- ザ・カーペンターズ The Carpenters -

2001年11月5日改訂

<心に残る歌>
 「本当に素晴らしい音楽って、聞く人にそのすごさを感じさせずに、人の心の中にしみこんで行くものなんだよなあ」
 最近CMなどでカーペンターズのあの美しい歌声を聴く度に、そう感じてしまう今日この頃です。同じことを感じている人は日本中にどれだけいるでしょうか?だからこそ、ここにきて再びカーペンターズの曲がCMやドラマで次々に使われているのでしょうし、また彼らに対する評価が低すぎたことの反動なのかもしれません。かく言う僕も、かつてカーペンターズが大好きでしたが、いつしかその存在を忘れ去っていました。そう、ロック小僧には、カーペンターズは少女漫画の世界のようなものとしか映らなくなってしまっていたのです。

<イエスタデイ・ワンス・モア>
 かつて僕はカーペンターズの二枚組ベスト・アルバムをすり切れるほど聴いていました。中学生になって、洋楽を聴き始めたばかりの頃です。「遙かなる影」「スーパー・スター」「雨の日と月曜日は」「愛のプレリュード」(この曲をカーペンターズがカバー・ヒットさせたおかげで、シンガー・ソングライター、ポール・ウィリアムスは世に知られることになりました)それに「トップ・オブ・ザ・ワールド」バート・バカラック・メドレーも大好きでした。その後「イエスタデイ・ワンス・モア」「オンリー・イエスタデイ」が大ヒットし、いよいよカーペンターズは世界的な大スターになりました。

<忘れられたカーペンターズ>
 しかし、高校生になった僕は、しだいに聴く音楽が変わって行きました。ロキシー・ミュージックT・レックスイーグルスボブ・ディラン、ドゥービー・ブラザース、10CC等々、もうすっかりロック小僧になってしまいました。そうなると、もう生意気なもんです。
「何がアメリカン・トップ40だよ。くだらないポップスばっかじゃないの。バリー・マニローだって、けっ、笑っちゃうぜ」てな調子だ。こういう頑固なロック・ファンも今や懐かしい存在かもしれませんが。(最近のリスナーは、たぶんもっと許容範囲が広いはずです)
 とにかく、こうしてカーペンターズの歌声は、僕にとって少しずつ過去の音楽になって行きました。そして、20年の時が過ぎ、再び僕はカーペンターズの音楽を素直に素晴らしいと認められるようになったようです。

<カーペンターズとは?>
 カーペンターズは、カレン・カーペンター(なんと元々はヴォーカルとドラムス!担当でした)と四つ年上の兄、リチャード・カーペンター(キーボード&ヴォーカル)のデュオ・グループで、60年代のアメリカン・ポップスをリードしたアーティスト兼トランペット奏者、ハーブ・アルバートに認められ、A&Mレコードからデビューしました。彼はA&Mの創設者であり、自らの目標だった古き良きアメリカのサウンドの復活をカーペンターズに託したのです。デビュー曲は、1969年ビートルズのカバー・ナンバー「涙の乗車券」で、1970年にバート・バカラックの「遙かなる影」が大ヒットし、一躍全米の人気者になります。(カバー曲を歌い、リチャードのアレンジ・センスとカレンの歌声で勝負するというのが、カーペンターズの基本的な戦法でした)

<代表作「ナウ・アンド・ゼン」>
 特に1973年発表のアルバム「ナウ・アンド・ゼン」は、代表的な傑作で、その中からは、「イエスタデイ・ワンス・モア」「シング」「ジャンバラヤ」などの大ヒット曲が誕生しています。B面に収められたアメリカン・オールディーズ・ポップスのメドレーも、まさに彼らの本領発揮と言える企画でしたが、これは彼らのコンサートの目玉とも言える部分をレコード化したもので、このメドレーにこそ、彼らの歌が21世紀になってもなお、その輝きを失わない理由が隠されていると言えそうです。

<時代を越えるノスタルジックなメロディー>
 彼らの大ヒット曲「イエスタデイ・ワンス・モア」「オンリー・イエスタデイ」などの曲は、どれも作られた時から、「オールディーズ・メドレー」の曲たちと同じように時代を越えて愛されるように作られていました。それは、ノスタルジーに満ちた古き良きアメリカのイメージであり、ベトナム戦争も、人種差別もない、自由と平等の国のイメージでもありました。まさに、ユートピアの歌であり、あり得ないが誰もが夢に見る理想の世界のイメージでした。そして、このイメージは、時代性の壁を越えていました。だからこそ、彼らの歌は、未だにそのみずみずしさを失わないのです。

<時代の先端をいっていた高度なサウンド>
 もうひとつ、彼らが時代の壁を越えられた理由としてあげられるのは、リチャードのクラシックの知識に基づいた見事なオーケストラ・アレンジとその当時最新の多重録音技術を用いた驚異的なコーラス・ハーモニーでしょう。そこから生み出された完璧なアレンジの曲の数々は、30年以上先をいっていたのかもしれません。(同時代のアーティスト、スティービー・ワンダーもまた世界でもトップ・クラスの機材による録音で時代の先をいっていたことで有名です)

<苦しみの時代へ>
 1970年代前半のカーペンターズは、ビートルズを越える人気とまで言われるようになり、彼らに匹敵するようなバンドも現れなてきませんでした。しかし、まわりの環境はどんどん変わっていました。パワーを失ったロックに失望した若者たちは、パンクに熱中し始め、かつてのロック・ファンたちはAORと呼ばれる大人向けのポップ・ロック・サウンドに流れて行きました。こうして、カーペンターズは少しずつ時代から取り残され始め、そんな状況と、常に完璧を求める性格が災いしたのか、カレンは1970年代後半から拒食症に悩まされ始めます。
 後に、カレンが拒食症で亡くなった時、僕も含め世界中の多くの人は初めて「拒食症」という病のことを知りました。ダイエット・ブームによって生み出されたアメリカ発のこの病はこの後日本も含めた世界中へと広がることになります。考えてみると、彼女は初めてその病についての警告を世界に広めたといえるかもしれません。

<もっと自由な音楽活動ができていれば・・・>
 オールディーズ的なポップスにこだわりすぎて時代に取り残されてしまったと思われがちなカーペンターズですが、それは彼らが望んだことではなく、所属のレコード会社A&Mの方針がもたらしたものでもありました。古き良きアメリカのイメージにこだわり、混乱の60年代末の文化に対抗するイメージの代表として、作られたグループとしての存在だった彼らは、そう簡単に新しいイメージを打ち出すわけにはいかなかったのです。才能にあふれチャレンジ精神も旺盛だったリチャードにとって、固定化された音楽を作り続けなければならない苦しみは、彼を睡眠薬中毒にまで追い込むほどだったようです。もっと自由に音楽活動ができていたら、彼らはいったいどんな音楽を作り上げていたのでしょう?そう考えると、彼らの何の悩みも感じさせない音楽が、やけに悲しく聞こえてきてしまいます。そんなことは、知らない方が良いのかもしれませんが・・・。

<最後の闘い>
 それでも、彼女は音楽活動を止めようとはせず、フィル・ラモーンをプロデューサーに迎えて、ソロ・アルバムの録音を行いました。当時、兄リチャードは薬物常用から逃れるためのプログラムに参加していたといいます。カレンもまた拒食症であったにも関わらず、それを認めようとせず、一人アルバム録音のためニューヨークへと向かいました。彼女にとって、ソロ・アルバムの録音は自分を再発見するための挑戦であり、独り立ちするための挑戦でもあったのかもしれません。しかし、できあがったアルバムは、結局発売されないままお蔵入りとなります。先日、ドキュメンタリー番組でその時に録音されていた曲を一曲だけ聴くことができました。その曲は、フィル・ラモーンが一番気に入っていた曲とのことでした。それはまさに「ディスコ・ナンバー」でした。それも、オリビア・ニュートンジョンの「フィジカル」そっくりの・・・。録音に出発する前、リチャードは彼女に、「ディスコモノ」だけは録音するなと電話で忠告したといいます。時代は、ディスコ真っ只中、それを録音することはポップ・ミュージックを歌うアーティストの常識となっていました。しかし、彼女のその歌にはカレンならではの魅力が感じられませんでした。この失敗は彼女に再び大きな痛手を残しました。
 その後、彼女は本格的に拒食症の治療にのぞみ、1981年、彼女にとってのラスト・アルバムとなった「メイド・イン・アメリカ」を発表します。それはアルバム作りこそ、彼女にとって最大の治療と考えてのことだったのかもしれません。しかし、症状は好転せず、1983年2月4日、彼女は拒食症からきた心不全のため、32歳という短い生涯を終えてしまいました。
 彼女にとって、唯一救いだったのは、死の二年前にトーマス・ジェイムス・ブリスという男性とめでたく結婚していたことです。(でも結局、別居生活に入るのですが、・・・)

<残された彼女の歌声>
 こうして彼女の歌声は、アルバムの中だけの存在になってしまいました。しかし、20世紀を終えても、カーペンターズに匹敵するようなコーラス・ワークとオーケストレーションを武器とする上質のポップ・グループは、現れてはいません。
 命を縮めるほどの情熱を注いでいながら、そこには何の悩みも、苦労も感じさせない音楽。これこそ、最高級のポップスではないでしょうか。つくずく、そんなことを感じさせてくれる音楽、それががカーペンターズの音楽です。(山下達郎の音楽にも、そんなことを感じてしまうのですが、彼は素敵な奥方に恵まれて最高に幸せなはずです)

<締めのお言葉>
「忠実性をもたず、なんの美術的、審美的価値ももたずに、しかも、ある霊妙な価値を備えている…これは驚異ですよ。この見るからにちっぽけで、みじめで、つまらない無定型の塊…実はね、ロバート、これこそこの品物に無(ウー)の備わっている理由なんですよ。なぜなら無(ウー)はたいていの場合、最も目立たない場所に見出されるからです」
 P.K.ディック「高い城の男」より

ジャンル別索引へ   アーティスト名索引へ   トップページへ