- 頭脳警察 Brain Police -

<頭脳警察の時代>
 僕は1960年生まれ。
 東大の安田講堂に立てこもる学生たちの姿をテレビで見たのは、小学校5年生の頃だったはずですが、僕はまようことなくヘルメット姿の学生たちを応援していました。なぜなら、当時は僕のような小学生でさえ、世の中で何が起きているのか(What's Goin' On)を、それなりに理解できていたのです。(担任が新任の熱血先生だったせいもあるのですが・・・)
 僕が高校に入ってからも、クラスにヘルメット姿の大学生がアジテーションに現れることがありましたが、(1970年代中頃)大学生になった頃には、すでにそんな時代は終わりを告げており、過激だった学生運動は完全に過去のものになっていました。
 しかし、僕が大学に通っていた1980年頃は、都内の歴史のある私立大学の多くが創立100周年を迎えようとしており、それに絡んだ数多くの問題が学校内で起きていました。それは、記念事業として行われようとしていた旧校舎の取り壊しと新校舎の建設にともなって、学内のサークル活動に対して規制が増え、名簿の作成による管理が進められようとしていたことが発端でした。当然それに対して学生側も反発することになり、学内では学生大会が60年代以来久しぶりに開催されるなど、ちょっとした学生運動復活の時期でした。(もちろん、60年代のそれに比べたらお遊びみたいなものでしたが・・・)
 僕は当時所属していた旅行系クラブの代表として学園祭の実行委員に出されていたため、いつしかそんな学生運動に関わって行きました。そしてその頃、学生新聞会の会長に「これ良いから聞いてみな」と進められたのが、パンタ&ハルのアルバム「マラッカ」のカセット・テープだったのです。(ちなみに、この新聞会の会長、橋本さんが実に格好いい男で、やけにジョン・レノンに似ていました。たしか、今は学校の先生のはずと聞きましたが・・・)

<頭脳警察誕生>
 頭脳警察の「ブレイン」とも言えるパンタ(中村治雄)は、1950年埼玉県の所沢市に生まれています。1968年、関東学院大学に入学した後、すぐにバンド活動を開始。グループ・サウンズのモージョでヴォーカリストを務めた後、スパルタクス・ブントを結成。この時の相棒のひとりが、その後延々と行動を共にすることになるドラマーの石塚俊明(トシ)で翌年1969年にふたりはベーシストに栗野仁を加え、頭脳警察を結成しました。バンド名の由来は、彼らが大好きなバンド、フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インヴェンションのデビュー・アルバム「フリーク・アウト」の中の歌詞、「Who Are The Brain Police?」からとられました。

<過激な活動のスタート>
 1970年には日劇のウェスタン・カーニバルに出演。すでに渡辺プロ主導の歌謡ショーになりつつあったステージ上でマスターベーションを敢行?見事にその場をぶち壊したそうです。(スターリンより、遙か昔の話しです)
 時代はすでにGSブームから、岡林信康というカリスマ的ヒーローを代表とするフォーク・ブームへと変わりつつありましたが、日本語によるロックという方向性を打ち出したバンド、まだほとんど存在していませんでした。

<超左翼系バンド誕生>
 そんな日本語ロック時代の創成期に彼らは、過激な左翼思想をロックのリズムに乗せて繰り出して行きました。「銃をとれ!」、「世界革命戦争宣言」、「赤軍兵士の詩」(革命三部作と呼ばれました)などの曲は、彼らに語るべき詞があったからこそ必然的に生まれたものでした。それは、はっぴいえんどらの努力とはまた別次元の挑戦だったのかもしれません。
 1971年、彼らはライブのステージ上に赤軍派の活動家をあげ、アジ演説を行わせたり、成田空港の建設に反対するために三里塚で行われたイベント「幻野祭」に出演するなど、左翼系バンドを代表する活動を繰り広げます。しかし、すでに70年代に入り学生運動は急速に下火になりつつありました。にも関わらず彼らがその方向性を変えなかったのは、彼らが活動家として運動に関わっているのではなく、あくまで音楽家としての表現活動にこだわっていたからなのかもしれません。(もちろん彼はデモにも参加したりしていましたが、活動家になる気はなかったようです)ある意味、活動家以上に過激な発想をもつアーティストとして、彼らは体制に対しても、反体制の活動家たちに対しても、言葉の刃を突きつける立場を選んでいたのです。

「はっぴいえんどのマネージャーの石浦さんによく言われる、はっぴいえんどと頭脳はお互いに引っぱりあってなきゃいけないってね。」
「ニューミュージック・マガジン」(1971年7月パンタのインタビューより)

<幻のアルバム誕生>
 1972年の一月、二人だけになっていた彼らはビクターと契約します。ライブ録音によるファースト・アルバムを発売することになりました。しかし、革命三部作などの歌詞がレコード会社内部で問題となり、結局プレスされることともないまま発売中止になってしまいました。(この録音は、パンタのギターとトシのパーカッションだけのシンプルな演奏で、あのT−レックスの前身ティラノザウルス・レックスと同じ構成だったことになります)
 続くセカンド・アルバム「頭脳警察セカンド」は、ファーストにおいて問題となった部分を修正したり、曲を入れ替えるなどして、発売することを目標に制作されました。録音についても、ベーシスト、ギタリストを加えた構成によりスタジオでとり直され、音楽的にもより充実したかたちで作られました。(メンバーは、パンタ、トシ、増尾光治のベース、山崎隆志のギター&ベース、そしてコーラスの吉田美奈子でした)
 しかし、このアルバムも発売後わずか数千枚が売れた段階で、レコ倫からクレームがつき、すぐに発売禁止になってしまいました。

<デビュー・サード・アルバム誕生>
 同じ年の10月に早くも彼らはサード・アルバム「頭脳警察3」を発表します。こうして、彼らは一年もたたない間に3枚のアルバムを完成させ、ついにサードにして初めて、アルバムを店頭に並べることに成功したわけです。(サード・アルバムの録音メンバーは、パンタ、トシ、石間秀樹のベースと市川ひでおのキーボードでした)
<第一期頭脳警察>
 この頃。ドラムのトシは、しばらくバンドを離れます。頭脳警察というあまりに重い存在に疲れた彼は、元々興味のあったフリー・ジャズに挑んだり、シンガー・ソングライターの友川かずきらのバックを務めたりして過ごします。しかし、その間もパンタは自らの背負った責任を果たすべく、アルバムを発表し続けます。
 1973年には4thアルバム「誕生」、5thアルバム「仮面劇のヒーローを告訴しろ」と立て続けに2枚発表。70年代を代表するプログレ・バンド四人囃子をバックにライブ演奏を行うなど、常に変化し続けながら活動を行い、1974年には6枚目のアルバム「悪たれ小僧」を発表した後、1975年をもってその活動にピリオドをうちました。

<パンタ、ソロ活動へ>
 パンタはすぐにソロ・アルバム「Panta's World」(1976年)、「走れ熱いなら」(1977年)を発表し始め、自らのバンドPanta & Halを結成します。そして、傑作アルバム「マラッッカ」(1979年)が鈴木慶一のプロデュースの元で誕生しました。
 「マラッカ」は、タイトルの「マラッカ海峡」で象徴されているように、日本と東南アジア、中東という経済圏の要所から危うい日本の社会を描き出したもので、頭脳警察時代よりも一歩外へ向かった作品となっており、音楽的にもロックだけでなくレゲエなどエスニックな要素を盛り込んだ作品になっていました。
 続いて翌1980年に発表されたアルバム「1980X」は、再び鈴木慶一によってプロデュースされた作品で、当時世界に衝撃を与えたクローンなどを盛り込んだ近未来SF的内容で、音楽的にもパンク、ニューウェーブ的な作品に仕上げられていました。
 この後、パンタはほとんどの作詞、作曲を外に依頼したラブ・ソング・アルバム「KISS」(1981年)、「唇にスパーク」(1982年)を発表し、多くの硬派ファンの批判を浴びたかとおもえば、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をテーマに取り上げた問題作「クリスタル・ナハト Kristall Nacht」(1989年)を発表するなど、常に話題作を生み出し続けました。

<頭脳警察再結成>
 1990年、頭脳警察は再結成されます。「頭脳警察7」が発売されますが、すぐに解散。しかし、2001年再々結成され、活動を再開、発売できなかった幻のアルバムたちが店頭にずらりと並んでいます。何故今になって発売が可能になったのか?
 時代が変わり、状況が自由になったからなのか?それとも頭脳警察の歌詞が有効性を持たなくなったからなのか?平和がそうしたのか?理解できる人がいなくなったのか?

<天才ソングライター、パンタ>
 パンタとしての活動は、テーマもラブソングから、社会派のものまで幅広く、当然音楽的にもロック以外の要素を多分に含んでいたと言えます。
 それに対し、頭脳警察は基本的にトシのパワフルなドラムにパンタの鋭いヴォーカルというシンプルな構成からなるロック・バンドと言えるでしょう。
 しかし、両方に共通していることもあります。それはパンタという優れたソングライターの存在によって、どちらのアルバムの曲も、内容の重さ軽さに関わらずポップに仕上げられているということです。特にバラード・ナンバーは意外なほど美しいのに驚かされます。
 パンタはデビュー前、すでに大学ノート10冊分の曲を書き貯めていたといいます。彼は強靱な歌声をもつヴォーカリストであると同時に、多作なソングライターでもあったのです。
 ほとんどマスコミに登場することもなく、カリスマ的な存在感をデビュー以来保ち続けてきた数少ない筋金入りのロック・ミュージシャン。パンタ、頭脳警察ほど、「ロック」という言葉が似合う存在は今や存在しないかもしれません。

<締めのお言葉>
「フリーランド。それはここで一つ消えていった世界である。そしてそれはここに、誰かが生み出そうとしている世界でもある。世界の革命家よ!孤立せよ!」

山野浩一著「レヴォリューション」より

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