「チェ 28歳の革命 Che Part1 : The Argentine」
 「チェ 39歳別れの手紙 Che Part2: Guerrilla」 
2008年

- チェ・ゲバラ Che Guebara、スティーブン・ソダーバーグ Steven Soderbergh -

<カリスマ・ヒーローの再評価>
 20世紀を代表する数少ないカリスマ的英雄のひとり、チェ・ゲバラ。1970年代以降、彼の存在は伝説となり、彼の顔がプリントされたTシャツは変らぬ人気を保ち続けています。反体制運動がピークを迎えていた1969年には彼の伝記映画がリチャード・フライシャー監督によって映画化もされています。(この時、ゲバラを演じたのは「アラビアのロレンス」で有名なオマー・シャリフ。そして、カストロを演じたのは西部劇の悪役で有名なジャック・パランスでした)革命が現実の出来事だったその時代、同時代のヒーローとしてゲバラの生き様は十分に映画化する価値があったのです。
「もし、われわれが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう、そのとうりだ、と」
チェ・ゲバラ

 しかし、米ソの対立やアメリカの保守化の中でゲバラの存在は、「共産主義のテロリスト」として否定されるようになってゆきました。ところが、1980年代のソ連の崩壊をきっかけに社会主義経済体制の失敗が明らかになると「共産主義」の本質自体が疑われようになり、ゲバラに対する評価も変り始めてゆきます。戦闘による革命という「暴力革命」への批判は変らないもののソ連型社会主義を「形を変えた帝国主義」と批判した彼の考え方はやっと正統に評価されるようになりました。もちろん、アメリカによるベトナム、アフガニスタン、イラクなどでの失敗は、資本主義という名の新たな帝国主義が誤まりであったことを証明し、ゲバラによる国連での伝説的演説が再評価されることになります。さらに、米ソどちらとも距離をおき、独自の社会体制を築こうとしたキューバの社会政策も再評価されるようになり、カストロとゲバラが目指した「革命」はけっして間違いではなかったということが明らかになってきました。(けっして生活レベルは高くはありませんが、医療や社会福祉、教育などに関するキューバの社会システムは日本よりはるかに充実しています)
 今一度、ゲバラの人生を描き出してみてはどうか?そうした動きが起きるのは必然だったのかもしれません。こうして、この映画の企画は2000年公開の「トラフィック」撮影時に同映画のプロデューサー、ローラ・ビックフォードによって提案され、その案にひかれたベニチオ・デル・トロとスティーブン・ソダーバーグによって準備が進められることになりました。

<スティーブン・ソダーバーグ>
 「エリン・ブロコビッチ」や「オーシャンズ11」などのヒットで知られるソダーバーグ監督ですが、元々彼は「セックスと嘘とビデオ・テープ」(1989年)「KAFKA/迷宮の悪夢」(1991年)「スキゾポリス」(1996年)など、実験的映画を得意とする監督であり、ハリウッド映画の枠からはずれて作品を撮り続けているインデペンデント映画を代表する監督です。この映画には、そんな彼の代表作「トラフィック」で用いられていた場面によって映像の色を変える手法が用いられていて、この映画が彼の集大成のひとつであることがうかがえます。ハリウッド式の娯楽映画で稼ぎ、アンドレイ・タルコフスキー監督の難解SF映画のリメイク作「ソラリス」(2002年)、フィルム・ノワールに対するオマージュ「さらば、ベルリン」(2006年)のようにマニアックな作品をヒットを意識せずに撮る。このやり方を心得た彼にとって、「ゲバラ」もまたマニアックにこだわって撮るのに最適な題材だったといえます。しかし、この題材に対する周りの期待は彼が考えていた以上だったようです。そうなると、この映画をヒットさせなけらばならないという思いも強くなったのでしょう。しかし、彼の手腕をもってしても、この映画をヒットさせるには数多くの困難が予想されました。

<ヒット困難の企画>
 ゲバラの人生を史実にこだわって描くため、この映画は全編スペイン語で撮られています。しかし、アメリカでは日本と異なり字幕付き映画は一般的ではないため、それだけでヒットの可能性は低くなってしまいます。そうでなくても、アメリカを徹底的に批判した国連での演説シーンをクライマックスのひとつとする映画なだけにアメリカでの大ヒットを期待することは困難でした。
 登場人物がスペイン語を話すとなると、出演する俳優もヒスパニック系の俳優で固める必要が生じ、なおかつドキュメンタリー・タッチを重視するため人気俳優を使うこともできません。ハリウッド・スターとしては唯一マット・デイモンがちょい役で出演しているぐらいでしょう。(ドイツ人の牧師としてゲバラのもとに交渉に来たマット・デイモンは、もしかするとCIAなのではないでしょうか?あの「グッドシェパード」の主人公エドワード・ウィルソンかも?)そうなると、俳優の人気で集客するのは困難です。
さらに問題になったのは、この作品が2部作になったことでしょう。当初、ソダーバーグ監督はゲバラがボリビアで処刑される悲劇的な最後の部分を中心にした映画を撮るつもりでした。それはキューバでの活躍はすでにあまりにも有名であり、逆にボリビアでの悲劇についてはあまり知られていなかったからです。しかし、そこに至る過程を描くには、ボリビアに渡る以前、キューバ革命で何があったのかも描かざるを得ないと考えた彼は、キューバ編とボリビア編という2部作構成を選択したのでした。監督自身の考えでは、2部作を前編、後編に分けて同時公開したかったようですが、結局日本での公開のように連続して前編、後編を公開するというスタイルになったようです。しかし、この方法もかなりリスキーな公開方法です。先に公開するパート1がこけたら、パート2は製作費の回収すら困難になるしょう。(幸いパート1は革命の成功というある意味ハッピーエンドのストーリーなのでヒットする可能性は高いと考えられましたが)
<チャンス到来>
 7年の歳月をかけた準備の後、撮影が始まりましたが、その間に時代は変り、新たな状況がこの映画にとってプラス材料となり始めます。組合の規定に従うため、ピーター・アンドリューという名を借りてカメラマンも担当している監督は、どの監督よりも「映像」にこだわる監督です。そんな彼にとって、森の中などで展開されるゲリラ戦の場面を自然光だけで撮ることのできる革命的な高感度カメラ「RED」登場は、技術面において大きな助けとなりました。このカメラによって撮られたリアルな映像によって、観客はゲリラの一人となり、部隊と共に行軍するという擬似体験をすることができるようになりました。そして、その行軍はゲバラの死まで続くことになります。
 ウォルター・サレス監督の映画「モーター・サイクル・ダイアリーズ」の公開と世界的ヒットも、この映画にとって好材料となりました。ソダーバーグ監督自身、この映画を加えてゲバラ3部作ができたといっているように、ゲバラの青春を描いた映画が先に公開され、なおかつ世界中でヒットしたというのは、どんなプロモーション活動よりもありがたかったでしょう。
 考えてみると、「モーター・サイクル・ダイアリーズ」が青春ロード・ムービーとすると、「チェ 28歳の革命」は戦争アクション。そして、「チェ 39歳別れの手紙」は悲劇的な結末を迎える戦場サスペンス映画とはっきりと色分けできます。さらにいうと、この3部作はイエス・キリストの生涯を描いた大河作品にも見えます。「モーター・サイクル・ダイアリーズ」は、イエス・キリストの青春時代と預言者ヨハネによる洗礼までを、「チェ 28歳の革命」は彼が十二使徒を集め、大衆の歓呼の中エルサレムに入場するまで、そして、「チェ 39歳別れの手紙」は弟子たちの裏切りと大衆に見捨てられての処刑(受難)までの物語になっているように思えます。
 過去の英雄物語のほとんどがイエス・キリストの人生と重なってしまうのは、大衆が英雄と認める存在のほとんど共通する条件がイエス・キリストの人生と共通しているからなのでしょう。たぶん、それはキリスト教以外の宗教圏でも共通しているのではないでしょうか?それはそうした英雄たちに共通する重要な言葉があるからです。たぶんそれは「愛」でしょう。
「甘ったるいと思われるかもしれないが、言わせてほしい。ほんとうの革命家は、大いなる愛情に導かれている。愛のない本物の革命家なんて、考えられない」
チェ・ゲバラ

<ゲバラを求める時代>
 「モーター・サイクル・ダイアリーズ」の大ヒットは、時代が再びゲバラを求めていることを象徴していたのかもしれません。そして、ソ連の崩壊以後、急激に東西両陣営の雪解けが進んだことで、ゲバラを直接知るキューバ人たちから証言を得ることができたことも映画に真実味と深い奥行きを与えることになりました。
 弟ラウルの国家評議会議長就任により、カストロの健康が不安視されるなど、ゲバラを直接知る人々もどんどん天国に召されつつあります。それだけに今この映画を撮ることは大きな意義がありました。
 それともう一つギリギリ間に合ったことがありました。それは「チェ 28歳の革命」の重要な場面、国連での演説シーンです。それが行われた国連本部の建物が老朽化により、建て替えられることになっていたため、急遽そのシーンだけが映画の撮影に先行して行われました。歴史的重要なシーンを、実際の場所で撮影できたこともまたこの映画に真実味をもたらすことになりました
 この映画が描いているのは、「魂の誕生」、「魂の成長」、「魂の完成」、その過程につきると思います。そして、このゲバラの物語の場合、「魂」とはもちろん「革命家の魂」もしくは「正義の魂」ということになるでしょう。
 青春時代に行った中南米の旅における人々との出会いが、それを生み出し、キューバ革命がそれを成長させ、ボリビアでの苦闘がそれを完成させたということなのです。
「この闘争は、ある種の機会を我々に与えている。最も崇高な類の人間である”革命家”になる機械を、また人間として最も純粋な形で成熟する機会を・・・・・」
チェ・ゲバラ
 映画全編を通じて彼のまわりの環境はどんどん変り悪化して行きます。そして、最後にはすべての味方を失うという絶望的状況に追い込まれるのですが、それでもなお彼の魂は変ることなく「革命」を目指し続けます。死んでしまえば、それまでなのかもしれないにも関わらず。しかし、彼が最後に銃で撃たれて倒れた瞬間、ぼんやりとその目に見えた光は優しく彼を天国へと招いていたよにう僕に見えました。彼の魂はこの瞬間に完成され、天に召されたのではないでしょうか。「革命」という旅を生涯続けたチェ・ゲバラの魂は、ついにその旅を終えたのではないでしょうか。

<混乱の時代に>
 2008年の世界同時不況が、この映画の公開と重なったのもまた何かの必然だったのかもしれません。1980年代の社会主義経済システムの崩壊に続き、2008年に資本主義経済もまた崩壊してしまった今、次なる理想の社会システムとは何なのか?21世紀は20世紀に生まれた社会をリセットしたところから、再びスタートを切ろうとしています。
 同時多発テロによる国際関係の混乱。
 世界同時不況による国際関係の混乱。
 地球温暖化による地球環境の混乱。
 すべてが混乱した状況の中、いかなる「魂」がそこで「誕生」し、「成長」し「完成」に至るのか?そんな時代を我々は体験し、目撃することになるのでしょうか?
 「チェ 39歳別れの手紙」のエンドロールは、まったく音のない沈黙の状態です。僕はその画面を見ているうちに、思わず目を閉じてチェの冥福を祈ると同時に子供たちに明日が来るようにと願っていました。2009年世界の復活を信じたいと思います。

「この手紙を読まねばならないとき、お父さんはそばにいられないでしょう。
 世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、いたみを感じることができるようになりなさい。これが革命家において、最も美しい資質です。
 子供たちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている。
 だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
 お父さんより」

 チェ・ゲバラ

「チェ 28歳の革命 Che Part1 : The Argentine」 2008年
「チェ 39歳別れの手紙 Che Part2: Guerrilla」 2008年
(監)(撮)スティーブン・ソダーバーグ Steven Soderbergh
(製)ローラ・ビックフォード Laura Bickford 、ベニチオ・デル・トロ Benicio Del Toro
(脚)ピーター・バックマン Peter Buchman
(美)アンチョン・ゴメス Antxon Gome
(音)アルベルト・イグレシアス Alberto Iglesias
(衣)サビーヌ・デグレ Bina Daigeler
(出)ベニチオ・デル・トロ Benicio Del Toro、カルロス・バルデム、デミアン・ビチル Demian Bichir、アキム・デ・アルメイダ、エルビラ・ミンゲス、フランカ・ポテンテ、ロドリゴ・サントロ、ルー・ダイヤモンド・フィリップス、マット・デイモン(友情出演)

<あらすじ>
「チェ 28歳の革命」パート1
 1964年 アメリカのジャーナリスト、リサ・ハワードによるハバナでのインタビュー
「アメリカの中南米への支援はキューバ革命の意義を失わせるのではないか?」
 ここから映画は過去に戻るように始まります。

 1955年7月メキシコシティーでキューバのバティスタ政権打倒を目指すフィデル・カスロト(デミアン・ビチル )と出会ったチェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)は、82名の革命戦士たちとともにグランマ号という船に乗りキューバへの出発しました。

 1964年ニューヨークのケネディ空港に降りたったゲバラはキューバの首席代表として国連での演説を行うことになっていました。しかし、到着した彼を迎えたのは歓迎ではなく亡命キューバ人を中心とする抗議のデモ隊でした。

キューバ東南のビノクに上陸したゲバラたち革命軍はバティスタ軍に発見され、十数人しか生き残れませんでした。しかし、カストロはその作戦をあきらめず、仲間を少しずつ増やしながらゲリラ戦を展開。進軍を続けるカストロの隊と離れ負傷兵を運搬することになったゲバラは、その行軍の中で革命戦士のリーダーになる資質を身につけて行きます。

 1961年にビッグス湾への上陸作戦に失敗したアメリカは、1962年のキューバ危機以降、キューバ上空を侵犯しながら監視を続けていました。パーティー会場で後の大統領候補となるユージーン・マッカーシー上院議員と出会ったゲバラはそのこと皮肉ります。

 1955年7月、武力闘争を主張し平和的な革命を否定していたカストロは都市部の平和主義革命勢力と協力関係を築きます。より現実的かつ革命後の社会体験を視野に入れたカストロの作戦にゲバラも従い、新兵の教育を担当しながら彼らに革命家として必要な人間性をより強く認識させるようになります。
 1958年5月、シエラマエストラ山中で各派の代表が集まり、その中でカストロが総司令兼政治指導者に選出され、いよいよキューバ革命は最終決戦に向けて進み始めます。


 1964年12月、ゲバラは2回に渡り国連総会の演壇に立ち、歴史的な演説を行いました。

「チェ 39歳別れの手紙」パート2
 1965年10月3日、キューバ共産党の発足式が行われた会場にゲバラは現れず、カストロは彼が残した手紙を読み上げました。
「フィデル
 私は今、多くを思い出している
 マリアの家で君に出会ったこと
 革命戦争に誘われたこと
 準備期間のあの緊張の日々
 死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時 −
 死の現実性を突きつけられ慄然とした
 後にそれは真実だと知った
 真の革命であれば
 勝利か死しかないのだ
 私はキューバ革命で −
 私に課せられた義務の一部は果たしたと思う。
 だから別れを告げる
 同志と君の人民に今や私のものでもある人民に
 私は党指導部での地位もキューバの市民権も
 今 世界の他の国々が −
 私のささやかな助力を求めている
 君はキューバの責任者だからできないが
 私にはできる
 別れの時が来たのだ
 もし私が異国の空の下で死を迎えても −
 最後の想いはキューバ人民に向かうだろう
 とりわけ君に」
 1965年10月3日

 1966年、コンゴでの革命に失敗したゲバラはキューバに一時帰国。家族と最後となるひと時を過ごし、新たな革命闘争の地、ボリビアへと向かいました。1966年11月ボリビアに潜入したゲバラは山中でゲリラ兵を育て始めます。すでに一度革命によって農地改革が行われたことのあるボリビアはクーデターによって誕生したバリエントス軍事独裁政権(ヨアキム・デ・アルメイダ)によって支配されていましたが、革命を成功させることが可能な土地と考えられていました。
 しかし、状況は予想以上に厳しい方向へと変わりつつありました。ソ連の影響を強く受け武装闘争を認めないボリビア共産党の代表モンヘ(ルー・ダイヤモンド・フィリップス)との話し合いは不調に終り、彼らは重要な資金源を失ってしまいました。さらにバリエントス政権は、キューバ革命の成功から、ゲバラの侵入を恐れていたため、アメリカからの軍事顧問団を受け入れて対ゲリラ用の特殊部隊を育成し始めていました。さらには政府がばら撒いたデマにより、農民たちまでもがゲリラへの協力をこばみ、密告までするようになります。ゲバラの部隊は食料、医薬品などの不足に苦しみ、しだいに兵力を失ってゆきます。
 1967年10月8日、ユロ渓谷に逃げ込んだ部隊は政府軍の掃討作戦によって、いよいよ逃げ場を失います。そして、足に銃弾を受けたゲバラは捕虜になり、その翌日10月9日、彼を処刑するようにという命令が届きます。

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