- ブランキー・ジェット・シティー Blankey Jet City -

<驚きの出会い>
 最近、ラジオを聴くようになり、偶然「悪いひとたち」を聞きました。「おいおい、こんなのラジオでやっていいのか。こんなバンドが、日本にいたのか」と驚くやら、うれしいやら。この出会いが2002年のこと。ずいぶん遅い出会いでした。恥ずかしながら、90年代の日本のロックは、ほとんどリアルタイムで聴いていなかったのです。(20世紀に入り、このサイトを始めたことから、慌てて聞き始めたのです)

<90年代J−ポップ・シーン>
 もちろん、90年代のJ−ロックが面白くなかったというわけではありません。それどころか、J−ポップの今の繁栄の基礎は、まさにこの時代に築かれたものと言えるでしょう。
 ブルー・ハーツ、ザ・ブーム、ボ・ガンボス、ソウル・フラワー・ユニオン、ユニコーン(奥田民生)、フリッパーズ・ギター(小澤健二、コーネリアス)、ピチカート・ファイブ、オリジナル・ラブ、Mr.チルドレン、東京スカパラダイス・オーケストラ、電気グルーブ、フィッシュマンズ、森高千里、ボアダムス、少年ナイフ、ミシェルガン・エレファント、パフィー、椎名林檎、UA、ウルフルズ、スチャダラパー、・・・パンクあり、テクノあり、ポップあり、ノイズあり、ヒップ・ホップあり、モッズあり、ダブあり、ソウルあり、スカあり、レゲエあり、サンプリングによるハイブリッド・ポップあり、ニューオーリンズ・ファンクあり、・・・今や世界に誇るバラエティーにあふれた日本の音楽シーンを生み出したのは、80年代後半から90年代にかけて続々と登場してきたこれらのアーティストたちでした。
 これらのアーティストたちには、ある共通点がありました。それは、それぞれのアーティストたちは、徹底的に自分たちの好きな音楽にこだわっていたということです。中には、かなりマニアックな音楽にこだわり続け、なかなかメジャーになれなかったバンドもありましたが、だからこそ、そんなコアな音楽はしだいにコアなファン層を育て、J−ポップシーンを幅の広い、そして奥の深いものにしていったのです。

<イカ天ブームとブランキー>
 ところでちょうどこの時期、音楽の世界ではイカ天ブームが巻き起こり、続々と新しいバンドが世に出てきていました。しかし、あれだけ盛り上がりをみせていたブームでしたが、そこから現れたバンドたちの多くはブームの終了とともに姿を消してしまい、その後のJ−ポップ・シーンに影響を与えることはほとんどありませんでした。
 逆にあの番組から登場したバンドたちに対抗して、ロックとは別のシーン、テクノやヒップ・ホップのアーティストたちが活躍を始めてきたとも言われています。結局、テレビが生み出すブームの底の浅さは、いつの世も変わらないようですが、それでも常に例外は存在するものです。
 たまは、色物的イメージが強くなりすぎ、本当の素晴らしさは理解されていなかったかもしれません。でも、懐かしくて美しい素敵なバンドでした。番組の優等生フライング・キッズは、本物の実力派、あの番組がなかったとしても世に出たバンドだったのでしょう。KUSUKUSUは、アフリカのリンガラ・ポップに挑戦した最初で最後のエスニック・ダンス・バンドでした。アイドル的な扱いを受けたのはかわいそうでした。凄く真面目なバンドで、僕は大好きだったのですが・・・。そして、ブランキーです。
 彼らがこの番組に登場した頃、すでに僕はイカ天に飽きてしまっていました。(僕自身テレビと同じ程度の底の浅さだったと言うことかもしれません)そのため、タッチの差で、僕は彼らの登場を見逃してしまいました。そして、彼らのことを知った頃には、もう彼らは解散した後だったというわけです。

<ブランキー・ジェット・シティー>
 浅井健一(Vo,Gui)、照井利幸(Bass)、中村達也(Dr.)は名古屋出身。ブランキー・ジェット・シティー Blankey Jet Cityは、この3人によって、1990年東京で結成されたバンドです。かなり場違いな雰囲気だったようですが、放送終了間近のイカ天でいきなりブレイク。1991年にはデビュー・アルバム「Red Gitar And The Truth」を発表。「Bang !」(1992年)、「C.B.Jim」(1993年)「メタル・ムーン」(1995年)、「幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする」(1994年)と次々にパワフルなアルバムを発表して行きました。
 基本的にはロカビリー・スタイルでありながら、その重さと鋭さはヘビー・メタル級で、パンク初期の危険な歌詞には、ブルースのもつ深い悲しみが漂っています。
 特にサード・アルバムの「C.B.Jim」には、歌詞の内容があまりに過激(反米的)だとして、発売禁止騒ぎとなった大作「悪いひとたち」が収録されており、まさに彼らの代表作と呼べる作品に仕上がっていました。

<「悪いひとたち」>
 和製「悪魔を憐れむ歌」とでも呼べそうな「悪いひとたち」のような名曲が、何故生まれたのか?
 思うに彼らはロカビリーやブルースが大好きなだけでなく、その故郷でもあるアメリカという国も大好きなのに違いありません。しかし、そんな自分たちの好きな音楽を追究すればするほど、そのルーツ、アメリカという国がもつ裏の歴史の存在に気づかされ、その闇の部分がなければ、ブルースが生まれることはなかったという事実にも気づかされたに違いないでしょう。そんな愛情とは裏表の憎しみが、「悪いひとたち」の原点のような気がするのですが・・・。

<ブランキー・ロックの魅力>
 もちろん、彼らの魅力は「悪いひとたち」だけではありません。
Punky Bad Hip」のようなJ.スペンサー風の豪快な曲や「Red -Rum」のようなロカビリー調の曲、「D.I.J.のピストル」のようなツェッペリン風ヘビメタ、「Ice Candy」のような格好いいロック・ナンバーなど、切れ味鋭いロック・ナンバーにこそあるのです。
 でも、彼ら最大の持ち味は、他のどのバンドももっていない独特のムード「絶望的な悲しみ」にあると言ってよいでしょう。彼らのアルバムには、明るく楽しい曲は存在せず、救いのない暗い未来を暗示するものが、多くを占めています。
 何故彼らはこうも「絶望的な悲しみ」にこだわるのか?
 これもまたブルースへのこだわりから必然的に導き出された結果なのでしょうか?
 21世紀に入って、J−ポップは相変わらず好調ですが、彼らのように謎めいた魅力をもつアーティストはほとんどいません。たいていは、「ああ、アーティストの亜流だな」で片づいてしまいます。
 残念ながら、バンドはすでに解散してしまいましたが、浅井健一はシャーベッツ、ユダを結成。照井利幸は、ロッソで活躍中。どちらも、21世紀日本のロック最高峰を走り続けています!
 ブルースのアーティストが本領を発揮するのは、まだまだこれから先、年をとってからのはず。楽しみにしています。

<締めのお言葉>
「暗い夜の憂鬱(ブルース)に取り憑かれて、ひでえ気分だぜ。俺のような善人がなんでこんなめにあわなくちゃなんねえんだ。停車場から汽車のとこまで茶色の肌のきれいなあの娘を追っかけてった。
 すると、暗い夜に雨がしとしと降るように憂鬱(ブルース)が、俺の心に降ってきた。・・」

ブラインド・ウィリー・マクテル作
ポール・オリヴァー著「ブルースの歴史」より

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