ブルースの白い女神、その長い旅


- ボニー・レイット Bonnie Raitt -
<女性ロック界の大御所>
 21世紀に入り、白人女性ブルースロック・シンガーの大御所というだけでなく、アメリカン・ロックのレジェンド的存在になりつつあるのが、ボニー・レイットです。彼女は、ブルースやロックだけでなく、レゲエやR&Bなど様々なジャンルの埋もれた名曲をカバーし、そうした曲やアーティストの紹介者的存在としても大きな役目を果たしてきました。しかし、彼女の活躍は長く地味なもので、メジャーな存在になるまでに意外に長い旅を続けてきました。
 アメリカのロック・ミュージシャンたちにとって姉御的存在として、リスペクトされるボニー・レイットの魅力に迫ります。

<クエーカーの歌姫>
 ボニー・レイット Bonnie Raitt が生まれたのは、1949年11月8日カリフォルニア州バーバンクです。父親は、「オクラホマ」「回転木馬」「パジャマゲーム」などのブロードウェイ・ミュージカルの俳優ジョン・レイット。1950年代に活躍した父親がクエーカー教徒だったことで、彼女もクエーカー教徒として育てられました。
 クエーカー教徒というのは、キリスト教の一宗派で質素・平等・非暴力を貫くことで知られます。そのため、差別を認めず、殺人も認めず、戦争も拒否する平和主義者。
映画「ハクソー・リッジ」(2016年)で、アンドリュー・ガーフィールドが演じた主人公がそのクエーカー教徒です。そんな精神性の基本は、彼女にも受け継がれ、それが彼女が多くのミュージシャンたちから信頼を寄せられる原因になったように思います。
 10代の頃から、ギターを弾き始めた彼女は、1967年名門の女子大ラドクリフ大学に入学するために実家を出て東海岸へ向かいました。しかし、彼女が通ったのは、大学よりもフォークやブルースのライブが見られるコーヒー・ハウスでした。当時の彼女の憧れは、ボブ・ディランやジョーン・バエズなどのフォーク・ミュージシャン。ギターについては、ジョン・ハート、ジョン・ハモンド、ジョン・リー・フッカーなどのブルース・ギターを目標にしていました。
 結局、彼女は3年で大学を中退し、ミュージシャンの道を目指し始めます。思えば、時代は60年代末、ロックが最も熱かった時代です。そんな熱い現場を目撃した彼女がその中へ飛び込みたくなるのは当然だったかもしれません。

<ブルースに魅せられて>
 ブルースに魅せられていた彼女は、ブルース・シンガーとしてキャリアをスタートするつもりで、知り合いになっていたブルース畑のマネージャー、ディック・ウォーターマンとマネージメント契約を交わします。フォーク・クラブに出演し始めた彼女は、ジュニア・ウェルズやバディ・ガイらの前座を努めるようになり、ジェイムス・テイラーキャット・スティーブンスらと共演するようになりました。そして、女性、それも白人のブルース・シンガーとして、彼女はワーナー・ブラザースと契約することに成功します。
 1971年、彼女のデビュー・アルバム「Bonnie Raitt Fast」のプロデューサーは、ウィリー・マーフィー。ゲスト・ミュージシャンには、シカゴ・ブルースの大物ジュニア・ウェルズ、A・C・リードらが参加。ワーナーは、ブルース界の新アイドルとして彼女に期待していたのでしょう。
 このアルバムのオリジナル曲は「Thank You」「Lovin' Man」の2曲で、それ以外のカバー曲の選曲の良さは高く評価されました。他の収められた曲は、スティーブン・スティルス、ロバート・ジョンソン、ミシシッピー・ウォーレス、バディ・ジョンソン、モータウンのマーヴェレッツなどのカバーでした。
 音楽的知識の豊富さ、スライドギターのテクニック、独特のハスキー・ヴォイス、そしてその人柄の良さから彼女はすぐにブルース・ミュージシャンたちの間で人気者になったようです。

 1972年のセカンド・アルバム「Give It Up」のプロデューサーは、後にブルーノート・レーベルを救うことになる音楽評論家でもあるマイケル・カスクーナ。ゲスト・ミュージシャンとして、ポール・バターフィールド、ジョン・ホール(オーリアンズ)、デイヴ・ホランドなどが参加し、ウッドストックのベアズヴィル・スタジオで録音が行われました。
 このアルバムには、彼女の代表曲となるバラード「Love Has No Pride」が収められていて、アルバム・チャートで38位まで上昇しました。
「この20年間を通して、この曲は私にとってもファンにとっても、一種のテーマ音楽のようなものだった・・・ほんとに、今までに聞いた最も悲痛な歌のひとつだもの。恋人にふられたせいで、この歌を歌うと悲惨な気分になったときがあった。一年間は、彼を取り戻そうとしてこの歌をステージで歌ってたような気がするわ」
ボニー・レイット

 1973年のサード・アルバム「Takin' My Time(心ゆくまま)」のプロデューサーは、オーリアンズのギター&ボーカルだったジョン・ホール。ゲスト・ミュージシャンには、タージ・マハール、ヴァン・ダイク・パークス、ジム・ケルトナー、アール・パーマー、それにリトル・フィートのメンバーでもあるローウェル・ジョージ、オール・バレル、ビル・ペインなど。(彼女は、リトル・フィートのファンで、一緒にツアーに出ることもありました)
 収録曲のオリジナルは、ランディ・ニューマン、ジャクソン・ブラウン、モーズ・アリソン、ミシシッピー・フレッド・マクダウェル、マーサ&ザ・ヴァンデラス、カリプソ・ローズなど。
 この後も彼女はコンスタントにアルバムを発表しますが、収録曲はほとんどがカバーでした。ちょうど同じ頃に活躍をしていたリンダ・ロンシュタットが同じようにカバー曲を中心にヒットを連発していたのに影響を受けていたかもしれません。

 1974年のアルバム「Streetflights」のプロデュースは、ジェリー・ラガヴォイ。収められた曲のオリジナルは、ジョン・プライン、ジェイムス・テイラー、アラン・トゥーサン、ビル・ペイン、ジョニ・ミッチェルなどでした。

 1975年のアルバム「Home Plate」のプロデューサーは、ポール・ロスチャイルド。ゲスト・ミュージシャンにはジョン・ホール、ビル・ペイン、ジャクソン・ブラウン、エミール・ハリス、トム・ウェイツらが参加。
 収録曲には、アラン・トゥーサン、ジョン・ホール、J・D・サウザー、エリック・カズ、レイ・チャールズなどの曲が選ばれました。

 1977年のアルバム「愛に乾杯 Sweet Forgiveness」は、50万枚を越えるヒット。プロデューサーは前作に続き、ポール・ロスチャイルドで、曲の提供はジャクソン・ブラウン、エリック・カズ、ビル・ペイン、カーラ・ボノフなどでした。

 1979年のアルバム「愛に生きる The Glow」は、そのリンダ・ロンシュタットのプロデューサーとしても活躍していたピーター・アッシャーがプロデュース。ゲスト・ミュージシャンには、ビル・ペイン、ワディ・ワクテル、ダニー・コーチマー、ポール・バターフィールド、デヴィッド・サンボーンらが参加。
 収録曲にはジャクソン・ブラウン、ロバート・パーマー、トレイシー・ネルソン、サム&デイヴらの曲が選ばれる中、久しぶりのオリジナル曲「Same Old Love」は、高い評価を得ました。しかし、この頃から成功の甘い罠が彼女に試練をもたらすことになります。

<危機的状況からの復活>
 1980年代に入ると、彼女はアルコールとドラッグ依存という多くのアーティストがはまる罠により、アーティストとして危機的状況を迎えることになりました。レコード会社から契約の打ち切りを告げられる事態となりますが、そこから彼女は見事に復帰を果たします。
 1982年のアルバム「Green Light」は、ロブ・フラボニがプロデュース。ゲスト・ミュージシャンには、イアン・マクラガン、ジョニー・リーシェル、リッキー・ファッター、そしてベースに小原礼が参加。 収録曲には、ボブ・ディラン、NRBQ、エディ・グラント、トゥーツ&ザ・メイタルズらの曲が選ばれています。
 1986年、アルバム「ナイン・ライヴズ Nine Lives」を発表して現役に復帰。しかし、このアルバムはワーナー最後の作品となりました。ゲスト・ミュージシャンは、ラス・カンケル、リー・スクラー、タワー・オブ・パワー・ホーンズ、シッピー・ウォーレンが参加。
 収録曲に選ばれたのは、カーラ・ボノフ、トゥーツ&ザ・メイタルズ、ジェリー・ウィリアムズ、エリック・カズ、イアン・ネヴィル、ブライアン・アダムスらの曲。

 1989年、アルバム「Nick of Time」により、彼女は完全復活を遂げます。この年、彼女は音楽界の最高峰グラミー賞で年間最優秀アルバム、最優秀女性ロックボーカル、最優秀ポップ・ボーカル賞を受賞。さらにこの年、彼女はブルース界の大御所ジョン・リー・フッカーのアルバム「ヒーラー」収録の「In The Mood」で共演し、最優秀トラディショナル・ブルース・レコーディング賞まで受賞。その年、アメリカで最も活躍したシンガーとなりました。
 アルバム「Nick of Time」は、グラミー賞の影響もあり、一年かけて上昇を続け、ナンバー1位にまで上り詰めることになりました。
 1991年のアルバム「Luck of the Draw」も大ヒット。このアルバムには「All at once」も含め、4曲のオリジナル曲が収められ、ソングライターとしての彼女の才能を証明。
 今やブルース・ロック界の重鎮的な存在となった彼女は、年を経て輝きを増すブルースというジャンルを21世紀につないだブルース・パーソンとなりました。

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