- レイモンド・カーヴァー Raymond Carver -

<小説を読むという行為>
 「小説を読む」とは、いかなる行為なのでしょうか?
 著者が文字によって描き出している情景を読者が自分の頭の中で具体的な映像として再構築することがひとつ。そして、そこで動き回り、科白を述べる登場人物を頭の中に思い浮かべ、彼らが何を考えているのかを予測し、たいていの場合は、その中の主人公に自らが感情移入することがひとつ。上手く感情移入できた場合、読者はその後、小説の中で展開されるドラマを主人公として生きることになります。そして、主人公が感じる怒りや悲しみ、喜びを共に感じつつ、そのエンディングへと向かうことになるのです。
 では、小説家は、そうした読者のためにどんな文章描写を行なうのでしょうか?
 ハードボイルド小説の作家は、登場人物の感情表現を極力排除し簡潔な情景描写だけで読者を物語の中に引き込みます。読者はそこで登場人物の感情表現を自らの力で予測することを求められます。(予測するほどの感情など必要としない場合もありますが・・・)何から何まで描写してしまうと物語りは遅々として進まず、スリリングな展開を売りにする小説は成立しなくなってしまうからこその手法ともいえます。
 しかし、登場人物の心の内をじっくりと描き出すことを目的とする小説の場合、話は違います。「私小説」といわれる文学ジャンルは、まさにその典型です。私小説においては、アクションも大事故も異星人も不要です。たった一人、そこに「私」がいて、その場で過去の思い出を語り出せばいいのです。そこで起きるドラマは殺人事件でも宇宙旅行でもありません。頭の中で起きる精神的な葛藤自体がドラマなのです。
 だいたいの小説は、この二つのタイプの小説の中間に位置すると思います。(もちろん、ビート作家ヴァロウズのような前衛的な小説は、どこにも属さないのかもしれません)
 なぜ、こんなことを書いているのか?それはレイモンド・カーヴァーという作家の小説を読んでいると、その不思議な感じがどこから来るのか?それは著者の描写の仕方がどこか違うからではないのか?そんなことを考えてしまうからです。50歳というまだまだこれからという年齢でこの世を去るまで、詩と短編小説を書き続け、ベストセラー作家にはなれなくても多くの人々から支持された彼の小説のもつ魅力に迫ってみたいと思います。

<その魅力とは?>
 なんだか偉そうなことを書きましたが、僕自身、彼の存在を知ったのは、彼の作品が村上春樹氏によって翻訳されて出版されていたからです。彼の存在は、アメリカでもそう知られていたわけではなく、一部のファンに支えられていたようです。彼の小説には、ドラマチックな展開も、ド派手なアクションも、泣ける悲劇も、社会や体制に対する批判や主張も、スリルとサスペンスに満ちたエンターテイメント性も、いっさいないといえるでしょう。短編小説ならではの小粋なラストや大どんでん返しもないのです。「え、これで終わり!?」という作品も少なくありません。
 ここでは、村上春樹が選んだカーヴァー傑作集を読み返してみたいと思います。その前に、先ずはレイモンド・カーヴァーという人物について、その生い立ちから振り返ってみたいと思います。

「私はレトリックや抽象性に身を委ねるようなことはに。考え方においても、書き方においても。だから私が人々を描くときには、彼らをできるだけ具体的な場所に置きたいと思う。・・・」
レイモンド・カーヴァ―

<レイモンド・カーヴァー>
 レイモンド・カーヴァー Raymond Carver は、1938年5月25日、レイモンド・クリーヴィー・カーヴァー・ジュニアとしてオレゴン州クラッカニーに生まれました。彼の父親は、アメリカ南部アーカンソー州生まれの貧しい労働者で、大不況時代に仕事を求めて西海岸のワシントン州に移住。スタインベックの名著「怒りの葡萄」の主人公たちと同じ境遇を生きた人物でした。彼はダムの工事現場で働いた後、オレゴン州の製材所で働くようになり、そこで著者のカーヴァーjrが生まれました。しかし、ワシントン州ヤキマの製材所で働き出した父親は、アルコール依存症が悪化し、神経衰弱となって職を失ってしまいます。
 その間にカーヴァーは高校を卒業。16歳の少女と結婚し、薬局の配達係として働き始めます。しかし、作家になることを望む彼は、妻と生まれたばかりの娘を連れてカリフォルニア州のパラダイスに移住。そこで大学に通いながら働き始めます。その後、彼は父親と同じように製材所で働きながら勉強を続けます。1961年、厳しい生活の中で書いた短編小説「怒りの季節」が大学の文芸誌に初めて掲載されます。この作品は1963年には文芸誌「ディセンバー」に掲載されて、初めて彼の名が世に出ることになりました。しかし、作品はまったくお金にはならず、生活は困窮。1967年、彼はついに自己破産に追い込まれてしまいます。ちょうど同じ頃、一時は健康を回復し職場復帰していた彼の父親が突然この世を去ります。悪いことは重なるものです。
 それでも、彼はその後大学からの奨学金を得たり、国による芸術家への助成金制度に助けられ、なんとか食べてゆけるようになってゆきました。

<どん底からの復帰>
 1970年、彼は初の商業出版作となった詩集「冬の不眠症」を出版。翌1971年には、エスクワイア誌に彼の短編小説「隣人」が掲載されるなど、やっと彼に作家としてのチャンスが巡ってきました。ところが、その矢先、彼は再びどん底を体験することになります。
 厳しい生活と創作の苦しみの中で、彼は父親同様アルコール依存症に苦しむことになっていたのです。こうして彼の家庭は崩壊し、カリフォルニア大学の客員講師の職も失ってしまった彼は、二度目の自己破産申請を行い、1974年から2年間、執筆活動から離れることになりました。この間、彼は急性アルコール中毒で4度入院し、妻とも別居にいたります。やはり悪いことは重なるものです。
 それでも、彼の小説家としての評価は少しずつ高まっており、1976年には詩集「夜になると鮭は・・・」と短編集「頼むから静にしてくれ」が出版されます。そして、その短編集に収められていた彼の代表作の一つが、「足もとに流れる深い川」です。

「足もとに流れる深い川 So Much Water So Close To Home」
 この小説のタイトルは、直訳すると「わが家のすぐそばを流れる深い水の流れ」ということになるのでしょう。主人公はクレアという女性で、彼女の視点から物語が語られてゆきます。彼女の夫スチュアートは、ある日友人たちと釣りをするためキャンプに出かけます。ところが彼らは、着いた早々に川で上流から流されてきた若い女性の死体を発見します。せっかく来たのに、すぐ戻るのはもったいないと考えた彼らは死体を木に固定すると、そのままキャンプを続け、そこで一晩明かし、翌日になって警察に通報しました。当然、スチュアートと仲間たちは疑惑の目で見られることになりました。しかし、妻のクレアにとっては夫が犯人であるかどうかは問題ではありませんでした。なぜ、夫がかわいそうな少女の遺体を平気でほおっておけたのか?その心理に対する彼女の不信感は、彼女にとってトラウマになっていた過去の記憶とも結びつき、彼女の精神をも少しずつ蝕みはじめるのでした。

 この作品でクレアは、主人公として事件のあらましを語り、彼女の記憶の底にあった過去に起きた同じような婦女暴行事件の記憶や夫とのいさかいを思い出してゆきます。しかし、彼女がなぜ夫を許せないのか?彼が犯人ではないとわかってからも、夫を拒み続け、だからといって、夫のもとを離れようともしないのはなぜなのか?それらの最も重要な点について、彼女はいっさい語っていないのです。「足もとに流れる川」を描写しながら、その川がどこから流れてきて、どこへ向かおうとしているのか?そのことについては、いっさい書かれていないのです。
 しかし、彼女自身その不安感の理由がわからないのなら、そうした描かれ方は当然かもしれません。彼女は事件をきっかけにすぐそばを流れる暗い川の存在を知ったものの、それが何なのかを理解できず、どうしたら良いかもわからなかったのです。このままだと、自分はその不安感を抱えたまま、まわりからはそのことを理解されずに生きなければならないのではないか?これはつらいことです。
 集団の中の孤独、そのことに気づいた彼女は、この後、もしかすると著者と同じようにアルコールという逃げ道を求めるようになるのかもしれません。彼にとって、父親と同じようになるのではないか?というすぐそばにある不安は最大のテーマであり続けたのかもしれません。

「サマースティールヘッド 」&「ぼくの電話をかけている場所」
 小説「サマースティールヘッド」では、主人公の少年が釣り上げた大物の夏ニジマスを見た父親が「そんなもの、ゴミ箱に捨てて来い!」と怒鳴ります。せっかく父親に見せようと苦労したにも関らずです。少年にとって父親と共に釣り上げるのが夢だったはずの魚は家庭の崩壊とともになんの価値もないものになってしまったのです。その魚は「夢」、「青春」、「家庭」、「思い出」、様々なものを象徴しているのかもしれません。家庭崩壊だけでなく経済的な破綻と精神の破綻すべての問題を抱えながら、彼が小説を書き続けていたこと自体が驚きですが、その内容は彼だからこそ描けたともいえます。(考えてみると、こうした状況で彼が根気を必要とする「長編小説」を腰をすえて書けたわけではないように思えてきます)しかし、彼は1977年、ついにアルコールを断つ決意を固め、断酒のための施設に自ら入所します。この時の経験から生まれたのが、彼の代表作のひとつで短編集のタイトル作「ぼくの電話をかけている場所」です。

<再スタート>
 アルコールを断ち、体調を取り戻した彼は作家活動を再開。その頃、彼は自らの死を見とることになる詩人テス・ギャラガーと出会います。その後、彼はテキサス大学で文芸創作客員教授になるなど経済的にも安定した職を得て、充実した時期を迎えます。1981年には、第二短編集「愛について語るときに我々の語ること」を発表。そして、その後に発表された短編集の表題作が彼の後期における代表作「大聖堂」です。

「大聖堂 cathedral」
 この作品は、アルコールを断ってからの作品ということもあり、けっして暗い物語ではありません。それどころか、イタリアやドイツ、フランスの古都にそびえ立つ大聖堂のように壮大かつ美しいであり、感動的な作品に仕上がっています。
 この物語は、主人公の家に妻の元上司であり友人のある男性が訪ねてくるという一晩の物語です。ただし、その男性は盲人で、盲人の知り合いがいない主人公は「盲人」に対してかなり偏見があり、心の中に苛立ちと不安を抱えての対面でした。ところが、その盲人は彼がもっていた盲人に対するイメージをことごとく覆すことで、彼を驚かせます。しだいに二人は打ち解けてきて、テレビに映し出されていたヨーロッパの大聖堂を二人で目を閉じて共同で描くと言う試みを行ない始めます。手の動きを感じながら頭の中に絵描くことは可能でしょう。しかし、描き終わった主人公は、自分が描いた絵の出来映えを見るのではなく、目を閉じたまま驚きの表情を浮かべます。

「私の目はまだ閉じたままだった。私は自分の家にいるわけだし、頭ではそれはわかっていた。しかし、自分が何かの内部にいるという感覚がまったくなかった。『まったく、これは』と私は言った」

 この時、主人公は何を見たのか?まったくそのことについては書かれないまま、この物語は終わってしまいます。目を閉じていても、時間に閉じ込められている感覚はなく、開かれた空間にいると感じられた?盲人に対する偏見がなくなり、同時に自分の偏見に満ちたすべての考え方から自由になった感覚を与えてくれるのです。もちろん「描かない」ことは重要です「描かれていない」ことを読者に想像させるためには、読者を物語の中にどっぷりと参加させなければなりません。さんざん主人公の視点から盲人と付き合ったからこそ、ぷっつりと切られた物語の続きを自力で補おうと頭を働かせるのです。
 読書における本当の喜びは、作者の思いを受け止め、そこに自らも参加してこそ得られるものだと僕は思っています。ただ単に結末を知って、それに納得するだけではなく、一歩進んだ読者と作者の出会いこそ理想の小説なのだと思うのです。
 音楽もライブにおける観客との出会いとシンクロこそ、最高の瞬間です。絵画もそれを飾る人、それを見る人の喜びがなければその存在価値はありません。そんなこともあり、僕は昔から完璧な作品をあまり好きにはなれません。どこかに「隙間」や「?」がある作品の方が魅力を感じます。
 カーヴァーの作品をミニマリズム的な小説とみる批評家もいるようですが、僕としては彼の小説は「詩」でありると同時に「俳句」に近い存在であるといえそうな気がします。彼が元々詩人として、そのキャリアをスタートしていることを考えれば、それほど間違った例えではないように思うのですが、・・・。
 「大聖堂」は、1984年ピューリッツァー賞の候補作となりました。

<「使い走り」、再び深い川へ>
 せっかく彼の時代が訪れそうになったにも関らず、再び彼は深い川にはまってしまいます。1987年9月彼は肺から出血し緊急入院。肺ガンに冒されていたため、肺の2/3を切除。翌年にはガンが脳にも転移していることが明らかになります。放射線治療を受けますが、肺ガンが再発。余命が短いことを知った彼は、長く生活を共にしていた詩人ギャラガーと結婚。共同作品となる詩集を発表。それを遺作として、1988年8月2日50歳というまだまだこれからという年齢でこの世を去りました。
 生前に発表された最後の小説「使い走り」もこの傑作選に選ばれています。ガンに苦しみ、死の恐怖と闘いながら書いていたとは思えない素晴らしい作品です。
 彼が生涯憧れ続けた作家アントン・チェーホフの最後の時を描いた物語は、明らかに自らの死を意識し満を辞して書いたのでしょう。偉大な作家の死に関った人々。そして、最後にその死の知らせを葬儀社に伝えることになった若いボーイ。彼に気丈に指示を与えるチェーホフの妻。彼女の威厳に満ちた言葉は、死の悲しみをも乗り越えて、読者に生きる勇気を与えてくれます。彼女の言葉は実務的な指示ばかりなのですが、死者に対する尊敬の思いの強さがそこからあふれ出ているため、聞くものが心を動かされてしまうのです。遺言として書いたわけではないのかもしれませんが、あまりにも最後に相応しい作品です。
 「大聖堂」は、盲人と共に目を閉じて絵を描くことで想像力が生み出す未知なる世界を主人公に見させてくれました。そして、この作品を読む読者もまた想像力が生み出す新しい読書体験をすることができるはずです。
 小説を読む喜びを知る、あなたに是非読んでいただきたい作品集です!

「レイモンド・カーヴァー傑作選 Carver's Dozen」 
(著)レイモンド・カーヴァー Raymond Carver
(訳)(編)村上春樹
中公文庫

<追記>
 カーヴァーについてひとつ押さえておきたいのは、あの人は1960年代のカルチャーを基本的にパスした人なんだということですね。・・・
 面白いのは、ブルース・スプリングスティーンもそうなんですね。ブルース・スプリングスティーンは僕と同い年だから、十年カーヴァーより下なんだけど、あの人もブルーカラーの家庭の出身で、貧乏で、ほとんど無収入で、そんな中でロックンロールをやるのに忙しくて、60年代カルチャーどころじゃなかったんです。・・・だから彼らは60年代のカウンターカルチャーに汚染されてないという言い方もできるわけです。・・・で、彼らが苦労した末に花開いたのは70年代後半から80年代にかけての、社会が政治的にも文化的にも保守化していった時代です。・・・

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」村上春樹インタビュー集より

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