- ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch -

<謎に満ちた気になる画家>
 ヒエロニムス・ボス(またはボッシュ)という画家のことが以前から気になっていました。15世紀の画家なので、本来はこのサイトの枠からはみ出した存在ですが、そうは思えないほど現代の美術や映画などに影響を与えていて、その評価は高まり続けています。荒俣宏氏の著作や様々な本や映画などに登場する名前や作品。そのエロティックでグロテスクでユーモラスな作品の数々は、時代を超越した作品であり、謎に満ちた存在です。
 先日たまたま中野孝次さんの書いた「悦楽の園を追われて」という本を見つけました。「ブリューゲルの旅」や「清貧の思想」の著者によるボスの研究本です。どうやら未だにボスという画家に関しては謎が多いようですが、それでも彼の残した数少ない作品の全貌を知ることができました。その本には、彼の作品の写真も掲載されているので、是非その本を読んでいただきたいと思います。ここでは、ヒエロニムス・ボスの生い立ちや彼の作品について、僕がなるほど!と思ったことなどを記しておこうと思います。

<画家ヒエロニムス・ボス>
 ヒエロニムス・ボス Hieronymus Boschは、本名を Jeroen Van Aken といい、直訳すると「ボスという町のイェルーン」という意味の愛称的なものです。(同時代のイタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチも「ヴィンチ村のレオナルド」という意味です)彼は現在のオランダ、フランドル地方にあたるス・ヘルトーヘン・ボスという名前の町に1450年頃に生まれたといわれています。父親や叔父さんたちも画家だったようで代々が画家の家系で、彼もまたその継承者となりました。1480年、彼が30歳の頃に画家として組合に登録され、正式にプロの画家になりました。その後は、宗教画家として活躍し、中世オランダを代表する画家と呼ばれる存在となります。彼の弟子といえる存在としては、同じオランダの画家フリューゲルがいます。
 彼が亡くなったのが、1516年ですから、このサイトで取り上げているアーティストとしては最も古い存在かもしれません。しかし、それだけ古い画家でありながら、彼の作品は未だに多くのアーティストに影響を与え続けています。彼の作品は現代人の目に未だに新鮮に見えるということです。それは本当に奇跡的なことです。同時代のアーティストで彼に匹敵する存在なのは、ダ・ヴィンチぐらいかもしれません。500年も昔の作品が現代のアーティストたちに直接影響を与えるというのは驚くべきことです。
 改めて15世紀後半という時代を振り返ると、それはルネサンスの時代であり、「暗黒の時代」ともいわれ宗教によって芸術が自由を失っていた中世においては、例外的な時代だったともいえます。暗闇の中の一時の明るさ、そんな時代の空気が、ダ・ヴィンチのような天才を生み、ボスのような異形の天才をも生み出したのかもしれません。

<ボス作品の魅力>
 ではボスの作品のどこに現在に通じる魅力があるのでしょうか?
 先ずは、彼の宗教画がどの作家の作品とも本質的に違うということがあります。
 例えば、彼の代表作「エッケ・ホモ」。この作品で彼は、イエス・キリストがピラテによって大衆の前で裁かれ、死刑判決を受ける場面を描いています。多くの宗教画家は、このテーマを描く時、あくまでも主役はイエス・キリストであり、彼を聖なる存在として美しく神聖に描いています。しかし、ボスのこの作品におけるイエス・キリストは、けっして神々しくは描かれたいません。というより、彼は登場人物の一人にすぎず、地味で目立たない存在に見えます。その代わり、彼はまわりの大衆を生き生きと描くことで、キリストの存在を浮かび上がらせるという手法を取っています。これは明らかに異色です。

 つまり、それまでの画家がもっぱら、キリストの聖性にのみ光をあてようとしたのに対し、ボスは狂気にとらえられたときの群集集団の恐ろしさ、人間の邪悪さに光を当てることによって、逆にキリストの運命のむごたらしさ、受難の悲劇をあきらかに描きだしたといえるからだ。

 さらに彼の代表作「十字架を担うキリスト」になるとキリストは画面中央にはいても、暗くぼんやりと描かれていて、とても主役とは思えません。これでは教会関係者に批判されてしまうのではないか?と心配になってしまいます。

 では、世界をこういうふうに感じて描いた人が、ヒエロニムス・ボスという画家だったのだ。彼はそのさいつねに、弱い者、貧しい者、支配される者、強者の横暴に苦しむ者の側に立って見ている。そして、これが肝心なところだが、その弱者ではなく、この世の支配者たる強者、強欲者、無慈悲者、残忍な者、暴力をふるう者、悪を行使してはばからない者どもを最も力をこめて描いた。

 彼のこうした描き方を宗教的であると認めるぐらいの度量が当時はあったということなのでしょうか。どうやら彼のこうした作風は、他のどの作品にも貫かれていたようです。イエス・キリストの死後、彼の言葉を広めるために旅を続けた伝道者の一人聖アントニウスが悪魔によって誘惑され、神への忠誠を試される場面を描いた作品「聖アントニウスの誘惑」では、英雄であるべきアントニウスを描くどころか、彼の周りに展開する異形の者たちの世界が大パノラマとして描かれていて、アントニウスの存在はどうでもよくなっているように見えます。

・・・聖アントニウスについては、そういう世界に対して何をすることもできず、ひたすらただ耐えている人として描けばよかったのだ、という感じが強くなってくる。そしてとつぜん、この耐えている聖者の立場こそ、画家のこの世にいる姿にほかならないのではないか、という気がしてくる。あまりに弱く、無力で、感受性が強すぎるために存在するものすべてが奇怪なものに見え、世界は邪悪と無秩序に陥っているとしか感じられぬ画家が、自分にとって世界はこうあるのだと描いてみせたのが、この絵ではないか、と。

 ボスという人物は、それなりに当時の大物作家だったはずですが、実際にはどんなことを考えていたのか?そうした資料はないようなので、我々は想像力を駆使して自由にその人物像を作ることも可能です。そうした謎の部分が彼の作品の魅力を高めているともいえます。そして、彼の作品を通して見たこの本の著者はこう言い切っています。

 とにかくこれは生涯に一人の英雄も、光り輝く聖者をも描かなかった画家であった。

<中世の水木しげる>
 彼の代表作「乾草車」もまた不思議な作品です。フランドルのことわざに「この世は乾草だ。誰もがそれをひとりじめしたがっている」というものがあります。そこで、それを中心に人間たちの欲深さ、罪深さを具象化したものを描き、左側にはアダムとイブの楽園を、右側には悪しき人間がたどり着く地獄のような世界が描いたのが「乾草車」です。もちろん「乾草車」を愚かな人類が動かしている「歴史」や「地球」の象徴ととることも可能でしょう。
 この作品の右側に描かれている様々な不気味なキャラクターは、彼の想像力の爆発を感じさせます。それは聖者でもないし、動物とも思えない、まったく新しい怪物たちです。それは聖書に登場するキャラクターとはまったく異なる彼の想像力が生み出したオリジナルな存在でした。

 おそらく人類始まって以来世界中の画家でボスくらいさまざまな種類の妖怪を、しかもどれをとっても実に独創的な姿態のそれを創りだした人は他にいないだろう。人類はボスによってはじめてこの世に存在しないものたちの世界に目をひらかれたと言っていいのだ。

 「中世の水木しげる」とでも呼びたくなるボスですが、それだけならオカルト好きの奇才ということで終わっていたかもしれません。彼の凄さは、こうした異形の世界を描くのと同時に、その対極に位置する無垢なる楽園世界を壮大な想像力を駆使した描き出しているところにこそあるのかもしれません。その代表作が「悦楽の園」です。
 裸の男女がこれでもかとばかりに描かれたこの作品の中央部分はまさに悦楽の園です。しかし、それはどこまでも明るくさわやかで罪深さなど感じられません。それはまるで、1969年に開催されたウッドストックのコンサート会場の先取りのように美しい世界に見えます。そこにはいち早くフリーセックスの世界が生まれていたように見えます。それはまるで天国のように見えます。もし、右側に描かれた罪深き人間たちが罰せられている不気味な世界がなければ、肉欲、快楽を賛美する悪魔の絵と見なされたかもしれません。
 そう考えると中央の悦楽の園で描かれている快楽の喜びを隠すため、より壮絶な右側の地獄絵図を生み出さざるを得なかったのではないか?そうも思えてきます。

 つまりボスは生涯に一度だけ、「悦楽の園」と名付けられたこの画面で、罪にとらわれる以前の人間の無垢の夢を描いてみせたのだ、・・・

 なるほど、そうも考えられます。
 そして、ボスは自らの心の奥に存在する悪しき欲望を恐れるからこそ、「暗黒の時代」と呼ばれた宗教と暴力が支配する世界の状況を許すことができなかったのでしょう。そうした彼の世界に対する怒りが爆発したかのような作品が彼の不気味な傑作「最後の審判」です。

・・・現実世界において無力であり、それからの逃避的傾向を持っていたこの画家は、その無力の代償を絵画芸術の中に求めた。絵の中でこそ彼はその正義を遂行し、罪ある者、暴力をふるう者、奪う者、与えない者、愛さぬ者、怪物による責苦を与えた。この<最後の審判>はその意味で彼にとっては現実だったのだ。それを可能にするのが芸術というもう一つの世界なのだ。

 彼の存在が謎に包まれているのは、その作品の多くが戦争などで焼失してしまい30点ほどしか現存していないせいもありそうです。そのうちの多くの作品は、彼の大ファンだったスペインの王フェリペ2世が所蔵していたため、戦争によって焼失せずに残ったもので、現在はマドリードのプラド美術館に保存されています。
 「悦楽の園」、「七つの大罪」、「乾草車」、三つの代表作は、そのため母国を離れたスペインの地に現存しています。20世紀に入りサルバドール・ダリとホアン・ミロ、二人のスペイン人作家はプラド美術館でボスの影響を受け、そのシュルレアリスムのスタイルを生み出したのではないかともいわれます。謎に包まれたヒエロニムス・ボスは、今もその不思議な世界観によって多くのアーティストたちに影響を与え続けているわけです。

 文学でも絵画でも、魔物を描き出した人はその魔物を己がうちにくわえていた。彼らの生きた現実世界が彼のうちにその魔物を生んだ。E・T・Aホフマンにとっての「悪魔の霊液」、フランツ・カフカにとっての「城」や「審判」、泉鏡花にとっての「幽霊」みな彼らが生きてゆく中で体験した現実の産物にほかならなかった。芸術にはそういう「普通の眼」に見えぬものを描き出すジャンルがあって、それは非実在の映像や観念をもって現実世界をリアリズムがなしうる以上に明らかにしてみせることである。ボスはそういう芸術の分野の最初の巨匠であった。

<映画「ロボコップ」とボス>
 ボスと同じオランダ出身の映画監督にポール・ヴァーホーヴェンがいます。1938年生まれの彼は少年時代をナチス占領下のオランダですごしたため、そこで日常的に死体や戦闘後の悲惨な状況を目にしたといいます。しかし、戦場下の子供たちにとってそうした残虐な場面は、強烈ではあっても、逆に笑いをも生み出すほどに慣れてしまうものだったといいます。こうして少年が見た戦争は、異常な恐怖と笑いの世界として認識され、後にそれがボスの絵画に一致していることに気づかされることになりました。彼にとってボスの絵画は、映画において再現すべき目標のひとつとなったようです。
 彼がオランダで映画監督としてデビューした当初、そこにはボスのエロティックで残虐な場面が再現されていました。彼のオランダ時代の作品「グレート・ウォリアーズ/欲望の剣」(1985年)は、中世を舞台にした残虐な映像で大きな話題となった作品です。オランダ国内で、この作品はその過激な描写が批判の対象となりましたが、作品自体は高く評価され、オランダのアカデミー賞においても作品賞、監督賞を受賞しました。しかし、キリスト教の否定や騎士たちの異常ともいえる残虐ぶりを礼賛するかのような内容に、良識派やマスコミからの批判は納まらず、うんざりした彼はハリウッドからのオファーに応じてさっそくアメリカへと向かいました。こうして彼のハリウッドにおける第一回監督作品として映画「ロボコップ」(1987年)が誕生したのです。
 続編は別にして第一作の「ロボコップ」の残虐さは印象深いのではないでしょうか。主人公(ピーター・ウェラー)が銃で手を吹き飛ばされる場面は、特に衝撃的でした。実はこの場面は、イエス・キリストが十字架に磔になる場面が下敷きとしてあったからこそ、手が狙われることになったといいます。さらにグロテスクだったのは、後にテレビシリーズ「ER」のレギュラーメンバーとなる俳優ポール・マクレーンが化学薬品を浴びてドロドロになりさらに車にはねられてグチャグチャになる場面。あそこも忘れられません。まさにあれがヴァーホーヴェン的世界だったわけです。
 ちなみにポール・ヴァーホーヴェンのほかの作品としては、「トータル・リコール」(1990年)、「氷の微笑」(1992年)、「スターシップ・トゥルーパーズ」(1997年)、「インビジブル」(2000年)などがあります。なるほど、グロテスクな映画が多い・・・。(当然ですが、「ロボコップ」の続編は彼の監督作品ではありません)
 まさかこれらの映画がヒエロニムス・ボスの影響下にあったとは・・・。
 きっと映画界だけでなく小説、マンガの世界にもボスの影響のもとで作られた作品は数多く存在するのでしょう。

 こうして、500年の時を越えてヒエロニムス・ボスの作品が怪しい輝きを放ち続けているのはなぜか?それは、人類が当時も今も、エロティックでグロテスクで可笑しな種族として変わっていないからです。要するに、なんの進歩もしていないのです。

<参考>
「ヒエロニムス・ボス 「悦楽の園」を追われて」
 1999年
(著)中野孝次
小学館
「ブレードランナーの未来世紀」 2006年
(著)町山智浩
洋泉社

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