「未来世紀ブラジル Brazil」 1985年

- テリー・ギリアム Terry Gilliam -

<タイトルの由来>
 この映画のタイトルがなぜ「未来世紀ブラジル Brazil」なのか?そのことは映画の中ではまったく明らかにされていません。確かに1970年代初め、ブラジルでも軍事独裁政権の時代はありましたが、そのことを批判している映画というわけではなさそうです。
 監督のテリー・ギリアムのインタビューによると彼がイギリスのある工業都で撮影をしていた時、夕日が沈む薄汚れた海岸の景色を眺めながら、こんな場所でも楽園をイメージさせる音楽を聴くことで、一瞬でもブラジルの美しい砂浜にいる気分なることは可能なのだろうか?そう思った時にイメージされていた音楽が、1939年の世界的ヒット曲「ブラジル」だったことからきたのだそうです。(町田智浩著「ブレード・ランナーの未来世紀」より)
 「未来世紀ブラジル」は、この時の彼の頭の中のイメージを一本の映画に膨らませたものともいえるのです。

<世界一有名なサンバ「ブラジル」>
 この映画のテーマ曲ともなっている「ブラジル」は、正式な曲名を「アクアレーラ・ド・ブラジル(ブラジルの水彩画)」といいます。作詞、作曲は1930〜1940年代に活躍したブラジルを代表する作曲家アリ・バホーゾ Ary Barrosoですが、発表当時はブラジル国内でしかしられてはいませんでした。(1939年)しかし、1941年にウォルト・ディズニーがブラジルを訪れた際、この曲を聴いて大いに気に入り、1942年製作の兄無「サルードス・アミーゴス」に挿入歌として使用します。するとこの曲は世界的な大ヒットとなり、バホーゾはディズニー映画の音楽を何曲も担当することになりました。その中の一本「ブラジル」というアニメ作品の挿入歌「リオ・デ・ジャネイロ」はアカデミー賞にまでノミネートされています。
 その後も「ブラジルの水彩画」は多くのアーティストによってカバーされ、いつしかタイトルも「ブラジル」と縮められ「世界一有名なサンバ」として世界中の人々に親しまれることになったのです。テリー・ギリアムにとっても、「ブラジル」は南国の楽園をイメージさせる曲として頭の中に焼き付けられていたのでしょう。

<あらすじ>
 20世紀のいつか、中央政府による完璧な情報管理が行われていた架空の国でのことです。主人公のサム(ジョナサン・プライス)は、その国の中枢ともいえる情報省につとめる公務員のひとりでした。ある日、彼はちょっとした情報処理のミスから無実の人物が拷問され死んでしまったことを知ります。この時から彼の心の中には自分の仕事に対する疑問が生まれました。そんな時、彼は反政府運動に関わりをもつ女性ジルと出会い、恋に落ちましす。そして、彼女が逮捕されることを知った彼は彼女を助け出し、二人は逃亡を企てます。しかし、二人が逃げきれるはずはなく、ジルは殺され、サムは拷問にかけられます。その時、反政府運動のヒーロー、タトル(ロバート・デ・ニーロ)がサムを救出に現れます。無事に彼は救出されますが、・・・・

<夢と現実のはざま>
 夢と現実、嘘と真実の境目がくずれた世界で苦闘する主人公を描くのが、この映画の監督テリー・ギリアムの得意とするところです。「バンデッドQ」(1981年)や「バロン」(1989年)は、ホラ話と現実が交差するファンタジー作品。「フィッシャー・キング」(1991年)や「12モンキーズ」(1995年)は危機的現実と別の世界が交差するファンタジー作品ですが結末はどれも単純にハッピーエンドとはいえないものばかりです。
 「未来世紀ブラジル」は、そんなテリー・ギリアムにとって最も彼らしい作品といえるでしょう。1984年に製作されているのは、当然ジョージ・オーウェルの反ユートピア小説「1984」を意識してのことだったようです。しかし、そこで描かれている超管理社会はスターリン時代のソ連であり、赤狩り時代のアメリカであり、キム・ジョイルの北朝鮮でもあります。(ただし、衣装や建物のデザインからは、映画の舞台は1940年代のアメリカであることが推測されます)
 架空の国の寓話であると同時に常に世界のどこかに存在している軍事独裁国家でもありうるという舞台設定。それはファンタジーというより近未来SFであり、今世界のどこかにある軍事独裁国家に対する告発でもあります。
 しかし、この映画は単に独裁国家を批判しているだけの単純な作品ではありません。その複雑さは、この映画の中の登場人物のキャラクターからもわかります。例えば、この映画に登場する唯一のヒーロー、タトルについて考えてみると、彼は一匹狼の配管工として神出鬼没の活躍をしていただけでなく、ラストにはサムの救出にかけつけ、実は反政府組織のリーダーであることが明らかにされます。しかし、本当にタトルはヒーローなのか?それは定かではありません。実は、彼はサムが精神を壊されまいと生み出した想像上のヒーローだったのかもしれないのです。それどころか、彼は単なる配管工で、政府によって架空のテロ組織のリーダーに仕立て上げられただけなのかもしれないのです。
 そう考えると、アルカイーダとウサマ・ヴィン・ラディンだって、でっち上げられた組織でないという証拠はありません。多くの疑問がささやかれている9・11同時多発テロ事件。本当に国際貿易センター・ビルに突っ込んだのは、アルカイーダのメンバーだったのか?それがでっち上げかもしれないという証拠は数々挙げられています。少なくともイラクに大量破壊兵器があるという戦争の口実がでっち上げだったことは明らかになっています。
 歴史上、権力は自らの立場を守るために常に国民に対して、架空の敵国を提示し続けてきたのは事実です。

<ラスト>
 実はこの作品は公開時にラスト・シーンをどうするかで大もめになったことでも知られています。
<以下は、まだこの映画を見ていない人は読まない方がいいかも>
 この映画のラストでは、「主人公のサムは反政府組織に救出され、その後美しい森の中で平和に暮らしましたとさ」で終わると見せ掛け、その後に大どんでん返しが来ます。実は、彼は拷問の苦しさに耐えかねて正気を失い空想の世界に逃避していた事が明らかになるのです。なんともショッキングで救いのないラストです。
 ところが、アメリカでの配給権をもつユニバーサルは、このラストを認めませんでした。勧善懲悪を旨とするハリウッド映画において、正義が敗北するどころか狂気の世界に逃げ込むなどありえないラストなのです。そのため、ユニバーサル側は森の中の美しい家でのシーンまでで映画を終わらせようと考えたわけです。しかし、それではテリー・ギリアムの最初のインスピレーションにあった海辺の薄汚れた海岸の風景が単なる楽園のイメージ・ビデオにすり替わってしまったことになります。それではプレスリーの「ブルーハワイ」と大差ないことになってしまいます。当然、監督は映画会社からの圧力に対抗し、自らキャンペーンをはり、マスコミも巻き込んだ議論を巻き起こすことで、対抗しなんとかカットを阻止することに成功しました。

<テリー・ギリアム>
 テリー・ギリアムはモンティー・パイソン・シリーズの演出家として知られたことから映画界に進出した監督ですが、実はイギリス人ではなくアメリカ生まれのアメリカ人です。生まれたのは、1940年11月20日、ミネソタ州のミネアポリスです。
 1960年代、ベトナム反戦運動に青春を賭けていたテリー青年は反動的なアメリカの体制に失望し、故国アメリカを捨てイギリスへ渡りました。それ以来、彼は反体制、反権力の姿勢にこだわり続けることで独自の作品を生み出し続けているわけです。
 実はこの映画の中の森の中のシーンは、1982年公開のリドリー・スコット監督作品「ブレード・ランナー」のラストに森の中の美しい道を主人公が車を走らせるシーンを真似たものだそうです。リドリー・スコットは、、もともとこのハッピー・エンド的なラストの映像を使う気はなかったのですが、配給会社からの圧力に妥協したわけです。同じ境遇にいたテリーはリドリー・スコットに共闘を呼びかけましたが、彼はいち早く降参。彼に失望したテリーは、皮肉をこめて森のシーンを撮ったのだそうです。

<監督もつらいよ>
 以前、テリー・ギリアムが「ブラザーズ・グリム」(2005年)のキャンペーンで来日した際、フジテレビの「笑っていいとも」に生出演したのを偶然みたことがあります。大柄でかなりの強面の彼がバラエティー番組で妙にハイテンションでしゃべっていたことに驚かされました。反体制の象徴のような人物がテレビのバラエティー番組で笑顔を振りまいているなんて!もしかすると、彼は映画作りについては、けっして妥協しない分、作った作品を売るためには、巨匠ぶって格好つけるより、自ら道化役を引き受けるタイプなのかもしれません。もともとモンティー・パイソンのメンバー、演出家として名を売った監督なのですから、お笑い系は得意技なのかもしれません。
 彼の場合は、内容的に問題作が多いだけでなく、製作費をかけすぎてそれを回収できない場合も多く、(「バロン」は巨額の赤字出し、彼は危うく映画界から干されるところでした)その分彼には製作現場以外の仕事も必要になるのです。監督はやはりつらい仕事です。

<精神の二重構造>
 テリー・ギリアムがテーマとし続けてきた「精神の二重構造」について、イギリスのノンフィクション作家コリン・ウィルソンはこういっています。
「私たちは、通常、この息苦しい主観性の部屋に閉じ込められているのだが、二重意識がやってくると、深く息がつけるように思われる。『そうだ、何か別のものも存在するのだ』」
 精神的な苦痛からのがれるために多重人格という特殊な精神的構造をつくってしまうのも人間なら、完全に現実から逃避した夢の中に閉じこもるのも人間です。しかし、どの精神世界が本人にとって幸福なのか?それを判断することは本人以外には不可能なのかもしれません。
「・・・この宇宙と、そこにある森羅万象のことごとくは、彼の想像のうちにのみ存在しているのです。この世界と、火星人を創造したのは、ルークなのです。
 ところがまだあるのです。そのルークを創りだしたのはこの私です。とすると、ルークあるいは火星人は、はたしてどこまでの存在なのでしょう?
 また読者のみなさんは?」

フレドリック・ブラウン著「火星人ゴー・ホーム」あとがきより

「未来世紀ブラジル Brazil」 1985年
(監)(脚)テリー・ギリアム
(製)アーノン・ミルチャン
(脚)トム・ストッパード、チャールズ・マッケオン
(撮)ロジャー・プラット
(編)ジュリアン・ドイル
(音)マイケル・ケイメン
(出)ジョナサン・プライス、キム・クライスト、ロバート・デ・ニーロ
   イアン・ホルム、ボブ・ホスキンス

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