「バット・ビューティフル But Beautiful」

- ジェフ・ダイヤー Geoff Dyer -

<奇跡の瞬間>
 僕は、ビル・エヴァンスのアルバム「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード」を聴いていて、時々胸が締め付けられるような思いになることがあります。それは、彼のピアノの音の合間にグラスの音やかすかな話し声が聞こえてくると、ふっとその世界に引き込まれた時のことです。あの日、あの場所に一瞬タイム・スリップした僕は、その場の住人になります。しかし、そんな奇跡の瞬間が永遠に続くわけはなく、すぐに僕は現代に引き戻されてしまいます。あの瞬間に戻ることはもうできないんだ、という感慨は僕を物悲しくノスタルジックな気分にさせます。
 もし、そんな奇跡の瞬間を文章に収めることができたら・・・そう思うのです。(ちなみに、そんな奇跡の瞬間を収めた「奇跡の映画」として、「ロバート・アルトマンのジャズ」という作品があります)

「・・・私の目的はミュージシャンたちのありのままの姿を描くことではなく、私の目に映った姿を描くことにあった。当然のことながら、その意図の間の距離は、しばしばずいぶん大きなものになる。同じように、たとえそうしているように見える時であっても、私は活動中のミュージシャンの姿を描いているわけではなく、むしろ、私が三十年後にその音楽を耳にしているという行為を、その音楽が生起した瞬間に投射しているのだ。」

 ジャズの著作は様々ありますが、この作品はそうした評論や伝記、自伝などをもとに、まるでミュージシャンとともにその場にいたかのように当時の出来事を再現した限りなくノンフィクションに近い小説といえます。もちろん、それが真実かどうかは定かではありませんが、実際、本人にとっても真実はもうわからないのではないでしょうか。もちろん、著者はこの作品をあくまでもフィクションであるとしているので、けっして知ったかぶりをしているわけではないので、逆にミュージシャンたちに受け入れられたかもしれません。

「『バット・ビューティフル』は私が友人たちに推薦した唯一のジャズに関する書物だ。これはちょっとした宝物だ。『ジャズに関する本』というよりは『ジャズを書いた本』というべきだろう。もしマテリアルにぴたりと寄り添うことが偉大なソロを形づくるとすれば、ミスター・ダイヤーの本がまさにそれだ」
キース・ジャレット

 彼のジャズに対する熱い思いは、本文の後にある50ページ近い「あとがき」を読んでもらえれば明らかでしょう。例えば、「ジャズ」という「音楽」がある意味クラシックと同じ「完成した音楽スタイル」になってしまったがゆえに、どうしても行き詰まったように感じられることについては、マイルス・デイヴィスを例にあげてこう書いています。

「マイルズの孤独な、背筋が寒くなるくらい美しいサウンドは、高音部の跳躍を持続させること - それはディジーのトレード・マークだった - ができなかった結果としてもたらされたものだった。
・・・トランペッターがハーモン・ミュートを使ってバラードを演奏しながら、マイルスの模倣と言わせないサウンドを出すことは、今ではほとんど不可能だろう。」


 マイルスは自ら「完成形」とならないよう死まで新しい音楽に挑戦を続けましたが、今、そこまで新たな音楽への挑戦にこだわり続けるジャズ・ミュージシャンは見当たりません。そして、1950年代にピークを迎えたとも言われるモダン・ジャズのミュージシャンの演奏を今改めて聴くと、彼らのテクニックは現代のミュージシャンたちを模倣しているかのようにも聞こえてしまいます。何の情報もなく音だけを聴いて、その音楽を評価することは、非常に困難なことです。技術的には現代のミュージシャンのレベルの方が高いかもしれませんが、それだけで単純に評価することはできないはずです。
 基本的にオリジナル曲で勝負するロックなど現代のポップ音楽とスタンダード曲の解釈力の違いで勝負するジャズは根本的に音楽に対する思想が違うとも言えます。

「・・・時として『彼らの作り出したスタイルが、その先行者に対する優位性を獲得し、奇妙なことにそれを保ち続け、時間という暴君をほとんど逆転させ、人々にたとえいっときではあるにせよ、彼らは彼らの祖先によって模倣されているんじゃないかと思わせてしまう』みたいなことが起こる。」
(例えば、レスター・ヤングスタン・ゲッツの関係とか、ビル・エヴァンスとキース・ジャレットの関係など)

 ただし、ジャズは、どんな音楽よりも楽器が自分のすべてを表現することができる特殊な音楽だともいえます。だからこそ、素晴らしい才能をもつミュージシャンは、楽器ひとつで「ワン&オンリー」の魅力を発揮することが可能になるのです。

「『トランペットを持たないルイ・アームストロングはどちらかといえば見栄えのしない人間だ』とエリック・ボブズボームは述べている。『しかしいったん楽器を手にすると、まるで記録天使のように精密に、優しくものを語れる』と。他のいかなる芸術分野において、アート・ペパーのごとき人間が、かくも美しい達成をなすことができただろう?・・・」

 もちろん、そのためにジャズ・ミュージシャンたちは、昔から多大な犠牲をはらってきました。彼らの給料はけっして高くなく、毎日演奏していなければ食べてゆけず、そのためには、次々と新しい音楽的アイデアを生み出し続ける必要もありました。
 さらに彼らは常に緊張を強いられるだけでなく、体力的な厳しさと将来への不安を取り除く目的で麻薬やアルコール、セックスに救いを求めざるを得ないものが続出しました。
 さらに前を向いて進み続ける人生を後から追い駆ける者の中にも、彼らに追いつくため、演奏テクニックだけでなく生き方も真似しようと麻薬に手を出す者がいました。

「『音楽は君自身の体験であり、君の思考であり、君の知恵だ』とチャーリー・パーカーは言った。『もし君がそれを生きなければ、それは君の楽器から出てこない』。ビバップ時代の多くのミュージシャンが - レッド・ロドニーがそのいちばんの好例だが - ヘロインに手を出したのは、そうすれば長年にわたる麻薬常習者であるチャーリー・パーカーが、音楽創造のキャパシティーのためにそこから引き出している何かと、それが何であれ、手にできるのではないかという希望を抱いたからだった。・・・」
 多くの犠牲の上に気づかれたジャズの歴史は、まだまだ短いものですが、その急激な発展の結果をさらに進化させることは可能なのでしょうか?
 21世紀に入って、ジャズを聴き始めたファンにとって、ジャズはクラシック音楽と同じような存在となっているのでしょうか?それとも、いつの日か、「ニュージャズ」と呼ばれる新しいジャズ・スタイルの時代がやって来るのでしょうか?
 それともすでにジャズは「R&B」、「ファンク」などの名前を得て蘇っているのでしょうか?

コルトレーンの長い影と、ビバップの語法によって語られることが今なおあるのかという質問は、現代のジャズ・プレーヤーたちが直面する大いなる疑念の一部にすぎない。未だ為されていない重要な作業はそこに存在しているのか?ジャズが誕生してまだ百年も経過していないにもかかわらず、そのあまりに急速な進化のせいで、オーディエンスも演奏者も、自分はその伝統に参加するにあたって、遥かに遅れをとってしまったという感覚を共有することになる。」

 著者のジェフ・ダイナーは、1958年イギリス南西部チェルトナムに生まれています。父親は板金工で、母親は学校の食堂で働く労働者階級の子でした。経済的に恵まれていなかったことから、彼は働きながら名門オックスフォード大学に入学し、そこで英文学を学びました。大学卒業後は、ロンドンでジャーナリストとして働きながら小説を執筆するようになりました。
 ノンフィクション・ライターとして、ブッカー賞受賞作家ジョン・バージャーについて書いた「Ways of Telling : Work of Joho Berger」を1987年に発表。その後、1989年に処女長編小説を発表しますが評価を得ることはできず、エッセイやノンフィクションを書いて生活してゆきます。
 この作品は、彼のノンフィクション・ライターとしての実力と小説家を目指す情熱とオリジナリティーが上手く融合したことで、高い評価を獲得。この作品で1992年度のサマセット・モーム賞を受賞しています。

「ジャズの目指す方向はひとつしかない。それは前向きだ」
ディジー・ガレスピー

 ここからは、この本の中でも特に気になった文章をいくつか選んでみました。次いでながら、ここであげているアーティストの多くはこのサイト内で取上げていますので、そちらもお読みいただければと思います。

バディー・ボールデン
「・・・最初のジャズマンとして広く認められているバディー・ボールデンは、パレードの最中に発狂し、その後死ぬまでの二十四年間を精神病棟の中で送らなくではならなかった。『ボールデンが気が狂ったのは』とジェリー・ロール・モートンは語る。『彼がトランペットをなにしろ脳味噌が飛び散るみたいに吹いたからだ』」

デューク・エリントン
「・・・自分が目にする文字通りすべてが音楽に転じていく、そんな境地に彼は達していた。それは地球のパーソナルな地理学であり、色彩や音響や匂いや食べ物や人々、彼が感じ、手を触れ、目にするすべてのもののオーケストラ的伝説であり・・・・・そう、彼はサウンドにおける文章家だった。彼が取り組んでいるのは巨大な音楽的フィクションなのだ。・・・」

「鉄道はちょうどアメリカ黒人の歴史を貫くように、彼の音楽を貫いていた。黒人たちが鉄道をつくり、鉄道で仕事をし、鉄道に乗って移動した。そして今、彼がここで、鉄道に乗って作曲をしているのだ。それは彼が引き継いだ伝統だった。・・・」

<レスター・ヤング>
「・・・彼はサックスを斜めに傾けて吹いた。そして興が乗ってくると、それは更に少しずつ水平方向に傾き、最後にはフルートのように真横になった。でも、彼が楽器を高く持ち上げているという風には見えなかった。というより、楽器そのものがどんどん軽くなっていくみたいに見えた。楽器が勝手に宙に浮かんでいるみたいに。そしてもし楽器が宙に浮かびたいと望むのなら、それをわざわざ押さえつける必要はないではないか。・・・」

「・・・法廷にいる誰もが彼の顔を見ていた。彼が口にする言葉に人々が真剣に耳を澄ませれば澄ませるほど、彼の話し方はより緩やかな、より物静かなもにになっていった。言葉を言い残し、文章を途中でやめて宙に浮かべたままにする、歌うがごとき彼の声は人々をとらえ、離さなかった。人々の払う注意が突然、彼にとっていつもお馴染みのものとなり、おかげでグラスの触れ合う音、バケットからがさごそと取り出される氷の音、シガレットの煌が渦巻く中の人々の話し声・・・そんなものさえ聞こえてきそうだった。」

(兵士として軍隊生活を送っている間に、彼は度重なる差別と虐待を受け、二度ともとには戻れないほどの精神的な傷を負ったといわれています)
「楽器が宙に浮かびたいと望むのなら」より

<ビリー・ホリデイ>
「・・・彼女はふと思う。生まれ落ちたそのときから、私たちの人生には、損なわれるための種子が蒔かれていたのかしら、と。数年はなんとかごまかせても、結局は避けがたい損壊に至るように。酒、麻薬、刑務所、・・・・・ジャズ・ミュージシャンは早死にするのではない。ただ早く老いるだけだ。これまで歌ってきたあまたの唄の中で、彼女は一千年も生きたのだ。・・・・・」

セロニアス・モンク
「・・・音楽に関して、彼は妥協というものをしなかった。世界が彼のやっていることを理解するまで、ただじっと待っていた。それはしゃべり方に関しても同じだった。彼の口にするもぐもぐやもぞもぞの微妙な意味を、まわりの人々がなんとか解釈できるようになるまで、彼はただ待っていた。」

「モンクの音楽を正しく聴くためには、彼を見なくてはならない。グループの中でも最も重要な楽器は - それがどのような編成グループであれ - 彼の肉体だった。実をいえば彼はピアノを演奏していたわけではない。その肉体こそが彼の楽器であり、ピアノは彼の肉体から音を、正しい速度と正しい量で引き出す方便にすぎなかった。彼の肉体を残してほかのすべてを消し去れば、あなたの目には彼がドラムを叩いているみたいに見えただろう。・・・」

「・・・彼の音楽は愉快な音楽だった。語ることことこそなかったものの、彼の口にすることの大半はジョークだった。彼の踊りは導きの手段であり、音楽に入り込む道を見つける手段だった。彼は曲の内側に入り込まなくてはならなかった。・・・」


「・・・技術的に言えば限定された演奏家だったから、彼にできないことはそれこそ山ほどあった。しかし自分のやりたいことはひとつ残らずやることができた。つまりテクニックが不足しているせいでやりたくてもやれなかった、というようなことはひとつもなかったわけだ。・・・」

「彼はひとつの音を、あたかもその前に出した音に自分でも驚愕したかのように弾いた。鍵盤を打ったひとつひとつの指がその先行する過ちを正し、その指が今度はまた新たな、正されるべき過ちを犯しているかのようだった。だから曲はいつまでたってもしかるべきかたちを取ろうとしない。ときどきその曲はすっかり裏返しにされてしまったみたいに聞こえる。・・・しかしそこにはちゃんとロジックが働いている。モンクにしか通用しないロジックが。すなわり、常にもっともらしくない音を弾いていれば、予期されているものの陰画がそこに現れるということだ。聴衆は常に『この曲は本来は美しいメロディーを持っているに違いない』と感じる。・・・」

「あるいは別の見方をすることもできる。もしモンクが橋を造っていたら、彼は構造上不可欠と考えられている部品をそこからどんどん取り去っていっただろう。そしてあとに残っているのは、装飾的な部分ばかりということになっただろう。しかし彼は、どうやったのかはわからないが、その装飾的な部分に構造材の剛健さを吸収させることができた。・・・」
「もしモンクが橋を造っていたら」より

<ベン・ウェブスター>
「 - もし君がジャズを好きなら、君はベンを好きになるはずだ。ジャズは好きだけど、オーネットは好きじゃないと言うものもいるだろう。デュークを好きじゃないと言うものだって、あるいはいるかもしれない。しかしジャズを愛しながらベンを愛さない、なんてことはあり得ない」

「ベンにとってジャズとはそんな面倒なものではなかった。それは格闘すべき相手でもなく、頭の中のイメージに合わせて作り替えるべきものでもなかった。彼にとってジャズとは、ただ単にサックスを吹くことだった。」
「彼は楽器ケースを携えるように、淋しさを身の回りに携えていた」

チャールズ・ミンガス
「アメリカは絶え間なく彼の顔に吹き付ける強風だった。アメリカと彼が言うとき、それは白人のアメリカを意味した。そしてホワイト・アメリカと彼が言うとき、それは彼が好まないアメリカのあらゆるものを意味していた。風は彼に対して、小柄な人々に対するよりいっそうきつくあたった。小柄な人々はアメリカを微風と見なしたが、彼の耳はそれを暴風ととらえた。たとえ樹木の枝がそよとも動かず、アメリカ国旗が家庭のわきに星条旗様のスカーフのように垂れ下がっていようと、彼の耳はその脅威を聴き取った。それに対する彼の対応は、怒鳴り返すことだった。・・・」

「音楽は、どこまでも拡大していく『ミンガスであること』というプロジェクトのただの一部分に過ぎない。・・・」

「彼のベースは、まるで囚人の背中に押しつけられた銃剣のように、みんなを前に前にと駆り立てた。そこに加えて指示が雨あられと降り注ぎ、腕力を振るうという絶え間のない脅迫であった。・・・」

「彼は自分の音楽に生活を、また街の騒音を、あまりにたっぷりと詰め込んだので、三十年後に、「直立猿人」や「ホグ・コーリング・ブルーズ」や、他のそのように荒々しく力のみなぎった曲を聴く人々は、そこにある叫びや苦悶が、レコードで楽器の奏でているものなのか、それともけたたましく窓の外を過ぎていくパトカーの、赤と白に光るサイレンの音なのか、うまく区別がつかなくなってしまうことになった。」
「彼のベースは、背中に押しつけられた銃剣のように、人を前に駆り立てた」

ローランド・カーク
「・・・カークはまさに黒人音楽の生き字引ともいうべき男だった。彼はそのすべての知識を頭の中にではなく、身体に蓄えていた。彼は思考をおおむね捨て去り、感覚を闊達な知性のレベルにまで引き上げていた。彼は夢の中から導きを得ていた。自分の三本のホーンを同時に吹いている光景を、彼が最初に目にしたのも夢の中だった。・・・」

チェット・ベイカー
「・・・彼が演奏するのは、自らのためですらない。彼はただそれを吹いているのだ。そういうところは彼の友人であるアート・ペッパーとまさに対極にある。アートは音符のひとつひとつに自らのすべてを注ぎ込むタイプだ。チェトは音楽に自らを一切含めない。そのことがまさに彼の音楽に哀感をもたらしているのだ。彼が演奏する音楽は、彼に見捨てられてしまったものとして感じられた。・・・」

「彼は常にそのように演奏してきたし、これからもそのように演奏してきたし、これからもそのように演奏していくだろう。ひとつの音符を吹くごとに、手を振ってそれに別れを告げる。手を振らないことさえある。・・・」

「・・・彼が演奏するやり方はただひとつきりだった。多少速くなるか、ゆっくりになるか。でもそれは常に同じ型の中にあった。単一のエモーション、単一のスタイル、一種類のサウンド。唯一の変化は哀弱により、またテクニックの劣化によりもたらされたものだった。しかし彼のサウンドの劣化は、同時にまたサウンドを拡げ、そこに哀感という幻想を賦与していた。それは、もし彼のテクニックが、彼が自らの身に与えたダメージを乗り越えていたなら、そこになかったはずのものだった。」
「この二十年はただ単に、彼の死の長い一瞬だったのかもしれない」

<アート・ペパー>
- あなたが吹いているわけ?
- もちろんさ。おれ以外のいったい誰が、このようにブルーズを吹けるだろう?彼はそう言って笑う。
- よくわからない。ブルーズって何?
- ブルーズは何か?それは法外な質問だな。ブルーズってのはたくさんのものごとであり、ひとつのフィーリングであり・・・
- どんなフィーリングなの?
-ああ、それは・・・それはたとえば孤独な男のようなものさ。そいつは自分のせいじゃないトラブルに巻き込まれたために、狭いところに閉じこめられている。・・・
「おれ以外のいったい誰が、このようにブルーズを吹けるだろう?


<オーネット・コールマン>
「黒人の魂のありように関して、最良のステートメントはテナー・サキソフォンを使ってなされた」



「バット・ビューティフル But Beautiful」 1991年
(著)ジェフ・ダイヤー Geoff Dyer
(訳)村上春樹
新潮社

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