ブラジルが生んだ天才詩人&作家

- シコ・ブアルキ Chico Buarque -

「ブダペスト Budapeste」
<小説「ブダペスト」>
 著者がシコ・ブアルキでなければ、この本を手に取ることはなかったかもしれません。タイトルはハンガリーの首都の名前で、装丁もかなり地味なもので正直読みたくなるようなデザインではありませんでした。(実は、その表紙のデザインには内容と関わるちゃんと意図があることがわかるのですが・・・)
 ブラジルを代表するミュージシャンがどんな本を書いているのか?カエターノ・ヴェローゾと共に多彩な才能を持つアーティストであることは知っていたので、さっそく読んでみました。すると、なんと「北野武の映画」並みに凄い才能ではないですか!21世紀に入り、彼はミュージシャンとしてのアルバム発表と作家としての小説の発表を交互に行っているとのこと。これなら確かに本業として取り組むべきでしょう。
 では、この小説のどこが凄いのか?先ずは、小説「ブダペスト」のあらすじを少々説明させてください。

<あらすじ>
 ブラジル人の主人公ジョゼ・コスタは、リオデジャネイロで友人と共に代筆業を請け負う会社を設立し、研究論文から、詩や小説、自伝、手紙、演説の草稿などあらゆる文章を依頼主に代わって書く仕事をしていました。いわゆる「ゴーストライター」業です。しかし、どんなに素晴らしい仕事をしても、けっして自分の名前が出ないことに虚しさを感じていた彼は、ある時、ゴーストライターたちが集まる世界大会に参加します。(本当にあるのかな?)その帰り道、ハンガリーに足止めをくった彼はハンガリー語がまったく理解できず、逆にその国にひかれてしまいます。
 帰国後、テレビでニュースキャスターとして活躍する妻ともう一度ハンガリーを訪れようとしますが、妻には断られ、一人でハンガリーを訪れます。なんとかハンガリーで言葉を理解しようと思っていた彼は、偶然本屋で一人の女性と出会います。

 そのときふと、リュックを背負った背の高い女性が、僕の手の中を見て首を振っているのに気がついた。てっきり店の監視員が、立ち読みを注意しに来たのだろうと思った。直ちに本を差し出したが、彼女はそれを受け取るなり無造作に本棚の奥に戻してしまった。仕種のぶっきら棒さは、きっとフン族の特徴だろうと推測した、張り気味の頬も、肉薄のせいで薄情な印象を与える唇もそうだろうか。さらに彼女が、マジャール語は本なんかじゃ身につかないわよ、そう言い切ったのには仰天した、なぜならその一文が完全に理解可能なものだったからだ。もしかしたらポルトガル語で喋ったんじゃないか、それとも英語か、せめてルーマニア語か、僕は自問した、が、一語も聞き取れなかったところを見ると、やはりハンガリー語だったのだろう。それでも僕には自信があった、マジャール語は本じゃ身につかない、彼女はそう言ったのだ。きっと彼女には言語を歌う才能があるのだ、だからたとえ理解ができなくとも、耳が捉えたのだ。イントネーションだけでも、彼女の言いたかったことがわかったのだ。つまり音楽がわかれば、歌詞の内容を想像することは簡単なように思えた。・・・

 彼女(クリスタ)からハンガリー語を学ぶことになったものの、心を通わせるまで上達することがないまま、彼はブラジルに帰国。すると彼があるドイツ人の代わりに以前書いた伝記小説がベストセラーになっていて、そのドイツ人が自分の妻ヴァンダと親しくなっていることに気がついてしまいます。
 自分の存在の虚しさにショックを受けた彼は再びハンガリーに戻ると、クリスタの援助で文藝クラブでの仕事を得て本格的にハンガリー語のマスターに挑みます。ついには、ハンガリー語で代筆業を行えるまでに上達。スランプに陥っていた国民的なハンガリーの詩人のために3連詩を代筆をするまでになります。ところが、彼が不法滞在であることを誰かが密告したため、彼はブラジルへ強制送還させられてしまいます。
 ブラジルに戻った彼は妻も仕事も失いホームレス状態になってしまいます。しかし、ここから始まる予想外の逆転劇こそ、この小説最大の魅力です。

 世界最大の混血国家と言われるブラジル。アジアとヨーロッパの接点に位置し、東西の文化が衝突してきたハンガリー。
 ニュースという公共の場に有名人として出演する妻。無名の存在として、様々な有名人の文章を書く代筆業の主人公。
 彼の文章でベストセラー作家となったドイツ人男性は彼の妻を奪い、彼の詩で救われたハンガリーの詩人は彼に・・・・。
 様々な対比が実に巧妙に散りばめられていて、「言語」とは、「オリジナル」とは、「国家」とは、「人生」とは・・・様々なことを考えさせてくれる見事な小説です。

<偉大なるミュージシャン、シコ>
 ここまで深い小説を書く作家、シコ・ブアルキとはいかなる人物か?
 多くの人はそう思うかもしれませんが、ブラジル音楽のファンなら、シコ・ブアルキの名は誰もが知っているはずです。ブラジルでの彼の人気は、カエターノ・ヴェローゾと双璧の超大物アーティストですから。先ずは、彼の生い立ちから・・・
 シコ・ブアルキChico Buarqueは、1944年6月19日、ブラジルのリオデジャネイロに生まれています。父親のセルジオ・ブアルキ・ジ・オランダは、ブラジルを代表する歴史学者で名著「ブラジル人とは何か」の著者としても知られています。
 そんな父親の影響もあってか、彼は当時の若者たちの多くがロックやボサノヴァなど新しい音楽ジャンルで表現活動を行う中、伝統的なサンバ(サンバ・カンソン)を基本に音楽活動を開始しました。1965年にテレビ局エクセルシオール主催のポピュラー音楽祭で彼の曲「アルナヴァルの夢」が第2位に入賞。(歌はジェラルド・ヴァンドレ)さらに翌年のTVレコルド主催の音楽祭では、彼自身がナラ・レオンと歌った「ア・バンダ」が優勝。彼の存在は一気にブラジルを代表するアイドル・スターとして知られることになります。
 しかし、1960年代も末になると、世界中が急激に変化し始めていました。ビートルズに代表されるロックの人気はブラジルにも押し寄せ、シコもまた単なるアイドルからの脱皮を意識し始めます。そして、大衆からの異常な人気に押しつぶされてしまうアイドル・スターを描いたオリジナルの芝居を制作し、舞台上で役者が本物の肝臓を切り裂いて観客に差し出すという過激なシーンを盛り込み大きな話題となりました。この舞台劇「ホーダ・ヴィヴァ」は過激な内容が保守的な政府の検閲に引っかかり、上演禁止に追い込まれてしまいます。彼がデビューした1964年ブラジルでは軍事クーデターが起きていて、ブラジル国内は保守的な軍事政権によって厳しく管理された保守的な社会になりつつありました。
 同じ頃、彼と同世代のミュージシャンで「トロピカリズモ運動」の中心人物カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが、シコの音楽を保守的な過去の遺物と批判。彼は右派と左派両方から批判されることになります。こうして、居場所を失ってしまった彼は、警察からの監視にも嫌気がさし、亡命に近いかたちでイタリアに渡ります。その後、ヨーロッパ各地でコンサートを行いながら様々なミュージシャンとの交流を行いました。

<亡命からの帰国>
 1970年、カエターノ・ヴェローゾらトロピカリズモ運動のアーティストたちも亡命してしまったブラジルに彼はいち早く帰国します。当然ながら軍事政権が継続するブラジルで、彼は厳しい監視のもとで活動することを余儀なくされます。翌年からは音楽活動を再開しますが、彼が発表する曲はすべてが検閲対象となり、3曲に1曲程度しか発表を認められない状況が続きます。そこで、彼は歌詞に対する検閲を逃れるため、政府への批判を歌詞に潜ませる独自の技術を身につけてゆくことになります。

きみがいるにもかかわらず
明日という日はやってくる
きみがどこに行くか、僕は尋ねる
幸せの絶頂から逃げ出すために


 この「きみがいるにもかかわらず」という曲は一度は発売されヒットしますが、その後、政府は歌詞に政府批判が込められているとして発売禁止に指定します。こうした、彼の活動にその後イギリスから帰国したライバルのカエターノ・ヴェローゾも共感。二人はライブ・アルバムを共作し、1973年にはデュエット曲「カリシ(聖杯)」を発表します。

どうやって、この苦い葡萄酒を飲んだらよいのか
この苦難、徒労の飲み物を、とにかく一息に飲み込む
私の口は平静を装うが、胸には焼けつくものが残り続ける
この町の静けさの意味に耳を傾ける者はいない
天なる父よ、この杯をどうか我々から取り去りたまえ


 この曲のタイトル「カリシ」は「聖杯」の意味をもつと同時に「黙らせる」という意味もあるそうです。そのことがわかると、この曲もまた政府により発禁処分となりますが、この曲は反体制派の活動における「アンセム」として歌い継がれることになりました。その後、彼の曲はすべて発表を禁じられることになり、そのため彼は偽名を使って活動することになります。(政府はそれに対し、新曲発表の際には身分証明書のコピーの添付を義務付けました)
 彼が再び新しい曲を発表できるようになったのは、1980年代に入ってからのことになります。

「芸術文化と大衆文化を完璧な形で結びあわせた人物である」
ヴィシウス・モライス

<作家としてのデビュー>
 軍事政権下のブラジルで検閲を逃れるために磨かれたダブルミーニングを多用するブラジルのポップスとしては、カエターノ・ヴェローゾが有名です。彼の音楽が「雑食音楽」として世界中のあらゆる音楽スタイルを取り入れ、世界的ミュージックとして評価されたのに対し、シコの音楽はサンバを中心とするブラジルの伝統的スタイルを大きく離れなかったこともあり、海外の人気は国内に比べ低いままでしたが、やっと取り上げることができました。でもそのきっかけが小説だったとは!
 ブラジルの民主化が進み再び歌手として自由に活動できるようになった彼が作家として本格的にデビューしたのは、1991年の「妨害」でした。その後1995年の「ベンジャミン」に続き、この作品は3作目となりました。
 てっきり僕はこの小説は、シコがライブ・ツアーでハンガリーを訪れた時の体験がもとになっているのだと思ったのですが・・・なんと彼はハンガリーには一度も行ったことがないそうです。もしかすると、ハンガリーが舞台に選ばれたのは、サッカーが大好きな彼が「マジック・マジャール」と呼ばれた伝説のチームに捧げたオマージュだったのかもしれません。なぜかというと、・・・

<シコと「マジック・マジャール」>
 ブラジルといえば、「サンバ」ともうひとつ「サッカー」を忘れるわけには行きません。ブラジルではミルトン・ナシメントだけでなく多くのミュージシャンがサッカー好きなように、シコもまたサッカー大好き人間として知られています。そして、そんな彼のサッカー好きを証明する証拠が、この小説「ブダペスト」に隠されています。
 なんとこの作品中に登場するハンガリー人の名前の多くが、かつて世界のサッカー界に衝撃を与え「マジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表チームのメンバーの名前からとられているのです。
 例えば、プスカシュ(・フェレンツ)とコチシュ(・サンドル)は、ハンガリー代表チームが世界に誇った2トップの名前。そしてチームの両ウイングを担ったのは、チボール(・ゾルタン)とブダイ。レフトハーフにはザカリアーシュでセンターハーフがボジク・ヨーゼフ。そしてゴールキーパーがグロシッチ・ギュラ。彼らの名前がことごとく小説内に登場しています。
 彼らが所属した1954年のハンガリー代表チームは、1950年代前半のサッカー界において最強と言われる強豪チームでした。なにせ、1950年5月にオーストリア代表に敗れて以来、1954年まで28勝4分けと負けなしで、その間、1952年のヘルシンキ・オリンピックで金メダルを獲得しています。さらに世界を驚かせたのは、1953年に敵地であるウエンブリー・スタジアムで行われたイングランド戦です。この試合で完全アウェーの中、ハンガリー代表は歴史上一度もホームで負けたことがなかったイングランド代表を6-3という大差で破り、その後のリベンジマッチでも7-1で返り討ちにしてしまったのです。(さらにこのチームは、いち早く「4-2-4」のシステムを世界に広めたことでも知られています)
 1954年のワールドカップ・スイス大会でもハンガリー代表は優勝候補の筆頭でした。そのため西ドイツ代表チームはハンガリーとの対戦を避けるため、予選リーグでわざとメンバーを落として2位になる作戦をとります。逆にハンガリーは、そのために準決勝でブラジルと当たることになり、勝利は収めたものの試合後の乱闘で負傷者を出したり、プスカシュが負傷退場させるなど満身創痍の勝利となりました。こうしてハンガリーはより厳しい状況で決勝戦を戦うことになり、西ドイツに2-3で敗れてしまいました。
 そんな4年ぶりの悔しい敗戦の後、選手たちはさらなる悲劇に見舞われます。それは、1950年代に急速に進んだ民主化に対し、ソ連が介入した「ハンガリー動乱」です。1956年にハンガリーへと軍隊を進めたソ連は、共産党による独裁的な政治体制を復活させ、民主化の動きにストップをかけました。そのため、民主化を応援していたハンガリー代表チームのメンバーたちはハンガリーを離れることになります。そのため、プスカシュ、コチシュら主力選手を失ったハンガリー代表チームは、その後、急速に勢いを失い、かつての栄光を取り戻すことはありませんでした。

<参考>
「ブラジリアン・サウンド The Brazilian Sound」
 1998年
(著)クリス・マッガワン、ヒカルド・ペサーニャ
(訳)武者小路実昭、雨海弘美
シンコー・ミュージック

CD「シコ・ブアルキ・グレーテスト・ヒッツ」 1988年
(解説)竹村淳

小説「ブダペスト Budapeste」 2003年
(著)シコ・ブアルキ Chico Buarque
(訳)武田千香
白水社

ジャンル別索引へ   アーティスト索引へ   トップページへ