世界各地の危機の物語を描く短編集 


「ボート The Boat」

- ナム・リー Nam Le -
<各作品のタイトルとあらすじ>
 この短編集の主人公は国籍も年齢も性別も様々です。著者と同じベトナム人が主人公なのは二編のみ。舞台となる場所も様々です。

「愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲」(アメリカ、アイオワ州)
 家族と共に「ボート・ピープル」としてベトナムから脱出し、その後オーストラリアに住んだ主人公。大きくなった彼は作家になるためアメリカの大学に入学しますが、作家としてなかなか成功できずにいました。そんな彼のもとを父親が訪ねてきます。大嫌いだった父親に彼は書きかけの自伝的作品を読ませます。それを読んだ父親がとった行動とは?

「カルタヘナ」(コロンビア、メデジン市)
 コロンビアの犯罪都市メデジンで育った主人公は、子どもの頃から犯罪者に囲まれて育ち、友人と共に犯罪組織に引き込まれてしまいます。ところが、友人は組織から抜けただけでなく、犯罪組織を批判する運動に参加し始めます。そのため組織のボスは、主人公に友人を殺すよう命令します。しかし、彼がその命令を実行せず、友人を逃がしてしまったため、すぐに彼はボスに呼び出されます。死を覚悟した彼がとった行動とは?

「エリーゼに会う」(アメリカ、ニューヨークとロシア)
 ニューヨークで活躍する画家の主人公は、別れた妻と共に家を出てロシアに移住した娘がチェロ奏者として成功し、彼女のマネージャーと結婚すると知らされます。その後、彼は相手を紹介するのでレストランで会いたいと娘からの連絡を受けます。ところが、約束の日、娘はレストランに現れず、酔っ払ってしまった彼に「やはり会えない」と電話がかかってきます。自分の命がそう長くはないと知った彼は、なんとか娘に会おうと考えます。そんな彼がとった行動とは?

「ハーフリード湾」(オーストラリア北部の港町)
 オーストラリアの海に面した田舎町に住む少年。不治の病に冒された母親のために、引っ越すことになった彼は、以前から気になっていた少女からデートに誘われます。しかし、その娘には町で噂の怖いボーイフレンドがいて、ライバルを半殺しにすると有名でした。その娘とのデートを知られた彼に、やはりその少年からの呼び出しがかかります。両親のおかげでその対決は避けられましたが、彼はある行動に出ます。その行動とは?

やっと呼吸を整えた母が、「ジェイミー」と言った。
「え!」
「誰も言ってくれないことがあるのよ。わかる?」
 母よりも向こうにいる父が、まっすぐに見つめてきた。
「聞いてみるよ「何なの、かあさん」
「いつも、大丈夫か、って言われる。いま幸せか、とは誰にも言われないわ」


「ヒロシマ」(日本、広島市)
 太平洋戦争末期の広島。街から離れた郊外の村に疎開している主人公の少女は、自分も早く大きくなって大人と同じように勤労奉仕をしたいと願っていました。まだ小学生とはいえ、お国の為に生きることを求められていた彼女にとって、たとえそこに十分な食料や安全が確保されていても、そこでの暮らしはうんざりするものだったのです。しかし、「ヒロシマの悲劇」へのカウントダウンはすでに始まっていました。その時、彼女はどこにいて何をしているのか?

「テヘラン・コーリング」(イラン、テヘラン市)
 アメリカで大学時代に知り合し友人となったイラン人女性のもとを訪ねイランの首都テヘランに着いたアメリカ人女性。彼女は失恋で受けた心の傷が未だに痛み、これからどうするべきかを悩んでいました。しかし、イランで民主化運動の中心となって活動する友人と共に行動するうちに、彼女もまた危険な状況に陥ります。そして、ついには友人が行方不明になってしまいます。友人の命は無事なのか?にぎやかなアシュラ祭で混乱するテヘランのホテルで彼女がとった行動とは?

「ボート」(ベトナム沖の海上)
 南北ベトナム統一後、漁師だった父親が再教育キャンプで視力を失い、母親によって一人で国外へと脱出させられることになった少女。彼女は一足早く国を出て、家族を待つことになっていました。そして200名近い人々と共に小さなボートに乗せられた少女は、危険な船の旅へと出発します。ところが、大嵐により船は航行不能となり、太平洋で漂流。水も食料も無くなった船の乗客は、しだいに命を落とし始めます。ついには少女も熱を出し、死の淵へと追いやられます。船で知り合った女性に助けられ彼女はなんとか危機を脱しますが・・・

 これが命令だったかのように、マイはクェンの腕をとり、ずっと船首まで歩かせていった。このとき人々が道をあけてくれた。二人ならんで、前を見る顔に波しぶきを浴びた。ぼんやり見えてきた半島、まるで嘘のような土地に、視力と思考力のすべてを振り向ける。そうでもしないと船尾の男たちを見てしまいそうだ。毛布をはがして、小さな遺体を振るのだろう。一度、二度、三度、勢いをつけて、手を放す。できるだけ後方へ投げるのだ。鮫が来るころには、もう見えることがないように。

<著者ナム・リー>
 著者のナム・リー Nam Leは、共産党政権によって統一されたベトナムで1978年に生まれた後、生後3か月で家族と共に脱出。オーストラリアに移住しで国籍を取得しますが、その後、作家を志してアメリカの大学に入学。そこで作家としてのキャリアをスタートさせました。彼の生い立ちは作品にも反映されてはいますが、ほとんどは彼の人生とはまったく関りがない土地の関りがない人々の物語です。
 実に丹念にそれぞれの国を描き込んだ本作を読んでいると、小説家が住んだこともない土地について小説を書くことは可能なのか?そんな素朴な疑問について考えさせられました。その成否について、この作品集には我々日本人が参考にできる「ヒロシマ」という作品が収められています。日本文化について意識し過ぎているのか?翻訳の問題なのか?ちょっと読みにくい気がしますが、著者が日本人ではないとは思えないでしょう。(それよりも、こうして広島について他国の作家が作品を書くという挑戦そのものに価値があるとも思えます)
 そう考えると、彼が描く他国の描写が正確であろうことは予測できますが、誰が描こうと元々完璧な描写などないわけで、小説においてはやはり「想像力」こそが鍵なのだと思います。想像力と意欲と知識と技術と自信がなければ書けないはずの作品を著者はデビュー作で書き上げたのですから、凄い実力です。作家としてのデビューは2007年ですから、まだまだこれからの作家。
 ベトナムで生まれ、オーストラリアで育ち、アメリカで作家となった元ボートピープル。
 海を漂うことから始まった彼の人生は、今後、どこかに根を張った作品を描くようになるのか?漂うように様々な国を描き続けるのか?どちらにしても楽しみです。

「なんで、この話を書きたくなった?」と、父は言った。
「いいストーリーになるから」
「ほかにいくらでも書くことはあるだろう」
「大事なことだからね。知らせるってことが大事なんだ」
「哀れを誘うか」
 これに答えを求めているのかどうか、よくわからなかった。でも腹が立った。
「人の記憶に残すべきだと思ってる」
 父はしばらく黙ってから、やっと口を開いた。
「お前の記憶には残るだろう。おれだって忘れない。ほかの者は、読んで、誉めそやして、忘れる」
このときは父の顔に笑いが消えていた。
「忘れたほうがいいときもある、だろ?」



「ボート The Boat」 2008年
(著)ナム・リー Nam Le
(訳)小川高義 Takayoshi Ogawa
新潮社クレストブック

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