- ザ・バーズ The Byrds -

<失われた環>
 生命の進化の歴史において、「ミッシング・リンク(失われた環)」と呼ばれる存在があります。例えば、キリンという首の長い生物が長い年月をかけた進化によって生み出されたとするなら、その進化の中間に位置するキリンほど首の長くない未知の生物の化石が必ず存在するはずです。ところが、実際にはそんな中途半端な首の長さをもつ未知の生物の化石は、ほとんど発見されていないのです。(この未発見の中間に当たる存在のことを「ミッシング・リンク」というわけです)
 そこで現在「進化論」の主流となっている考え方は、生物はある時期急激に変化をとげる(突然変異や種の大規模な絶滅)ことによって、進化を押し進めてきたというものです。だとすれば、「中途半端な首のキリン」や「中途半端な長さの鼻をもつゾウ」の化石が発見されていないことの説明がつくというわけなのです。(注:このゾウとキリンはあくまで例です)そう考えると、あの有名な始祖鳥の化石の価値は大変なものであることが、分かろうというものです。
 なぜこんなことを長々と説明しているかというと、ロックの歴史におけるこの「ミッシング・リンク」にあたる存在、その中で最も代表的な存在こそザ・バーズであると、僕は常々思っていたからなのです。(とは言っても、生物の場合と違い彼らの存在はレコードという形でしっかりと歴史に刻まれているのですが)

<ザ・バーズのもつ重要性>
 バーズを語ることは、「ロックの歴史の分岐点」を語ることでもあり、それだけこのバンドから枝分かれしていったバンドやジャンルは数多いのです。そして、その枝分かれは、常に他のバンドの先を行っていました。中には、その後絶滅してしまった「ラーガ・ロック」なんていう名の珍種もありましたが、その多くは現在に至るまで生き続け、ロックの一ジャンルとしてしっかりと存在しています。
 さらにバーズの歴史は、1960年代から1970年代にかけてロックの最も重要だった時代の歴史でもありました。

<バーズの誕生>
 その始まりは、ハリウッドの有名なフォーク・クラブ、トルヴァドールでした。1964年にここで出会った3人のフォーク・シンガー、ジム・マッギン(後に宗教上の理由でロジャーと改名)、ジーン・クラークデヴィッド・クロスビーが意気投合し、ジェット・セッというバンドを結成し、そこにブルーグラス・バンドで活躍していたクリス・ヒルマとドラマーのマイケル・クラークが加入して、オリジナル・バーズが結成されました。

<ミスター・タンブリンマン>
 彼らは結成当初、ほとんど注目されませんでしたが、目標とするスタイルは、はっきりしていました。それはフォーク・ロックという当時まだ存在していなかったスタイルでしたが、彼らはそれを上手く表現する曲を探していました。そんな彼らに一本のテープが届けられました。それは、ボブ・ディランジャック・エリオットによる「ミスター・タンブリンマン」のデモ・テープでした。この録音は、アルバム「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」に収録される予定でしたが、ジャック・エリオットが酔っぱらっていて歌詞を忘れてしまったために、お流れになったのでした。かねてから、ビートルズボブ・ディランの融合によるフォーク・ロック・サウンドの確立を目指していた彼らにとって、この曲はまさにうってつけでした。1964年コロンビアと契約したバーズは、1965年にこの曲「ミスター・タンブリンマン」をひっさげてデビューを飾り、いきなり全米ナンバー1に輝いてしまいました。彼らが考えたビートルズとボブ・ディランの融合というアイデアは、もうすでに斬新なものではなくアメリカの聴衆にとって、当然受け入れられる状況になっていたのです。(この当時の社会の激変は、アーティストたちの斬新なアイデアをすぐに陳腐なものにしてしまうほどのものでした)

<フォーク・ロックの誕生>
 こうしてフォーク・ロックという新しいスタイルが生まれました。ちなみに、当時「ミスター・タンブリンマン」の録音では、ジム・マッギンの12弦ギター以外の楽器はみなスタジオ・ミュージシャンによるものだったようです。しかし、クロスビー、マッギン、ジーンによる美しいハーモニーはもちろん本物で、それがフォーク・ソングというちょっと堅い雰囲気の音楽をポップに変身させる大きなポイントになっていました。そして、彼らはこの後も次々と新しいサウンドへのチャレンジを続けてゆきます。

<サイケデリック・ロックへのチャレンジ>
 1966年の発表の「エイト・マイルズ・ハイ(霧の8マイル)」(後にロキシー・ミュージックがリメイク)では、当時オーネット・コールマンとともにフリー・ジャズの急先鋒として活躍していたジョン・コルトレーンのサックス奏法を取り入れたと言われるマッギンの独特のギター奏法によるトリップ感覚にあふれたサウンドを展開しています。一部地域では、麻薬の使用を広めるものだとして放送禁止対象となりましたが、サイケデリック・ロックにおいても、彼らはトップを走るバンドとして活躍しました。

「ロックにおけるジャズ・ロックの古典とは66年3月発表のザ・バーズの「霧の8マイル」だろう。ジョン・コルトレーンの「インプレッションズ」と「アフリカ・プラス」、それにゾンビーズの「シーズ・ノット・ゼア」のキーボード・ソロに強く影響されて生まれたというこの曲でのロジャー・マッギンのソロは、脳内に残留していたサックス・プレイとコルトレーン音楽の印象をエレキギターの弦にエイヤアと転写したものだ。」
湯浅学「音楽が降ってくる」より(追記2014年)

<ラーガ・ロック、スペース・ロック?から「ロデオの恋人」へ>
 サイケデリック・ロック以外にも、当時一大ブームとなっていたインドの楽器シタールを用いたラーガ・ロックスペース・ロックと言われた宇宙的サウンド?の"Mr.Spaceman"(1969年アポロ11号が月面着陸に成功している)まで生みだし、ロック界におけるフロンティアの中心的バンドになって行きました。そして、そんな彼らの築きあげたもう一つの金字塔が、グラム・パーソンズという新たな天才の加入によって生み出されたカントリー・ロックの傑作「ロデオの恋人」(1968年発表)でした。

<カントリー・ロックの先駆者>
 元々ベースのクリス・ヒルマンは、ブルーグラス・バンドのリーダーだっただけに、彼らはすでにカントリー・ロック的な曲を何曲も録音していました。しかし、そこにインターナショナル・サブマリン・バンドというカントリー・ロックの先駆的バンドで活躍していたグラム・パーソンズがキーボード奏者として加入、バンド・リーダーのマッギンを口説き落とし、本格的なカントリー・ロック・アルバム「ロデオの恋人」の制作を実現したのでした。
 しかし、グラムはこのアルバムを完成させると、すぐにバーズを脱退、さらにカントリー・ロックの追求に向かい、元々ブルーグラス・ギターの名手ということで参加していたクラレンス・ホワイトマイケル・クラークも、グラムとともに脱退し、幻のカントリー・ロック・バンド、フライング・ブリトー・ブラザースを結成します。

<新しいスタイルへの発展>
 こうしてバンドのメンバーは、次々に別々の道を歩み始めました。元々常に新しい方向に向かって進んできたバンドだけに、分裂することによって新しい芽を生み出すことは当然の流れだったとも言えそうです。
 バーズの美しいハーモニーの要だったデヴィッド・クロスビーは、その後バッファロー・スプリングフィールドのメンバーらとともに、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを結成し、美しいハーモニーを売り物とするフォークロック界最高のバンドを作り上げました。
 ジーン・クラークは、ブルーグラス・バンド、ディラードのダグ・ディラードとディラード&クラーク・エクスペディションを結成。ブルーグラス・ロックとも言える新しいスタイルを生みだしました。
 こうしてほとんどのメンバーが脱退する中、ロジャー・マッギンはバーズを維持し、メンバーを入れ替えながらも1972年まで活動を続けました。

<ロックの原石だったバーズ>
 こうして、1970年代の始まりとともに、バーズはロック界から姿を消し、その影響力もしだいに弱まって行きました。今やバーズは、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのような完成されたビッグ・ネームの影に隠れた地味な存在になってしまったが、彼らのサウンドにはそこに到る過渡期ならではの混沌としたパワーがありました。それはまるで、いよいよ高く飛び立とうとしていた鳥類の先祖、始祖鳥の姿にも似ていました。美しく飾られた羽根はなくても、空を飛ぶ機能をもつそのシンプルな姿は、様々な輝きを放つ「ロックの原石」でもあったのです。

<締めのお言葉>
「進化が起こるのが、もしも、中心部の大きな個体群におけるゆっくりとした変化によってではなく、周辺部の小さな隔離個体群における急速な種分化にほとんど必ずよっているとすれば、化石の記録はどのような姿をとるのであろうか。我々には、種分化という出来事そのものの記録は入手できそうにない」
スティーブン・ジェイグールド著 「ダーウィン以来」

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