聴いてみたいという方は、ビクターから出ている世界の民族音楽シリーズがお薦めです。「密林のポリフォニー〜イトゥリの森ピグミーの音楽」「驚異のイリンバ・アンサンブル/タンザニア・フクウェ・ザウォセの世界」「タムタム・ファンタジー/コートジボアール仮面祭の一夜」「超絶のコギリ/カクラバ・ロビ」などは録音も素晴らしく聴き応えもあると思います。

<アフリカの言語と音楽>
 アフリカの音楽について、もうひとつ重要な点があります。それはアフリカ音楽の基礎となっている言語のほとんどが「音節拍リズム言語」と呼ばれる種に属していることです。
 「音節拍リズム言語」とは、言語を組み立てているいくつかの音節はみな同じ長さであるため、その音節の数によってその言葉を発音する際のリズムが決まるということなのです。(日本語もこの仲間に入っているそうです)それに対して、「強勢拍リズム言語」という種があります。この言語において音節の長さは一定ではなく、従って音節の数によってリズムを決めることはできません。では何が一定なのかというと、アクセント(強勢)の位置がほぼ等間隔になっているのです。ということは、アクセントの位置によって言語のリズムが生み出されるということです。そして、この「強勢拍リズム言語」の代表格がアメリカ語(英語)なのです。
 ちなみに、もうひとつのアメリカである南米に広まったスペイン語、ポルトガル語はというと、アフリカの言語と同じく「音節拍リズム言語」に属しています。ブラジルのサンバ、キューバのサルサなどがアフリカ直系のポリリズムを引き継いだダンス・ミュージックとして発展してきた最大の理由は、そこにあるのかもしれません。
 それに対して、まったく異なる言語圏の国アメリカにやってきたアフリカ人たちは、自分たちの文化を伝えて行く際に大きな障害に直面することになりました。そのうえ、北米におけるアフリカ人奴隷に対する支配体制は、南米でのそれに比べて、より過酷なものでした。彼らは白人たちによってアフリカの記憶を徹底的に消し去られて行きました。

<ブラック・コードのもとで>
 かつてアメリカにはブラック・コード(黒人法)と呼ばれる州ごとの法律があり、それによると黒人奴隷は以下のような存在と扱われていました。
 奴隷は売買の対象となる財産(動産)であり、市民権は存在しない。
 奴隷は死ぬまで奴隷であり、その子供もまた奴隷として扱われる。
 奴隷に読み書きなどの教育を施してはならないし、独習も禁じられている。
 奴隷は財産の所有や結婚などすべての契約的行為の当事者となることも許されない。
さらに州ごとに細かな決まりがあり、通信手段となりうるパーカッションなどの所有を禁じたり、奴隷だけの集会を禁じるなどの反乱予防対策もとられていました。
 奴隷主によっては、黒人たちをさらに分断するため、彼らがかつて属していた部族名を調べ、同じ部族が集まらないようバラバラにするなど、徹底的に彼らの共通文化を消し去ろうとしました。
 こうして、奴隷たちは言語を学ぶ機会もなく、かつての文化も奪われた状態でアメリカで生き続けなければならなかったのです。彼らの生きることになった土地アメリカこそ、本当の意味の「暗黒大陸」だったのかもしれません。
「黒人たちが奴隷にされた他のどの国においても、合衆国におけるほど、アフリカ文化が破壊されたところはなかった。今日においても、南アフリカやカリブ海諸島においては、奴隷船によってやってきたアフリカの宗教、音楽、言語が、あいかわらず存在している。合衆国の黒人たちの間では、アフリカの破片だけしか残っていない。・・・」
ジュリアス・レスター著「奴隷とは」より
 200年という長い期間にわたり奴隷制度というものが存在し、そのため、救いのない恐怖に脅えながら生きなければならなかった人々がいたということ。その屈辱と恐怖について、本当はもっと具体的に説明するべきなのかもしれませんが、それはそう簡単に語りきれることではありません。できれば、岩波新書出ている「奴隷とは」(ジュリアス・レスター著)を読んでいただければと思います。
 ブルースやジャズは、南米とは異なるこうした社会、文化状況の中で、アフリカの文化がねじ曲げられ、押しつぶされそうになりながら、そこからはい上がることで生み出された音楽なのです。「ブルース」という言葉に込められた深い悲しみの源流は、こうして始まったのです。

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