シカゴ7VSアメリカ保守政権 in 1969 |
<2020年公開の意味>
1968年民主党大会当日に起きた「シカゴ暴動」を主導したとされ逮捕された8人の社会活動家の裁判を描いたドキュメンタリー・タッチの映画です。
主人公が複数で、推理モノでもなく、アクションもなく、政治・歴史が絡み合う複雑な内容のため、映画化はかなり困難だったはず。当然、製作費の割にヒットする可能性は低いと考えられるので資金面での苦労も大きかったでしょう。これまで映画化されてこなかったのも、そのせいかもしれません。実際、この映画の企画は2004年頃にはあったらしく当初はスティーブン・スピルバーグが監督で、トム・ヘイデン役はヒース・レジャーだったという話もあります。しかし、そこから紆余曲折があって、2020年にやっとネットフリックスの出資によって、映画は完成しました。それでも、2020年11月アメリカ大統領選挙を前にした10月の公開となったのには重要な意味があると思います。
ふり返ると、1968年のアメリカ大統領選挙で民主党が副大統領だったヒューバート・ハンフリーを候補者に指名したことは、その後のアメリカ史に大きな影響を与えることになりました。この時、民主党がベトナム戦争の継続に反対するユージン・マクガヴァンではなく、戦争の継続を支持するハンフリーを選択したことで党内は分裂。その影響は、共和党との選挙戦本番にも大きな影響をもたらし、不人気だったはずのニクソンに191対301の大差でハンフリーは敗北してしまいます。この敗北と分裂の影響は、その後民主党に長く残り、2009年のブッシュ大統領までの40年間に民主党が当選させた大統領はカーターとクリントンの二人だけとなります。
そして同じような出来事が2016年の大統領選挙でも起きました。若者たちに絶対的な人気だった急進左派のサンダース上院議員とセレブで右派よりのヒラリー・クリントンとの候補者選びで民主党がヒラリーを選んだことで党内が再び分裂。その結果が、まさかのトランプ当選という結果を生み出したのです。そして2020年11月の選挙でも同じことが起きる可能性があります。だからこそ、この10月にこの作品が公開されたのだと思うのですが・・・。
この作品は、「ザ・ファイブ・ブラッズ」と共に2020年を代表する作品として語り継がれることになると思います。
<事件までの過程>
この作品は、事件が起きるまでの過程をオープニングで見事な編集の映像とテンポの良い音楽によって見せてくれます。しかし、アメリカの歴史をある程度知らないとわかりにくいとは思います。ここでは、そのあたりについて簡単に説明します。
1960年代末、ベトナム戦争は泥沼化の様相を呈していましたが、アメリカ政府は派兵数を増やすため徴兵による増員を実施。しかし、ベトナムの現状や死者数の増加が明らかになり、現地の悲惨な映像がテレビなどで公開される中、若者たちは徴兵制に反発。反戦運動と徴兵拒否の流れはどんどん活発化して行きました。そんな状況のもと、1968年11月に行われる大統領選挙に向けての候補者選びが始まったのでした。
ベトナム戦争を泥沼化させた現職大統領ジョンソンへの批判は予想以上で、予備選挙の段階で早くも敗退します。そんな中、本命視されていたジョン・F・ケネディの弟ロバートは、6月に何者かに暗殺されてしまいます。そんな中、反戦を主張する左派のユージン・マッカーシーの人気は高く、大きな支持を集めつつありました。それに対し、民主党内の保守派はジョンソンの元で副大統領だったヒューバート・ハンフリーを大統領候補にしようと画策します。党員によるまともな選挙ではマッカーシーに勝てないと判断したハンフリー陣営は、州の党組織内での話し合い(コーカス)による候補者選びを使って、選挙を勝ち抜いて行きました。(投票総数で上回りながらトランプに敗北したヒラリー・クリントンの状況と似ているかもしれません)
こうして候補者選びがハンフリーに大きく傾いた状況で、8月の民主党大会が開催されようとしていたわけです。
<映画で描かれなかったこと>
映画には描かれていませんが、民主党の大統領候補は他にもいました。アビー・ホフマンとジェリー・ルービンが創設したイッピー党が擁立した「不死身のピガサス Pigasus the Ommortal」と呼ばれた豚もその一匹です。
党大会を前にした1968年8月23日、イッピーたちはシカゴ・シビック・センター前の広場でピガサスの指名会見を行いました。ところが、警察はこの行為を違法として、彼ら二人と共に7人のイッピーたちを逮捕し、ピガサスも保護施設に送られてしまいます。幸い彼らは25ドルの罰金で釈放されますが、これ以後警察との対立はさらに深まりました。
映画には登場しませんが、党大会に合わせて行われた野外ライブには、デトロイトから来たロックバンド、MC5が登場しました。当初、そこには多くのロック、フォークのアーティストたちが登場するはずでしたが、デモ隊と警察の衝突などの恐れがあったことから、キャンセルが相次ぎました。しかし、ホワイトパンサー党の創設者でもある左翼活動家のジョン・シンクレアをマネージャーとするMC5は、そうした危険をかえりみず、ライブに登場。彼らは持ち時間を使った後も、延々と歌い続けることになりました。この時、4文字単語を連発する過激なステージ・パフォーマンスを見ていたレコード会社が彼らに声をかけ、彼らは鳴り物入りでレコード・デビューを果たすことになります。(日本における「頭脳警察」的存在ですね)
彼らのライブ・パフォーマンスは、同じデトロイトのストゥージズ(イギー・ポップが在籍)などに大きな影響を与えることになり、それがアメリカにおけるパンクの原点になったとも言われています。それとMC5のギタリスト、フレッド・スミスはバンド解散後、「パンクの女神」パティ・スミスと結婚することになります。
こちらも映画には登場しませんが、この事件をテーマにアルバムを作ったシカゴの存在も忘れられません。80年代以降すっかりAORの代表的バンドのなってしまったシカゴですが、デビュー当時はしっかり反体制のロックバンドでした。彼らのデビュー・アルバム「シカゴの軌跡」(1969年)は、171週連続ビルボード・チャートインという大ベストセラーとなりましたが、2枚組のそのアルバム中、最後の4面はすべてこの事件をテーマにした曲です。
(1)「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」
この部分は現場で録音されたシュプレヒコールなどが収められています。映画にも登場する「全世界が見ているぞ! The Whole World Is Watching !」も聞こえてきます。
(2)「流血の日(1968年8月29日)」
(3)「解放」
この裁判は1969年9月24日に始まり、1970年2月18日までほぼ5か月にわたって行われました。その間、多くの証人喚問が行われ、その中には作家のノーマン・メイラー、黒人政治家ジェシー・ジャクソン、フォークシンガーでウディ・ガスリーの息子のアーロ・ガスリー、サイケデリック・ムーブメントのカリスマ指導者ティモシー・リアリーなど、様々な人物がいたようです。
<「シカゴ7」+1>
アビー・ホフマン、ジェリー・ルービン、トム・ヘイデン、デヴィッド・デリンジャー、レニー・デイヴィス、ジョー・フローイネス、リー・ウィンナーの7人の白人とブラックパンサー党のボビー・シールが、この裁判で裁かれるメンバーでした。
ただし、ジョー・フローイネスとリー・ウィンナーはこの裁判で暴動示唆、共謀罪ともに無罪となり、そもそも数合わせ的にメンバー入りさせられたと言われています。
<アビー・ホフマン>
アビー・ホフマン Abbott Abbie Hoffman は、1936年マサチューセッツ州ウースター生まれで、両親はユダヤ系。ブランダイス大学を卒業後、1967年にジェリー・ルービンらと青年国際党 Youth International Partyを設立し、アメリカにおける革命を目指します。ただし、彼は単なるガチガチソ連寄りの共産主義者ではなくサイケデリック・ムーブメントの申し子でもありました。そのため、生真面目な学生運動家のトム・ヘイデンたちとは考え方が異なり、意見が度々衝突することになりました。
事件後、80年代以降は革命も、サイケデリック革命も過去のものとなり、うつ病に苦しんだ末、1989年4月12日に53歳で自殺してしまいます。
彼の逸話として有名なものとして、1969年ウッドストック・コンサートでの事件があります。ザ・フーの演奏中、彼はステージに勝手に上がり、当時刑務所にいたジョン・シンクレアの解放を求めるアジテーションを行い始めます。すると演奏中だったザ・フーのピート・タウンゼントは演奏を邪魔されたことに怒り、ギターで彼を殴りつけます。この場面は、映画「ウッドストック」の中でも名場面の一つです。
<ジェリー・ルービン>
ジェリー・ルービン Jerry Rubin は、1938年7月4日シンシナティ―市に生まれています。彼もまたユダヤ系白人の子でした。シンシナティ大学を卒業後、両親を早くに亡くした彼は弟を連れて中東テルアビブに行き、キブツに参加。その後、イスラエルでコンピューターのシステム・エンジニアとして働きますが、1964年に帰国。
カリフォルニア大学バークレー校大学院に入学しますが、人種差別撤廃のための運動に参加するようになります。アビー・ホフマンと出会った彼は、大学を中退し、YIPを設立し、この事件に関わることになりました。
裁判終了後、彼はウォール街でトレーダーとして活躍し、セレブの仲間入りをし、スタジオ54でパーティーを開くなどして、左派の仲間たちから日和見の代表的存在として批判を浴びることになります。1994年に56歳でロサンゼルスで交通事故死。
<トム・ヘイデン>
トム・ヘイデン Tom Hayden 1939年12月11日ミシガン州のロイヤルオークに生まれています。父親はアイルランド系のカトリックで、クライスラー社の会計士として働くお固いサラリーマンでした。しかし、アルコール依存症と家庭内暴力により家庭内は崩壊。彼はミシガン大学に入学し、学生新聞の編集者として活動。その活動をきっかけに左翼の活動に関わることになり、レニー・デイヴィスらと民主社会学生同盟を結成します。
こうしてベトナム反戦運動にも関わることになった彼は、アメリカ共産党のメンバーらと北ベトナムを訪問。ベトナムの現状を知ったことで、より積極的に反戦運動に関わり始め、このシカゴの事件に到ることになりました。
この裁判の後、彼は左翼の活動家として有名だった女優ジェーン・フォンダと結婚。夫婦でベトナム反戦運動を主導し、より現実的な結果を求め、政界にも進出します。カリフォルニア選出の国会議員として活動。後に大統領選挙に出馬することになるバーニー・サンダースのサポートも行っています。
2016年10月23日77歳で死去。
<デヴィッド・デリンジャー>
デヴィッド・デリンジャー David Dellinger は、1915年8月22日生まれなのでシカゴ7の中で、一回り年長でした。そのためグループ内でも中心的存在だったようです。有名な「全世界が見ているぞ!」というシュプレヒコールは、彼がその日に行った演説から生まれています。ただし、みんなをまとめる役のはずが、裁判中に法廷侮辱罪で計2年5か月と16日という禁固刑を受けることになりました。
彼は小田実らが設立したベ平連との関りも深く、何度も来日し、日本におけるベトナム反戦運動の拡大にも大きな貢献をしています。2004年5月25日88歳でこの世を去っています。
<ボビー・シール>
ボビー・シール Bobby Seale は、1936年10月22日アメリカ南部テキサス州リバティーの生まれです。カリフォルニア州オークランドに出て働いていた頃、ヒューイ・ニュートンらと知り合い、1966年にブラックパンサー党を設立しました。しかし、この暴動事件にはそもそも関りはなく、それとは別の警察官殺害事件の容疑者として逮捕されていました。それだけに彼は裁判中に様々な問題を起こすことになり、実際に法廷で猿ぐつわをされたこともありました。結局裁判を遅らせ、人種差別問題へのクローズアップの対象になるだけと判断したのか、検察は彼のこの事件での起訴はあきらめ、殺人事件の法廷へと移されることになりました。ただし、結局その殺人容疑もその後冤罪だったことになります。検察は、暴動の首謀者グループの中に黒人がいたという流れを作りたかったのでしょう。
しかし、この間にもボビー・ハットン、エルドリッジ・クリーバー、フレッド・ハンプトンなどのパンサーメンバーがFBIなどにより射殺され、ブラックパンサーは一気にその勢いを失うことになりました。そんな中、彼は無事にこの間も生き延びただけでなく、この作品が公開される2020年まで生き延びています。スパイク・リー監督作品の映画「マルコムX」にも出演しています。
<裁判結果>
この裁判の結果は、共謀罪に関しては全員が無罪となりましたが、ジョー・フローイネスとリー・ウィンナー以外のメンバーは暴動示唆の罪で有罪とされました。しかし、弁護側はすぐに上訴ます。すると、明らかに差別的だったホフマン裁判官への批判も高まり状況は変わります。結局、1972年11月21日の判決ではメンバー全員が無罪を勝ち取ることになりました。
<監督・脚本アーロン・ソーキン>
この映画の監督・脚本のアーロン・ソーキン Aaron Sorkin は、1961年6月5日ニューヨーク生まれです。シラキュース大学でミュージカルについて学び、卒業後は俳優を目指しました。しかし、俳優では目立出ず、戯曲を書き始めます。すると、たまたま書き始めていた戯曲が映画会社の目にとまり、舞台で上演する前に映画化が決まります。結局、彼はその戯曲の脚色も任されることになります。それが1992年ロブ・ライナー監督作品「ア・フュー・グッドメン」でした。その後、彼はNBCテレビの大作連続ドラマ「ザ・ホワイト・ハウス」(1999年~2003年)の脚本に参加。
テログループを支援する実在の政治家を描いた「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(2007年)の脚本。デヴィッド・フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)ではマーク・ザッカーバーグなどネット業界の革新者たちを描きアカデミー脚色賞を受賞。ダニー・ボイル監督の「スティーブ・ジョブズ」(2015年)では、アップル創設者の伝記を。実在の賭博ビジネスに関わった女性を描いた「モリ―ズ・ゲーム」(2017年)ではついに脚本だけでなく監督にも進出。
現在のハリウッドで最も法廷ものビジネスものに強い映画監督かもしれません。
<映画の中で使用されている曲>
曲名 演奏 作曲・作詞 コメント 「Truly,Truly,True」 Jon & Robin Wayne Thompson ブレンダ・リーの同名曲とは別の曲 「Lila」 Fapardokly Merrell Fankhauser 1967年アメリカ・カリフォルニアのロックバンドの曲 「Just One Look」 Sam Nelson Harris,
Marlee Mendelson他Doris Payne
Gregory Carroll黒人女性R&Bシンガーのドリス・トロイ1963年の曲
リンダ・ロンシュタット、ホリーズ、アン・マレーらのカバーが有名「Eve of Destruction」
「明日なき世界」Scott Hildebrand &
JayP.F.スローン バリー・マクガイアによる1965年の大ヒット曲
忌野清志郎が「カバーズ」で日本語版を歌っています!「Teen Blues」 Nicholas Carras ←
「シカゴ7裁判 The Trial of The Chicago 7」 2020年
(監)(脚)アーロン・ソーキン
(製)スチュアート・M・ベッサー、マーク・E・プラット他
(製総)マーク・バタン、ドル―・デイヴィス他
(撮)フェドン・パパマイケル
(編)アラン・ボームガーデン
(PD)シェーン・バレンティーノ
(音)ダニエル・ペンバートン
(出)サシャ・バロン・コーエン、エディ・レッドメイン、フランク・ランジェラ、ヤーヤ・アブドゥル、ジェレミー・ストロング
ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ジョン・キャロル・リンチ、マイケル・キートン、アレックス・シャープ、マーク・ライランス、ケルヴィン・ハリソンJr