- シック Chic -

<シック・スタイル>
 1980年代のポピュラー音楽を語る時、シック Chicの存在を忘れるわけにはゆかないでしょう。「シック・サウンド」という呼び方が生まれるほど、彼ら独自の音楽は、ニューヨークを中心に世界中に広まりマドンナ、ミック・ジャガー、ジェフ・ベック、ダイアナ・ロス、デュラン・デュランなど、ソウルからロックまで当時の人気ミュージシャンの多くが「シック・サウンド」を取り入れました。
 彼らの多くはプロデュースを任せることで「シック・サウンド」を取り入れましたが、ハニー・ドリッパーズ、パワー・ステーションのようにバンドを組んでしまった例もあります。現在では当たり前になったミュージシャンではなくプロデューサーを主体とした音づくりは、シックから始ったともいえるのです。
 ヴォーカルが代わろうが、ギタリストが代わろうが、確固とした「シック・スタイル」を保ち続けていたシックでしたが、中心メンバー、バーナード・エドワーズの突然死は、それを悲劇的な形で終わらせてしまいました。
 ミュージシャンよりもプロデューサーが重要性を増した現代のポップス界の見方からすると、「80年代アメリカン・ポップスはシック・スタイルであった」、そうもいえるように思えます。シックとはいかなる存在だったのか?改めて見てみたいと思います。

<シック結成>
 シックは1977年ニューヨークで結成された男女混合7人組のヴォーカル・インストロメンタル・バンドです。しかし、7人編成といってもその中心はギターのナイル・ロジャースとベースのバナード・エドワーズで、残りのメンバーはほとんど固定せず、その後有名になってからもアルバムごとに代わっており、実質的にはナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズのプロジェクト・チームだったといえます。しかし、二人はヴォーカリストではなかったため、必然的にバンドの顔はその都度代わることになりました。そんなわけで、シックは初めから二人のプロデューサーによる実験場的存在だったのでした。
 ナイル・ロジャース Nile Rodgersは1952年9月19日ニューヨークに生まれた生粋のニューヨーカーです。バーナード・エドワーズは1952年10月31日、ニューヨーク近郊のニューコネチカットに生まれています。二人はその名もずばりニューヨーク・シティーというバンドで出会った後、これもまたずばりの名前ビッグ・アップル・バンドに参加します。このバンドはクラシックの名曲「運命」をディスコ・ヴァージョンに編曲してヒットさせたことで一躍有名になります。そのおかげで、彼らにはスタジオ・ミュージシャンとしての仕事が次々来るようになります。アイズレー・ブラザースやマンハッタン・トランスファーなど超一流のアーティストたちの録音に参加した彼らは、その中でサックス奏者のケニー・リーマンらと出会い、しだいに新しい自分たちのバンドを作る構想を練り始めました。
 こうして、1977年7人のメンバーからなるシックが結成され、デビュー・アルバム「Chic」を発表。1978年シングルの「ダンス・ダンス・ダンス Dance,Dance,Dance(Yowsah Yowsah Yowsah)は全米チャートを一気に駆け上がり、いきなり第6位のヒットとなりました。

<シック・サウンドとは?>
 「シック・サウンド」の特徴は、まさにそのバンド名「シック Chic」に表わされています。「上品な」「あかぬけた」といった意味の「シック」には当時大ブームだったディスコ・サウンドのもつ踊りやすいだけの田舎臭さに対する否定の意味がこめられていました。ディスコのリズムよりタイトで印象的なリズムは一度きくと忘れられないオリジナリティーがあり、そこにシックにアレンジされたストリングスとホーンがからむ。これが「シック・サウンド」の基本です。
 勢いに乗るシックは1978年セカンド・アルバム「エレガンス・シック C'est Chic」を発表。このアルバムからは全米ナンバー1ヒットとなった「おしゃれフリーク Le Freak」が、続くアルバム「危険な関係 Risque」(1979年)からも全米ナンバー1ヒット、「グッド・タイムズ」が生まれシックの人気はいよいよピークに達しました。この後も彼らは「Real People」(1980年)、「Take it off」(1982年)、「Tongue in Chic」(1982年)、「Believer」(1983年)と次々にアルバムを発表していますが、バンドとしてのシックについて語るよりも、この後はナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズのプロデューサー・チームについて語るべきでしょう。

<最強のプロデュース・チーム>
 彼らの最初のプロデュースは、シックのデビュー・アルバムでヴォーカルを担当していたノーマ・ジーンのソロ・デビュー作「噂のサタディ・ガール」(1978年)でした。さらに1979年にはナイル&バーナードでシスター・スレッジのサード・アルバム「華麗なる妖精たち」を担当し大ヒットさせました。しかし、何といっても彼らの名を世界的に有名にしたのは、ダイアナ・ロスのアルバム「ダイアナ」(1979年)とシングルとして大ヒットした「アップサイド・ダウン」(1980年)のプロデュースでしょう。この時のプロデュースは、ソロ作の方向性について行き詰まっていたダイアナ・ロス自身からの依頼で彼女の繊細なヴォーカルとシック風のタイトなリズムは見事に融合。ダイアナのソロ作としての代表作となっただけでなく、シュープリームス時代の人気をも超える存在となるきっかけになりました。
 こうなると、他のミュージシャンたちも二人を放っておくはずはなく、次々に彼らにはプロデュースの依頼が来るようになります。
 ナイル・ロジャースのプロデュース作として代表作といえるのは、デヴィッド・ボウィの名を再び世界に知らしめたヒット作「レッツ・ダンス」(1983年)、マドンナの出世作となった「ライク・ア・ヴァージン」(1984年)があげられるでしょう。その他、彼らがプロデュースしたアーティストとしては、デュラン・デュラン、インエクセス、ミック・ジャガー、ジェフ・ベック、トンプソン・ツィンズ、デボラ・ハリーなどもあげられます。
 さらに凄いのは、彼がプロデュースだけでなく世紀のスーパー・グループにメンバーとして参加していたことです。ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックと結成したハニー・ドリッパーズの「Volume 1」(1984年)はレッドツェッペリンのプレ復活作とも呼ばれ大きな話題となりました。シックの中心メンバーの一人、トニー・トンプソンもまたロバート・パーマー、デュラン・デュランのジョン・テイラー、アンディ・テイラーとパワー・ステーションを結成。1985年発表のアルバム「パワー・ステーション」からは「サム・ライク・イット・ホット」「ゲット・イット・オン」2曲の大ヒット曲が生まれましたが、このバンドの強烈なビートこそ、トニー・トンプソンのドラムでした。
 1980年代後半になっても彼らの人気は衰えず、相変わらずプロデューサーとして引っ張りダコの状態が続きます。ナイル・ロジャースはB−52’s、ポール・ヤング、ストレイ・キャッツ、デヴィッド・ボゥイ、デヴィッド・リー・ロス、アル・ジャロウなどを担当し、バーナードもABC,ロッド・スチュアート、イアン・ハンターなどをプロデュースしています。

<シック再結成>
 シックの再結成はそんな彼らのハード・スケジュールが一段落した1992年、やっと実現しています。しかし、その時はアルバム「シック・イズム」を発表しただけの単発で終わりあまり話題になりませんでした。再び二人が集まったのは1996年ナイル・ロジャース名義のアルバム「シック・フリーク」の時になりましたが、まさかそれが二人にとって最後のアルバム、最後の共同作業になるとは、・・・。
 1996年、ナイル・ロジャースは日本で開催されていたスーパー・プロデューサー・シリーズというイベントの主役に選ばれました。(ちなみに1994年はデヴィッド・フォスター、1995年はナラダ・ウォルデンでした)そのイベントでは彼のアルバムがステージで再現されることになり、録音に参加したメンバーが再び日本に集結することになりました。本番当日、ステージ上にはスティーブ・ウィンウッドやガンズ&ローゼスのスラッシュなど豪華なゲストたちとともにバーナード・エドワーズも登場しました。ところが、その二日後(4月18日)バーナード・エドワーズは宿泊していたホテルで倒れているのを発見されました。
 その時、すでに彼は死亡していたといいます。死因は病死ということですが、まだ43歳という若さでした。二人のプロジェクトだったシックは、これでもう二度と復活することはないのかもしれません。

<プロデューサー時代の先駆け>
 20世紀末から21世紀にかけて、ポピュラー音楽の世界はほとんどのジャンルがプロデューサー主導の音づくりを基本とするようになりました。シックはまさにその先駆けだったといえるでしょう。シックのグループとしての活躍は1970年代末の2年間がピークでした。しかし、1980年から1995年まで15年以上にわたり「シック・サウンド」は数多くの有名ミュージシャンたちによって、再生産され続けたわけです。逆に1980年代のポップスのもつどこか似通ったテイストの原因もまた、あまりに「シック・サウンド」が広まりすぎたところにあったのでしょう。良かれ悪しかれ恐るべし「シック・サウンド症候群」です。

<意図せざる偉業>
 シックはもう一つ音楽の世界において歴史的に重要な役割を果たしました。それも自らの意図しないところでです。
 1979年、シックの大ヒット曲「Good Times」が全米ソウル・チャートの1位に6週間も居座っている頃、ハーレム出身の若者3人組み、後にシュガーヒル・ギャングとなる連中が「Good Times」のリズム・トラックをそのまま使い、それに当時ブームになりつつあったラップを乗せて15分という長いダンス・レコード「ラッパーズ・ディライト Rapper's Delight」を発表しました。するとこのレコードはあっという間に、ニューヨークで大ヒットとなります。ニューヨークのマイナー・レーベルから出されたこの曲は、一躍そのレコード会社「シュガーヒル」を有名にしただけでなく、ラップ・ミュージックという20世紀最後の大革命をポップス界に起こすことになります。しかし、よく考えると、繰り返し聞いてもまったく飽きないシックのリズム・トラックがあったからこそ、若者たちはそこにラップを乗せれば受けると考えたのであり、「ラッパーズ・ディライト」は生まれたのです。
 シックのサウンドはニューヨーク風のおしゃれなサウンドではあっても、歴史を変える新しいリズムを生み出したというわけではありませんでした。しかし、こうしてサンプリングという新たな器を得ることで永遠のものとなりえるのかもしれません。
 ついでにいうと、最近ではごく普通に使われるようになった「フリーク」という言葉。昔は映画「フリークス」で有名なように「奇形」とか「異様な」とかサブ・カルチャーの専門用語の一つでした。ところが、シックが「おしゃれフリーク」をヒットさせて以降、「フリーク」はすっかり毒気を抜かれチャーミングでお洒落な用語の仲間入りをしてしまいました。日本なら流行語大賞に選ばれていたというところでしょうか。

<締めのお言葉>
「ディスコが音楽史において果たした最大の貢献は、ヒップ・ホップ文化繁栄の土台を提供したということではないだろうか」

リッキー・ヴィンセント著「ファンク」より 

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