「町でいちばんの美女 The Most Beautiful Woman In Town And Other Stories」

- チャールズ・ブコウスキー Charles Bukouski -

<真性アングラ作家>
 チャールズ・ブコウスキーは、ビート以降のアメリカを代表するアングラ作家です。
 最初に彼の名を世に広めたペーパーバック本「ブコウスキー・ノート」を出版したのはハリウッドのポルノ専門出版社でした。彼の代表的な初期作品を集めた「町いちばんの美女」の中の短編小説も、その多くはエログロ満載で中にはウンザリしてしまうものもあります。そこでは破滅的でその日暮しの酒とセックスと競馬の日々が、延々と続きます。そんな生活をし続けたにも関わらず、彼はなんと74歳まで生きました。
 それは彼が決してメジャーにはならず、金持ちにもならず、贅沢をすることなく、アンダーグラウンドの世界を生き続けたからかもしれません。彼は、何も欲することのない禅僧のようなストレスとは無縁の生活を送りながら作品を書き続けました。

 ウィスキーの残りを飲む気はしなかった。裸のまま台所に立って、どうしておれは人に信用されるんだろうかと、あれこれ頭をめぐらせた。おれは何者なんだ?人々は頭がおかしいんじゃあるまいか。単純すぎやしまいか。おれをいい気にさせてくれていた。そう、おれは10年間一度も定職につかないで暮らしてきた。人がカネや食い物や泊まる所を提供してくれた。アホとおもってなのか天才とおもってなのか。そんなことはどうでもよかった。私には自分が、そのどちらでもないことがわかっていた。なぜ人が贈り物をしてくれるのかということにも関心はなかった。ただ受け取る。しかし勝ち取ったかのような、あるいはくれるようにしむけたといった感じはまったくなかった。なにものも求めないというのが、私にとっての生きている大前提なのである。・・・
「かわいい恋愛事件」より

 彼のようなタイプのアーティストは同世代には以外に少なく、レイモンド・カーヴァーブルース・スプリングスティーンあたりが、彼と同じように60年代カウンター・カルチャーの枠組みからはみ出す存在だったといえます。彼はいち早く、当時の若者たちの「革命によって世界を変えよう!」的な運動からもドロップ・アウトしていて、70年代の「シラケ世代」の先駆だったのかもしれません。彼の名がカウンター・カルチャーの代表的存在として、カルト的な人気を獲得したのが、70年代以降のことだったのは、そのせいだったのかもしれません。

「黒人の手にかかって死のうとはおもっちゃいないよ。そうなりたがっている夢想家の白人はいるけどな。つまり黒人に殺されたがっている白人がいるということだ。おれは黒人たちの解放運動で一番すばらしいことは、彼らが努力していることだとおもっているよ。なにせ白人たちは、おれを含めて、努力の仕方がわかんなくなってきてんだから。・・・」
「白いプッシー」より

 当然、彼は政治に対して何も期待していないし、自分でどうこうしようなど少しも思っていませんでした。ただ、おのれに誠実に生きることのみに専念していたからこそ、長生きできたのかもしれません。

「私には、アドルフ・ヒットラーがいま生きていたら、この世界が楽しくてしようがないだろうと思われる。
 政治や世界に起きていることについて、なにをいうべきことがあるというのか?
 ベルリンの危機、キューバ危機、スパイ機、スパイ船、ヴェトナム、朝鮮、行方不明の水爆、アメリカ都市の暴動、インド飢餓、中国の文化大革命について?いいやつと悪いやつがいるというのか?いつも嘘ばかりついているやつと、絶対に嘘をつかないやつがいるというのか?いい政府と悪い政府があるというのか?ちがう。いい政府などというものはない。あるのは悪い政府と、もっと悪い政府だけだ。・・・
 さて読者諸君、許してもらえるなら私は、これからも娼婦や競走馬や酒とともに時を過ごしたい。そうやって迎える死は、自由だ、民主主義だ、人道主義だ、といった言葉で飾られるどんな死よりも、自分の死に責任を持てるという点で私にはずっと誠実なのである。」
「政治家ほどくだらないことはない」

<チャールズ・ブコウスキー>
 チャールズ・ブコウスキーことヘンリー・チャールズ・ブコウスキー・ジュニアは、1920年8月16日ドイツ中部の都市アンデルナハで生まれました。父親はアメリカ空軍の兵士で母親はドイツ人。一人っ子の彼は、その後両親とともにアメリカに移住。西海岸ロスアンジェルスに住むようになると、父親は牛乳の配達業社に就職しました。
 しかし、兵士だった彼の父親は、いつしか厳格を通り越すようになり、平気で暴力を振るようになりました。大恐慌によって職を失うと、父親の暴力性は悪化してしまい、異常なまでに彼を虐待するようになりました。そんな家庭環境からの逃避のため、彼は13歳で早くもアルコール(それもワイン)を飲むようになり、もう一つの逃避先として文学にものめり込むようになりました。
 そのうえこの頃、彼はニキビがひどく手術を受けますが、それがそのまま傷となって残り、そのために学校でいじめられることになります。そして、その顔はその後、彼のトレードマークとなり、作家として、男としての運命を大きく変えることにもなります。
 1939年、彼はロスアンジェルス・シティ・カレッジに入学しますが、1941年に中退。ここから彼の様々な職業遍歴が始まることになります。

「私は牛をかついでトラックにむかった。アメリカで生きるというのはどういうことか。敗北がどんなに恥ずかしいことであるかは、いやというほど教えられている。なにがあっても牛を落としてはならない。そんなことをしたら人間のクズになる。なんの価値もない無用の男となって、笑いものにされ、いいようにこづきまわされる。
アメリカでは勝たなければだめなんだ。それ以外に道はない。・・・・・」

「精肉工場のキッド・スターダスト」

 皿洗い、トラックの運転手、郵便配達、守衛、ガソリン・スタンドの従業員、倉庫番、郵便局員、駐車場の係員、エレベーターの操作員、工場労働者、屠殺場、・・・こうした仕事をしながらも彼は文章を書き続け、1944年、ニューヨークに移り住むと、そこで本格的な作家活動を始めます。当然、そこには彼の様々な仕事が取上げられることになります。
 しかし、チャールズ・ブコウスキーというペン・ネームも決まり、作家活動を本格的に行うものの、まったく作家として評価されることがなかった彼は、1946年に入ると作家になることをあきらめてしまいます。

「・・・アーティストの馬鹿さかげんはどうしようもない。みんな近視眼だ。・・・どんなに評判が悪くても、つねに自分は天才であると信じて疑わない。それにヴァン・ゴッホやモーツァルトや、名声を着飾る前に墓場いきになった連中を2ダースぐらい引き合いに出す用意がいつもできている。モーツァルト一人が誕生する裏では、どうしようもない愚作をつくる馬鹿どもが5万以上はいたということがわかってない。有能な者だけがゲームをやめるのだ。ランボーやロッシーニのように。」
「おえらい作家たち」

 そして、この頃、彼はそれから10年近く行動をともにすることになる女性、ジューン・C・ベイカーと出会います。アルコール中毒のベイカーと意気投合したブコウスキーは、彼女から競馬の楽しさを教えられ、二人は酒場と競馬場を中心とする荒廃した人生を歩み始めます。しかし、彼女は数年後にこの世を去り、同じように彼もまた体を壊し、死の一歩手前まで行くことになりました。

「われわらはクズ馬券のごみためのなかで終わるようになっている。それを死といおうが、誤った人生といおうが、かまいはしない。私は言葉の技術屋ではない。だが、時流に合わせて、それを経験といっておくのも悪くはない。叡智のひとかけらも、宿っていなくてもだ。それに、無感覚になったり恐怖におびえたりしながら、失敗をくりかえす人生というのがあったっていいではないか。問題はどこを見るかで、私はうわっつらはどうでもいい。私は自分を見つめる。」
「もう少し競馬について」

 ベイカーと別れた彼は、「ハーレクイン誌」の編集者バーブラ・フライと結婚しますが、わずか3年で離婚。その後、両親を次々と失った彼は、再び本格的に作家活動に入ります。

「つまるところ結婚は性交を神聖化することで、神聖化された性交は、やがてはかならず退屈になって、そのうち仕事になっていく。そのように世の中はできている。どこかで誰かがいまも、ワナにはまった不幸を嘆きながら、背負い込んだ仕事をせっせとこなしていることだろう。・・・」
「女3人」

 1960年、彼は処女詩集を発表します。この後、彼は郵便局で働くようになり、安定した収入を得て、執筆活動により集中できるよになりました。
 1964年、彼と内縁の妻フランシス・スミスとの間に娘マリナが誕生。
 1966年、彼はロサンジェルスのアンダーグラウンド新聞「オープンシティ」紙にコラムを執筆し始めます。ここで発表された短編小説やルポ、エッセイは、その後高い評価を受けることになり、1969年「ブコウスキー・ノート Notes of a Dirty Old Man」として、出版されることになります。
 1970年、彼は10年近く勤めていた郵便局の仕事をやめ、創作活動に専念し始めます。そして、彼の代表作の多くが、この時期1970年代中ごろまでに発表されることになります。精神的にも肉体的にも、この時期が彼にとって最も充実していたのでしょう。
 彼の作品に対する評価もこの時期、急激に高まり、アンダーグラウンドのヒーローとして、カルト的な人気を獲得することになってゆきます。

「バーニー、お前のヒーローを言ってみ、
「そうだな - クリーバー、デリンジャー、ゲバラマルコムXガンジー、ジャージー・ジョー・ウォルコット、グランマ・バーカー、カストロ、ヴァン・ゴッホ、ヴィヨン、ヘミングウェイ
「ほらな、こいつがかくありたいとおもってる連中はみんな負け犬だ。こういうやつらのことをおもってると気分がよくなるんだから、こいつもぼちぼちくたばりかけてるってことだ。・・・」

「気力調整機」(調整前の状態にて)

「きみのヒーローは誰だ?」
「ジョージ・ワシントン、ボブ・ホープ、メイ・ウェスト、リチャード・ニクソン、クラーク・ゲイブルの骨とディズニーランドで会った素敵な人達みんな。ジョー・ルイス、ダイナ・ショア、フランク・シナトラ、ベーブ・ルース、グリーン・ベレー、合衆国の陸軍海軍の兵隊たち。特に海兵隊員。CIA、FBI、ハイウェイ・パトロール、ロス市警のポリ公たち。いやポリ公はまちがいです。警察官であります。それからマレーネ・ディートリッヒ、ドレスの横のスリットがたまらないです。・・・」

「気力調製機」(調製後の状態にて)

 1971年、自伝的作品として彼の分身的存在であるH・チナスキーが主人公初の長編小説「ポスト・オフィス Post Office」を発表。
 1972年、「モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え Mockingbird , Wish Me Luck」発表。この短編集が、後に二部に分けられて「ありきたりの狂気の物語 Tales of Ordinary Madness」「町でいちばんの美女 The Most Beautiful Woman In Town & Other Stories」として1983年に発表されることになります。
 1973年、T・ハックフォードによる彼のドキュメンタリー番組「ブコウスキー」がテレビで放映されます。彼の評価はこの頃、ピークとなり1974年に彼は全米芸術基金からの助成金を受けています。(ということは、経済的にはまだまだ成功にはほど遠かったということでもありますが・・・)

「運には見放された。私はジュネやヘンリー・ミラーやピカソや、その他もろもろの芸術家に知られている。だというのに皿洗いのような仕事でも見つけるのが容易ではなかった。やったことはあるのだが一晩しか持たなかった。」
「ジェームズ・サーバーについて話した日」

 1975年、チナスキーを主人公とする小説「勝手に生きろ!」を発表。
 1977年、1970年代の女性遍歴に基づく作品「詩人と女たち Woman」発表。

「なんで自分の美点を嫌うんだ」と私はきいた。
「なんでそのままにしておかないんだよ」
「人が見かけでしか判断してくれないからよ。美しさなんて意味ないの、どうせ消えてしまう。醜いほうがどれだけ幸せか、あんたはわかってないの。だって、あんたが誰かに好かれたら、好かれた理由が他にあることがわかるもの」
「わかったよ」と私はいった。
「おれは運がいい」
「あんたは醜くないわ。人がそういうだけ。たまらなくいい顔してるわ」
「ありがとう」

「町でいちばんの美女」

 1979年、「ブコウスキー詩集」「ブコウスキーの酔いどれ紀行 Shakespears Never Did This」発表。
 1982年、自らの少年時代を振り返った作品「くそったれ!少年時代 Ham on Rye」発表。このあたりから、彼の作品の映画化ブームが始まります。
 1983年、「町でいちばんの美女 - ありきたりな狂気の物語」映画化。
 1984年、「オープンシティ」に収められていた短編小説を自ら脚本化した「The Killers」が映画化され、彼も作家役として出演。
 1985年、25歳年下の女性、リンダ・ベイルと結婚。
 1987年、自ら脚本を担当した映画「バーフライ Barfly」映画化。この映画で初めて僕は彼の存在を知りました。この映画でのヘンリー・チナスキー役は、当時人気が高かったミッキー・ローク。さらにこの年は、彼の作品「Love Is A Dog from Hell」を映画化した作品「魅せられたる三夜 Crazy Love」も公開されています。
 1991年、彼の作品を原作とした映画「つめたく冷えた月 Cold Moon」も公開。この年、N・チャーコフスキーによる初の伝記「The Life of Charles Bukouski」が発表されました。彼のカルト的な人気はいよいよそのピークを迎えようとしていましたが、残念なことに彼にはもう時間がわずかしか残されていませんでした。
 1994年、「パルプ Pulp」発表後、3月9日白血病によりロスアンジェルス郊外のサンペドロの病院にて、この世を去りました。

 破滅的な生活をしながらも、彼が若くして死ぬことなく74歳まで生き続けることができたのは、なぜか?
 その秘密は彼が常に誰かに守られていたからかもしれません。彼はイケメンでもなく、お金持ちでもなく、お洒落でもなく、ジョークの達人でもありませんでした。しかし、彼ほど守ってあげたくなるようなタイプのキャラクターはいなかったのかもしれません。こればっかりは、生まれ持っての才能です。僕の知る範囲にも、なんの取りえもないのに、なぜか人から好かれ誰からも助けられ、酔っ払っても誰かが最後まで世話をしてくれる、そんなタイプの人がいます。そんな人は、強靭です。周りにストレスを貯めさせても、自分にはストレスが貯まらない。これは本当に得な人です。
 彼の人生は、成功を目指して自らのパワーを若くして使いきり、この世を去っていった数多くのヒーローたちの対極に位置するのかもしれません。

「なんでバスをいっしょに下りてほしいなんていったんだ。おれが下りなかったら、なんで泣いたんだ」
「あなたの顔のせいよ。どちらかといったらひどいほうでしょう」
「そうだな」
「醜くて、悲しそうなのよ。わたしはそんな悲しみのかたまりをひとりでいかせたくなかった。なんかつらかったのよ、それで泣いたの。どうしてあなたの顔、あんなに悲しそうだったの?」

「テキサスの売春宿」


「町でいちばんの美女 The Most Beautiful Woman In Town And Other Stories」 1983年
(著)チャールズ・ブコウスキー Charles Bukouski
(訳)青野聰
新潮文庫

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