映画を愛するすべての人とゾンビへ

「カメラを止めるな」

- 上田慎一郎 Shinichro Ueda -


<映画愛に満ちた映画>
 弟からいち早くブレイクの噂は聞いていたものの、小樽では公開されないだろうとあきらめていました。ところが9月も終わりになって、ついに小樽でも公開。
 「遅っ!」
 正直ここまで来て期待値MAXで見に行くのには不安もありましたが、見に行ってよかった。幸いネタバレなしで見られたので十分に楽しめました。途中、カメラワークのおかげで気持ち悪くなったのは残念でしたが・・・そうなった理由も途中でわかったので良しとします。
 もし、まだあなたがこの映画を観ていないなら、ここから先は読まずに映画館へ行くか、レンタルが出るまで待ってから読んで下さい。
 ここから先、ネタバレなしでこの映画を紹介することは不可能だからです。ここまで紹介が難しい映画は、これまでなかった気がします。何せ、監督もスタッフも、今まで特筆すべき実績がない人ばかりなので紹介が困難。美しい映像もないし、カッコイイ音楽もないし、迫真の名演技が見られるわけでもありません。この映画のパンフレットの表紙にもしっかり「完全ネタバレ仕様」(作品鑑賞後にお読みください)と書かれています。そうせざるを得なかったのでしょう。
 この映画のお薦めポイントは、この映画に隠されたネタバレ必至の「構造」とそれを生み出した「映画愛」にあります。

<ワンカット・生中継の魅力とは?>
 そもそも「生中継のワンカット・ドラマ」をテレビ局のオープニングに目玉企画としてなぜ制作するのか?
 それはトラブルが起きるかもしれないという綱渡りの状況が出演者やスタッフに強いテンションをもたらし、作品の質を高めると考えれらるから、というよりも、無責任に見る視聴者に心地良い緊張感を与えると考えられるからでしょう。何かのトラブルが起きることを期待して視聴者は画面に釘付けになるのです。またトラブルが起きて、それを解決するために生み出される演技や演出こそが作品の魅力になり得る可能性もあります。
 どちらにしても、何かのトラブルが起きることを期待された企画だからこそ魅力的なので、それが多少とも見る側に伝わらなければ意味がないのです。その意味では、ワンカット映像の中での様々な違和感のあるシーンは視聴者にトラブルの存在を意識させます。
「これは今、何かが起きたな・・・」
 視聴者は、そのことに気づくことでいよいよ映像に魅入られることになります。この心理状態をこの映画は見事に利用しているのです。

<カメラの暴走を止めろ!>
 三半規管が弱いのか、乗り物に酔いやすく、カメラをわざとブレさせて動き回るタイプの映画を見ると頭が痛くなってしまいます。この映画冒頭37分の「ONE CUT OF THE DEAD」も途中から急に気持ちが悪くなり、何度も深呼吸をして、コーヒーをがぶ飲みしながらなんとか見終えました。
 なぜ急に頭が痛くなったのか?それがカメラワークの急変のせいなのはわかったので、カメラマンが代わったに違いない。そう思いました。
「なるほど、これはきっと裏で何かあったな?!」と気がついたのですが、それは監督の思うツボでもあったのでした。
 それにしても、どうして女子って、カメラワークだけじゃなく、ジェットコースターとか、バンジージャンプとか、三半規管に悪そうなスリリングな展開が好きなんでしょうか?思えば、僕には遊園地でデート中に気持ち悪くなってベンチに座り込んでしまった苦い経験がありますし、スキューバ・ダイビングも彼女に誘われて行って怖い思いをさせられたし、女子の暴走好きには、いろいろと思い出があります。(まあ、正直今となってはどれも良い思い出なのですが・・・)
 ここでもまた女子の暴走カメラワークにやられてしまいました。そして、これもまたこの映画の魅力なんですけどね!

<トラブルを止めろ!>
 この映画は撮影中に次々と訪れるトラブルを回収し続けながら、一本の作品を作り上げるまでの過程を描いたメイキング映像のドラマ版であり、フランソワ・トリュフォーの名作「アメリカの夜」のゾンビ版でもあります。
 「アメリカの夜」の中で主人公の映画監督のフェランは映画について、こう語る台詞があります。
「映画製作は駅馬車の旅に似ている。期待が消え、結局は目的地に着くことだけになる」
 車窓からの眺めや途中の街での食事を楽しむはずの駅馬車の旅のはずが、実際には、揺れがひどくてお尻が痛くなり、車輪が轍にはまって動けなくなったり、挙句の果てに盗賊に襲われたりとトラブルが続くのが西部の旅と比べているわけです。
 「映画」というのは、監督の頭の中にできている完成された作品のイメージをいかにそのまま映像化するか?
 絵コンテどうりの「絵」を作り上げるためのカメラやセット、イメージ通りに「音響」を作り上げるための録音や音響、思い通りの「演技」を導き出すための演出や配役、最後に完成に近づけるための「編集」作業、やることはいくらでもありますが、監督の思い通りに出来上がることはありえないはずです。
 いかに監督のイメージに近づけられるかが「映画作り」の基本ですが、それとは別に撮影にはトラブルがつきものです。
 思い通りの俳優やスタッフを揃えられないとか、天気が悪くて思い通りの「絵」が撮れないとか、撮影中に製作費が不足してしまうとか、トラブルもまた起きて当たり前のことです。映画の撮影とは、トラブルとの戦いともいえるのです。
 この映画の監督もまた様々なトラブルと戦うことになりますが、彼の戦いは始めから勝ち目のない戦いを強いられていました。なにせ、ワンカットかつ生中継で放送するというテレビ・ドラマを任されたのです。これはもう傑作を撮るよりも、放送事故を回避するだけのそれなりの番組を作れば良いと考えて当然かもしれません。この映画での成功は、安全に放送する妥協の繰り返しと結びついていたともいえます。
 しかし、撮影が始まってしまえば、最終的な判断は監督に与えられます。(その前にプロデューサーの判断もあり得ますが)この映画は、その最終判断を迫られるギリギリのシーンが連続します。トラブルの連続は、逆に主人公に自分のオリジナリティーを出すチャンスをもたらしてくれます。
 僕は高校時代演劇部に所属していたことがあり、その時、市内高校演劇部のコンテストで音出しにミスしてしまったことがあります。その時は、主演俳優の機転でアドリブでカバーしてもらいましたが、未だにあの時のミスは忘れられません。青春映画の一コマのようですが、そんな経験をしている人には、特にこの映画お薦めです!

「カメラを止めるな」 2018年
(監)(脚)(編)上田慎一郎
(製)市橋浩治
(撮)曽根剛
(録)古茂田耕吉
(特メイク)下畑和彦
(音)永井カイル
(出)濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、秋山ゆずき、長屋和彰、細井学、市原洋、山崎俊太郎、大沢真一郎、竹原芳子、吉田美紀、合田純奈、浅森咲希奈
<あらすじ>
 元廃墟となっている水道局のビルでゾンビ映画の撮影が行われていました。しかし、映画の監督はどこか様子がおかしく、ビルの屋上に行って帰って来ません。すると、突如撮影スタッフがゾンビとなって主人公のカップルとメイクの女性に襲いかかります。そこから主人公のゾンビとの闘いが始まります。メイクの女性がしだいに精神的におかしくなり、スタッフがどんどんゾンビ化して行きます。主人公は生き残ることができるのか?
 そんな映画の撮影から時間は巻き戻され、どういういきさつでワンカット、生放送のゾンビ映画を撮ることになったのかが明かされて行きます。そして、映画は撮影当日へ。
 なぜ監督がその仕事を任されたのか?なぜ彼の妻が出演することになったのか?なぜ娘が撮影に関わることになるのか?様々な「なぜ?」が次々に明らかにされて行くことになります。

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