- ボズ・スキャッグス Boz Scaggs -

<AOR最初のヒーロー>
 彼こそAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)をメジャーな存在へと押し上げた最大の功労者かもしれません。もちろん、彼自身がそれを意識していたわけではないのですが、歴史は彼のアルバム「シルク・ディグリーズ」を「AOR史を築いた記念碑的作品」と位置づけました。
 多くのロック・ファンによって、一時は「ロックをダメにした音楽」と言われ、黒人音楽から魂をい奪ったディスコ・サウンドのように、さげすみの対象となっていた感のあるAOR。しかしそれも、今では時代の流れが生んだポップスとして自然に受け入れられるようになったと言って良いでしょう。
 この点は、僕自身かつて「シルク・ディグリーズ」を繰り返し繰り返し聞いたボズの大ファンだっただけに、ちょっと複雑な心境です。ただ言えることは、どんなブームでも、そのきっかけとなった最初の作品は間違いなく素晴らしいということです。そして、それは時代の流れとのタイミング良い出会いにより、初めて世に拡がったのだということです。
(注)AORというのは、日本だけで通用する業界用語です。

<スティーブ・ミラーと共に>
 ボズ・スキャッグス(本名ウィリアム・ロイス・スキャッグス)は、1944年6月8日にオハイオ州で生まれました。その後テキサス州のダラスで高校に通っている時、後に彼と共に全米でブレイクすることになるスティーブ・ミラーと出会い、彼のブルース・バンドにヴォーカリストとして参加しました。二人はその後ウィスコンシン州の同じ大学に進学し、そこでブルース・ロック・バンド、アーデルズを結成します。(このバンドには、同じく初期AORを代表するミュージシャン、ベン・シドランもいたそうです)

<ヨーロッパ放浪の旅>
 ボズはこの後、スティーブと別れ、R&Bバンド、ザ・ウィッグスを結成、イギリスで活動を開始します。しかし、時は1964年、ビートルズのデビューとともにブリティッシュ・ロックの大ブームが起きており、彼らのようなアメリカ出身のバンドに出る幕はありませんでした。
 結局バンドはアメリカに戻ることなく解散してしまい、ボズはひとりフォーク・シンガーとしてヨーロッパを放浪することになります。(同じ頃、ポール・サイモンもイギリスを放浪しながらフォーク・サウンドを身体にしみ込ませていました)その後彼はスウェーデンのストックホルムにたどり着きそこで活動するようになります。後に、「シルク・ディグリーズ」に収められることになる「ハーバー・ライト(港の灯り) Harbour Light」のような名曲は、この時期の孤独な放浪の旅があったからこそ生まれたものかもしれません。

<フラワー・ムーブメントの聖地へ
 そして、彼は初めてアルバムを発表するチャンスを得ます。こうして生まれたのが、彼のデビュー・アルバム「Boz」(1965年)でした。 しかし、そこで親友のスティーブからの誘いがあり、彼は再びアメリカへと舞戻ります。
 時は1967年、スティーブはスティーブ・ミラー・バンドを結成し、フラワームーブメントの中心地サン・フランシスコで活躍していました。彼は、そのメンバーに加わると、「未来の子供たち」「セイラー」と初期スティーブ・ミラー・バンドの傑作を生み出します。しかし、両雄並び立たずだったのか、結局彼はこのバンドを離れます。

<南部アメリカ、ブルースの故郷へ>
 再び南部アメリカに戻った彼は、サザン・ソウル・ブームの震源地の一つマッスル・ショールズ・スタジオでソロ・アルバムを録音します。この時彼は無名のセッション・ギタリストをパートナーに選んだのですが、その男がこの後すぐにアメリカン・ロックを代表するギタリストとして、一躍その名を知られることになるオールマン・ブラザース・バンドのデュアン・オールマンでした。
 こうしてアメリカにおけるボズのデビュー・アルバム「Boz Scaggs」が生まれ、日本では「ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン」という邦題で、その後も売れ続けることになります。

<ホワイト・R&Bヴォーカリストとして>
 1971年、彼は「Moments」を発表。このあたりから彼のサウンドは、それまでの泥臭いブルースから、よりポップなホワイト・R&B的なものへと変わり始めます。
 1972年の「マイ・タイム My Time」、1974年の「スロー・ダンサー Slow Dancer」あたりでは、完全に大人向けのラヴァーズR&Bスタイルへと変身をとげます。
 こうして、1976年ついに彼にとっての代表作であり、この時代を代表するアルバムとなった「シルク・ディグリーズ Silk Degrees」が発表されました。
 このアルバムの大ヒットは、「ロウ・ダウン」「リド・シャッフル」やその後数多くのアーティストたちによってカバーされることになる名曲中の名曲「ウィー・アー・オール・アローン We Are All Alone」など、粒ぞろいの曲とセクシーなボズの大人のヴォーカルによるところ大なのですが、そのサウンドを支えたキレの良いバックのサウンドの存在を忘れるわけには行きません。

<最高級のバック・サウンドからTOTO誕生>
 当時すでに有名だったロスの一流ミュージシャンたち、ジェフ・ポーカロデヴィッド・ペイチ、それにデヴィッド・ハンゲイドはボズの友人たちで、「シルク・ディグリーズ」の大ヒットは、その名をさらに高めることになりました。そして、1977年発表の「ダウン・トゥー・ゼン・レフト Down To Then Left」でバックに加わったスティーブ・ルカサーを含めたメンバーは、1978年TOTOとしてデビューを飾ることになったのです。

<ベスト・アルバム発表と活動休止>
 1980年、3年ぶりに発表した「ミドル・マン」からも「ジョジョ」などのヒットが生まれますが、この後ベスト・アルバム「ヒッツ! Hits」を発表すると、彼はあっさりと音楽活動を止めてしまい、事業家へと転身してしまいます。(このあたりもまた、AOR的?なのかもしれません)
 その後、1988年「Other Roads」、1994年「Some Change」とアルバムを発表していますが、その活動は本格的な復帰とはいえないものでした。
 考えてみると、AORという音楽ジャンルほど、ベテランになっても続けられるジャンルはないはずなのですが、32才で一度引退した彼はまだまだ若かったと言えるはずです。20代の大半をアメリカ、ヨーロッパでの放浪生活についやした彼は、大きな成功によって歌うべき必然性を失ってしまったのかもしれません。
 と思ったら、21世紀に入り、再び彼はライブ活動を開始。北海道にまでライブにやって来ています。本当の意味でボズは悠々自適の生活に入ったと言えるのかもしれません。
 かつて、AOR(Adult Oriented Rock)のことを、Middle Of the Road(MOR)と呼んでいたこともありました。まさに「中庸の音楽」です。苦難の旅を終えたミドル・マンは、歌を必要としない本物の詩人になってしまったのかもしれません。これもまた、ある意味幸福な生き方なのかもしれません。

<締めのお言葉>
「あなたは今でも詩人?」
「本当の詩人になった。一行も書かないからね」

映画「舞踏会の手帖」より (監督)ジュリアン・デュビビエ  

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