- チャールズ・M・シュルツ Charles M. Schulz -

<夢の国、アメリカとピーナッツ>
 1950年10月2日連載開始。そして、作者チャールズ・M・シュルツの死去の翌日、2000年2月13日に最終回が掲載されたピーナッツは、アメリカの20世紀後半の歩みとともにありました。
 と言っても、そこにはごく普通のアメリカの子供たちの生活が描かれているだけなので、黒人解放運動も、ベトナム反戦運動も、米ソ冷戦も、中東紛争も、ほとんど顔をのぞかせることはありません。唯一の例外は、作者が参加した第二次世界大戦に関するものぐらいかもしれません。しかし、それでもなお、そこには確かに「アメリカ的な子供たちの世界」が描かれていたように思います。それもちょっと懐かしい古き良きアメリカの子供たちの世界が、・・・。僕も含めて、アメリカ人以外のファンは、「ピーナッツ」に「自由の国、憧れの国アメリカ」を夢見ていたのかもしれません」
 もともとシュルツ氏がこのシリーズを書き始めた時、彼はそのタイトルを「Good Ol' Charlie Brown 古き良きチャーリー・ブラウン」にしようと思っていたそうです。しかし、出版社がかってに覚えやすいからと「ピーナッツPeanuts」としてしまいました。まだ駆け出しの彼は、黙って従うしかなかったそうです。そのため、初期の作品名は、「Peanuts」でしたが、70年代以降は、「Peanuts Featuring "Good Ol' Charlie Brown"と改められています。
 今や、「古き良きチャーリー・ブラウン」は「古き良きアメリカ」の象徴であり、同時に世界中から失われつつある「古き良き子供たち」の博物館とも言える存在になりつつあるのかもしれません。
 ただし、この「古き良き子供たち」が過去のものなのかというと、そうでもないかもしれません。21世紀の子供たちである我が家の長男は、このシリーズの本を読み出すとすぐに気に入ってしまいましたから・・・。21世紀の子供たちにも「ピーナッツ」は、未だ十分に受け入れられる存在のようです。

<作者とピーナッツの登場人物たち>
 「ピーナッツ」シリーズの作者チャールズ・M・シュルツの人生もまた「ピーナッツ」とともにありましたが、そこに登場するキャラクターたちもまた作者の人生と関わりをもっていました。
 例えば、作者は1922年にミネソタ州のセントポールという街に生まれていますが、その実家はチャーリー・ブラウンの実家と同じ理髪店でした。そして、作者が13歳の時、家で飼うことになった白と黒の雑種犬は、後にスヌーピーのモデルになります。(ただし、その犬の名前はスパイクといいました。そうスヌーピーの兄の名前です)
 ベートーベンが大好きなシュローダーが弾くおもちゃのピアノは、作者が自分の長女メレディスに買って上げたものと同じものです。
 チャーリーが恋する赤毛の女の子も、作者が子供の頃に恋した赤毛の子がモデルになっています。ただし、彼はこの子に自分の恋心を告白。見事にふられてしまったそうです。だから、チャーリーは永遠に彼女に告白することができないのです。
 ライナスの名前も、このキャラクターのアイデアを最初に見て、誉めてくれた美術学校の同僚の名前からとられているそうです。もちろん、ライナスの毛布も、彼の子供たち3人がみんな部屋の中で毛布を引きずって歩いていたことから生まれたアイデアです。(これはどこの家でもありそうなことですが・・・)この時つけられた「安心毛布(セキュリティー・ブランケット)」という言葉は、今や英語の辞書にも載るほどの標準語になっているそうです!
 そうそう、肝心のチャーリー・ブラウンのモデルは、やはり作者自身のようです。顔の形こそまったく違うものの、線が細くて気が弱そうなシュルツ君は自分のことを常に影の薄い存在と考えていたようです。確かに、彼の顔は二枚目に属するでしょうが、ある意味どこにでもいそうな典型的アメリカ白人の顔でもあります。そんな顔だからこそ「ミスター・エブリマン(普通の人)」ことチャーリーを実にリアルに描くことができたのでしょう。
 ただし、チャーリー・ブラウンという名前は、彼が一時働いていたアート・インストラクション・スクールズという通信教育の美術学校の同僚の名前だそうです。その人物があるクイズ番組に出て、「誰が本物のチャーリー・ブラウンでしょう?」という問題が出され時、なんと正解者はゼロだったそうです。いったいどんな人物なのか?ちょっと興味深いところです。

<ピーナッツの中の子供たちの世界>
 マンガを描くのが大好きで、絵も上手かった彼は、6歳の時に子供たちを主人公とするマンガを描き始めていたといいます。「ピーナッツ」の原型は、この時すでに誕生していたわけです。それから、彼がこの世を去る2000年まで72年間にわたり、彼は子供たちを描き続けることになります。
 ただし、彼が描き続けた子供たちは、最初は自分と同世代の子供たちでしたが、マンガ家となってからは自分の子供たちがモデルとなり、70年代以降には孫たちがそのモデルになって行きます。

<ピーナッツの進化>
 ピーナッツ・シリーズの初期の作品を読んだことがある方ならわかるのですが、初期の絵は同じキャラクターでも、最近のものとはかなり違っています。特にスヌーピーは大きく違っています。連載当初のスヌーピーは4本足で歩く普通の犬ですが、1960年代以降は突然二本足で歩くようになり、急速に人間に近いスーパー・ドッグへと進化を遂げています。
 しかし、もっと違ってきているのは、実はキャラクターのデザインではなく背景になっている風景や家の中の様子かもしれません。例えば、スヌーピーの犬小屋は、時代とともに真横から描かれるようになり、内部も正面も描かれることのない平面的で抽象的な存在へと変化しています。それと同じように、チャーリーの家や野球場などのシーンも、家具や小道具、大道具などを用いない舞台だけのお芝居のような世界へと変わってゆきました。(野球ならチャーリーの立つ妙にこんもりとしたピッチング・マウンドは有名だし、ルーシーが開くカウンセリング・スタンドもかなりシュールな存在です)
 そして、ストーリー自体も場面設定同様に単純化され定番化され哲学的になったものが中心になって行きます。
 例えば、ルーシーがアメリカン・フットボールのボールをおさえて、チャーリーにキックさせようとするお話があります。(実際は、キックの直前にボールを引っ込めて空振りさせてしまうのですが・・・)このストーリーは毎年一度づつ描かれていたようで、毎回毎回ルーシーはチャーリーの心を巧みに操り、彼に空振りをさせてしまうのです。結果は最初から見えているにも関わらず、読者は「さて今年はどうやってチャーリーに蹴らせるのかな?」と楽しみに読むことになるわけです。そう考えると、このシリーズは日本の「サザエさん」に匹敵する超保守的なマンガということにもなるのでしょう。(ただし、ライナスの言葉はカツオより数段奥深いし、スヌーピーが生み出すイメージの世界はサザエさんの住む町内より遙かに広いとは思いますが・・・)

<ピーナッツに大人が登場しないわけ>
 ピーナッツの子供たちは、住んでいる世界が狭い分、心に大きな翼をもっているように思えますが、これは「子供」という存在について普遍的に言えることでもあります。だからこそ、その逆の存在である大人たちは、このマンガに登場しないのかもしれません。
 実は、「ピーナッツ」に大人が出ないのはなぜかについて、作者はこう言っています。
「ピーナッツには、なぜ大人が登場しないのか?それは場所がないからです。枠の中におさまるためには、大人はしゃがみこまなければならないでしょう。この答えは実は冗談ではありません。これは読者が背の低い草を真横の目線から見ている唯一のマンガなのです。読者は子供たちの中に入り込んでいるのです。大人を描き加えるには、もっと離れた位置から見たようにしなければならず、全体の構図が変わってしまいます」
<ピーナッツの世界からの卒業>
 ピーナッツの世界からいつしか卒業?した僕が今振り返るに、このシリーズ全体は、まさに「ライナスの安心毛布」であり、「あたたかな子犬」であり、「引き出し一杯のホカホカ靴下」であり、「両親の車の後部座席での居眠り」でした。今、現役で子供時代まっさかりの子供たちにとっても、きっとピーナッツは、ギスギスした現実とは別の居心地のよい世界なのでしょう。今や、少子化で近所の子供たちと野球のチームを作ることもできず、たむろする広場ももたない子供たちにとって、ピーナッツは、ある種理想的な仮想空間のひとつなのかもしれません。

<ピッグ・ペンのこと>
 ところで、ピッグ・ペンって自分の家の中ではほこりひとつないこざっぱりした少年だってしってました?家から一歩出たとたん、彼はいつもの埃だらけの姿になってしまうんです。1950年代から登場したこのキャラクターは、いったいどうして生まれたのでしょう?
 彼は何かの象徴?豊かなアメリカ文化の影に存在するプア・ホワイト?潔癖主義者シュルツ氏の秘かな汚れ願望?神の子キリストの現代版?
 謎です。

<元気かい?、チャーリー>

「安心感は、車の後の席で眠ることだよ」
「小さいときはママとパパと一緒にどこかにでかけて、
 夜になって、家に向かって走っているんだ。
 君は後の席で眠っている・・・
 でも、それはいつまでも続かない!
 あるとき突然、君はおとなになって、
 もう二度と同じ気持ちは味わえないんだ!」

チャーリー・ブラウン

 ピーナッツの仲間たちと僕の小学校時代の仲間たち、そしてスパーキーことチャールズ・M・シュルツ氏に捧げます。
 みんな元気かなあ。

<締めのお言葉>
「今世紀、人々に影響を与えたという点で、シュルツとガンジーはその双璧だと思う。ガンジーも数多くの人に語りかけたけれど、シュルツの作品を載せている出版物は数えきれないほどだ。そして、ふたりは同じことを説いている。『汝の隣人を愛せ。たとえ努力が必要な相手でも』ルーシーをも愛せ」
ビル・モーディン(漫画家)

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