文明崩壊の危機、その現在と未来

「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの Callapse How Societies Choose to Fail or Succeed」
<PART 2>


- ジャレド・ダイヤモンド Jared Diamond -

<ルワンダ>
<ルワンダの悲劇>
 1994年、地球上で最も貧しい大陸アフリカの中で、衝撃的な悲劇が起きました。「ルワンダの悲劇」と呼ばれることになったその事件については、映画「ホテル・ルワンダ」(2004年)で丹念にそして強烈に描かれています。対立する民族による恐るべきジェノサイドは、なぜ起きたのか?そのことを理解することは、将来起こるかもしれない危機的状況における人種間闘争や国境闘争を防ぐためにも重要なことだと思います。
 アフリカの中央部に位置するルワンダと隣国のブルンジは、ほぼ二つの民族により構成されています。ルワンダ最大の部族であるフツ族(背は低く色黒で鼻が低いのが特徴)は人口の85%を占めています。それに対し、ツチ族(背は高く色白で鼻も高い)は人口の15%にすぎません。しかし、ベルギーが植民地として支配していた時代、外見上白人に近かったツチ族をベルギー人たちは植民地政府の役職に据え、多数派のフツ族を支配させます。さらには、人種間の融合を防ぐため、身分証明書を発行して民族間の違いを明確化します。これにより、人種間の対立が起き、多数派のフツ族はツチ族を支配者として憎むようになって行きました。
(こうした支配の仕方は世界各地で行われ、世界中に民族的な対立や憎しみの連鎖を生み出すことになり、その影響は21世紀になってもまだ消えていません)
<ルワンダとブルンジの歴史>
 1962年、ルワンダとブルンジで同時に独立運動が勃発します。すると、支配層でもあったツチ族と支配されていたフツ族との間で戦争が始まります。その内戦の結果、ルワンダではフツ族が支配層となり、ブルンジでは逆にフツ族が支配する側となります。当然、少数派の民族は移動を開始し、その後の20年でツチ族を中心に100万人がルワンダからブルンジへと亡命しています。
 1973年、フツ族の将軍ハジャリマナがルワンダのトップに立ったことで、やっと政治的に安定し、そこから15年間に渡り政治的安定が続きます。
 1989年、世界市場でのコーヒーや紅茶の価格が暴落し、経済が混乱する中、旱魃が追い打ちをかけることになりました。政府の経済対策に対する不満により、内乱が発生。政府はフツ族の反体制派とツチ族への圧力を強めます。経済の悪化により仕事を失った若者たちは、政府の呼びかけによって右派の市民軍に参加し始め、人種間の対立はいよいよ深まります。
 1994年4月6日、タンザニアでの会議を終えたルワンダのハジャリマナ大統領を乗せた飛行機がミサイル攻撃を受け撃墜されました。誰がこのミサイルを発射したのかがわからないまま、それに対する報復という名目でフツ族過激派によるツチ族への攻撃が始まります。彼らは、ツチ族を絶滅させるためマチューテを武器に攻撃を開始し、大衆にラジオ放送などを使って、ツチ族の絶滅を訴え、国中でツチ族と反体制派の虐殺が行われることになりました。
 フツ族の陸軍が民間人を組織し、「ゴキブリ」と呼ぶべきツチ族を一掃せよと煽動したようです。そのうえ軍隊は、ツチ族の人々に安全な場所へ移動させると説明して、一か所に集めそこを攻撃させたといいます。ツチ族の人々の多くが逃げ込んだ公共の施設、教会、学校、病院、役所なども襲撃対象となり、その虐殺を政府や軍隊、教会指導者、さらには国連の平和維持軍、アメリカ政府までもが見て見ぬ振りをし続けました。こうして、6週間の間に100万人いたツチ族のうち80万人が殺されました。(ルワンダの総人口の11%)
 この虐殺は、ツチ族が率いるルワンダ愛国戦線(RPF)という反乱軍が動き出したことで、7月18日やっと止まり、新政府が国内の統一にやっと動き出しました。その結果13万5000人のルワンダ人(ほとんどはフツ族)が虐殺容疑で投獄されます。(結局、ほとんどは有罪になりませんでした)
 この虐殺について、ベルギーの経済学者カトリーヌ・アードレーとジャン=フィリップ・プラトーは、著書にこう書いています。
「1994年の事件は、フツ族の村民同士のあいだにさえ、積年の恨みを晴らす、あるいは所有地を再編する特異な機会を与えた・・・今日になっても、人口の過剰分を一掃し、利用可能な土地資源と頭数の釣り合いを取るためには、戦争が必要なのだという主張を、ルワンダ人の口から聞かされることは珍しくない」

 「ルワンダの悲劇」は、民族の対立が生んだ悲劇として簡単に片づけられるものではありません。それにはいくつかの原因が複雑に絡み合っていました。
(1)アフリカ一の人口密度により、ルワンダでは農民たちが狭い土地しか所有できなくなり、農業だけでは食べて行けなくなっていました。
(2)ルワンダでは、過去に少数派のツチ族が多数派のフツ族を支配していた歴史がありました。
(3)ブルンジでは、ルワンダとは逆に、ツチ族によるフツ族の虐殺が行われていました。
(4)ルワンダ国外に住むツチ族によるルワンダへの侵略戦争が起きていた。
(5)ルワンダを襲った経済危機(旱魃、コーヒー価格の暴落、世界銀行による緊縮政策実施)
(6)ツチ族により居場所を奪われた若者たちの怒り

 弱者が弱者を虐殺する構図は、世界中の悲劇の場で繰り返される悲しい現実です。
「子どもをはだしで学校へ送り出さねばならない人々が、子どもに靴を買うことのできる人々を殺したので」
生き残ったツチ族の教師
<ハイチとドミニカ>
 アフリカ以外の地域で最も貧しい国と言われ続けている国ハイチ。この国の森は21世紀を前にすでに失われています。それは人びとが燃料や農地開拓のために、木を一本残らず切り払い、燃やしてしまったからです。しかし、同じイスパニョーラ島の東半分を分け合うドミニカにはまだまだ緑があり、ハイツに較べると経済的にもはるかに恵まれています。数字的には、ドミニカの森林は国土の28%で、ハイチには1%しかありません。元々ハイチはイスパニョーラ島の三分の一しかないにも関わらず人口は三分の二の一千万人にも達しています。当然、一人当たりの収入は差が出るはずです。
 ハイチの主な輸出品は、コーヒー豆と砂糖製品で、観光業が唯一の外貨の稼ぎ手、国民の平均所得は隣国ドミニカの5分の1しかありません。ではその隣国のドミニカには何があるのかというと、輸出品としては、鉄鉱石、ニッケルなどの鉱物とコーヒー豆、カカオ豆、タバコ、生花、アヴォガド(世界第3位)そしてメジャーリーガー!もちろん観光業もあります。(ちなみに映画「羊たちの沈黙」のラストは、逃げた精神科の医師を追ってレクター博士がハイチに現れるシーンで終わります)
 なぜ、こうも隣り合う国が違うのでしょうか?
<イスパニョーラ島の歴史>
 この島の近代史は、1492年にクリストファー・コロンブスが島に着いたところから始まります。この時、すでに島に住む先住民であるインディオたちの歴史は5000年に及んでいて、当時の人口は50万から100万人程度だったようです。しかし、上陸したスペイン人は島で金鉱を発見したため、インディオたちを鉱山で奴隷として働かせます。1519年には過酷な労働により、その人口は1万人にまで減少。さらにヨーロッパから持ち込まれた天然痘によって、わずか3千人にまで減ってしまいます。スペイン人たちは、鉱山以外にもサトウキビのプランテーションを始めていて労働力の不足が深刻化。そこで彼らはアフリカから黒人奴隷を輸入し始め、人種構成が大きく変わることになります。
 ところが、スペイン人たちはその後、より大きな南米大陸を発見。資源も豊富な無限の土地に較べれば、小さな島の価値は低いと考えた彼らは島を去って行きました。そして島の西側に上陸していたフランスがスペイン人の代わりに島を支配するようになります。
 1791年、1801年、奴隷たちによる大きな反乱が勃発。彼らの抵抗にフランスはその領有をあきらめ、島の西側部分がカリブ初の独立国「ハイチ」となりました。奴隷たちの叛乱から生まれた国ということもあり、ハイチ政府は白人支配層をことごとく殺害し、純粋な黒人国家としてスタートを切ります。ところが、それが様々な弊害を生むことになります。白人を憎むがゆえに近代化の流れを自ら拒否することになるのです。
 ハイチ政府は西部地域を支配下に収めた後、東部への侵攻作戦を開始。それに対し、多くのスペイン人入植者が住む東部地区はスペインの植民地になることを望みますが、スペインに見捨てられたため、自分たちでドミニカとして独立します。(1821年)
 スペインの影響を残すドミニカに対し、ハイチはフランス文化を残すものの、再び植民地化されることを恐れ、海外からの投資や企業進出を拒み続けます。それに対しドミニカは海外からの移民を積極的に受け入れ、海外資本の参入も認めます。(その中には日本からの移民もいました)
 1930年、ドミニカの国家警察指揮官ラファエル・トルヒーヨがアメリカ政府の後ろ盾を得て大統領に就任します。そして、長きにわたる右派の独裁政権が続くことになります。彼は反体制派を徹底的に弾圧する恐怖政治を展開。国内経済のためではなく、自らの懐を潤すことだけを考え続けたため、国内経済は急激に悪化。国内も混乱し、ついにCIAが支援する暗殺者が彼を殺害。 1957年、ハイチではフランソワ・”パパ・ドク”・デュバリエが大統領となり、こちらも長きにわたる独裁政権を確立。1971年に死ぬまで、国内は政治的には安定しますが、その後ハイチは混迷の時代が続くことになります。
<二つの国の分かれ道>
 二つの国の運命が分かれたのには、政治体制の違い以外にもいくつかの原因があります。
 東部(ドミニカ側)は雨が多く農業向きの土地でしたが、それに対しハイチは乾燥しています。ハイチはフランスの植民地だった時代に農業国として発展したこともあり、人口が急激に増えます。そのため、ハイチの農家は家族が狭い農地を分け合う、効率の悪い自給自足的なものになります。それに対し、ドミニカは移民が多かったこともあり、輸出を意識したより集約的な農業を発展させました。
 ドミニカの独裁者トルヒーヨの死後、彼の部下だったホアキン・パラゲールが大統領に選出され、そこから再び長い独裁政治が始まることになりました。しかし、彼は富の独占にしか興味がなかったデュバリエとは違い、産業振興にも尽力します。そのため、ドミニカはハイチに比べ工業化が進むことになり、経済的に発展し始めます。さらにパラゲールは森を守るため、木材の伐採を禁じ、製材所を強制的に閉鎖させます。それだけではなく、より厳しく森の管理を行うために、森林保護の執行責任を軍に変更します。秘密の木材伐採キャンプを軍が攻撃し、10人以上の死者が出る事件も起きています。
 なぜ、そこまでして森を守ろうとしたのかには謎も多いのですが、とにかくパラゲールが支配していた間、森は守られることになりました。しかし、そのドミニカの森もまた現在は危機を迎えつつあります。

 現在の速度で、ドミニカ人がドミニカ共和国からアメリカやプエルトリコへ移住し続ければ、共和国は、アメリカの多くの地域がますます”ヒスパニック化”(中南米化)していくのと同じように、ハイチ出身の少数民族がますます増えていく国家になるだろう。つめり、ドミニカ共和国にとって、ハイチが自国の問題を解決するか否かは、きわめて重大な国益に関わっている。・・・
<中国>
 様々な国で森林が失われ、それが環境破壊を引き起こし、同時に地球温暖化が進行しつつあること。この問題の解決こそ、現代の地球にとって最重要課題であると語られていますが、実は、そうした問題よりも中国の経済発展とそこから生まれる環境への負荷増大こそが地球規模で観た時の最重要の課題だということはもっと認識されるべきでしょう。(同じことは、この後、同じように経済発展と人口の増加が進むインドにもいえるかもしれません)

 - つまり、中国以外の国々の人口と生産、消費率 -がまったく変わらなかったとしても、中国の生産または消費率の上昇だけで、前述の主要金属の場合、(中国の人口を掛け合わせてみると)世界の総生産あるいは総消費が94%増加する。すなわち、中国が先進国の基準に達すれば、全世界の人間による資源利用と環境侵害がほぼ倍増するのだ。ところが、現在の世界の資源利用と環境侵害でさえ、このまま維持できるとは考えにくい。どこかで歯止めが必要だろう。中国の問題がそのまま世界の問題になる最も強い理由は、そこにある。
<オーストラリア>
 オーストラリアでは、過去から現在に至るまで、再生可能な資源がまるで鉱物のように、”採掘”されてきた。つまり、それらの資源は、再生速度を上回る速度で乱獲されてきた結果、衰退の一途をたどっているのだ。現在の速度が保たれれば、オーストラリアの森林と漁場は、埋蔵された石炭と鉄よりもずっと速く消滅してしまうだろう。
 本来、前者が再生可能で、後者が再生可能であることを考えると、皮肉な成り行きだ。


 オーストラリアの土壌は栄養を失うばかりで、それを再生するのが困難という特徴があります。それはなぜなのか?
(1)火山の噴火などにより地球内部の物質を降らせることが少ない土地であるため、土壌に栄養素が供給されることがない。
(2)氷河の前進、後退によって地殻がはぎ取られるなどして肥沃になるが、それがオーストラリアにはない。
 土壌の栄養が不足しているため、海の栄養も不足することになり、沿岸の魚介類も豊富とはなりません。そのうえ、移住してきた開拓民たちは、本国イギリスと同じように農業、放牧を行いますが、それにより土地はどんどん痩せて行くことになりました。

<オーストラリアの歴史>
 イギリスは、1783年まで刑務所に入りきらなくなった囚人を北アメリカに送っていました。ところが、アメリカで独立戦争が始まったため、囚人たちの行き先がなくなってしまいます。当初は、南アフリカやナミビアが候補となりますが、1770年にクック船長が発見した新大陸オーストラリアの開拓に向かわせる案が浮上。現在のシドニー近郊に入植地が作られ、そこに囚人たちが送られることになり、それが1867年まで続くことになりました。その後、新しい送り先として、現在のメルボルン、パース、ブリスベーン、ホバート周辺も加わります。(それが後の5州となりました)ところが、開拓者たちがそこで放牧や農業を始めるとすぐにそこが、それらの農業には不向きであることがわかります。
 結局、オーストラリアで経済的に成り立ったのは、アザラシ猟、クジラ漁、羊の放牧ぐらいでしたが、英国への最大の輸出品となった羊毛のためにオーストラリアの土壌はどんどん痩せることになります。さらに彼らはイギリスからキツネとウサギを持ち込み、英国貴族のスポーツである「狩り」をしようとしますが、ウサギは羊たちのための草地を荒らしながら増え続け、キツネはオーストラリアの貴重な草食獣のほとんどを絶滅に追い込むことになりました。

 結局、オーストラリアにとって経済的に有効な資源は、鉱物(石炭、金、鉄、アルミなど)と観光業となりました。当初はイギリスやヨーロッパ向けの経済・文化を重視していたものの、その後はアメリカや日本などアジアの国々との交流が中心となり、白人しか移民を認めなかった「白豪主義」はアジアからの移民を認める「汎アジア路線」へと方向を転換しています。しかし、その間にも土壌の劣化、乾燥化、塩性化が進み、その影響が漁業の不漁やサンゴの死滅などにまで広がりつつあります。
 ただし、オーストラリアは国民の意識も高く、環境問題への理解も広がっているので、今後、国全体でそれに対する対応を進めることが可能でしょう。そこに希望が見える気がします。

 ここで著者は、なぜ崩壊した文明は崩壊に危機に対応できなかったのか?その原因についてまとめています。
 もし、その原因がつかめて、その対処法を間違わなければ、これから先の文明崩壊を止めることも可能になるかもしれません。

<なぜ文明崩壊を防げなかったのか?>
(1)実際に問題が表面化する前に、それを予期することに失敗
  (a)イギリスによるオーストラリアへのキツネとウサギの持ち込み
  (b)マヤ族による丘の斜面での森林伐採
  (c)アイスランドの土壌がノルウェーのように豊かな土壌ではないことに気づかなかったこと
(2)問題が表面化していたにも関わらず、集団がそれを感知できなかった
  (a)オーストラリアで、土壌がすぐに栄養が失われるものであることがわからなかった(今なら科学的に調査可能)
  (b)管理者が現場にいないためにその土地の問題点に気づかない
  (c)地球温暖化のように変化の振幅が大き過ぎ、様々な要素が複雑に絡み合う範囲が広い問題は感知が難しい
(3)問題に気づいたものの、その解決を試みることもできなかった
  (a)人間同士の利害が絡み合うために、合理的な行動が衝突して解決ができずに共倒れする場合
  (b)宗教的、文化的価値観が現実を直視せずに環境破壊の原因となる場合(イースター島で行われた森林伐採は宗教的儀式のためだったという説があります)
<論理的判断ができない理由>
<群集心理>
 問題が明らかになっているにも関わらず、それに対処できない原因として、「群集心理」によってその対策を誤る場合があります。

 感知した問題の解決を非合法的に拒むそのほかの理由は、どちらかと言えば推論的だ。そのひとつに、”群集心理”と呼ばれる、短期の意思決定におけるよく知られた現象がある。
 統一のとれた大きな集団や群衆に属する個人は、特にその集団が感情的に興奮状態にある場合、勢いに押されて集団の決断を支持してしまう可能性がある。もしひとりでじっくりと考える時間を与えられたら、拒絶するしかないような決断でもだ。


 その象徴的なものとして、有名な「ピッグス湾事件」があります。キューバの革命政府を転覆させるため、CIAが右派のキューバ人を訓練して上陸作戦を行わせたものの完全に失敗。その後、作戦の背後にCIAがいたことが明らかになりアメリカは世界中の非難を浴びることになりました。
 なぜ、そんな犯罪的な作戦をケネディは許可したのか?
 それはまだ大統領になりたてだったケネディが周囲の軍事顧問団の主張に押しまくられ、論理的思考ができなかったせいだと言われます。

<心理的拒絶>
 例えば、大雨によって決壊する可能性があるダムの下に住む人々の場合。その恐怖の度合いは、ダムに近づくほど高くなりますが、ある距離からは逆に近づくほど恐怖を感じなくなるという調査結果があります。あまりにもダムに近い所に住むと、心理的にその危険を無視するよう脳が適応してしまうのです。

(4)問題に気づき、その解決のための対応策をとるが失敗してしまった
 大自然や生物を相手にした場合、その対応策の結果を予測することは非常に困難です。まして、大規模な気候変動や隕石の落下に対して人類はまったく無力です。ただ少なくとも人類は、今この時までなんとか上手く危機を乗り越えてきました。
 では、危機を逃れることに成功した土地や人々は、他とどこが違うのか?そこが未来にとっては重要な鍵となりそうです。

 最終的に問題点が明らかになった時、最も必要なのは利害を越えて全体が協力できるような共通認識「子供たちのために」を持てるかどうかにかかっています。そのために長い目で見て資源、文化、教育、政治、技術開発などへの投資を行うことが求められます。すべての国民が海抜ゼロm以下の土地に住むオランダの国民が環境保護の認識が高いのは当然かもしれません。
 しかし、現実にはその逆に子供たちに負債を背負わせる政策ばかりが目立ちます。(原子力事業はまさにその最悪の例です!)

 おそらく、一社会人としての成功と失敗を分ける肝心な点は、時代が変化したとき、どの基本的価値観を保持し、どの基本的価値観を捨てて新しい価値観と置き換えるべきかを知ることだろう。

<大企業と環境問題>
 環境問題の最大の原因に企業活動によるものがあります。地球温暖化問題も、直接的に影響を与えるのは市民それぞれの生活ですが、利益を追求することで企業が環境悪化させた部分は、今からでもすぐにSTOPをかけられる可能性があります。
 ただし、企業による環境破壊は、個人としては理解できても、利潤を追求する企業の論理によってどうしても防ぎきれない場合があるのも事実です。
<石油・天然ガス>
 1989年のエクソン社のタンカー、ヴァルディーズ号によるアラスカ沖での原油流出事故。
 1988年の北海沖にオキシデンタル・ペトロリアム社パイパーアルファ油井の爆発炎上事故(167人死亡)
 この事故以降、石油業界の安全管理は徹底されるようになり、大事故は大幅に減少することになりました。環境汚染の原因として、この業界は優良な分野だといえます。なぜなら、事故を起こせば企業イメージを一気に悪化させるので、事故の予防に大手企業は積極的になったせいです。(石油の場合、採掘業者と輸入業者、販売業者はほぼ系列化されていて、事故は直接販売不振につながります)
<鉱山>
 石油や天然ガスとは異なり、金、銀、銅、プラチナなど金属の採掘を行う鉱業分野は、現在もなお様々な問題を抱えています。先ずその鉱床を探すのも難しく、そのために利益率も低く、環境を汚染する有毒物質を精製過程で生み出すため、環境への負荷も大きく、安全管理にも多額の費用を要します。そうなると、巨大資本の企業は参入を見合わせるため、必然的に中小の企業が危険覚悟で手を出すことになります。そうなると、事故が起きた時には多くの企業が簡単に自己破産するなどしてしまい、その結果被害者が保障を受けられないことが多いのもこの分野の問題点です。
<林業>
 1993年森林管理協議会(FSC)が設立されたことにより、世界的な森林保護の動きが始まりました。この組織が作る基準で指定された木は、再生可能な範囲で育てられ、伐採されたものと証明されています。とはいえ、そうして守られている森は、世界のごくごく一部にすぎず、貧しさにより木を切って燃料などに使用せざるを得ない国々では、そうした取り組みはまったなされていないのが現状です。
<漁業>
 漁業もまた林業と同じように再生可能性を追求することが求められています。1997年にアメリカの企業ユニリーバを中心に世界保護基金と共に海洋管理協議会(MSC)が設立されました。林業と同じように世界基準を設け、資源を保護し、生態系を維持しながら、環境に影響を与えないように運営されているかをチェックして認定を与えています。(独立した第三者が認定)漁船での捕獲作業から水揚げ、加工、卸売り、流通、小売まで、すべての過程を追跡監査しているそうです。しかし、「漁業」と言ってもあまりに種類が多く、広い範囲で行われているだけに、その認定作業はごく一部でしかまだ行われていません。
<牧畜業・食肉加工業>
 アメリカで狂牛病が問題となった時期、食肉業界はそのための対応措置に出費が増えるという理由で5年間に渡り実施を行いませんでした。ところが、そのためにハンバーガーの売り上げが急落。マクドナルド社は、肉の納入業者に圧力を掛け始め、そのおかげで食肉業界は渋々政府の申し入れに従うことになりました。
 消費者の力は、この業界で大きな力をもつといえます。

<地球規模で文明が崩壊する原因>
(1)森林、湿地、サンゴ礁などの枯渇
(2)魚介類など水産資源の枯渇
(3)動物、植物など生物多様性の喪失
  多様性を失うことは生態系のバランスを崩すことで全体を危機に向かわせます
(4)農地として使える土壌の喪失
  塩性化、酸性化、アルカリ化、乾燥、風化など様々な原因による
(5)化石燃料(石油、天然ガス、石灰など)の枯渇
(6)真水の枯渇
  世界の河川、湖沼などの真水の大半が、すでに灌漑、水道、工業用に使われ、飲料水の不足は深刻化しつつある
(7)太陽エネルギーを利用するための光合成の限界
(8)毒性化合物の増加
  化学工場が生み出してきた様々な物質は環境を汚染し、生命のDNAにも影響を与え続けている。そして、その存在は人工的なるがゆえに半永久的で生命体内に残留し続けます
(9)外来種の増加
  グローバル化により、それぞれの地域に外来種が持ち込まれ、それが生態系を破壊
(10)人間が発生させたガスによるオゾン層破壊、温室効果ガスの増加(二酸化炭素とメタン)
(11)人口の増加
  人口の増加は食糧、空間、水、エネルギーなど資源不足の直接的原因となります
(12)人口増が生み出す環境の悪化
  廃棄物の増加。第三世界の人々が先進国の水準に近づくほど、状況は悪化し続けます。

 著者は上記のような様々な問題の中でも最も重要な問題は何か?という疑問に対してこう答えています。

「最も重要な問題をひとつあげるとすれば、それは、問題を順位付けして、ひとつに絞ろうとするわれわれの誤った姿勢だ」
 上記の12の問題のどれかひとつでも未解決のまま残されたら、わたしたちは甚大な被害を受けることになるし、すべての問題は相互に作用し合っているからだ。

 今日もまた世界のどこかで文明の崩壊が続いています。そして、その原因の多くは明らかです。

 今日でも、環境ストレスもしくは人口過密もしくはその両方をかかえた国は、政治的ストレスにさらされ、政権が崩壊する危険性が高くなります。
(マヤやイースター島の社会と同じことが今も続いている)
 窮乏し、腹を空かせ、希望を失った住民は、政府に責めを負わせようとするだろう。彼らはなんとかして国外移住を図る。土地を奪い合う。殺し合う。内戦が始まる。失うものがないと知った者は、テロリストになったり、テロを支援もしくは容認したりする。


「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの Callapse How Societies Choose to Fail or Succeed」 2005年
(著)ジャレド・ダイヤモンド Jared Diamond
(訳)楡井浩一
草思社
ジャレド・ダイアモンドの他の作品
銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎

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