
- カルトーラ Cartola -
<MPBとサンバ>
MPBは、20世紀末世界のポピュラー音楽シーンのトップを走っていたと言えるかもしれません。そこには、ありとあらゆるポピュラー音楽のエッセンスが詰め込まれ、それをブラジルならではの強力なリズム隊がささえています。世界一の混血音楽ならではの魅力が、そこにはあるのです。しかし、MPBの魅力は、けっしてそれだけではありません。そこには、ブラジルの音楽が共通にもっているもっと本質的な魅力があるように僕は思います。
ひとつは、夕日のようにもの悲しい「美しいメロディー」(それはサウダージと呼ばれています)。
もうひとつは、朝日のように爽やかな「浮き浮きするようなリズム」。この二つの絶妙のバランスこそ、ブラジルの音楽に共通の魅力だと僕は思うのです。
リオのカーニバルのように熱狂的に踊り明かすことだけが、けっしてサンバの魅力ではありません。カーニバルが終わった後の「祭りの後の寂しさ」のような「哀愁のメロディー」もまたサンバの魅力の重要な要素なのです。
<エスコーラ・ジ・サンバ>
サンバの歴史は古く、1916年「ペロ・テレフォーニ」という曲が最初の曲として記録に残っています。(もちろん、それ以前にも19世紀からダンス音楽として、ショーロというサンバの基礎となる音楽もありましたが、それはまた別の機会に)
そして、1928年、リオに最初のエスコーラ・ジ・サンバ「デイシャ・ファラール」が誕生しています。「エスコーラ・ジ・サンバ」とは、「サンバの学校」という意味で、リオのカーニバルに参加するサンバ隊の基礎となる組織であり、なおかつサンバの文化を広めながら地域社会をまとめる社会組織としての機能も果たしています。この組織の誕生により、リオを中心とするカーニバルは、いっきに盛り上がりをみせ、世界中にサンバの名を知らしめることになりました。
<マンゲイラの創設者>
1929年に二番目のエスコーラとして「マンゲイラ」という現存する最古のエスコーラが誕生しました。そしてこのエスコーラを創設した中心メンバーの中に弱冠20歳のカルトーラこと、アンジュノール・ジ・オリヴェイラがいたのです。彼はマンゲイラのアルモニア(指揮者)として活躍しながら、作曲も行いサンバ界の重要な存在になって行きました。しかし、カーニバルの巨大化にともないマンゲイラもしだいに巨大化して行き、しだいに組織内の軋轢が増して行きました。そんな権力争いに嫌気がさしたカルトーラは、エスコーラを離れ音楽活動自体から遠ざかってしまいます。そして、なんと10年近い月日が流れ、彼の名はいつしか、人々の記憶から消え去ってしまいました。
<映画「黒いオルフェ」の衝撃>
1959年、ブラジル音楽に大きな影響を与えることになる一本の映画が公開されました。このフランス映画「黒いオルフェ」は、リオの裏町(モーホ)に住み、年に一回のカーニヴァルに全てを捧げる貧しい人々の生活を、素晴らしい音楽と美しい映像で描いた映画史に残る傑作です。もちろん、この映画によって、ボサ・ノヴァやサンバなどブラジル音楽に対する世界の注目が、いっきに集まることになりました。そして、この作品にカルトーラ夫妻がゲスト出演したことから、彼のサンバ界への復活劇が始まることになったのです。
<レストラン「ジ・カルトーラ」>
先の映画の大ヒットで、カーニヴァルの観光資源としての重要性に気づいたリオの観光局は、多くのサンビスタたちのまとめ役として、カルトーラに白羽の矢を立てます。そのおかげで、サンバの新しい波の中心になってしまったカルトーラは、その運動の拠点としてレストラン「ジ・カルトーラ」を開店させます。そして、そこに、サンバやボサ・ノヴァの大物たちがこぞって顔を出すようになったのです。
ネルソン・カヴァキーニョ、ネルソン・サルジェント、アントニオ・カルロス・ジョビン、ナラ・レオン、エリゼッチ・カルドーゾ、ドリヴァル・カイーミ…そうそうたるメンバーが集まるこの店は、しだいに若者たちの間でも話題となり、1970年ついに「カルトーラは招く」というカルトーラのソロ・コンサートが開催されるにいたったのです。なんと62歳でのソロ・デビューでした。
<カルトーラ最後の輝き>
こうして復活を果たしたカルトーラは、1974年から1979年にかけて、4枚のアルバムを発表、「沈黙のバラ」「人生は風車」「日は昇る」など、数々の名曲を生みだしました。1977年には、喧嘩別れしていた彼の心の故郷「マンゲイラ」とも和解し、ついにカーニヴァルの舞台にも戻ることができました。しかし、その栄光の時はほんのわずかでした。1980年、彼はガンでその生涯を終えてしまったのです。その葬式には、多くのファンが訪れ全員で「沈黙のバラ」を合唱し、彼を見送ったということです。
<サンバとともに歩んだ人生>
カルトーラの人生は、サンバの歴史でもありました。華々しいカーニヴァル黄金時代の基礎を築いた青春時代。第二次大戦後、アメリカのポップスの影響で、サンバとともに人々から忘れ去られた時代。ボサ・ノヴァのブームやトロピカリズモ運動の盛り上がりによって復活したサンバとともに甦った晩年。彼はいつもサンバとともにいました。
<サンバのエッセンス>
カルトーラの歌には、無駄な贅肉をそぎ落としたブラジル音楽のエッセンスが詰め込まれています。彼のサウダージにあふれた歌を聴いていると、まるで自分がリオの裏町を駆け回る少年時代を過ごしてきたかのような錯覚におちいってしまいます。なぜか、懐かしさで胸がいっぱいになってしまうのです。これで、ポルトガルからやって来た詩人アルフレッド・ロレンソに学んだと言われる詩の美しさが分かれば、もう言うことなしなのですが。
しつこいようですが、サンバは、ダンス・ミュージックではありません。だからこそ、その血を受け継いだMPBは、踊れるだけではない聴かせる音楽として優れた音楽となりえているのです。
沈黙のバラよ、永遠なれ!
<締めのお言葉>
「芸術とは、カプセルに包まれた意味である。芸術家によって捕らえられ(固定された)特殊な意味である。このことは悲観的な芸術にすら通用する。…しかし、その詩の中の感動的なものは、詩人の敗北感ではない。詩人をして敗北感を超えさせ、敗北感を言語に結晶化させることを許した力なのだ」 コリン・ウィルソン「至高体験」より
<参考資料>
「ブラジル音楽なんでも百科」中村とうよう編集(ミュージック・マガジン社)
「ブラジリアン・ミュージック」中原仁編集(音楽之友社)
CD「カルトーラ”人生は風車〜沈黙のバラ”」ライナーなど
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