アンドロイドは創造者の夢を見るか?


「ブレード・ランナー2049 Blade Runner 2049」

- ドゥニ・ヴィルヌーヴ Denis Villeneuve -
<記憶の映像化>
 映画を作ることは、誰かの記憶を映像化する作業でもあります。
 たとえば、原作が「小説」だとすれば、それは著者が執筆中の脳内記憶の映像化となりますが、主人公の悪夢のような体験の記憶を映像化したともいえます。
 映画史に残る作品となれば、そこで描かれている記憶は、より多層的なものとなっていて、最終的にはその映像は映画ファンにとって共通の記憶となっています。
 たとえば、その作品が「市民ケーン」なら、そのメイン・ストーリーは「バラのつぼみ」に込められた伝説の新聞王の記憶を解明する過程です。そのために、主人公は新聞王を知る人々の記憶の断片を取材しながら、その復元を試みます。映画「市民ケーン」は、そうして集められ構築された巨大な記憶の記念碑といえます。
 その構築物を作り上げるために監督のオーソン・ウェルズは、その当時許された最高の映像技術と予算を湯水のように使いました。しかし、そうして生み出された映像は、今や映画ファン共通の記憶となっています。そして多くの映画は、それぞれの主人公がそれぞれの「バラのつぼみ」を探す物語になっています。
 たとえば、「地獄の黙示録」でのカーツ大佐であり、「2001年宇宙の旅」のモノリスであり、「タクシー・ドライバー」のアイリスでしたが、一作目の「ブレード・ランナー」の主人公にとっては脱走したレプリカントが探すべき存在でした。(最後に主人公のデッカードは、レプリカントの中に魂を見つけ、その唯一の生き残りと共に逃亡の旅に出ました)
 「ブレード・ランナー2049」の主人公は、「バラのつぼみ」ならぬ「木彫りの馬」に関わる記憶を追うことになりますが、その記憶が作られたものであることに気づき、その真実にたどり着くことになります。

<記憶の共有>
 前作「ブレード・ランナー」は、原作となったSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の著者フィリップ・K・ディックが予見した悪夢の未来がもとになっていると言えます。(彼の小説は、ほとんどすべて彼が見た悪夢を小説家した作品といえます)しかし、それが映画になった時点でそこには新たに脚本家や監督、プロダクション・デザイナーらの記憶も付け加えられることになります。(そのまま単純に映像化しただけでは、B級映画の域を出ないはずです)
 たとえば、「ブレード・ランナー」の監督リドリー・スコットは、英国人的な感性から、ロサンゼルスの街にロンドンのような雨を降らせ続けることで、それまでの映画にはなかった新たな「ルック」を生み出すことに成功しました。そして、続編である「ブレード・ランナー2049」の監督を務めたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、自らの故郷カナダのモントリオールのように雪を降らせることで、寒冷地化した新たな世界の「ルック」を生み出しました。さらにこの作品には前作でも参加していたシド・ミードも参加。悪夢のような廃墟となったラスベガスの街を作り上げました。
 こうして、様々なスタッフの記憶が付け加えられることで、この映画はより奥深く、より多層的な世界観を生み出すことになったのです。
 この作品の監督をすることになったヴィルヌーヴ監督は、脚本を書いたハンプトン・フォンチャーにこう言われたといいます。
「君にプレッシャーをかけるようなことはしたくない。最初の映画は夢を描いていた。私たちはいろいろな夢を見た。だから、君も同じことをすればいい。論理的に考えることはない。ただ、夢を見ればいいんだ」
 こうして監督は、前作「ブレード・ランナー」の夢の続きを見る役割を引き受けたのでした。
「この映画は自分が引き受けてきたどんな映画とも違っている。これまでは自分自身の内側から生まれる世界をつくりあげてきた。演劇を映画化したこともあるが、それでも自分自身のイメージを創造しなくてはならなかった。でも、今度は別の人物の夢を引き継いだのが、これまでになかった体験だ。・・・・・」
ドゥニ・ヴィルヌーヴ

<記憶の呼び覚まし>
 この作品では、観客の前作についての記憶を呼び覚ますように、様々な前作のモチーフがさりげなく織り込まれています。それは前作へのオマージュにもなっていて、ファンにはうれしい仕掛けになっています。
(1)レプリカントの農夫モートンとの闘いで壁を突き抜ける場面は、前作ラストでのデッカードとロイ・バッティの死闘を思い出させます。
(2)Kがデッカードの同僚だったガフを訪ねると、彼は折り紙の「羊」を折ってくれます。彼は前作でラストに折ってくれたユニコーンもまた重要な記憶の鍵でした。
(3)初めて外に出たジョイが手のひらで雨を感じようとする場面は、ロイ・バッティが感覚を取り戻そうと手のひらに釘を差し込んだ場面を思い出させます。
(4)Kを助けることになる娼婦マリエッティのヘア・スタイルとメイクは前作のレプリカントのプリスとそっくりでした。
(5)ウォレス社の壁に映る波のような揺らめきは、前作におけるタイレル社の社長室の揺らめきと似ています。
(6)ジョイが途中で着ていた毛皮のコート(もちろんフェイク・ファーでしょう)は、かつてレイチェルが着ていたコートを思い出させます。
(7)ラストのKの階段での雪に降られながらの死は、ロイ・バッティの屋上での雨に濡れながらの死とそっくりです。

<記憶の謎>
 「記憶の移植」は、どうやって行われているのか?
 ネクサス9型はどうやって作られるのか?
 この映画を見ていて、様々な疑問が浮かびました。でも、そうした科学的なリアルな部分についての描写はまったくありません。そこはヴィルヌーヴ監督の過去の作品「複製された男」とも共通しています。なぜ、自分とまったく同じ人間が存在するのか?その説明はないままドラマは進行して行きます。

「リドリーにとって大切なことは、この映画では実際に描かれていないことだと思う。映画では描写されていないことが重要なんだ。見えない世界こそね。どうやってレプリカントがデザインされ、つくられていったか、といったようなことだ。そう考えると「ブレード・ランナー」は凄く広がりのある内面の世界を描いた作品ともいえる・・・」
ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 思えば、チューブから落ちてくる生まれたてのレプリカントって、どうなんでしょう?その生まれ方はあまりリアリティーが感じられません。描写されるのは、出産の瞬間だけでその間は、完全にブラック・ボックスのままです。
 でも、P・K・ディックの作品はすべて科学的な視点は基本的に無視されています。元々、ディックが見た悪夢を文章化することが目的なのですから、そこに科学的根拠など必要ないのです。よく考えると、この映画の物語全体が悪夢なのですから、そこに科学的説明は不要であり、問題はなぜ我々がこの映画を見て怖いと思うのか?ありそうな未来だと思うのか?そこにあるのです。
 あなたの記憶は本物か?は重要ではなく、記憶を見たあなたが本物と感じてしまうことが問題なのだということです。

<記憶の造形>
 この映画の撮影は意外なことに、ほとんどがセットを背景に行われているようです。何もない緑色の背景だけをバックに撮影してCGで背景を追加する方法の方が、撮影は楽だったはずですが、ヴィルヌーヴ監督はあえてそれを避けたようです。
 セットして新たにデザインされたラスベガスの廃墟となった街並みや建造物のデザインには、ヴィルヌーヴ監督から依頼を受けたオリジナルのデザイナー、シド・ミードが関わったようです。(リドリー・スコットの「エイリアン」、「ブレード・ランナー」両作品で世界を驚かせるセットのデザインを行った人物)

「形がはっきりあるものが欲しかった。実物や本当の小道具が欲しい。背景も本物であってほしい。そのほうがアイデアがひらめくんだ。場面も浮かんでくるし、映画を鼓舞する力がある。私はこれまでの映画で、俳優たちからインスピレーションを得ていた。そして俳優たちは周囲の世界によって何かを得る。私の映画は俳優たちの夢の創造からできている。だから彼らはインスピレーションを与えるものを用意しなくてはならない。撮影のロジャー・ディーキンスとともに、まずすべてを実際につくりあげることから始めようと考えた。グリーン・スクリーンはほとんど使っていない。・・・」
ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 CGを用いないセット重視の撮影のため、プロダクション・デザイナーであるデニス・ガスナーは責任重大だったはずです。彼はセット作りの基準となるものが何かを監督のデニス・ヴィルヌーヴに尋ねたといいます。
「もしも、ひと言でこの映画の世界観を表現するとしたら、何になるだろう。私はまず、監督にそんな質問をした。すると彼は、”ブルータル(荒々しさ)だね”と答えた。それで私は荒々しい雰囲気を感じさせる建築物を登場させようと思った」
 こうして、ロケ地として選ばれたのは、東欧のハンガリーでした。ブダペストにあるオリゴスタジオと東ヨーロッパらしい旧ソビエトの傘下にあった時代の建築物が、この映画の背景となりました。裏返しになった巨大なパラボラ・アンテナの中の孤児院の内部として使用されたのは、ブタペスト近郊にある旧ソ連時代に建てられた発電所と電子部品の倉庫跡内部でした。
 世界の未来の姿が、ソ連崩壊前の東欧の街並みに重なるのは、ある意味必然もしれません。経済・政治体制の崩壊によって、スクラップ&ビルドの対象とならずに残った建造物は美しさと歴史の年輪を兼ね備えています。それは20世紀以前のヨーロッパの記憶が凍り付いたように保存された場所です。
 シド・ミードによる美しく怪しい未来の世界観とヨーロッパの記憶が融合することで、この映画独特の世界が生み出されました。

<記憶の音像>
 この映画は映画館で見ることをお薦めします!
 音響が素晴らしいので、良い環境で音と映像を体感するべきだと思います。大御所のハンス・ジマーとベンジャミン・ウォルフィッシュによる音楽は、前作のバンゲリスの曲の断片を使った音楽と効果音の中間のような不思議なサウンドです。
 そのため、昔ながらのハリウッド映画的なドラマチックな音楽は控えられ、前作のようなドラマチックなメロディーがないため、少々不満に思えるかもしれません。ただし、それは未来を音を追求したゆえの選択だったのかもしれません。

<2049までの歴史>
<2019年>
 ブレード・ランナー、リック・デッカードが植民惑星から逃亡してきたネクサス6型を解任し、試作品のレプリカント、レイチェルと逃亡し行方不明となる
<2020年>
 寿命の制限がないネクサス8型が作られ、識別しやすいように眼球に識別番号が刻まれる
<2022年>
 西海岸の上空で核兵器が爆発。それにより、すべての電子機器が破壊され、それまでのデータすべてが破壊される。それにより世界の経済・流通・政治体制が崩壊。その原因がレプリカントによる叛乱であったことがわかり、レプリカントの製造は禁止となる。(2023年)
 短編アニメ「ブレード・ランナー ブラック・アウト2022」参照
<2025年>
 世界的な食糧危機を救うためにニアンダー・ウォレスが遺伝子組み換え食料を開発し、それを無償提供し世界を救う。ウォレス社は世界的な企業となり、植民惑星にも進出。
<2028年>
 ウォレス社が倒産したタイレル社の負債を買いとり、そのノウハウを利用した新たなレプリカント開発を開始
<2036年>
 完全に精神を制御できる従順なレプリカントの開発に成功したウォレス社は、新型のレプリカント、ネクサス9型を発表し、レプリカント禁止法を廃止させる。
 短編映画「ネクサス・ドーン」参照
<2040年>
 違法レプリカントであるネクサス8型の解任業務が強化される。
<2048年>
 LA近郊で農業を営むサッパー・モートンはビビのバー付近で母娘を救おうとしたために、ネクサス8型との疑惑をもたれる。
 短編映画「ノーウェア・トゥ・ラン」参照

「ブレード・ランナー2049 Blade Runner 2049」 2017年
(監)ドゥニ・ヴィルヌーヴ Denis Villeneuve
(原・脚)ハンプトン・ファンチャー Hampton Fancher
(脚)マイケル・グリーン Michael Green
(製)アンドリュー・A・コソーヴ、ブロードリック・ジョンソンほか
(製総)リドリー・スコット、ビル・カラッロほか
(撮)ロジャー・ディーキンス Rojer A Deakins
(PD)デニス・ガスナー Dennis Gassner
(視効)ジョン・ネルソン John Nelson
(衣)レネー・エイプリン Renee April
(音)ベンジャミン・ウォルフィッシュ Benjamin Wallfish、ハンス・ジマー Hans Zimmer
(出)ライン・ゴスリング(K)、ハリソン・フォード(リック・デッカード)、アナ・デ・アルミス(ジョイ)、シルヴィア・フークス(ラヴ)、ロビン・ライト(ジョン)、マッケンジー・デイヴィス(マリエッティ)、デイヴ・バウティスタ(サッパー・モートン)、カーラ・ジュリ(アナ・ステライン)
ジャレッド・レト(ニアンダー・ウォレス)このウォレス社の社長役は、当初、デヴィッド・ボウイに依頼される予定だったそうです!
<あらすじ>
 ネクサス9型のレプリカントの捜査官Kは、上司のジョンからの指示を受け、ロサンゼルス近郊に住む農夫サッパー・モートンを訪問。彼がネクサス8型であることに気づき、格闘の末解任に成功。さらに彼はモートンの農地に立つ枯れ木の根元に埋められた謎の箱を見つけると、そこから出産後によって死亡したと思われる女性の骨が出てきました。
 もしかすると、その骨は2019年に行方不明になったレイチェルかもしれない・・・だとすれば、生まれた赤ん坊はレプリカントの子供ということになる。それが事実なら世界は再び大混乱になる。そこでKには、赤ん坊を探すこととその事実を隠蔽するという指示が出されます。
 Kはその赤ん坊が、母親の死後、孤児院にあずけられたことを知り、そこを訪ねます。ところが、Kはそこで自分もその孤児院にいたことがあることを思い出し、かつて自分が隠した木彫りの馬を見つけます。すると、その馬のオモチャに自分の生年月日が刻まれているのを見つけ、同じ数字が母親が埋められていた場所に立っていた枯れ木にも同じ数字が刻まれていたことを思い出します。
 もしかすると、自分はレイチェルの子供なのかもしれない。そう思い始めたKは、自分のあやふやな記憶の謎を解くため、その記憶を作った人物に会いに行きます。
 Kは本当にレイチェルの子供なのか?
 Kの記憶は本物なのか?
 謎の子供の父親と考えられるリック・デッカードはどこにいるのか?

<新たな記憶は生み出されるのか?>
 レイチェルの子供の記憶を共有するレプリカントは、Kだけなのでしょうか?
 もしかすると、ネクサス9型すべてに潜んでいるのではないでしょうか?
 レイチェルの子供が、レプリカントたちの記憶の創造者として、「レプリカント独立戦争」の指導者として立ち上がったら?
 彼女がレプリカントにとっての「自由の女神」もしくは「ジャンヌ・ダルク」となるのでしょうか?
 そして次なる指導者となる子供を産むために、もうひとり伝説的なレプリカントとの出会いはあるのでしょうか?
 「猿の惑星」的な輪廻転生展開となり、「ブレード・ランナー3 レプリカント地球征服」が作られるのでしょうか?
 「2001年宇宙の旅」的人類進化SFとなり、レプリカントは人類の進化形として宇宙の果てへと旅立つのでしょうか?
 楽しみは続くかもしれません。

<ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の仕事>
「灼熱の魂 INCENDIES」(2010年)
(脚)ドゥニ・ヴィルヌーヴ(原戯)ワシディ・ウァマッド(撮)アンドレ・トゥルパン(出)ルブナ・アザバル、マキシム・ゴーデッド
中東系移民の母親の死からその激動の人生を知る子供たちのドラマ

「複製された男 Enemy」(2013年)
(原)ジョゼ・サラマーゴ(脚)ハビエル・グヨン(撮)ニコラ・ボルデュク(音)ダニー・ベンジー、ソーンダー・ジュリアーンズ(出)ジェイク・ギレンホール、メラニー・ロラン、サラ・ガドン
ノーベル文学賞受賞作家による「不条理小説」の映画化
ジェイク・ギレンホールの鬼気迫る演技とリアリズム演出が恐い作品

「プリズナーズ Prisoners」(2013年)
(脚)アーロン・グジコウスキ(撮)ロジャー・A・ディーキンズ(音)ヨハン・ヨハンソン(出)ヒュー・ジャックマン、ジェイク・ギレンホール、ポール・ダノ、メリッサ・レオ
子供を誘拐された親の苦悩と復讐の物語、と思ったらサイコサスペンスへと転換して行く予想外の展開の謎解きミステリー。
ヒュー・ジャックマンが恐いと思ってみていると、最後にもっと怖い人が現れます!長くて重い映画だけど2本分見た感じがするはず。

「ボーダー・ライン Border Line」(2015年)
(脚)テイラー・シェリダン(撮)ロジャー・ディーキンス(音)ヨハン・ヨハンソン(出)エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、ヴィクター・バーガー
メキシコ国境地帯での麻薬密売ルート阻止のための作戦を緊迫感たっぷりに再現
キャスリン・ビグロー作品のようなリアリズム・戦争アクション

「メッセージ Arrival」(2016年)
(原)テッド・チャン「あなたの人生の物語」
(脚)エリック・ハイセラー
(撮)ブラッドフォード・ヤング
(編)ジョー・ウォーカー
(視覚効果)ルイ・ラモン
(Pデザイン)パトリス・ヴァーネット
(音)ヨハン・ヨハンソン(アカデミー音響賞受賞
(出)エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マーク・オブライエン、ツィ・マー
ファースト・コンタクトSFの新たな傑作誕生!
「言語」を学ぶことは、その「言語」を使う人々の世界観を学ぶことと同じという考えを、宇宙人にまで広げ、それが精神の拡張にもつながるというのが味噌!
その「言語」が「表意文字」、「表音文字」ではなく「表義文字」であるところも重要。それが「輪」(輪廻)と「水墨画」(イカ墨?)を意識しているところも、なるほどです。(そういえば、宇宙人の姿は「イカ」のようにも見えます)
未来がわかっていてもなお、その人生を生きるというのはどんな気分なのか?そこも気になります。
20世紀最高のSF「2001年宇宙の旅」のモノリスが、ここでは角が取れて丸くなっています。そのせいか宇宙人の性格も丸いようです。(この発想は人間的過ぎるか?)
「言語」は「武器」である。
ただし、それは平和利用しなければ、危険な武器にもなるはずです。幸いにして高度な知性は争いを卒業しているからこそ、そこまで高度な知性を持つまでに進化できたのかもしれません。
人類は、そこまで進化できるのか?
「輪」の理解なくして、「世界平和」も「平等な社会」もあり得ない。
まさにこの作品自体が世界に対する「メッセージ」なわけです。
ただし、ヴィルヌーヴ監督は、そんな大それた考えを言ったつもりはなく、映画の原題はあくまでも「アライバル(到着)」です。
そして、テッド・チャンの原作タイトルは「あなたの人生の物語」とあえて、一人の人物の人生だけに的を絞っています。
思うに、本当のメッセージは、個人レベルの生き様からしか伝わらないものです。
この作品も、あくまでも主人公のルイーズの人生に寄り添ったからこそ、素晴らしい作品になり得たのだと思います。

21世紀以降の代表作へ   トップページヘ