「カーボン・アスリート Carbon Athlete 美しい義足に描く夢」

- 山中俊治 Shunji Yamanaka -

<美しきブレードランナー>
 まずはこの本の表紙の写真を見てください。トーンを抑えたカラー写真の中にピンク色のシルエットがくっきりと浮き出ていて見る者をひきつけます。
 「カッコいい、そして美しい!」そう思えたら、あなたはこの本が好きになってくれるでしょう。
 タイトルにある「カーボン・アスリート」とは、カーボンファイバー製の義肢を使用するスポーツ選手のことです。その中でも、走ることを競う種目の選手のことを「ブレードランナー」と呼びます。なぜなら、彼らが用いている義足は足の会場を真似るのではなくバネとしての機能を発揮するために板状をしているからです。
 そうしたブレードランナーと呼ばれるアスリートの中で、最も有名な存在は2012年ロンドン・オリンピックに健常者とともに出場した伝説的な南アフリカのランナー、オスカー・ピストリウスでしょう。この本の著者である山中氏が義足ランナーの魅力にひきつけられたのも、やはりこのオスカー・ピストリウスの走りを映像で見たのがきっかけでした。

 オスカー・ピストリウスの義足は、そうした苦悩を軽々と超えているように見えた。彼が履く人工の足は、高性能な人工物でありながら有機体となっていた。カーボン・ファイバーのブレードが、彼の肉体と一体化することで完璧な美しさを醸しだしている。・・・・・
 これこそ、人がつくりしものの究極の機能美なのではないか。


<著者、山中俊治>
 この本の著者、山中俊治は、スポーツ漫画が子供の頃から大好きで、そこからイラストの世界に入りますが、漫画家になろうとは思わず、デザイナーへの道を歩み始めたという異色のデザイナーです。
 東京大学の工学部産業機械工学科を卒業した彼は日産自動車のデザインセンターに就職し、自動車のデザイナーとして働き始めました。その後、1987年からはフリーのデザイナーとして様々な工業製品のデザインに関わり、1991年から1994年にかけては東京大学工学部の客員助教授として生徒たちを指導しています。(彼が設計した製品の中でも特に有名なのは、JR東日本の「Suica」(2001年)のICカード改札機です)
 2008年、慶応大学大学院政策・メディア研究科教授に着任した彼は同時に山中デザイン研究所を設立しています。慶応大学のその部署で行われていたのは、ITをベースにした様々な研究で、そこにはコンピューターの技術者だけでなく、ロボット工学の専門家、メディア・アーティスト、建築家、デザイナー、認知科学者、生物学者、音楽家などの専門家が集結していました。
 もともとスポーツ漫画が大好きだった彼にとって、オスカー・ピストリウスの走りは、ある意味彼の原点を思い出させるほど衝撃的なものでした。だからこそ、彼は研究生とのプロジェクトとして、「義足のデザイン」というそれまで誰も挑戦してこなかった分野に足を踏み出したのでした。
 もともと超一流のデザイナーである彼にとってのモチベーションは、メーカーからの多額の報酬ではなく、あくまでも自分自身の好奇心を満たすことにありました。

「私はこれまであまりデザイナーが活躍していない領域のデザインに挑んできた。その動機は、デザイナーが必要とされている、あるいはデザインで何かを変えてやる、というような気負いではなく、単なる好奇心だったように思う。」

<デザイナーという仕事>
 ところで、「デザイナー」と一言でいいますが、ファッション・デザイナーと工業製品のデザイナーは、かなり仕事の内容が違ってきます。(もちろん、ファッション・デザイナーでも大量生産をするための衣料品のデザインは工業製品のデザインに近いのですが・・・)

 一般的にデザイナーは、色や形を考える専門家だと思われている。実際、二十世紀の前半には、まったくもって色や形を考える人だったのだが、今日では、使い勝手や取り回しのよさ、わかりやすさなどを設計するのもプロダクト・デザイナーの仕事であり、合理的構造やつくりやすさ、コストバランスなども、われわれデザイナーが責任をもつようになってきた。そして、かっこよさや心地よさ、使い勝手や機能などの総合的なバランスをとることまでが、デザイナーの重要な仕事となってきている。なかでも昔から変わらない重要な課題は、機能と美しさのバランスである。機能と美しさが一体になった理想的な状態をあらわすのにしばしば「機能美」という言葉が使われる。

・・・「人の都合」と美しさは必ずしも両立しない。それは、工業製品においても同じである。便利な工業製品をつくることや、コストを下げることは人にとってとても有益なことだが、それだけで工業製品が美しくなるわけではないし、反対に美しくすることによって便利さを損なう場合も少なくない。そこにデザイナーの苦悩がある。

 デザイナーの仕事に求められるのは、「美」と「機能」をいかに上手く融合させるか、ということですが、「美」の概念もまたつかみづらいものです。「機能」から生まれる「形」は確かに美しいといえますが、「色」はまた別の感覚が決めるものです。最終的には「自然」が選んだ「色」に人は安心感や懐かしさ、居心地の良さを感じるのかもしれません。

 花のあざやかな色も、派手な形も、本来は昆虫に向けられたもので、人をひきつけるためではないが、私たちはそれを「美しい」と思う。そこには、とても合理的につくられたものが結果的に美しく見えるという美の原理が存在するのではないか。

<義肢の歴史>
 こうした「機能美」の追求を義足の世界で、それも義足のランナーのために行ってみたいと考えた著者は、まず「義足」について、その現状を調べるところから始めます。興味深いのは、その歴史です。「義足」メーカーの誕生と発展は人類の進歩を示しているように思えますが、実はそのきっかけは「戦争」だったようです。

 世界に目を向けると、第一次世界大戦は、多くの不幸な人々をヨーロッパ全域に生み出した。そのため、義足のメーカーはヨーロッパに集中している。ヨーロッパのさまざまな障害者医療や、福祉施設がこの戦争を機に充実していったことは、歴史の皮肉でもある。
 もう一つのきっかけは、アメリカのベトナム戦争だった。歴史的な失敗といえるこの戦争を強行したアメリカ政府は、戦争の傷病兵に対する手当を高度に充実させるしかなかった。その結果アメリカの障害者医療は充実し、ユニバーサル・デザインの基礎が確立されていく。

 世界の二大義足メーカー、オットーボック・ヘルスケア社は1919年ドイツに設立され、もうひとつのオズール社はベトナム戦争をきっかけに1971年に設立されたアイルランドの企業です。

<義足をデザインする>
 次に彼らは実際に義足が作られている現場を見ようと、日本一の義肢装具士と呼ばれる臼井二美男の働く現場を訪ねます。(財団法人鉄道弘済会義肢装具サポートセンター)そこで彼らは義肢の製作現場とそれを装着して歩行、走行の訓練を行う現場を体験しました。その時、そこで臼井氏は彼らにこう語ったといいます。

「・・・スポーツ用義足は一種の戦いのためのアイテムだけど、つけているのは人間であり、今日足を痛めたら、明日は歩行能力を失って一気に弱い人間になる。そういう一番弱いときのその人の姿を見ておいてもらいたい。そうすると。つくるものにそれが反映してくる。・・・」

 確かに、オスカー・ピストリウスがあの美しい走りを身につけるには、歩くこともおぼつかない段階からの長く苦しい闘いがあったはずです。そうした最も苦しい段階を知らずに安易に設計などしてはいけない。実に重いアドバイスです。
 その後、彼らは実際に義足のランナーたちが集まる陸上競技大会を見学。そこで使用されている義足が実用本位で実に飾り気のないデザインであることを知ります。すでに量産されていて様々なデザインが存在する車イスに比べると「義足」は一人一人まったく異なるデザインを必要とするため、部品の共用がほとんどできないことが最大の問題点でした。どの部位から必要か?どんな寸法か?どれだけ足に似せさせるか?歩くだけか、走りたいのか?今後、その部位は成長や病の進行によって変化しないのか?誰一人同じ条件ではないのです。そして、そうした特注品の高価な義肢に対して、国の保険は1セット分しか適用できません。

 それだけ厳しい条件をクリアしてまで高価な走るための義足を手に入れられる人は当然そう多くはありません。、したがって、義足のランナーの数はほんのわずかであり、彼らをサポートできる人もごくわずかです。ただ、義足を用いたスポーツの愛好者は、それだけお金や暇を必要とするにしてもなお、年々増えているようです。そこには、健常者がスポーツをし始める以上に重要な目的が存在しているからかもしれません。

<義足スポーツの目的>
(1) リハビリの一環として、体力をつけるためのもの。切断者が歩けるようになるためには、少なくとも2ヶ月は必要とされています。走るには2年は必要とされています。さらにスポーツとして鍛えることにより、周囲の筋肉も鍛えることができ、歩くことも楽になります。
(2) 義足使用者同士の交流。孤独になりがちな障害者を社会へと踏み出させるきっかけ。
(3) 精神的なノーマライゼーション。義足で社会に出ることを可能にする精神のリハビリになり、義足であることを隠さなくなります。

 さらに競技場で出会った一流のアスリートたちに自分たちの思いを伝えると、こんな言葉も返ったきました。

「この脚をかっこいいって言ってくれて、うれしいです。自分でもそう思ってました。もっとかっこいい義足、欲しいです。そういう考え方をしてくれる人がいることが、とてもうれしい。・・・」
藤田征樹(自転車の日本代表選手)

 こうして、いよいよ彼らのプロジェクトが本格的にスタートします。
<プロジェクト・テーマ>
「美しいスポーツ義足」
<目標>
 機能と美しさを兼ね備えた競技用義足の試作品をつくり、パラリンピック入賞に貢献する。

 もちろん、パラリンピックの入賞は一つの具体的な目標に過ぎず、それによって「義足のランナー」の知名度を上げることにより、競技人口が増え、それにより一人でも多くの人が義足であることを意識することなく社会進出することができること。それこそが、最終的な目標です。

<足をデザインする>
 「機能」と美しさを追及した時、足はどんなデザインになりうるのか?それは読者の想像力をもかき立てます。たとえば、自転車競技のための義足は、歩くことを求められるわけではないので、自転車との一体化だけが求められます。機械である自転車と生命体である人間をつなぐ「ジョイント」としての足はどんなデザインとなるべきか?興味はつきません。

「両足義足なので、人間の足の形をしていなくてもいい。人間の足の形よりもっと効率のいい形があるなら、そうするのが一番いい」
藤田征樹(自転車の日本代表選手)

 こうして完成した様々な義足は、単なる義足ではなくなっています。なぜなら、その義足はそれを装着する人の人生を変え、その走りを見た人の意識にも影響を与えうるからです。義足のデザインは、義足を用いるランナーの人生をデザインし直すほどのインパクトがあるのです。

「この義足を使うようになってから、友人たちが義足について聞いてくるようになりました。以前は目の前にむき出しの義足があっても、まるでそれが見えているかのようにしていた友人たちが、この義足を見ると『義足で走るってどんな感じ?』とか、『どういう仕組みになってるの?』とか率直に聞いてくれるようになったんです。それがうれしくて」
高桑星生(パラリンピック100m、200m、走り幅跳び代表)

 この高桑選手が走る写真が何枚か載せられていますが、その美しいフォーム以上に、僕にはその笑顔が魅力的に感じられました。走るという行為が心から楽しめている彼女にとって、その笑顔は実に自然な喜びの表現なのです。
 もちろん、彼女がそうやって走ることができるのは、著者がデザインした義足のおかげだけでなく、彼女を支えてきた両親を含めた周りの人々や仲間のランナーやコーチたち、彼女が走れるようになる前からサポートを行っていた義肢の専門家などなど、多くの人々のサポートのおかげです。彼女はそうした人々の期待に、パラリンピックの場で答えなければと思っているのでしょうが、あの写真のような笑顔で走ることができればそれで十分じゃないか。僕にはそう思えます。
 ただし、メダルを獲ることは、スポンサーの獲得と障害者スポーツの裾野の拡大と状況の改善に直接結びつくはずです。だからこそ、彼女はきっとメダルを獲るために必死で走るのでしょう。
 がんばれカーボン・アスリートたち!

<最後に>
 カーボンという高価な素材を用いられる先進国のアスリートたちは恵まれています。スポーツどころか、毎日、義足を必要とする障害者を生み出している戦乱の地が今もあることは、心にとめて置かなければならないと思います。そして、カーボン・アスリートの多くもまた戦争だけでなく交通事故など、自分にはまったく責任のない事故によって障害を抱えてしまった被害者だということも・・・。
 白水社刊「カーボンアスリート」是非、お読みください!写真だけでなく著者のイラストも必見です。

「カーボン・アスリート Carbon Athlete 美しい義足に描く夢」 2012年
(著)山中俊治 Shunji Yamanaka
白水社

スポーツ関連のページへ   トップページへ