- チェ・ゲバラ Che Guebara(後編) -


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<キューバへ>
 カストロ率いるキューバ革命軍は、メキシコで戦闘訓練を行い、キューバ上陸作戦の準備を整のえると「グランマ号」という廃船直前の船でキューバに向けて出航しました。オンボロ船に定員を大幅に超える兵士を乗せたため、途中で何度も沈没しかけながらも、1956年12月2日彼らはなんとかキューバ南部の海岸にたどり着きました。ところが、彼らの上陸作戦は事前にキューバ政府に漏れていました。おまけに、上陸した軍隊の人数もわずか82名たらず。もし、この時上陸を待ち伏せされていたらひとたまりもなかったでしょう。ところが、上陸作戦のことを知ったキューバ各地の反政府勢力もまた、同時に各地で戦闘を開始したため、キューバ国内は大混乱になってしまいました。そのおかげで、カストロたちは無事上陸することができたのでした。

<敗走そして逆転のきっかけ>
 しかし、ろくな装備もなく食料も不十分だった彼らは政府軍の攻撃によって次々に殺されて行きます。一時は16人にまで減ってしまった彼らは、シエラマエストラと呼ばれる山岳地帯に逃げ込み、なんとか生き延びることができましたが、敗色は濃厚でした。ところが、そんな厳しい状況が少しずつ変わり始めます。先ずは農民たちの中から、ゲリラたちに食料や隠れ家を提供してくれる者たちが現れました。さらに、そんな農民たちの中からゲリラに参加する者が現れだしたのです。こうして、革命軍はしだいに数を増やし、その力を増してゆきました。
 こうして、メンバーを増やして行く中で、カストロとゲバラの明るく楽天的かつカリスマ的な人間性は非常に重要な意味をもちました。二人の誰をも魅了してしまう性格なくして、革命軍の高いモチベーションを維持することは難しかったかもしれません。
 さらに援軍はまったく別のところからも現れました。彼らが闘う山岳地帯とはまったく逆の場所、ハバナなどの都市部でも、彼らに同調する反乱が起き始めたのです。その中心は、学生たちによる運動と労働者たちによる大規模なストライキでした。1958年には、ついに政府軍内部でも反乱が起きます。危機感を強めたバチスタ率いる政府軍は、革命軍に対し総攻撃をしかけますが、いつの間にか力をつけてしまった革命軍の前に敗退。勢いに乗る革命軍は、いっきに山を下り都市部へと侵攻を開始します。そして、この年の12月31日、ついにバチスタは自らアメリカへと亡命、3年をかけた革命のための戦闘はついに終わりをむかえました。

<革命の始まり>
 戦闘は終わりましたが、本当の意味の革命はまだ始まったばかりでした。意外なことですが、カストロは当初、ソ連式の共産主義体制を目差していたわけではなく、より民主的な社会主義体制を目差していました。そのため、共産主義色の強い革命軍のメンバーを政府上層部にはいれず、穏健派の政治家たちを全面に押し出した体制を作っています。したがって、革命軍の顔であるゲバラにも政治的に重要な役割は与えられませんでした。
 しかし、実際に革命を闘い抜いた革命軍生え抜きのメンバーと棚ぼた式に地位を得た穏健派の政治家たちは、しだいに対立色を深め、ついには穏健派トップの大統領ウルティアは辞任に追い込まれることになります。こうして、キューバの共産主義化は決定的なものになり、開き直ったカストロは、ついにゲバラを革命政府のメンバーに加えます。
 すでに世界的なヒーローとなっていたゲバラは、それまでの間キューバの使節団団長としてアフリカ、アジアを歴訪。各国でアメリカの植民地政策を批判、アメリカにとっては目の上のたんこぶ的存在となっていました。そのため、彼が入閣したことで、アメリカの政策は一気に強硬化し、ついに切り札のひとつ、キューバ産サトウキビの輸入規制を実施します。キューバにとって唯一の輸出品を最大の輸入先であるアメリカが買ってくれなくなれば、キューバには外貨がまったく入ってこなくなります。(「ゴッドファーザー・パート2」で描かれているように、キューバはカリブ最大のリゾート地でしたが、革命後はそれも無理になっていました)こうして、21世紀にまで続く「キューバ制裁」が始まりました。

<キューバ危機>
 アメリカの経済制裁に対抗して、キューバ政府は国内にあるアメリカの資産をすべて没収。そして、ゲバラをトップとする経済使節団がソ連や中国など社会主義諸国を訪問し、サトウキビの輸入や無利子による借款などの約束を取り付けました。
 あせったアメリカは、いよいよ武力行使に出ます。と言っても、表だってアメリカ軍が他国に攻撃をしかけるわけには行かないので、CIAが秘かにキューバ人の亡命者たちや国内の右派勢力に資金や武器の援助をし、彼らに内乱を起こさせる作戦に出ます。こうして始まった反抗作戦のほとんどは失敗に終わりますが、キューバ国内ではテロ事件が次々に起こされ、キューバ政府はしだいに窮地に追い込まれます。そこで起死回生の作戦として、1962年5月、ついにソ連とキューバは重大な決断をすることになります。キューバへの核ミサイル配備です。
 この情報をいち早く入手したアメリカは、ミサイルのキューバ持ち込みを阻止するため、10月22日キューバの海上封鎖を決行します。こうして、歴史に残る大事件「キューバ危機」が始まりました。アメリカはこの機会に逆襲に転じ、いよいよキューバへの上陸作戦を行なうだろうと予想されたため、キューバ国内ではそれを迎え撃つためのゲリラ戦の準備が始まりました。もちろん、この時世界中が核戦争の恐怖に震えることになりました。歴史上もっとも世界崩壊に近かった年が、この1962年だったのかもしれません。(この時、実際に核戦争一歩手前の状況に至っていたことが後に明らかになります)
 幸いにして、この局面はフルシチョフとケネディーによる直接電話交渉により、「核ミサイルのキューバからの撤去」ということで手打ちとなりましたが、キューバへの経済制裁はその後も延々と続くことになります。

<世界革命の伝道者>
 その後もゲバラはキューバのスポークスマンとして、海外を駆けめぐり、国連でアメリカの中南米支配を糾弾し第三世界の国々から拍手喝采を浴びました。ところが、彼の批判対象はアメリカだけではおさまりませんでした。彼は共産主義諸国の後ろ盾ではあっても、実質的には支配者になろうとしていたソ連に対しても、非難の矛先を向け始めたのです。とは言っても、ソ連からの援助に頼らざるを得ないキューバにとって、ソ連への批判は許されないことでした。そのため、ゲバラはキューバ政権内での居場所を失ってしまいます。
 その上、もともと彼はキューバでの革命が成功した後は、別の土地、別の国に移住することを初めから考えていました。彼にとって、次なる目標は「世界革命」であり、第二第三のベトナムを生み出すことへと変わっていました。

<コンゴへ>
 こうして、彼はキューバを旅立ちます。そして、アフリカ大陸の内陸部コンゴ共和国へと向かいます。コンゴは当時ベルギーから独立したばかりで、混乱の中、次々に軍事政権が誕生、クーデターが頻発する異常事態が続いていました。ゲバラはそんな混乱した国に社会主義政権を誕生させようと左翼の反乱軍に参加します。しかし、権力欲に目がくらんだ指導者たちをまとめることができず、結局この国での革命は不成功に終わっています。(その後、この国の混乱は結局20世紀いっぱい続くことになります)
 こうして、アフリカでの闘いに挫折したゲバラは、再び南米にもどります。次なる目的地は故郷アルゼンチンの隣国ボリビアでした。

<ボリビアにて>
 南米でも特に貧しいと言われる国の人々が独裁政権のもと搾取される悲惨な状況を改革するべく40人ほどの仲間とともに飛び込んだゲバラは、すぐに革命に向けた戦闘を開始しました。しかし、母国アルゼンチンの隣りに位置する国でありながら、民族も違い宗教も違うボリビアはまったく異なる国でした。(アルゼンチンは白人=クリオーリョの国、ボリビアは先住民族=インディオの国)そのためか、彼ら反乱軍は余計なことをするよそ者と考えられ、キューバの時のように仲間を増やすことができませんでした。そのうえ、ボリビアでは彼ら革命軍を迎え撃つためにアメリカから特殊部隊グリーン・ベレーが呼ばれており、政府軍は彼らから直接指導を受けて、かつてのキューバ軍とは大違いの実力をもっていました。ゲリラ部隊はしだいに孤立し、ゲバラ自身も喘息が悪化。ついにボリビアの政府軍に逮捕され、裁判中の脱獄を恐れてあっさりと銃殺されてしまいました。(1967年10月8日)

<死してなお>
 処刑後、彼の遺体は世界中の左翼勢力に対する見せしめとして公開され、大きな衝撃を与えました。さらにこの時、ゲバラの遺体が革命軍によって奪われることを恐れた政府は、埋葬場所を公表しなかったため、彼のお墓と遺骨は長い間行方不明のままになってしまいます。それが明らかになったのは、なんとついこの間1997年のこと、キューバとアルゼンチンによる合同調査隊が彼の遺骨を発見。キューバに持ち帰られた遺骨は、サンタクララに建つ彼の霊廟に収められました。死してなお、彼の存在はキューバ革命の象徴として生きつつあるのです。

<愛すべき個性>
 常に冷静で現実的に物事をとらえるカストロと、思いこんだら一直線で突っ走る恐いもの知らずのゲバラ。二人の異なる個性が、絶妙のバランスをとることでキューバの革命は成功したのかもしれません。
 ゲバラの死後、世界革命は起きることなく、それどころかほとんどの共産主義国が運営に挫折し、再び資本主義経済圏へともどって行きました。そんな歴史の流れの中、カストロ政権だけは苦しい国家財政でありながらも、なんとか生き延び、21世紀を迎えました。最近では、少しずつ観光化も進み、かつてほどのアメリカとの対立もなくなりつつあります。それは、キューバが革命当初からソ連とは異なる道を歩もうと考えていた姿勢が貫かれていたおかげかも知れません。今やそのソ連すら消えてしまったのですから、その方向性は間違っていなかったのでしょう。
 その後しだいに忘れ去られそうになっていったゲバラですが、彼を直接知る人々は彼のことを愛し続けました。それは、彼がどんなに無鉄砲でも、どんなに無計画でも、彼のもつ心の優しさと正直さを知る人々にとっては愛すべき存在であり続けたからでしょう。そして、彼が書き残した膨大な量の日記や記録の数々は、未だに読む人の心をつかみ、新たなファンを獲得し続けているのです。チェ・ゲバラ、未だ彼の世界革命は継続中です!

<締めのお言葉>
「漂泊者・・・ほんのいささかでも理性の自由に達した人は、地上ではおのれを漂泊者として以外に感じることができない」

ニーチェ著「人間的な、あまりに人間的な」より
「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」
毛沢東


チェ・ゲバラのエンペリアル・アパート(ゲバラと革命家たちについてのファン・サイト)

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