「ブレード・ランナー Blade Runner」 1982年

- リドリー・スコット Ridley Scott -

<フィリップ・K・ディック>
 1970年代後半、物理学科の学生だった頃、僕はSF小説を読み漁っていました。最初にSF映画の傑作「スローターハウス5」の原作者カート・ヴォネガットにはまったのをきっかけにSF小説の名作と呼ばれる作品を次々に読み始めました。古くはSF小説の原点と呼ばれるメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」からH・G・ウェルズの古典的名作「タイムマシン」「ドクター・モローの島」やロバート・A・ハインラインの「夏の扉」(山下達郎がこの小説のイメージから同名の曲を作っています)、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」、ブライアン・オールディーズの「地球の長い午後」、J・G・バラードの「結晶世界」、スタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」など、SF小説の金字塔の数々、そして1960年代にブームを巻き起こしたニューウェーブの作品群、ハーラン・エリスンやA・K・ルグィンの小説などなど。そしてそれらの中でも特に熱中して読んだのが、当時サンリオ文庫から出ていたフィリップ・K・ディックの作品群でした。彼の作品には、他の作家のものとは明らかに違う独特の世界があり、そこにひかれていたのだと思います。
 そんな僕にとって、「エイリアン」の監督として有名になったばかりのリドリー・スコットがディック初期の名作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を映画化するという情報は、大きな期待感を抱かせるものでした。デヴィッド・リンチがF・ハーバートの「砂の惑星」を映画化するという情報もびっくりでしたが、当時は「スター・ウォーズ」のメガ・ヒットにより映画界全体がSFブームにあり、それが次々とSF小説の名作を映画化する原動力になっていたのです。(ちなみに1990年代になると、「ハリー・ポッター」シリーズのヒットから「指輪物語」「ナルニア国物語」「ゲド戦記」などファンタジー小説が次々に映画化されることになります)

<「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」>
 この不思議なタイトルの小説は数あるディックの作品群の中でも初期の傑作のひとつで、後期の作品がもつ病的なまでの怪しげな魅力には欠けるものの、その分ストーリーに破綻が少なく分かりやすい作品です。(ただし、彼の小説の魅力はもしかするとストーリーがどうしようもなく破綻してしまうところにあるともいえるのですが・・・)それだけに彼の作品を映画化するなら最適のものだったと思います。
 おまけに、映画化する監督が、暗くて薄汚れた宇宙船(ノストロモ号)を創造することで、それまでとは異なるリアルなSF映画の世界を切り拓いたリドリー・スコットとくれば期待しないわけには行きませんでした。それは世界中のディック・ファンも同じ気持ちだったでしょう。
 ちなみに、この映画の成功をきっかけに彼の小説は次々に映画化されることになります。「スクリーマーズ」(1996年)「トータル・リコール」(1998年)「クローン」(2001年)「マイノリティ・リポート」(2002年)「ペイチェック 消された記憶」(2003年)それにフランス映画では彼の一般小説の代表作「戦争が終わり、世界の終わりが始った」が「バルジョーでいこう!」というタイトルで映画化されていまが、どれも短編小説か初期の作品です。
 ちなみに、ここでタイトルに使われた「ブレード・ランナー Blade Runner」という言葉は、P・K・ディックの作品からとられたのではなく、同時代のもう一人の異端作家ウィリアム・バロウズの作品からとられています。それは、ディック以上の麻薬常習者だったバロウズが、アラン・E・ナースの小説を映画化するために脚本化した作品のタイトルだったそうです。

<リドリー・スコット>
 この映画の監督リドリー・スコット Ridley Scottは、1937年11月30日イギリスのサウスシールズに生まれています。ウェスト・ハートレイプール・カレッジでグラフィック・デザインを学んだ後、アート・ロイヤル・カレッジの映画科に入り、1965年BBCに入社。セット・デザイナーから始め、演出に転向。自らのプロダクションを設立しTVCMを3千本以上も制作する売れっ子映像作家となりました。彼はこの当時のことについて後にこう語っています。
「CMは見る者を操作する究極の技法だ。私はCMにおける編集と照明で多くの心理的要素を習得した」
 名プロデューサー、デヴィッド・パットナムに認められた彼は、1977年いよいよ長編映画「デュエリスト-決闘者」で監督デビューを果たし、カンヌ映画祭で審査員賞を受賞しています。

<「ブレード・ランナー」>
 1982年、原作とはかなり異なるストーリーとなって映画「ブレード・ランナー」は公開されました。完成作品を見ることなくこの世を去ったP・K・ディックは、原作とはまったく違う脚本に激怒したそうですが、試写会で見たLAの未来映像には大いに満足して機嫌を直していたということです。
 僕も、この映画を最初に見た時、オープニングで登場するLAの空撮映像とヴァンゲリスの音楽だけで、「この映画は傑作だ!」と確信したものです。改めて考えてみると、この作品のオープニングの「 ルック Look」は、この作品のすべてを表わしていたように思います。(ここでいう「ルック」とは映画の撮影用語で画面全体のもつ雰囲気をさします。画面の明るさ、色調、画面粒子の粗さ、被写体への光の当たり具合やピントの合わせ方、陰影のつけ方などなど。多くの監督はそれぞれ独自の「ルック」を持っていますが、それは担当するカメラマンのもつ独特の「ルック」でもあります)
 こうして、多くのSFファンたちに期待されて公開が始った「ブレード・ランナー」でしたが、実のところ公開当初の評価はいまひとつで、興行的にも大赤字になってしまいました。ところが、この作品はその後、時間をかけてじわじわとその評価を上げて行くことになります。当初、違和感をもって迎えられた未来の地球像は、しだいに現実のものとなり、人々はその映画の先見性に気づくとともに、何度もこの作品を見直すことになります。こうして、この映画は80年代を代表するカルト・ムービーとして歴史に刻まれることになっていったのです。
 カルト・ムービーとして、より若い世代にも見られることになったこの作品は、その後映画を作るようになる若者たちの多くに影響を与えることになり、その後誕生するSF映画の「ルック」はほとんど「ブレード・ランナー」的なものになってゆきました。(例えば、「ターミネーター」、「ロボ・コップ」、「マトリックス」、「攻殻機動隊」、「フィフス・エレメント」、「12モンキーズ」・・・・で出てくる無国籍で薄汚れたごちゃごちゃした街の様子)
 こうして、この映画のもつ奥深さのおかげでビデオは売れに売れることになり、初公開から10年後、リドリー・スコット監督が望んでいたラストシーンで終わる「ディレクターズ・カット版」がリバイバルとして公開されるという業界初の試みまでが実現します。このディレクターズ・カット版のヒットにより、映画界ではヒット作の公開後に再びディレクターズ・カット版やノーカット版で商売ができることが業界の常識となります。そしてその後この手の作品が数多く生まれることになります。

<ディレクターズ・カット版>
 ディレクターズ・カット版でリドリー・スコットがカットした部分とは、映画のラストで主人公のデッカードとレプリカントのレイチェルが車に乗って逃亡するシーンとそのナレーションです。元々、このシーンは監督の構想では存在せず「レイチェルはその後も死ぬことなく、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし・・・」(まあこんな感じでしょうか)というナレーションもなくぷっつりと終わることになっていました。
 しかし、このラストで完成された作品を試写会で見た多くの観客、関係者がラストが暗すぎると感じたため、映画会社からラストを変えるよう指示が出ました。もちろん、彼はそれに猛反対したのですが、会社側の圧力には勝てず、結局二人が逃亡するシーンが加えられることになったのでした。
 ところで、このラストのドライブのシーンは、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」のオープニングで主人公が山中のホテルへと車で向かうシーンとして撮られ使用されなかったものを流用したのだそうです。
 もともとリドリー・スコットはなぜラスト・シーンをぷっつりと終わらせたかったのか?それは、この映画が伝えたかったのは「愛は勝つ」というメッセージではなかったからです。この映画の基本ストーリーは、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説と「フランケンシュタイン」を近未来を舞台をに再現するというものです。しかし、その単純なストーリーが展開する複雑極まりない近未来の社会状況こそがこの映画の重要なテーマだったのです。忘れてならないのは、最後に主人公の同僚が残した折り紙のメッセージです。よく見ると、それは一角獣ユニコーンでした。ユニコーンの角は不老不死の薬になると言われています。
 記録と記憶、男と女、奴隷と追跡者、自由と管理、人間とアンドロイド、生と死・・・・。この作品には数々の対立する概念が登場しています。しかし、この物語が展開する世界の複雑な状況がこれら一見明解に思える概念を複雑であやふやな存在へと変貌させてしまうのです。なんという粋な別れの挨拶!そして、二人の旅立ちに与えられた最高の祝福だったことでしょう。この同僚を演じたエドワード・ジェームス・オルモスは、メキシコでは映画監督としても有名な存在です。
 レイチェルはレプリカントでしたが、主人公のデッカードは本当に人間なのでしょうか?彼の記憶は本物の記憶なのでしょうか?レプリカントたちが体験してきた地球外での冒険こそ、人類が失ったロマンそのものなのではないでしょうか?(死の間際にレプリカントがデッカードに語った宇宙空間での冒険の記憶のなんとロマンチックなことか!)

「とてもあんたたちには信じてもらえないよいうなものを見たのだ。オリオン座よりもむこうで、災いに包まれた船団を攻撃する。タンホイザー門の近くの暗がりで、D光線が眩く輝くのを、おれは見た。こうしたすべての瞬間は、雨に涙が流されるように、時の中に失われてゆく。もう死ぬ時がやってきた」

レプリカントと人間を区別することに意味はあるのでしょうか?彼らこそ、本物の人間なのではないでしょうか?記憶の移植が可能になったら、死は肉体という乗り物を乗り換える区切りの時にすぎないではないでしょうか?脳内の記憶を自由に管理できるようになったとしたら、人間に自由というものは存在しうるのでしょうか?それどころか、この映画を見ているあなた自身、実在すると言い切れるのでしょうか?

<混沌の街、LA>
 この作品を見るたびに、いつの間にか、すべてのものが不確かであやふやなものに見えてきます。そして、そのことに思い至って初めて、この作品を理解できたといえるのかもしれません。そして、このあやふやな状況を象徴し視覚化したのが、この作品におけるLAの街の混沌だったともいえるでしょう。
 そこにはエコロジーの思想どころか、社会全体を動かすような宗教、思想、倫理などはまったくありません。そこにあるのは、あらゆる方法を使って人間の欲望を刺激しようとするコマーシャルにあふれた世界、自由経済体制の成れの果ての姿です。壊れかけた建物は改築されることもなく、醜い補修作業によってかろうじてその機能を保っています。そこでは、本質的なことはみな後回しにされ、すべてがその場しのぎの方法によって取り繕われているのです。だからこそ、未来のLAはかつてSF映画で描かれていた街の姿ではなく、第二次世界大戦終結時のウィーンの街のように欲望によって支配された混沌の街として描かれているのです。そうです、あの「第三の男」のように。

<近づきつつある現実>
  公開当時、多くの人が「これこそがリアルな近未来像だ!」と絶賛した世界に現実はどんどん近づきつつあります。しかし、それは原作者のディックがそうなることを恐れていた世界像でもあります。
 先日、検索エンジン大手のGoogleが月の探査を民間で行う2000万ドルの賞金レースを発表しました。(2007年)「賞金を賭けた宇宙開発レース」これなど、まさにブレード・ランナー的世界でありそうなことです。こうして人類は滅亡しない限り着実に進歩の歩みを進め、社会は「ブレード・ランナー」的世界をも超えてゆく事になるのでしょう。しかし、その時人類の価値観や倫理観も、それに合わせて向上もしくは変化しているのでしょうか?残念ながら、その可能性は低いように思います。
 知識や情報はコンピューターによっていくらでも蓄積し世代を越えて伝えることができますが、知恵や良心を蓄積したり伝えたりすることは非常に困難です。それができる数少ない人々として、「芸術家」がいるのだと思います。(その意味では、優れた教師も僕は芸術家だと思います)「芸術家」とは、こうした必然的に生まれる「混沌(カオス)」に秩序を与える人々のことだと思います。
「ディックの主人公は必ず直接手で何かを作り出すような人たちであって、大量生産に携わるような工業労働者ではない・・・」
ダルコ・スーヴィン
 それぞれの人間がもつ創造力によって、壊れ行く世界に少しずつ秩序を与え復興させてゆく作業だけが未来を「ブレード・ランナー」とはことなるもうひつの世界へと向かわせる唯一つの方法なのだと僕は思っています。
「しかし、これだけははっきりいっておきたい・・・ディックが見事に描いてみせる種類の世界にわたしは住みたくない。できればわれわれがそこに住んでいないことを信じたいというのが、わたしの願い・・・痛切な願いである。・・・・・」
ジョン・ブラナー「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック T」より

「ブレード・ランナー Blade Runner」 1982年
(監)リドリー・スコット
(製)マイケル・ディーリー
(製総)ハンプトン・ファンチャー、ブライアン・ケリー
(脚)デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ、ハンプトン・ファンチャー
(原)フィリップ・K・ディック
(撮)ジョーダン・クローネンウェス(特撮)ダグラス・トランブル
(デザイン)シド・ミード(音)ヴァンゲリス
(出)ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング、エドワード・ジェームス・オルモス、ダリル・ハンナ

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