「カサブランカ Casablanca 」

1942年

- マイケル・カーティス Michael Curtiz -

<時代を越えた傑作>
 本当に素晴らしい映画は時代を越えて観客を魅了するもの。とはいっても、50年以上の時を経てもなお鑑賞に耐える映画はそうは多くはありません。まして、誰が見ても、これなら絶対大丈夫と言い切れる作品は本当にごくわずかです。そんな例外的ともいえる作品のひとつがこの「カサブランカ」です。
 その理由のひとつに、この映画に登場する粋な台詞の数々があります。例えば、こんな台詞があります。
「ゆうべどこにいたの?」
「そんな昔のことは憶えていないね」
「今夜会ってくれる?」
「そんな先のことはわからない」

 この台詞などは、あまりに格好良すぎて、今ではパロディーとしてしか使えないかもしれません。当時もボギーことハンフリー・ボガートの台詞だからこそ絵になったのでしょう。その他にもまだまだあります。
リック(ボギー)の店のピアノ弾きサム(ドゥーリィ・ウィルスン)が「As Time Goes By」を弾き出した時に彼がいった台詞。
「この曲は弾くなと言っただろう」
 なぜ彼はその曲を聴きたくないのか?この台詞で観客は映画に引き込まれてしまいます。
同じくリックが招かれざる客に言った台詞。
「世界中に酒場は山ほどあるのに、なぜ俺のところにやって来た」
 この映画の原作のタイトルはずばり「みんなリックの店にやって来る」です。このタイトルも格好良いですね。
これもまたリックとイルザ(イングリッド・バーグマン)の会話から。
「十年前、君は何をしていた?」
「歯にブリッジをしていたわ。あなたは?」
「「職をさがしてた」

結構な年の差があることがこれでわかります。
映画のラストにもこんな名台詞があります。
「ルイ、これが友情の始まりだな」
 リックがそれまで敵対していた警察署長ルイ(クロード・レインズ)に助けてもらい、別れ際に飛行場でいう台詞です。
 もちろん、この台詞を忘れるわけには行きません。
「君の瞳に乾杯!」
(「君の瞳に映る僕に乾杯!」というパロディーもありました)
 これだけ、名台詞があれば、台詞を追うだけでも十分に楽しめてしまいます。ところが、これらの名台詞の作者は一人ではなく何人もの作者がいるというのです。

<名台詞の作者たち>
 この映画の原作「誰もがリックの店にやって来る」は、マーレイ・バーネットとジョアン・アリスンという劇作家による戯曲でした。もともとのストーリーは映画とはまったく異なるもので、作者の二人が欧州旅行をした時に見聞した亡命者のお話だったようです。しかし、当時はまだ一度も上演されておらず、たまたま良い脚本を探していたワーナーの重役ハル・B・ウォリスの目にとまり、映画化のために買い取られることになったのでした。当初、この作品は30年代後半に流行したエキゾチックな海外を舞台にしたラブ・ロマンス映画として企画されていたようです。そのため、映画化のための脚本化が行われることになり、先ずはアエネス・マッケンジーという脚本家に脚色が依頼されますが、その後ウォリー・クラインという作家に回され、さらにジュリアスとフィリップのエプスタイン兄弟が担当することになりました。ところが映画の撮影が始まる頃になって、彼らはフランク・キャプラ作品の脚本を書くためにワシントンに出かけてしまいます。そこで急遽ハワード・コッチが代役として雇われますが、一人では作業が追いつかず、さらにケイシー・ロビンソンも参加することになりました。こうして、この映画の脚本はたらい回しの末に完成することになったのでした。そして、その間にこの作品には大きな変更が加えられることになります。
 こんな状況で撮影が始まったため、撮影中もロビンソンは毎日翌日のための脚本を自転車操業で書き続けるはめになったといいます。したがって、撮影中、監督ですらその映画の結末を知らないという状況が続き、ラスト・シーンでイルザはリックの元に残るのか?夫とともに旅立つのか?主演のイングリッド・バーグマンは知らないまま演技をすることになりました。これぞ究極のリアリズム演出です。しかし、ラスト・シーンはすでに決められていたようです。なぜ、バーグマンは知らされなかったのか?どうやらそれは映画が反ナチスのメッセージを発する作品であることを表に出したくなかったからのようです。以下は、この映画の反ナチスの側面について書かれた福井次郎の著書「『カサブランカ』はなぜ名画なのか」からの引用です。

 ウォリス(この映画の仕掛け人でもある製作者ハル・B・ウォリスのこと)にとって最も重要なシーンは、ラスト近くに極めて即物的なワンシーンだった。それはイルザとラズロをリックが逃がした後に、リックを助けた現地の警察署長が、安堵して水を飲もうとするシーンだ。
 彼が手にした瓶のラベルには「ヴィシー水」と書かれてあり、彼はそれを唾棄すべき表情で投げ捨てるのだ。ヴィシーというのは、当時南フランスを支配していた親ナチ政権の名称だ。警察署長が堪忍袋の緒を切らしてヴィシー水をごみ箱に棄てるとなると、もはやドイツがヨーロッパを占領し続けることは不可能だろう。さらにその後、リックと警察署長が肩を組み、「これが新しい友情の始まりになる」という有名な台詞が続くが、このシーンは、映画ができあがってから、再度ボガートが呼び出されて撮影したシーンだった。そしてこの台詞は、ウォリスが考えたのである。


 この映画の秘密は他にもありました。

 なんとこの映画でクレジットされた役者で、アメリカ生まれは三人しかいなかったのである。ボガートと黒人歌手役のドゥーリー・ウィルソンとブルガリアからの亡命者の妻を演じたジョーイ・ペイジである。
 しかも脇役を演じた出演俳優の多くがユダヤ系だった。これは当時としては異例のことだった。当時のハリウッドでは、スタッフは別として、俳優がユダヤ系であるのは稀だったからである。

「『カサブランカ』はなぜ名画なのか」福井次郎(著)

<マイケル・カーティス>
 この映画の監督マイケル・カーティス Michael Curtizは、1888年12月24日ハンガリーのブタペストに生まれています。本名はケルテース・ミハーイといい、映画の中の登場人物たち同様ヨーロッパからアメリカへと渡った映画人でした。1912年に監督兼俳優として映画界にデビューした彼はハンガリー、オーストリア、ドイツで活動していたところを、ジャック・ワーナーにスカウトされてアメリカに渡り、その後はワーナーの専属監督として100本近くの映画を撮り続けました。その中には、恋愛映画、海賊映画、恐怖映画、戦争映画、ギャング映画、冒険映画、ミュージカル映画、歴史活劇などがあり、1962年に74歳で亡くなるまで、あらゆるジャンルが撮れる職人タイプの監督として活躍しました。そう考えると、この映画には前述の映画の要素がほとんど盛り込まれており、彼にピッタリの題材だったといえそうです。
 ちなみに、この映画を撮る前までは、エロール・フリン主演の海賊映画「海賊ブラッド」(1935年)、「ロビン・フッドの冒険」(1938年)、「シーホーク」(1940年)などを次々にヒットさせ一時代を築いていました。その後、この映画で彼は見事アカデミー監督賞を受賞。彼にとって生涯の代表作となりました。(その他にもアカデミー作品賞、脚本賞も受賞しています)
 ドイツ表現主義という光と影を美しく描き出す手法の本場で映画を撮り始めた彼は、モノクロ映画でありながら観客に色を感じさせる撮影技術のプロでもありました。それだけに、この映画の映像は白黒であるという印象を忘れさせるほどの美しさをもっています。これもまたこの映画の魅力です。白と黒だけの映像だからこそ、観客の頭の中のスクリーンにはそれぞれの想いによって色づけされた映像が形成されるのです。あのイングリッド・バーグマンの美しさが永遠に輝きを失うことがないは、そのせいだと僕は思うのですが・・・。

<カサブランカの街とリックの店>
 この映画の舞台となっているカサブランカの街とリックの店がもつノスタルジックで異国風な雰囲気もまたこの映画の大きな魅力のひとつです。当時のカサブランカは北アフリカがドイツ軍によって次々に占領される中、まだ辛うじてフランスの領土だった土地であり、ヨーロッパから戦乱を逃れて来た各国の人々がアメリカなどへの亡命をするための中継地として滞在していました。したがって、この街にはドイツ人、フランス人、アメリカ人、イギリス人などの外国人と地元のモロッコ人が混ざり合って暮らしていました。元々モロッコという国自体、植民地としてスペイン領、イギリス領、フランス領だった時代があり、非常に複雑な歴史をもっています。そんな中、リックの店には酒とタバコと音楽、それに情報を求めて、各国の要人たちが集まって来ていたのです。映画として、こんなにも魅力的な街、魅力的な店はないでしょう。
 僕もかつて、ひとりでモロッコを旅したことがあります。白い壁と迷路のような街並みが印象的なこの国は、昔から多くの若者たちをひきつけてきましたが、危険な雰囲気はあっても魅力的な国です。フェズの街では、妖しげな自称ガイドに絨毯屋に案内されました。その時通った迷路のような道は、到底一人では帰れそうも無く、こりゃあヤバイなあと覚悟したことを今でも思い出します。それでもなぜか、犯罪に巻き込まれることがなかったのは、モロッコもまた真面目なイスラム教徒の国だからでしょう。ちなみに、旅から帰って最初に会ったのが、後に結婚することになった彼女で、彼女が当時住んでいた吉祥寺のアパートは偶然にも「カーサ・ブランカ」という名前でした。

<マックス・スタイナー>
 この映画の音楽を作曲したマックス・スタイナー Max Steinerは、1888年5月10日オーストリアのウィーンに生まれています。本名はマキシミリアン・ラオール・スタイナー。音楽の都ウィーンで劇場を経営する祖父のもとで育った彼は早くから音楽的才能を発揮し始めました。ウィーン王立音楽院ではあのグスタフ・マーラーに師事。作曲や指揮について学んだ彼は16歳でオペラを作曲
その作品の成功により、指揮者としてロンドンやパリの街で公演を行う中でアメリカから来ていたフロレンス・ジーグフェルドと出会いアメリカへ来るように誘われました。こうして、1914年に渡米した彼はブロードウェイ・ミュージカルやオペラの編曲や指揮などで活躍し、そのまま市民権を得てアメリカに移住しました。
 1929年、映画の世界ではサイレントからトーキーへの移行は急激に進んでいました。そのため、作曲家が不足していた映画界によって招かれた彼は映画音楽監督としてRKOで働くことになります。この頃、作曲した曲の中には今や伝説となった「キングコング」(1933年)の音楽もあります。この映画の音楽は大評判となり、その後映画音楽のほとんどが専門の作曲家によって書かれるようになったといわれています。
 1936年、「風と共に去りぬ」で有名な超大物プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックの誘いでワーナーの大作映画「進め、竜騎兵」の音楽を担当した彼はそのままワーナーに移籍。その後28年間に渡りワーナー映画の音楽を作り続けることになります。300本以上の映画に音楽を提供し続けた彼は、「男の敵」(1935年)、「情熱の航路」(1942年)、「君去りし後」(1944年)で3度アカデミー賞を受賞しています。その他にも、名作が目白押しで、ざっと挙げてみると、「風と共に去りぬ」(1939年)「カサブランカ」(1943年)「三つ数えろ」(1946年)「ケイン号の叛乱」(1954年)「捜索者」(1956年)「避暑地の出来事」(1959年)「黄金」(1948年)「キーラーゴ」(1948年)「スタア誕生」(1954年)など・・・etc.
 1971年12月28日、映画の都ハリウッドで亡くなられました。

<ボギーの影響力>
 この映画が今でも人気があるのは、他にも理由があります。「ボギー俺も男だ」に代表されるパロディーやオマージュ作品が未だに「カサブランカ」の魅力を広め続けています。日本でも、石原裕次郎主演の「夜霧よ今夜もありがとう」は、この映画をもとに日本版として作られた作品なのだそうです。
 この映画の主人公リックの人間像が時代を越える普遍的な魅力をもっていることも重要です。アメリカ人でありながらアメリカを捨て、かといって金儲けを目的としているわけではない、ニヒルなアウトサイダー的ヒーロー像は、その後も多くの映画に影響を与え続けることになります。そういえば、こんな台詞もありました。店の客のひとりがリックと飲みたいから連れて来いウェイターに言うと、そのウェイターはこう言いました。
「ボスはお客様とは飲みません」するとその客は
「私はアムステルダム第二の銀行の頭取だということを彼に伝えてくれ」するとウェイターは慣れた口調でこう答えました。
「同じことですよ。うちはアムステルダム第一の頭取を雇っておりますから」ユダヤ人を中心とするヨーロッパの金持ちが退去してヨーロッパを脱出しようとしていたこの時期なら、これはあながちジョークとはいえません。
 最終的に彼はアメリカのためにドイツ人将校を射殺しフランス人レジスタンスの大物を助ける道を選びます。これにより彼は、それまでの完全中立の立場を失うことになるのですが、それでもなお彼の生き方は男が憧れる「一匹狼的英雄の理想像」なのかもしれません。そのキャラクターは「用心棒」の椿三十郎、「スター・ウォーズ」のハンソロ、「木枯紋次郎」の紋次郎、「ダイハード」のマクレーン警部補、「ダーティー・ハリー」のハリー・キャラハンなど多くのヒーローたちに受け継がれています。(ただし、1990年代以降の映画には、彼のように自信にあふれたヒーローはもういなくなったように思えますが・・・)

<60年代末の復活
 面白いのは、日本で1960年代から1970年代にかけて全共闘世代の若者たちがヤクザ映画のヒーロー、高倉健に憧れたのと同じように、アメリカでは「カサブランカ」のリックが若者たちの英雄として見直されていたことです。アウトローではあっても仁義にあついヤクザ者と「カサブランカ」のリックは確かに共通することろがあります。ヴェトナム戦争に疲れきったアメリカに嫌気がさし、徴兵を逃れようとカナダなど海外に移住した若者が多かった当時のアメリカにとって「カサブランカ」は逆にアメリカから逃げて行きたい夢の土地だったのかもしれません。ヒッピーたちにとって、インドのバラナシ(ベナレス)に匹敵する土地がモロッコのマラケシュだったというのも偶然ではなかったのでしょう。
 映画「カサブランカ」は、国家権力を反抗する反権力思想の持ち主、革命家、平和主義者だけでなく、酒と音楽を愛するすべての人々にとって、ノスタルジックな理想郷であり続けるのかもしれません。
<注>
 ここであげている名台詞の数々は、和田誠著「お楽しみはこれからだ」「お楽しみはこれからだ Part 2」を参考にしています。

 現在この映画はアメリカ議会図書館が選定した二十五本の「国宝」の中にも入っておりアメリカでは多くのカサブランカ・クラブが作られている。そして定期的に投票が行われる世界映画ファン投票に何度もベスト10入りを果たしている。なぜならこの映画は、映画がナチと闘ったことを示す記念碑的作品だからである。「『カサブランカ』はなぜ名画なのか」

「カサブランカ Casablanca」 1942年公開
(監)マイケル・カーティス
(製)ハル・B・ウォリス
(原)マーレイ・バーネット、ジョアン・アリスン
(脚)ジュリアス・エプスタイン、フィリップ・エプスタイン、ハワード・コッチ
(撮)アーサー・エディソン
(音)マックス・スタイナー
(出)ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、クロウド・レインズ、ポール・ヘンリード、


<あらすじ>
 1941年、北アフリカ、モロッコのカサブランカには、ヨーロッパからナチス・ドイツの侵攻を逃れて来た人々が自由の国アメリカへと渡るためのチャンスを求めて集まっていました。この街でアメリカ人のリック・ブレイン(ハンフリー・ボガート)が経営するクラブにはそんな人々が酒と情報を求めてたむろしていました。リックはそんな状況の中、商売以外のことにはいっさい関心を払わず、店の人間以外の誰とも関わりを持たないようにしていました。しかし、ある日、フランスからやって来たレジスタンスの大物とその妻イルザ(イングリッド・バーグマン)と会ってからは、そんな彼のポリシーが狂い始めてしまいます。イルザはかつて彼と愛し合った仲でしたが、彼を裏切り去っていった女性だったのです。二度と会いたくなかったイルザと再会しただけでなく、彼はその夫をカサブランカから逃がすための協力を求められてしまいます。ドイツ軍から追われる危険な状況の中、いつしか二人は、再び魅かれあって行きますが、・・・。
 二人の愛はどうなるのか?そして、カサブランカを飛び立つ飛行機に乗るのは誰なのか?決断の時が迫るのでした。

「カサブランカ」(監)マイケル・カーティス(出)ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、クロード・レインズ
「悪魔が夜来る」〈監)マルセル・カルネ(脚)ジャック・プレヴェール、ピエール・ラローシュ(出)アルレッティ、マリーデア
「運命の饗宴」(監)ジュリアン・デュヴィヴィエ(脚)ドナルド・オグデン・スチュアート(出)シャルル・ボワイエ、リタ・ヘイワース
「疑惑の影」(監)アルフレッド・ヒッチコック(原)ゴードン・マクドネル(出)テレサ・ライト、ジョセフ・コットン
「雲の中の散歩」(監)アレッサンドロ・ブラゼッティ(音)アレッサンドロ・チコニーニ(出)ジーノ・チェルヴィ、アドリーナ・ベネッティ
「心の旅路」(監)マーヴィン・ルロイ(製)シドニー・フランクリン(出)ロナルド・コールマン、グリア・ガーソン
「逃走迷路」(監)アルフレッド・ヒッチコック(脚)ピーター・ヴィアテル他(出)ロバート・カミングス、プリシラ・レイン
「ミニヴァー夫人」(監)ウィリアム・ワイラー(主女)グリア・ガーソン(助女)テレサ・ライト
アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞
「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー」(監)マイケル・カーティス(主男)ジェームス・キャグニー(アカデミー主演男優賞
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(監)(脚)ルキノ・ヴィスコンティ(出)マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマーイ
「Joohooy Yeager」(ヴァン・へフリンがアカデミー助演男優賞
「打撃王」(監)サム・ウッド(主演)ゲーリー・クーパー(原)ポール・ギャリコ
「バンビ」(監)デヴィッド・D・ハンド(ディズニー・アニメの傑作)黒人歌手リナ・ホーンがMGMと契約(黒人として初)

「ハワイ・マレー沖海戦」(監)(脚)山本嘉次郎(特)円谷英二(出)伊藤薫、英百合子
(この映画で用いられた特殊撮影の技術が戦後「ゴジラ」を生み出すことになります)
「父ありき」(監)(脚)小津安二郎(出)笠智衆、佐野周二
「元禄忠臣蔵 後編」(監)溝口健二(原)真山青果(出)市川歌右衛門、山路ふみ子
「独眼流正宗」(監)(脚)稲垣浩(出)片岡千恵蔵、月形龍之介

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